スポーツの世界は、最先端技術と人工物によって体の可能性を極限まで引き出してきた。だが、気候危機や資源の枯渇が進む今、人間の活動は自然と対立するのではなく、循環させる方向へと転換すべき時代にある。やる者も観る者も熱狂させるスポーツの力を、社会の循環エネルギーに変える——そんな発想から生まれたのがスポーツ・アップサイクル・ラボ。その中心にいるのが、合同会社 肩車の佐保田裕介氏だ。

 

——佐保田さんのスポーツのルーツは、ラクロスなんですよね。

はい。日本代表として3回、世界大会に行かせてもらいました。大学卒業後は体育の教員になろうと思っていたんですが、大学4年生のときに日本代表に入れたことで、もう1回ラクロスを頑張ってみようと。世界大会でいろんな国の選手と話すうちに「スポーツっていいな」「この経験を何か形にしていきたいな」と思うようになったんです。内定を辞退した後、ラクロスをもっとうまくなりたくて、大学卒業後の半年間、オーストラリアに語学留学しながら現地のチームでプレーしていました。

 

Caufield Lacrosse Clubの寮母、Julie Rock氏と

——そこから、ものづくりの業界にどのように転換したのでしょうか?

元々大学の頃からチームのグッズを作ったり、ものづくりに携わっていたんです。だから、クリエイティブなことがしたいと思い、広告業界やメディア業界に第2新卒で就職活動して、女性向けのウェブメディアを運営している会社での広告営業に入社しました。毎日100件テレアポしながら、トレンドをチェックして企画を作って、クリエイティブチームと整合性をとって、営業に行く、そのルーティンを繰り返す毎日でした。クライアントからのヒアリングを編集部やライターさんに伝えても「何言ってんの?」とめちゃくちゃ怒られたりして。今思い返してもバリバリの体育会系でしたね(笑)。

——転機となった出来事があったんですか?

その会社で2ヶ月ぐらい働いて、めちゃくちゃ追い込まれていたタイミングで、当時付き合っていた彼女が亡くなってしまったんです。それで、1回会社から離れました。でもラクロスはずっと続けていました。ラクロスに救われた部分が大きかったので、いつかスポーツに恩返ししたいなって、その頃からずっと思っていたんですよね。

その後、広告制作会社や、上司が呼んでくれた会社で広告制作事業や広告代理店事業を2軸でやっていたんですが、スポーツのビジネスをやりたいなとはずっと思っていたんです。そこで、社内の社会貢献事業を立ち上げました。ラクロスチームのロゴやグッズを作って、その売上を学生達に還元する、というものだったんですが、順調に行き始めた頃コロナが来て部活動が全部止まってしまった。

 

——それまでの当たり前が無用になった。

そうなんです。それで「コロナってなんだっけ?」と紐解いていったら気候変動に行きついたんです。人間の利便性のみを追求してきた活動が自然や生態系のバランスを崩し、温暖化や海洋ごみ、食糧難など様々な問題に繋がっているんだと知り、驚愕したんです。ラクロスの引退も考えていた30代後半、いろいろ考えて、行動して、1番最初にできたのが、パンクしたサッカーボールを編み込んで作ったこのキーホルダーでした。

 

——自身が親和性のあるスポーツと、アップサイクルによって独自性を見いだしたんですね。

会社を立ち上げるタイミングで、地元やローカルを大切にしたいと考えていました。サッカーボールは合成皮革ですが、革工場さんならできるはずだと、川崎市高津区にある「株式会社sklo」さんに、サッカーボールを持参して「これでキーホルダー作れませんか? 一緒にやりません?」って持ち込んだんです。僕、ゼロイチは得意ですから、熱量と、ざっくりしたプランを伝えて「これがもしできたら、御社にとってもスポーツ業界でも未開の領域。だから一緒にやりましょうよ」と、巻き込んでいった。地元の、僕が育った町の他業種の方とスポーツをかけ合わせたものができて、それがすごく胸熱でした。

 

さらに、これをプロダクトとして売るだけじゃなくて「ワークショップができるのではないか」と。そうしたら、ちょうど川崎フロンターレが年に1回やってる「SDGsランド」っていうイベントに呼ばれたんです。こちらから営業したわけでもないのに。

——凄い! 反応はどうでしたか?

当時のサステナビリティの意識が高い層には「ユースの子達が蹴ってるボールで、ストーリーがめちゃくちゃいい」と刺さりました。ただ、ビジネススキーム的には、ファンクラブ会員は安くするということで、ほぼ赤字でした。でも実績としては良かった。だから、これを続けていくために、ちゃんとスキームを作ろうと思っています。ただ、このキーホルダー自体でめちゃくちゃ稼ごうとは思ってなくて、この「考え方」が広がってスポーツ界からゴミが減るアクションが少しずつ増えたらいいなと思っているので。作り方自体をプロスポーツチームにノウハウとして教えて、彼らにイベントをやってもらう。僕はパーツだけ作って納品して現場には行かない、というのを今年からチャレンジして、クリアソン新宿やスフィーダ世田谷に納品しています。

 

スフィーダ世田谷の選手のみなさん
クリアソン新宿の島田 譲選手と岩舘 直選手

——プロリーグとのやり取りで、どのようなハードルがありますか?

今回は、ユース選手との取り組みだったのですが、本来は、認知をひろげたり、シンプルにファンが喜んでくれるためにも、実際のトップ選手達も含む全選手が練習で蹴っているボールを回収したかったんです。でも、スポーツブランドとJリーグさんの契約上、提供が難しいという事実があったんですよね。こういった垣根も少しずつ取っ払うことが出来たらいいなと思いますね。

 

——スポーツ・アップサイクル・ラボでは植木鉢やカードケースなど様々なアップサイクルが行われていますよね。

はい。廃棄処分、余剰在庫等のボールをハンドメイド加工した植木鉢や花瓶、スポーツ・シューズをハンドメイド加工したカードケース、再生プラスチックのキーホルダーや、使い古しのユニフォームで作ったメガネケースやサッカーボールクッションなどの事例があり、現在も様々なお問い合わせに対応して開発を進めています。一部の生産は就労継続支援B型事業所と協力することで、地域の雇用状況の向上にも貢献できるようにデザインしています。

 

——プロ選手との取り組みで、サッカースパイクのアップサイクルも行っています。

プロサッカーの世界ではスパイクが雨に濡れたりすると、革が変形してしまって、蹴り心地が変わり、次の試合ではもう履けないらしいんです。一般のシューズでは断然使えるクオリティですし、もったいないという話をジェフユナイテッド千葉の鈴木大輔選手に話したら「俺が集めるよ」ってロッカールームから40足ぐらい集めてくれて。それをBAGGAGE COFFEEの竹内さんに相談したら、美容師をしながらスニーカーのカスタムをやっている五十嵐さんを紹介してくれた。早速彼を口説いて、1個作ってみたら「めっちゃかっこいいじゃん」と。それで2年前に「MUD KICKS(マッドキックス)」としてブランド化しました。

 

サッカースパイクのソールを剥がした廃材を「海洋プラスチック問題」の取り組みをしている横浜の「buoy(ブイ)」さんに頼んでこのコースターを作ってもらっています。一つ一つデザインが違っていて、このコースターを一個作るのに、スパイク一足(2個)が必要なんです。ソールを剥がす作業は、五十嵐さんと僕とで、2日間かけて150足強剥がしました。

 

アビスパ福岡の久保田歩氏と。2年の開発期間を経てついに「Avicycle」グッズが完成

——プロチームとの取り組みは大きなインパクトとなりそうです

先日、アビスパ福岡と進めていた「アビサイクル」というプロジェクトが形になりました。選手達が去年着ていた練習着を回収して、福岡県の就労支援施設の方達に新しいグッズに作り替えてもらい、ファンサポーター向けに受注生産で販売する、という企画です。この取り組みが、J1チームの良いモデルケースになったら、ほかのチームとも一緒に様々なことができるんじゃないかと期待しています。

 

——ほかにもアップサイクルも行っていますね。

僕自身が犬を飼い始めて、世の中にスポーティでかっこいい犬の服って意外と少ないなと思って。ちょうどその頃、竹内さんと出会ってサッカーカルチャーに触れたら、ユニフォームがサイズアウトしちゃうとか、もったいないという現状を知ったんです。

これを始めたら、大学でバレーボールを頑張っていた子が、引退が決まって「自分が着ていたユニフォームを、飼っているワンちゃんのために作りたい」とオーダーしてくれました。スポーツをやっている人には、そこにしかない思い出がある。それをワンちゃんと散歩しながら思い出せる、ちょっとエモーショナルなブランドになっています。

 

——2022年には、スマートライフスタイル奨励賞(地域共生推進賞)も受賞。佐保田さんを動かす原動力とはなんでしょう。

4年前に「アップサイクル大学」というコミュニティで気候変動を学んだんです。そこで聞いたのが、「一人の100歩も大事だけど、その人の思いが100人に繋がって、全員が一歩踏み出せば、結果100歩だね」っていう考え方。それからマインドが変わって、いろんな人とものづくりをして、ちょっとずつ進んでいけばいいなと思っています。

——今後、特に力を入れていきたい活動はありますか?

スポーツチームや選手と組むことです。僕自身が発信するより、既にファンがいる人達とやった方が、考え方が広がっていく。僕は日本のスポーツ界を変えたい、という大きなビジョンはあります。自分が日本代表を経験したからこそ分かるんですが、スポーツ界には独特な文化や政治的な部分、権益が絡んでいて「新参者が稼げない」という構造ができちゃってる。そこは見つつも、やることは変わらず、スポーツからどうしても出ちゃう “もったいない” ものを、ものづくりで形にしていきたい。
僕の「ブランド軸」と、アビスパさんのような「チーム軸」、それから「選手軸」。この3つの軸で、スポーツ界を変えていくことができたらいいなと思っています。