Pyer Mossのデザイナー流儀
黒人とファッション
アメリカ・ニューヨーク市で郵便配達人をしていたヴィクター・ヒューゴー・グリーン(Victor Hugo Green)は、1936年に『黒人ドライバー のためのグリーン・ブック』を出版した。人種隔離とジム・クロウ法による黒人差別が横行していた当時、このガイドブックは黒人旅行者が安全にアメリカを旅するために欠かせないツールとなった。黒人にも友好的な宿泊先情報の数々から、アフリカ系アメリカ人にとって特に危険な地域に関する警告情報までが掲載されていた。
1964年に公民権法が可決され、この大判のガイドブックに収められた情報の多くは過去のものとなったが、アメリカにおける人種問題が特に厳しかった時代を示す重要な遺物として存在し続ける。当時の状況は今日の社会政治情勢にも紐づくため、ケルビー・ジャン・レイモンド(Kerby Jean-Raymond)は、2019年春夏コレクションのテーマの一つとしてこの書籍を選んだ。カラーパレットはアーティスト、デレック・アダムス(Derrick Adams)の作品の数々から着想を得ている。また“American Also”と題された2018-19年秋冬コレクションを想起するような、黒人一 家の暮らしをまとめたポートレートも登場した。この秋冬コレクションでは、ウェスタンのシルエットとアメリカ国旗を用い、西部開拓から先住民を守った黒人カウボーイたちのストーリーを描いた。
「今こういうコレクションを作っているのは、自分たちの存在を歴史に刻むためだ」とジャン・レイモンドは言う。先述の秋冬コレクションは、アメリカにおいて見落とされてきた黒人文化の隠された物語を、服を使って掘り起こそうという取り組みの第一歩なのだ。一方で、2019年春夏シーズンでは、開拓者から黒人たちの愛、そして牧歌的な家族の暮らしに焦点を変えた。「平凡な黒人の暮らしとは、果たしてどのようなものか? それが今回のコレクションの重要なポイントだ。黒人の家族たちとかそういうものを見せたいんだ」
家族というテーマはジャン・レイモンドにとって胸に刺さるテーマだ。Pyer Moss(パイヤーモス)というブランド名も、母の姓を取ってつけられた(アメリカからハイチへの移住時に、名字をMossからPierreに変えている)。その母もジャンが7歳のときに亡くなったが、素材を愛する心を彼の中に育んだ。一方、父のジャン・クロード(Jean-Claude)とはこれまで良好な関係とは言えなかった。しかし最近では絆を深めるようお互いに努力し、その事実が2017年春夏コレクション“Stories of My Father”を作り上げた。ニューヨーク市にあるThe New Museumの屋上で発表されたこのショーを、ジャン・クロードは最前列で見守った。
クリエイティブ界の大勢と同様、ジャン・レイモンドがたどった成功への道のりも苦難の多いものだった。14歳でデザインを始め、高校2年のときにウィメンズウェアのデザイナー、ケイ・アンガー(Kay Unger )の下でインターンシップをする機会を得た。アンガーの名前を冠したブラン ドでイブニングウェアラインのデザインを手がけ、それがMarchesa(マルケッサ)やTheory(セオリー)など、よりコマーシャルなブランドでの仕事へとつながる。2013年に始動したPyer Mossが初めて世間の目に止まったのは、ジャン・レイモンドがスタイリストのメル・オッテンバーグ(Mel Ottenberg)に提供したカモフラ柄のレザーバイカージャケットをリアーナ(Rihanna)が着用したときだった。
Pyer Mossはニューヨーク、特にメンズウェアシーンが隆盛を極めた頃に誕生した。ジャン・レイモンドと同期のパトリック・イーヴェル(Patrik Ervell)やティム・コペンズ(Tim Coppens)、そしてPublic School(パブリックスクール)のデザイナーであるダオイー・チョウ(Dao-Yi Chow)とマックスウェル・オズボーン(Maxwell Osborne)も、独自の、着心地が良いスポーツウェアとクラシックなテイラーメイドの服を掲げていた。アスレジャーとストリートウェアが 明らかにファッション業界の主要勢力になり始めた時代だった。
またグレース・ウェールズ・ボナー(Grace Wales Bonner)やHood By Air(フッド・バイ・エアー)のシェーン・オリバー(Hood By Air)、ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)といった新たな時代の黒人デザイナーも登場し、白人優勢のファッションメディアは彼らをしばしば競い合わせた。少なくとも彼の目にはそのように映っていた。
「最初は自分の正体を隠して絶対に人種問題と関わらないようにしていた。そうやって分類されるのが怖かったんだ。でも結局、それは避けられなかった」と彼は言う。
ジャン・レイモンドがさらなる旋風を巻き起こしたのは2014年のことだった。Pyer MossのオーバーサイズのビスコースTシャツに、警察によって命を奪われた黒人男性の名前をスクリーンプリントしたのだ。当初は販売を意図したものではなかったが、やがて“They Have Names”(彼らも名前のある人間だ)と名付けられたこのTシャツは1,000枚作られ、販売、企画管理面全般でACLU(アメリカ自由人権協会)の協力を得た。2015年、彼は自分が黒人デザイナーとみなされるのであれば、いっそPyer Mossというプラットフォームに現代の黒人の実態を反映させようと決意した。
2016年春夏ショーは#BlackLivesMatterを根底に置き、最初は一切服を発表しないつもりだった。そして友人たちとこのショーに向けて、アメリ カにおける人種問題の実態を描く12分のショートフィルムを制作した。この映像には、警察の武力行使の犠牲となった黒人の親族や、近しい人たち数名へのインタビュー、さらには暴力を振るう警察の様子を携帯で撮影した動画や、警察側のボディカメラ映像も収められた。
当初はためらいもあったが、こうして完成したコレクションを実際にランウェイで発表した。タイトルは“Ota, Meet Saartjie”。これは1906年にブロンクス動物園で“展示”されたコンゴ人男性のオタ・ベンガ(Ota Benga)と、1800年代にヨーロッパで同じく“展示”されたサーキ・バートマン(Saartjie Baartman)にちなんでつけられたものだ。世間の反応は二つに分かれ、多くの人がその大胆な主張を称賛した一方で、冷笑を浮かべる者もいた。彼は殺害の脅迫すらも受けた。一人のデザイナーとしてビジネスを危険に晒しながら貫いた主張だったが、その代償は実に大きかった。
このショーの後、これまでPyer Mossを取り扱っていた取引先の一部が身を引いた。さらにジャン・レイモンドは、会社の所有権を巡る提携事業者との訴訟、そして鬱という二つの闘いに身を置くこととなった。その年のコレクションには当時の苦しみが滲み出ている。2016-17年秋冬コレクション“Double Bind”は、生命の双対性に関する心理学用語から影響を受けており、精神的な問題や黒人男性らが普段声をあげないような問題へ注目を呼びかけたことで称賛された。スタイリングはメンタルヘルスの認知度向上を唱えるエリカ・バドゥ(Erykah Badu)が手 が け た 。
実際、擁護・支援や共同体意識の育成はブランドのDNAとなっている。#BlackLivesMatterをテーマにしたショーに目を留めたのは、同運動を推進する重要な一人、ディレイ・マッケソン(DeRay Mckesson)だった。ジャン・レイモンドは彼との関係を築き、マッケソンはPyer Mossの2017年春夏ショーにてランウェイから一番近いところへ座った。
「お金もない上に訴えられて、残高はどの口座もマイナスだった。あの頃は借金が85,000ドルくらいあったんじゃないかな」
1シーズンの活動休止を公表し、訴訟と金銭問題の解決を目指した。その後、昨年9月にニューヨークのMoMAからの依頼で展覧会“Items: Is Fashion Modern?”のためのピースをデザインした。それはPierre Cardin(ピエール・カルダン)からインスパイアされ、気候変動について考えながら作られたコンセプチュアルな陰鬱スーツだった。そして転機となったのがReebok(リーボック)との2年契約だった。この契約金により、ジャン・レイモンドは自身のブランド、Pyer Mossを完全に買い上げ、新たな一歩を踏み出すことができた。
現在、ジャン・レイモンドは自身の会社を取り戻し、スポーツウェアラインでスニーカーのコラボレーションも複数行っている。こうして新たに発進したPyer Mossを“Pyer Moss 2.0”と呼び、一からやり直そうとしている。ジャン・レイモンドにとって、新生Pyer Mossは2018-19年秋冬コレクションからスタートした。現在、ブランドの新たなるデザインコードの確立に注力し、そこからさらに成長しようとしている。Reebokの初回カプセルコレクションはシンプルに“Collection 1”と名付け、9月のニューヨーク・ファッションウィークにて“Collection 2”をデビューさせた。
「“Collection 1”から“Collection 2”で得た最大の学びは、一つのシルエットをいかに直しつつ、それを生かし続けるかということだった。強力なブランドには一目でそれと分かる強いシルエットがある。Rick Owens(リック・オウエンス)がまさにそうだ。ZARA(ザラ)の服を着ている人を見ても、袖が切りっぱなしになっていて長いシルエットだと“あれはリックのパクリだな”と思うだろう。だってそういうシルエットはリックが作ったものだから」とジャン・レイモンドは語った。
新生Pyer Mossの基盤となるのは、コントラストカラーのレザーを使ったクロップドトラックジャケットやユニセックスなボリューム感あるアウター、ルースフィットのハイウエストパンツ、コントラストステッチが特徴的なゆったりしたスーツなどだ。Reebokのためにデザインした、控えめなゴールドのトラックスーツ、細身のスウェット、ロゴを大きくあしらったトラックパンツ、そしてスニーカーとは非常に対照的だ。
最初に登場したのは、アーカイブデザインを基にしたReebok DMX Fusion 1 “Experiment“だった。ネット上では、こぞってこのシューズをYEEZY 500(イージー 500)と比較するコメントが出回った。どちらもどっしりとした、アシンメトリー感のあるシューズという点が共通しているからなのだが、そうした批判的意見をすぐに払いのけた。「自分のデザインを“Desert Rat(デザートラット)のパクリだ”とネット上で騒ぐ人間に対しては“くたばれ”の一言しかない。自分でデザインもしない人に対して、なぜどこが違うかなんて説明する必要がある?」
自分のブランドのオーディエンスが誰であるかを把握し、そこに対して直接語りかけることの重要性を学んでいる。この学びは今後のビジネスの骨幹となっていくことだろう。彼がPyer Mossを最初に立ち上げた頃、強固なファッションビジネスを構築するためには、BarneysやMR PORTER、SSENSEといった名だたるリテーラーと契約を結ぶことが不可欠だった。しかし、いくつもの顧客を失う経験を経た今、ブランドのコミュニティを開拓すること、文化を醸成することに重点を置き、それによってリピートする顧客を有機的に増加させたいと考えている。これは、あらゆる独立系ブランドが参考にできる賢明なアドバイスだ。
「顧客が1,000人でも、リピートして買ってくれればそれでいいんだ。何百万という人がいる世界で、1,000人を顧客にすることは難しいことじゃない。2,000人だって10,000人だって可能だ。そう考えると誰にでもチャンスがあると思えてくる」と彼は言う。
ジャン・レイモンドが“Pyer Moss 2.0“において、何かテーマを掲げるとするならばそれは家族と友人だろう。彼がデザインしたReebokのアッパーには“You’re my friends”という言葉が刻まれている。YEEZYでのデザイナーを経て、現在VERSACE(ヴェルサーチェ)のシューズデザイナーをしている友人のサレヒ・ベンバリー(Salehe Bembury)に、Pyer Mossのインハウスのスニーカーデザインを手伝ってほしいと声をかけたこともあった。彼は自分の服に対するフィードバックも喜んで受け止め、実際に着る人からの声を真摯に聞きたがっている。
多くのブランドにとって世界への架け橋となる、パリでのファッションウィーク中にもショールームを構え始めた。パリでは現在、メンズウェ アに多くの視線が集中しており、これは自身をメンズウェアとの対話へ導く手段でもあった。自身のショーが広報活動のためであることを強く自覚している彼は、数カ月前に行われるメンズファッションウィークではなく、9月に行われるニューヨーク・ファッションウィークへ参加し続ける予定だ。Pyer Mossの記事と認知度を向上させることが最終目標ならば、大多数のファッションメディアが注目するタイミングで、一度にメンズ、ウィメンズのコレクションを発表するのが一番合理的というわけだ。
「僕は賢いアドバイスには耳を貸さない人間だから、型にはまらないビジネスのアイデアが思い浮かぶんだ」と言う。「Pyer Mossのブランドストーリーも同じく自由で、成功の仕方も他とは異なる。だから普通とは違う意思決定を自分自身ですることがすごく大事なんだ。決めたことの責任を負うのは自分だから」
- ORIGINAL WORDS: IAN DELEON
- PHOTOGRAPHY: MICAIAH CARTER
- STYLING: COREY STOKES
- HAIR: NIGELLA MILLER
- MAKE-UP: ALANA WRIGHT USING MAC COSMETICS
- PHOTOGRAPHY ASSISTANT: TAYLOR DORRELL
- MODELS: EBONEE DAVIS / THE LIONS、TOPE ADESINA / MAJOR MODELS、BACHIR KARAMOKO & MOUHAMED MBENGUE / RED NYC