かつてエディ・スリマン(Hedi Slimane)の名と強く結びついていたCELINE(セリーヌ)。マイケル・ライダー(Michael Rider)のもとで、劇的に変わるのか、それとも変わらずにいるのか。フィービー・ファイロ(Phoebe Philo)時代のCELINEやPOLO RALPH LAUREN(ポロ ラルフ ローレン)での経歴を持つライダーが掲げたのはただひとつ。派手さをそぎ落とし、リアリティをまとったラグジュアリーだった。

そしてライダーは言葉通り、それを実現させてみせた。

7月6日、パリで公式スケジュール外に発表されたライダーによるCELINEデビューコレクションは、前任者達の美学を受け継ぎつつ、じっくりと熟成された豊かさと揺るぎない落ち着きをまとっていた。

CELINE 2026年 スプリングコレクション全体には、ラルフ・ローレン(Ralph Lauren)譲りのアメリカンムードが息づく。ジェームズ・ディーン(James Dean)を思わせるTシャツをフルレングスのパンツにタックインしたスタイルや、色落ちデニムに大ぶりのベルトバックルを合わせたルック。存在感のあるシャツやスクエア型のタイを合わせたパワースーツにも、そのエネルギーが宿る。

ボブ・ディラン(Bob Dylan)時代のロックスタイルをフランス流に磨き上げたスリマンの感性は、流れるようなキュロットのすっきりとしたラインや、軽やかで親しみやすいシルエットのスカーフに色濃く表れている。

冒険的なスタイリングや、ボタンをきっちりと留めたカーディガン、ゆったりとしたドレス、そして身体を包み込むトレンチコート。その一つ一つに、ファイロ時代のCELINEに息づいていた、あの洗練された女性像がさりげなく重なって見えはしないだろうか。

とはいえ、デザイナーにとって、自分の作品に “先人の影” が見えると言われることほど耳の痛い話はない。誰もが、自分だけの道を切り開く存在でありたいと思っているはずだ(特にアートやクリエイティブの分野で働く者ならなおさらだろう)。

しかし、近年のファッション史に名を刻むデザイナー達のエッセンスを受け継ぐことは、決して後ろめたいことではない。ただの焼き直しなら話は別だが、ライダーの真価はそこにない。ローレン、スリマン、ファイロ、それぞれの流儀を巧みに溶け合わせ、模倣でも凡庸でもない、新たな提案として打ち出している。

ライダーによるCELINEは、むしろ心地よく手に取りやすい存在だ。現代のラグジュアリーファッションにおけるひとつの基準となりつつある、「リアルに着られる本物志向の服」を揃えつつ、スリマン流の巧みな手法も随所に効いている。例えばInstagramではコメント欄を閉じ、CELINEのフィード全体を趣味の良さが静かに漂うギャラリーのように保っているのも、そのスタイルの一部だ。

上質なレザージャケット、リラックス感のあるブレザー、クラシックなシャツ、汎用性の高いニットウェア。それらは、大胆さをほどよく抑えた巧みなスタイリングによって、さらなる洗練をまとっている。体にぴたりと寄り添うボイラースーツや、極端に短くカットされたタキシードジャケットもその好例だ。その一方で、CELINEの「トリオンフ モノグラム」入りレザーバッグや、ファイロ時代を彷彿とさせる「バグアイ・アイウェア」のように、実用性と存在感を兼ね備えたアクセサリーが随所にあしらわれ、全体のバランスを引き締めている。

これは、どれも非常に歓迎すべきものだ。

ラグジュアリーファッションは長い間、人々が本当に着たいと思うものとはかけ離れた服ばかりを生み出してきた。

そんな中、ライダーによるCELINEコレクションは、ここ数シーズンに見られる動きと同様、ファッション界にリアルな視点をもたらす存在となっている。