SKOLOCT中野毅の原点と今
裏原から世界へ
“SKOLOCT”
1990年代の東京。この時代のこの街を、20代で謳歌した人達がとても羨ましい。そこには後に、世界中から注目されるハラジュクのファッション、ストリートカルチャーを牽引する要人達が、今の若者と同じように仲間と夢を見たり泣いたり笑ったりしていたはずだ。2018年秋のAmazon Fashion Week TOKYOで、アートショーを行い話題となったSKOLOCT中野毅も、エネルギーに満ちた当時の裏原ファッションシーンを支えた重要人物の一人。中野氏によるNGAPは、90年代後半、原宿の友人達のショップデザインなどを手掛けた後、ファッションブランドへと発展した。その後2007年にSKOLOCTを立ち上げ、同名のキャラクターを用いたアートピースやファッションアイテムを展開するだけでなくUNDERCOVER、TAKAHIROMIYASHITATheSoloist.、STUSSYなど、人気ブランドとのコラボレーションでも注目され続けている。
ーーまずは、ブランド設立の経緯を教えてください。NGAPの頃のお話も伺いたいのですが。
NGAPは10年くらいやってたかな。もともと俺らは建築をやっていて、ペンキ塗ったり、お店作ったりっていうことをしてました。そこから服作りもするようになったんです。
ーースタートはいつぐらいだったのですか?
初めて携わったのが、NOWHEREっていうA BATHING APEのはじまりのお店だったんですけど、その頃はペンキ屋みたいな感じ。90年代前半かな。その後、NGAPとして建築やったり服作り始めたりして、1998年頃から2005年くらいまでやってたかな。展示会は6年間、12回くらいしましたね。
ーーNGAPからSKOLOCTへの変換期とはどういったものでしたか?
NGAPはどうしても建築がベースだから、服作りにも枠というか、建築っぽい洋服っていう縛りみたいなのがあったんですよ。でもやっていくうちに、その枠の中でできることだけっていうより、もっと自由な表現をしたいなと思ったんですよね。それでNGAPをやめて、SKOLOCTを始めることにしたんです。SKOLOCTっていうキャラクターを描いて、アート作品を作ってってという方向に。
ーー作品づくりやデザインにおいて、既成概念への反発や新しい考え方への衝動が、ものづくりのきっかけになることはありますか?
もちろんあります。基本的に見たことない物を作ることを心がけてます。
ーー中野さんは東京出身ということですが、どんな幼少期を過ごしてきましたか?
小学校の時は板橋区に住んでたんですけど、隣の人がサーファーで、その人にくっついてサーフィンやスケボーやってました。千葉の一ノ宮に行くことが多かったですね。サーファーってイケてたし、アパレルに関わってる人達も多かったので楽しくて。小、中、高……って高校はそんなに行ってないけど(笑)、その頃はサーフィンとスケボーばっかりやってましたね。
ーーすごい横ノリだったんですね。
そうですね。で、その延長線上で、10代の頃からクラブに行ってたんですけど、ジョニオ(高橋盾)とかNIGOとかに会ったのもその頃。
ーーそのクラブが、ジョニオさん、NIGOさん、スケシンさん(Sk8thing)、藤原ヒロシさんといった、いわゆる裏原ファッションシーンの人達との出会いのきっかけという感じですか?
そうそう。当時は先輩の紹介で、クラブのセキュリティーみたいなことを任されてたんです。新宿のMILOS GARAGEっていうクラブなんですけど、月曜日はロンナイ(ロック)、火曜日ヒップホップ、水曜日レゲエ、木曜日ロカビリー、金曜日ハウスで、土曜日は藤原ヒロシっていう、いろんな音楽が流れるクラブだったんですよね。結構みんなそこで出会ってると思う。もちろんヒロシくんはもっといろんなところでやってたけど、とにかくみんなそこでDJしてて、俺はそのクラブを守る係みたいな。そこで自然と仲良くなったんです。
ーークラブは渋谷じゃなくて、新宿なんですね。
俺らよりちょっと上の世代のクラブシーンって新宿なんですよ。六本木とかもあったみたいだけど、音楽が好きなマニアの人達は新宿っていう感じだったかな。で、そうやってみんなと遊んでるうちに、NIGOとジョニオが原宿でNOWHEREって店をやることになって、「中野なんかやってよ」ってことで、さっきのペンキの話。そこから、「原宿おもしれーな」って思って、自分も物を作るようになっていったんです。
「もともと俺らは建築をやっていて、ペンキ塗ったり、
お店作ったりっていうことをしてました。
そこから服作りもするようになったんです」
ーーUNDERCOVER、BOUNTY HUNTER、HYSTERIC GLAMOURなど、これまでのSKOLOCTとのコラボレーションで特に印象に残っているものや思い入れのあるものはありますか?
うーん、UNDERCOVERはこれまで何度もやってるちょっと特別なブランドではありますね。
ーー(UNDERCOVERとは)通算何度くらいコラボしたんでしょう?
何回だろう?(笑) ジョニオとは25、6年の付き合いだから、たまに会うと「何かしようか」ってなるんですよね。あと最近は、OJAGA DESIGNっていうハンドメイドの革のブランドと仕事するのが楽しいんですよ。NGAPの頃から知ってる仲で、OJAGAの作るものはすごく面白い。うちで今出てるのは、iPhoneケースと財布かな。それと、海外だとVLONEが印象的でした。バックグラウンドが全く違う奴らだから、これまでのコラボとは勝手も違ってね。A$AP Bari(エイサップ・バリ)は、日本に来る度に店に来てくれるんですよ。彼に呼ばれてマイアミに行ったときは、Playboi Cartiも一緒にいました。彼らのコミュニティってやっぱり別世界だから、すごく貴重な体験でしたよ。
ーー90年代の東京ストリートシーンがヒップホップカルチャーに大きく影響を受けていたり、2000年代は逆に海外のアーティストが原宿のブランドを着ているのが目立ってきた印象なのですが、中野さん自身はどんなアーティストが好きでしたか?
自分自身は、そこまで誰かに影響されたっていうのはなかったですね。ファレル(ウィリアムス)がうちの服をよく着てくれてたりしたけど。でもヒップホップは好きだったし、中学の頃はみんなと同じように、スケボーしながらBeastie BoysやRUN DMCも聴いてましたよ。最近だと、一番よく聴くのはトラップかな。Young Thugとか聴いてますよ。
ーーYoung Thug!
店で働いてる20歳くらいの若い子たちもトラップが好きで、自分も世界で流行っている新しいものって面白いなって思うんですよね。
ーーそういう世代と日常的に一緒にいられる環境なんですね。
そう。俺らが小・中学生の頃、原宿にSTORMYっていうスケートボード屋さんがあったんですけどね、YOPPI(江川芳文)とかそこによくいたんですよ。俺はそこに溜まってたわけじゃないんだけど、いつもSTORMYは子供たちがわぁーーっている場所だったんですよ。駄菓子屋みたいに。俺的にはそういうのが原宿のノリかなっていう気持ちがすごくあって、自分の店もそうなってくれたらいいなって思ってますね。
「店で働いてる20歳くらいの若い子達も
トラップが好きで、自分も世界で流行っている
新しいものって面白いなって思うんですよね」
ーー中野さんが、そういう若い子達の居場所を作りたいという精神でお店をされているのはすごく素敵ですね。小金持ちの大人だけにウケるビジネスをするのではなく。ちなみにファッションやアート、デザインに関して影響されたアーティストはいますか?
そういう人も、特にいないかな。もちろんA BATHING APE、UNDERCOVERっていう世界でも有名なブランドや、Sk8thingとか才能ある人達を間近で見てきたし、海外のいろんなアーティストの作品も見てきたけど、特定の誰っていうことはないですね。たくさん見て触れてきた中で自分なりに消化して、自分らしい作品を作るっていう感覚です。ただ、自分もそういったデザイナーやアーティストのように、世界に届くヤバいものを作れたらいいなと思ってます。
ーー国内外で今気になっている地域やシーンなどはありますか?
去年、中国の重慶で服のポップアップをしたんですけど、面白かったですね。何が流行ってるとか、何がかっこいいとかっていうのがまだあんまりなくて、でも何か買いたい!みたいな純粋な感じがして新鮮でした。だから新しいカルチャーや流れを作りやすいとも思いましたね。アメリカ並みに人口も多いし。なので中国のそういった可能性も面白いし、今後はもっとアメリカやヨーロッパでも積極的に活動していけたらなと思いますね。
ーー最近は、どんな風に1日を過ごしていますか?
朝起きて、コーヒー飲んで、10時頃までにはお店にいるかな。それで夕方くらいまで作業してるっていうのが定番ですね。今後も富山で個展の予定があるので、それに向けての制作もしています。大体一回の個展用に50点から70点くらいの新作を作るんですよ。
ーーでは最後に、中野さんの座右の銘やモットーのような言葉があれば教えてください。
俺そういうの全然知らないからなぁ(笑)。でも、「できないことはない」って思ってやってますよ。
- WORDS: SAORI OHARA
- PHOTOGRAPHY: KENTO MORI