かつて世界地図の片隅でしか語られることのなかったカンボジア。その名を、音楽で世界に響かせた一人の青年がいる。VannDa──ビートとともに母語を刻み、かつて奪われた文化の声を再び立ち上がらせたラッパーでありプロデューサーだ。

彼の音楽には、明確なルーツと鋭い未来志向が共存している。クメール語の語感をリズムとして刻み込み、伝統音楽や路上のノイズさえもサンプリングしながら、現代の音に練り上げていく。メロディや意味以前に、まず「音」がその存在を語り始める。そうして言葉が後から追いついてくるような、そんな感覚がVannDaの作品にはある。

都市と農村、伝統とストリート、傷と希望──それらが複雑に入り混じる彼の背景は、音そのものを深く、揺るぎないものにしている。世界へ向けた彼のビートは、単なるエンターテインメントではなく、表現を通して自分達の「居場所」を取り戻す試みでもある。

 

©︎BARAMEY PRODUCTION

失われた声を編み直す

1970年代のポル・ポト政権下、カンボジアの芸術家や音楽家の多くが命を奪われ、文化の記憶ごとその声を喪失した過去がある。かつて豊かに存在したポップスやロックンロール、伝統音楽の数々は歴史の断絶とともに一度、その流れを断たれた。

だが今、その空白を埋めるようにして新しい音が生まれている。SNSとストリーミングの力で世界と繋がりながらも、彼らは決して西洋の音楽の模倣者ではない。むしろローカルな感性を持って、失われた文化の声を編み直し、新たな物語を語っている。

その象徴の一人がVannDaであり、彼の代表曲 “Time to Rise” は、伝統楽器チョン・クルーンの響きを取り入れながら、若い世代へのメッセージをクメール語で放つ。「立ち上がるときだ」と呼びかけるそのビートは、過去を乗り越え未来を創り出す強度を宿している。

風土がリズムを決める

カンボジアの音楽が持つ独特の “ゆらぎ” ──それは気候や農村の生活リズム、祝祭の時間感覚など、自然と共にある風土に根差している。VannDaもまた、自然光が差す早朝のスタジオで曲を作るという。

都会的なスピードとは異なるテンポ。機能よりも感覚が優先される語り口。そんな文化的コードが、彼の音楽の時間軸を形作る。だからこそ、ビートは速くても、どこか揺らぎと余白を残している。

また、彼のルーツであるカンポット州の風景や、家族の存在も創作の中心にある。VannDaの音楽が個人の表現であると同時に、共同体の記憶として響くのはそのためだ。

路地裏のスタジオから世界へ

アジアのヒップホップは今、韓国や日本といった都市圏を越え、よりローカルな文脈から多様な表現を発信する段階に入っている。VannDaは、自身のレーベル「BARAMEY PRODUCTION」を拠点に、仲間達と共にプロデュース、映像制作、発信までを自らの手で担ってきた。

資本も環境も整っているとは言いがたい中で、それでも作り、発信し、共鳴を生む。彼らのクリエイティブは、制度の外側から文化を再構築する実践にほかならない。そのアティチュードが、国境を越えて人々の心を動かしている。

英語や韓国語の混じるアジアの音楽シーンのなかで、彼はあえてクメール語を使い続ける。それは、自分の文化であるという誇りと、それを世界と共有するという意志の現れでもある。

静かに、確かに、響くもの

強く主張しなくても、抑制された表現の中にこそ深い情熱が宿る。VannDaの姿勢はまさにそのようなものだ。派手な自己演出ではなく、制作と対話、そして音そのものに誠実であろうとする態度が、聴く者に静かな余韻を残す。

インタビューで彼は多くを語らなかった。しかし音楽が、そして彼の姿勢が、雄弁にすべてを物語っていた。それは、語るよりも「響かせる」ことを選ぶアーティストの美学であり、カンボジアという国の歴史が培った強さでもある。

今、カンボジアから生まれる新しい音のうねりは、ひとりの才能に留まらず、地域そのものが育む創造の証でもある。それは決して一時のトレンドではない。静かに、しかし確かに、未来を変えていく音の力なのだ。

VannDaという人物 ― 出自と成長

——カンボジアはどのような場所で育ちましたか? その環境が、人として、またアーティストとしての自分にどんな影響を与えたのでしょうか?

カンボジアのシアヌークビルで生まれ育ちました。家族は質素に暮らしていて、ココナッツを売って生計を立てていて、私もよく削ったココナッツを器に入れて、ひとつ50セントにも満たない値段で売っていました。恵まれた環境ではありませんでしたが、好奇心だけはいつも強く持っていました。シアヌークビルは今では大きく変わりましたが、あの街から受け取ったものは本当にたくさんあります。魂と直感を鍛えてくれた場所であり、私のスピリットの原点でもあります。今はプノンペンで暮らしていますが、何をするにも、心の中にはいつもシアヌークビルがあります。

——音楽に出合ったきっかけは? また、創作の原点となったサウンドやアーティストはいますか?

ヒップホップとの出合いは、兄のVannDyがきっかけでした。兄はいつも新しい音楽を家に持ち帰ってきていて、その中でも特に記憶に残っているのが、トゥイスタの「Overnight Celebrity」です。僕がカンボジアで “フローの王様” と呼ばれるようになったのは、この曲の影響が大きいと思います。あの曲で初めてケイデンスを知って、「ラップってこんなに速いものなのか」と衝撃を受けました。ジャンルは関係なく、いろんな音楽から影響を受けています。カンボジアのクラシックや伝統音楽も、自分の血の中に流れています。サウンドに対しては常に学び続ける姿勢でいて、心を動かしてくれる新しい何かをいつも探しています。

——音楽が自分の人生の中心になると確信した瞬間はありましたか?

心のどこかでは、ずっと分かっていた気がします。音楽は、自分だけの世界を作り出す力を与えてくれた存在です。でも本当の転機は、100ドルだけを握りしめてプノンペンに出てきたときです。あの瞬間、自分で決断し、夢を追い始めました。もちろん辛い時期もありました。ホームレスになったこともあります。それでも、音楽のためならどんな苦労も怖くありませんでした。どうやって夢を叶えるかは分かりませんでしたが、音楽が人生の中心であり続けることだけは確信していました。

——幼少期や学生時代に、自分の声や表現する力に気づくきっかけとなった経験はありますか?

口数は少ない子どもでしたが、書くことが好きで、人の仕草や感情、その場の空気をじっと観察しながら、歌詞や詩、内省的な文章を書いていました。そうして自分なりに世界の意味を理解しようとしていたのだと思います。そして気づけば、音楽は自分にとってセラピーのような存在になっていました。失恋や裏切りを経験したときには大きな支えとなり、うつの時期も音楽があったからこそ乗り越えられました。お金も成功もなかったあの頃でも、自分には表現する手段がありました。それが自分なりに人生を理解し、楽しむための支えになっているのだと思います。

©︎BARAMEY PRODUCTION

音楽的アイデンティティ ― VannDaならではのサウンド

——伝統的なカンボジア音楽の要素と現代ヒップホップビートを融合させていますが、その融合をサウンドやコンセプトの面でどう考え、表現していますか?

私にとって、カンボジアの伝統音楽と現代音楽の融合はギミックではなく、ごく自然なことです。どちらも自分の一部であって、「伝統とヒップホップを融合させよう」と意識しているわけではありません。私はクメール人であり、ラッパーであり、音楽を愛する人間です。カントゥルムのリズムもドリルビートも、自分の心を動かすサウンドであればなんでも取り入れます。大事なのは感情とフィーリングです。物語を伝え、人の心に響くことこそが、音楽の本質だと考えています。

——「GOLDEN LAND」で伝えたかったストーリーや感情について教えてください。

「GOLDEN LAND」と「VARMAN BLOOD」は、「Time To Rise (feat. Master Kong Nay)」の続編のような作品です。実際には、「TREYVISAI III: RETURN TO SOVANNAPHUM」シリーズ全体こそが、本当の続編と言えるかもしれません。自分達のアイデンティティを取り戻したあと、次に「これからどこへ向かうべきか」という問いが浮かび上がります。「GOLDEN LAND」は、誇りを呼び覚ますために制作しました。例え誰かに見下されても、胸を張って立ち続けてほしい。そんな願いを込めています。中でも「MAKE YOUR LUCK (feat. Vanthan)」の一節に出てくる「ソヴァナプム(Sovannaphum:クメール語で“黄金の地”を意味する言葉)は単なる場所ではなく、感覚だ」は大切なメッセージです。これは、私達の古代の大地が過去のものではなく、今も心の中で生きていることを示しています。その力は胸の奥深くに宿り、私達がどこへ向かおうとも、ソヴァナプムは共にあり続けるのです。

——楽曲やプロジェクトを制作する中で、特に時間をかけるのは歌詞、サウンド、ヴィジュアル、それとも全体のコンセプトのどの部分ですか?

私は制作の全ての工程を自分で行います。プロデュースも作詞も編曲も自分で手がけていて、特に編曲に一番こだわっています。感情を一番込められるのが編曲だからです。制作にかかる時間は曲によって様々で、30分で完成することもあれば、3カ月かかることもあります。意味があると感じたときはコラボレーションもしますが、基本的には細部まで自分の手で仕上げたいタイプです。歌詞やヴィジュアルだけにとらわれず、その曲が “ちゃんと呼吸しているか” を何より大切にしています。

——リスナーに受け取ってほしい核心的なメッセージはなんでしょうか? どのような感情や気づきを持ってほしいと考えていますか?

「力」を感じてほしいです。特にクメールの人々には、自分達が認められ、尊重され、勇気づけられていると感じてほしいです。私達はただ生き延びてきただけでなく、新しいものを生み出してきた歴史も持っています。単なる生存者ではなく、クメール語で忍耐や粘り強さを意味する「トスー(tossu)」に象徴される存在です。「KHMER BLOOD」を聴いていただければ、その思いが一行一行に込められているのが伝わるはずです。クメール人以外の方にも、私達の闘いに共感し、音楽を通して誇りを感じ取ってもらえたら嬉しいです。

——あなたにとって「誇り」は、音楽の中でどんな意味を持っていますか? 文化や自分自身、遺産に対する誇りなど、どのような形で表れていると思いますか?

誇りは私のあらゆる活動の根底にありますが、盲目的なものではありません。ただ胸を張るだけの誇りではなく、本当の誇りとは、自分が何者であり、何を乗り越えてきたのかを理解することから生まれると考えています。歴史を学び、自分のルーツや仲間を敬い、文化を大切に受け継ぐこと。それこそが誇りの核です。私の誇りは、知識や喪失、そして継承への意識に根ざしています。これは自我ではなく、ひとつの “真実” だと思います。

カンボジア文化の背景と世界を繋ぐ音楽の架け橋

——現在のカンボジアの音楽シーンには、どんなエネルギーを感じていますか? また、どのような変化や動きが起きていますか?

今のカンボジアの音楽シーンはとてもエネルギッシュです。多くの若手アーティストが次々と登場し、それぞれが自分のサウンドを模索しながら成長しています。リスナーの期待も高まって競争は激しくなりましたが、シーン全体が着実に前に進んでいる証拠ですし、とてもいいことだと思います。私自身も、所属するレーベルBarameyと一緒に、カンボジアと世界を繋ぐ架け橋を作ろうと取り組んでいます。この熱量を一時的な盛り上がりで終わらせるのではなく、きちんと持続可能な形にしていくために、業界全体をもっと高めていきたいと思っています。

——伝統音楽とヒップホップの融合は、カンボジア国内でどのように受け入れられていますか?

以前は伝統音楽をリミックスして楽しむ程度の感覚でしたが、「Time to Rise」がその流れを変えました。ただのかっこいいビートではなく、多くの人にとって “目覚め” のような作品になったと思います。2021年3月28日、カンボジアで初めて本格的なロックダウンが始まり、みんなが家に閉じこもっていた時期にこの曲を発表しました。多くの人があの映像を見て、自分達の文化が世界中から尊敬されていることを初めて実感したのです。ベトナム、タイ、インドネシア、そしてアメリカのクメール系コミュニティでも話題を呼び、外からの視点を通して自分達を新たに見つめ直すきっかけになったと思います。多くの人に希望を届けられたと感じていますし、私自身も大きな刺激を受けました。

——アジアや欧米のアーティストからインスピレーションを受けたことはありますか? そうした影響は、どのように自身のサウンドに反映されていますか?

はい、多くのアーティストから刺激を受けています。欧米ではラッパーはもちろん、優れた音楽プロデューサー達からも大きな影響を受けています。アジアでは、THAITANIUMやF.HERO、タイのロックバンド、ボディスラムといった先駆者に加え、Awich、JP THE WAVY、OG BOBBYといった新世代のアーティストからも強く影響を受けています。特にフロウや感情表現、プロダクションに刺激を受けていますが、それらを自分の背景に合わせて取り入れるようにしています。クメール語で自然に響き、そして自分の世界に嘘偽りなくあることを大切にしています。

——カンボジアのリズム、言語、そしてスピリットを世界に発信する際に、特に大切にしていることや強調したいことはなんですか?

クメール語は70以上の母音と子音を持つ、世界でも最も複雑な言語のひとつです。でもそれ以上に大切なのは、この言葉に “魂” が宿っていることです。グローバルに届けるために英語を使ったほうがいいとプレッシャーを感じることもあります。特にフックの部分では英語のほうが受け入れられやすいこともあります。それでも、自分はクメール語の美しさやリズム、歌い方を守りたいです。今はただ英語で歌えばいい時代ではなく、真正性が求められる新しい時代だと思います。だからこそ、自分らしいサウンドを大切にしながら、世界と繋がっていくことが今の自分の課題だと感じています。

——国境を越えたコラボは、芸術的な面だけでなく、文化的にどのような意味を持つと考えていますか?

音楽に国境はありません。国を越えてコラボすることで、自分達の枠を超えた大きな何かが生まれます。これは単なるビジネスではなく、互いへのリスペクトがあってこそ成り立つもの。私は、数字や再生回数だけでなく、カンボジアや文化を深く理解してくれるアーティストと共に仕事をしたいと考えています。こうした繋がりを通じて、人々のカンボジアに対する見方が変わりますし、その力はとても大きいと感じています。

これからの展望 — 夢・遺産・社会への想い

 

©︎BARAMEY PRODUCTION

——「成功」とはどういうことだと考えていますか? その概念は、音楽の枠を超えたところにも広がっていますか?

成功とは、自分らしさを貫き、創作を続け、家族を大切にすること。そして、心の安定を保ち、日々成長し続けることです。もちろん、物質的な成功があれば生活は楽になりますが、例え貧しくても私は音楽を続けます。音楽は私の人生そのものであり、誰かの支えにもなります。それが何よりの幸せです。

——音楽の枠を超えて、これからのカンボジアを担う若い世代に対して、どんなサポートをしていきたいと考えていますか?

スタジオを立ち上げて若い才能を育て、カンボジアの音楽業界をさらに盛り上げていきたいです。自分を超える大きな何かを残したい思いもあり、いつかは学校を開くことも視野に入れています。ですが今は、チームと共に次の世代がしっかりと輝ける環境づくりに力を注いでいるところです。

——カンボジアの音楽業界をもっと持続可能なものにしていくために、どんな仕組みやサポートが必要だと思いますか?

教育とツールをより充実させることが必要です。音楽業界には、表舞台で活躍するアーティストだけでなく、プロデューサーや作詞家、マーケター、エンジニアなど、様々な役割があって、どれも欠かせない存在です。若い世代には、この業界を単なる憧れではなく、長期的に続けられるキャリアとして捉えてもらえるよう育んでいきたいと考えています。

——「GOLDEN LAND」という言葉は、どんな未来を思い描かせるものですか? 単なる曲のタイトルを超えて、どんな意味を持っているのでしょうか?

「GOLDEN LAND」は、私達こそがカンボジアの未来を切り拓く新しい世代であることを示しています。過去を振り返るのではなく、自分達の手で新たな黄金時代を築いていくのです。ミュージックビデオの中で「ソヴァナプムは単なる場所ではなく、感覚だ」と語っているように、その力は一人ひとりの内側に息づいています。未来は、大切に、そして誇りとヴィジョンを持って、私達の手で築いていくものです。

——アーティストとしての夢と、一人の人間としての夢は同じですか? それとも、それぞれ別の方向に変わってきていますか?

同じです。もちろん、素晴らしい音楽を作ることは大切にしていますが、それだけでなく、人の心に何かを届けたい気持ちがあります。私は仏教の教えを大切にしていて、みんなが人生を楽しみ、功徳を積み、調和の中で生きられることを願っています。世界を見て感じたことを、自分なりの形で仲間に返していきたいです。愛と思いやり、そしてリズムで人と人を繋げていきたいと思っています。