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“良い服” が紡ぐ、ファッションの新章
ファッションの未来の話題と言うと、ウェアラブルテクノロジーにAI アウトフィット、メタバースショッピングと、実際にはどうでもいいような見当違いなことが多い。今後数年、我々の暮らしはテクノロジーによって様々に変化するだろう。しかしファッションの未来は、ボットやアルゴリズムでつくられるものではない。
筆者はちょうどパリ・ファッションウィークを6日間見てきたところだ。ランウェイショーには文字通りファッションの未来が現れていた。2025年秋冬コレクションに目を見張るようなテクノロジーは登場していなかった。そこにあったのは良い服、そしてそれを着たいと願う我々にとっての明るい未来だった。

『HIGHSNOBIETY』編集長、ノア・ジョンソン(Noah Johnson)。ファッション・ディレクター、セバスチャン・ジーン(Sebastian Jean)とともに。
©PHIL OH
万人がそれを歓迎するわけではないだろう。ここ数年、良い服を作ることなく多大な成功を収めてきたブランドやデザイナーは多数だ。その中にはマーケティングの天才や、強力で説得力のあるヴィジョンを持ち有名人らを知人とする世界の創造者がいる。彼らが良い服を作ることに強いこだわりを持たないのは、その必要がないからだ。しかしそれも変わりつつある。マーケティングよりも実際の洋服に重点を置くデザイナーが台頭し熱心なファンと堅実なビジネスを築きつつある。パリ滞在中にそれを肌で感じた。バイヤーや編集者もラグジュアリーファッションの誇大広告に退屈し、良い衣服を切望している。
今回気づいたことをまとめよう。



LEMAIRE FALL/WINTER 2025.
©GREGOIRE AVENEL
最も力のあるランウェイコレクションは、独自の強力なヴィジョンを持つデザイナーによるものだった。独自の路線を歩み、模倣やトレンドに流されることなく、自分のスタイルをはっきりと打ち出しているデザイナーだ。主要ラグジュアリーブランドは基本的にどれも似たり寄ったりで、ラベルやロゴを入れ替えても誰にも分からないだろう。しかし、KIKO KOSTADINOV(キコ・コスタディノフ)、 Rick Owens(リック オウエンス)、 LEMAIRE(ルメール)といったデザイナーは、画一化に抵抗し、大胆な独創性を追求している。
そして結果的に、ファッション業界ではそうしたやり方こそが成功と長続きの鍵となっている。COMME des GARÇONS(コム デ ギャルソン)、Walter Van Beirendonck(ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク)、Yohji Yamamoto(ヨウジヤマモト)といったブランドは40年以上前から存在し今も健在だ。ここで言う「ブランド」とは、デザイナーの服を着るファンや信奉者の集団を意味する。新作やアーカイブの奥深くから取り出した服を着てショーに詰めかける集団で、ブランドの顧客層とは全く異なる。ステータスを求めて購入する富裕層やブランド側から金銭や衣装の提供を受けた上で推奨者となる層とは異なるこうした信奉者集団が、成長と進化を続け、シーズンごとに勢力を強めている。COMME des GARÇONS集団も毎年その数を増やしており、ショーの会場の外の歩道には常に若き日の玲の信奉者が溢れる。今シーズン、パリで初めてショーを行ったウィリー・チャバリア(Willy Chavarria)も、独自の集団を築きつつあるようだ。

SONO FALL/WINTER 2025.
©SONO
裕福で地位のあるセレブリティをスタイルの模範とする考え方は、現代人の大半が既に捨てている。人目を引き評価を高める必要がある場合にセレブリティを味方につけることは有利に働くが、何を着るのがクールかという方向性を実際に定めることのできるセレブリティはほとんどいない。今ファッション界に本当に必要なのは、独自の視点、自立の精神、そして何よりも(みなさんご一緒に!)そう、良い服だ。今話題のAURALEE(オーラリー)、 A.PRESSE(ア プレッセ)、 COMOLI(コモリ)の日本の3ブランドは現在、ハイエンドでセンスの良いスタイルの頂点に君臨している。この3ブランドのショールームに行けば、自らの服装に肩を落として帰ることになるだろう。
有名人がランウェイの向こうに座っている風景に輝きがあるのは確かだ。筆者自身、LEMAIREのショーの開始数分前、ソランジュ(Solange)が(眩い美しさで)会場に到着し、筆者の数席後ろに座ったのを見て大興奮した。Rick Owensでは、デイヴ・シャペルが向かいに座っていた。HERMÈS(エルメス)では、ピーター・サースガード(Peter Sarsgaard)と目線の合う席だった。もちろん、LOUIS VUITTON(ルイ・ヴィトン)にはファレル・ウィリアムス(Pharrell Williams)のPhamous Phriends(セレブ知人集団)が詰めかけていた。しかし今シーズン、洋服を着てショーに登場することでブランドをよりクールに興味深く見せたセレブは思い当たらない。信奉者集団はクールだが、顧客は(著名な顧客であっても)クールではない。
セレブがブランドを擁護するパラダイムは近々完全に覆されるだろう。ゲートキーパーの復活議論を筆者自身多く見聞きしている。ブランドやデザイナーが、良い服ではなくInstagramのエンゲージメントという間違った動機に突き動かされている、という認識が高まり、金銭で動くブランドの広告塔のようには見られたくないと誰もが思うようになっている(そう思わないのはそれで生計を立てているインフルエンサーくらいだろう。彼らにはご加護がありますよう)。我々が欲しいのは誠実なブランドの良い服なのだ。
では良い服とはどのようなものか、という点だが、お察しの通り、それは人によって異なる。必ずしも着心地やフィット感の問題ではない。その服が真の価値を持っているか、ブランドのマーケティング戦略のための単なる道具ではないかということも関わってくる。良い服を購入するためのお金は、販売キャンペーンではなく、手に入れるもの自体に対して支払っているのだから。



EVAN KINORI FALL/WINTER 2025.
©EVAN KINORI
価格は品質の指標ではない。つまり高価な洋服であれば上質であるというわけではない。またブランドものかどうかという点も、質を決める観点ではない。そんな一見当たり前のようなことが、当たり前とも言い切れなくなるのがラグジュアリー業界だ。良い洋服は値が張りがちであり、ブランドものの場合もある。しかしブランドものであることが良い洋服の条件というわけではない。良い服とは機能と形が一致した服である。セーターが良いものであるためには実際に良いものである必要がある。
先週のパリ滞在では、デザイナーやブランドにとって独立というものが、もはや避けるべきものではなくなったことに気づかされた。小規模新興ブランドにとって、ラグジュアリー業界の豊かな魅力は急速に色あせており、縛られることなく無限の創造の可能性を秘めていることの需要性がますます高まっている。トップレベルのクリエイティブディレクターが次々と入れ替わるファッション業界の現状を考えればこれは当然のことだ。確かに小規模経営に苦労するデザイナーの目に、高額報酬とグローバルプラットフォームには果てしない魅力に映る。良い服への需要が高まれば、独立を維持するデザイナーにも機会は生まれるだろう。

DIOR FALL/WINTER 2025.
©COURTESY OF DIOR / ALFREDO PIOLA
となるとファッションの未来はどうなるのか。つまり将来、我々はどういったものを目にし、購入し、着用することになるのだろうか。ランウェイやパリのショールームで発表されたものへの注目が、8カ月後も続いているとは限らない。
筆者の未来予測レーダーに上がったものを挙げてみよう。evan kinori(エヴァンキノリ)の墨染めコーデュロイのフラットフロントパンツ(プリーツが減るファッションこそ未来)、MAN-TLE(マントル)の深みのあるネイビーのモールスキンチョアコート(チョアコート再来の予感)、スペイン人デザイナー、ガブリエラ・コール(Gabriela Coll)によるLoro Piana(ロロ・ピアーナ)のウールトラックジャケット、LADY WHITE CO.(レディホワイトカンパニー)のパーカーとTシャツは筆者自身15種類ほど必要だ、そして、SONO(ソーノ)による英国ハンドメイドのシープカラーウールの丈夫なニット。



HERMÈS FALL/WINTER 2025.
©FILIPPO FIOR / HERMÈS
また一部の大型ラグジュアリーコレクションが、良い服の時代と独立精神の強化を重要要素としていたことに勇気づけられた。キム・ジョーンズ(Kim Jones)によるDIOR(ディオール)の最新コレクションは最高水準の良い服をもはや挑むかの如く見事に見せる内容であった。オートクチュールの神々に純粋に応えるデザイナーだと思わされた。そして、HERMÈSのクリエイティブディレクター、ヴェロニク・ニシャニアン(Veronique Nichanian)(筆者が最後に確認したところでは最長の就任期間を誇る)は、35年にわたり「良い服」に身を捧げてきたことの正しさを証明していた。これらこそ、最高の独立系ブランドが作り出すトップクラスの「良い服」だ。
ファッションの未来予測は実はかなり簡単だ。ブランドのランウェイ写真を見れば誰の目にも明らかである。先週見た服が生活に浸透する。サンプルから大量生産が始まり、ラックやEコマースサイトに商品が補充される。しかし、着る側が何を着たいかは不確かであり続けている。
- WORDS: NOAH JOHNSON
- TRANSLATION: AYAKA KADOTANI