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Life beyond style
©︎ORMAIE

 

1868年、イギリスの化学者、ウィリアム・H・パーキン(William H. Perkin)は、トンカ豆からバニラに似た香りの芳香成分「クマリン」の合成に成功した。そこからクマリンを安く商業に流通させるまで10年の時を要したが、1882年、マリーアントワネットも愛した香水ブランド「Houbigant(ウビガン)」の「フジェール・ロワイヤル」という香水に使用され市場に初めて登場。このハーブのスパイシーな香りは、調香師、パル・パルケ(Paul Parquet)とHoubigantの共同創業者によって開発され、ラグジュアリーブランドの香水に合成成分が使用された初めての例となった。これは香水業界の歴史において革命的な出来事となり、香水の製作に新たな方法が加わるきっかけとなった。調香師はもはや、手に入れづらく、品質にばらつきがある天然成分に頼る必要はなくなったのだ。

それ以来、研究室で化学反応によって作られる合成成分は、香水業界を前進させた。1912年に発売されたCHANEL(シャネル)の「No.5」は、石鹸のような清潔感のある香り「アルデヒド」とジャスミンやイランイランといった花と組み合わせて、唯一無二の香りを作り出した。1958年に初めて合成された香料「ヘディオン」は、DIOR(ディオール)の「オーソバージュ」のトレードマークである甘いさわやかさをプラスさせるのに使用されている。樹木と海の香りが合わさったような香りを持つ「アンバーグリス」の代替品である「アンブロキシド」は、LE LABO(ル ラボ)の「アンブロキシド17」のキャンドルでは不可欠な成分である。「イソ E スーパー」は、Escentric Molecules(エセントリック・モレキュールズ)の「モレキュール01」や「D.S. & Durga I Don’t Know What」といった絶大な人気を誇る商品の基盤として使われ、クマリンは、TOM FORD(トム フォード)の「ロストチェリー」からAXE(アックス)のデオドラントまで、あらゆる製品に使用されている。

香水マニアの多くは、合成成分と天然成分を同じくらい重要だと見なしている。数世紀にわたり、花は香水の製造に使用され、古代エジプトやギリシャでは、ジュニパーベリーやラベンダーなどがお香やオイルに使われてきた。

このように、天然成分は長い歴史を持つにもかかわらず、派手なブランディングと巧妙な広告により、再び香水業界で注目されている。フタル酸エステルやパラベンなどの化学物質に対する懸念が一部の消費者の間で高まり、香水ブランドの中には、天然成分を使うことはブランドのモットーだと言う主張が増えている。ニュージーランドで設立された香水ブランド「ABEL(アベル)」は、 “より良い未来” にこだわる100%天然のフレグランスハウスとして知られ、HERETIC(ヘレティック)やVYRAO(バイラオ)といったブランドも、アロマセラピー効果のために天然成分を使用している。2022年に市場に登場したALTRA(アルトラ)は、再利用可能な彫刻的のボトルに天然成分の香りを詰めている。

「合成成分か、それとも天然成分か」という議論は、美容業界で最も論争が起こる話題の一つ「肌に使用する物に対してのサステナビリティと安全性」と同じレベルの議論に値する。身体に直接吹きかける香水は、使用者が最も気にすべき、話題にすべき問題だろう。いい香水とは、どういう香水なのだろうか?

©︎CULTUS ARTEM

天然スキンケアと香水のブランドCULTUS ARTEM(カルタス アーテム)の調香師兼創業者であるホリー・タッパー(Holly Tupper)によれば、合成原料は天然原料よりも香りが長持ちするため、嗅覚に敏感になりすぎてしまうという。「遠くにいても誰かの香りが漂ってくることがあります」とタッパーは言う。

Mugler Angel(ミュグレーエンジェル)の「メゾンフランシスクルジャン バカラルージュ540」など、部屋いっぱいに広がる香りを好む人もいる。しかし、タッパーは合成成分と天然成分の両方を取り入れた香りが良いと話す。香水の都と言われるフランスの都市、グラースで香水学を学んでいくうちに、合成成分よりも天然成分の方が繊細で優雅ではないかと思い、その傾向はどんどん強まる中、CULTUS ARTEMでスモーキーで草原のようなベチバーや甘いチャンパカの花などの成分に出合ったという。タッパーはこれらの成分を実際に製品に使用している。(価格は225ドルから)

新進香水ブランド「ORMAIE(オルメ)」を立ち上げたバティスト・ブイグ(Baptiste Bouygues)も、天然成分による香料を好む志向をきっかけに、2018年に母であるマリー=リーズ・ジョナック(Marie-Lise Jonak)と一緒にブランドを設立した。同ブランドの香りは100%天然成分で構成されているが、ブイグはそれをブランドのアイデンティティにしているわけではない。香りは、ブイグ自身の個人的な経験をもとに製作している。例えば、「ル パッサン」は、子供の頃に家族を離れていった父親が身に着けていたラベンダーの香りに着想している。このような感情に基づいた創作を実現するために、ブイグとジョナックは、18世紀に開発され、費用効率が良く現実的な技術に取って代わられた「アンフルラージュ(油脂を利用して花から香料を抽出する方法)」などの伝統的な抽出方法を使った天然成分を用いている。

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「アンフルラージュは、非常に高価だったため、業界から忘れ去られていました。冷浸法とも呼ばれ、花を脂に入れ、12時間ごとに交換し、徐々に脂が香りを吸収していく、という労力を要するプロセスを踏みます」とブイグは話す。天然成分を使った香水は、製造に時間と手間とコストがかかるため、職人技にしか出せない特別な香りを放つことができるという。

しかし、香水マニアの中には、 “天然成分” というカテゴリーに魅力を感じない人も多い。香水に関する情報を発信するポッドキャスト「Perfume Room」のMCを務め、香りに関連したコンテンツで10万人以上のTikTokフォロワーを抱えるエマ・バーノン(Emma Vernon)でさえ、天然成分の香水を1つも持っていないという。「100%天然成分の香水で、使ってみたいと思うものがないんです。合成成分は、1800年代から存在します。香りに奥行きを出し、精度、持続性、安定性において優れているから、使用され続けているんです」

香水ブランド「AEIR」を立ち上げたエリンコ・ピエトラ(Enrico Pietra)とロドリゴ・カーラ(Rodrigo Caula)は、合成成分がラグジュアリーブランドをより良くすると確信している。AEIRは、持続可能性を目指し、植物由来の成分を使わないブランドであることを打ち出しており、「抽出を必要としない未来のために、製造過程で地球の物ばかりを使うべきではないというのが私達の信念だ」と話している。香水は天然の香りを再現して作られるべきであり、過度の抽出により絶滅の危機に瀕したサンダルウッドなど、天然資源を収穫するべきではないと言う。

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CULTUS ARTEMのタッパーは、香水業界における持続可能性は、天然資源を使うか使わないかという問題以上に複雑な問題だと言う。香水のために植物を育て、収穫することが持続可能な取り組みなのかについての議論には、様々な感情が飛び交っていると指摘。「サンダルウッドの売り手にとっては、それが唯一の生計。その人達に対して『あ、ごめんね。君達がやっていることは環境に良くないので、代替品を使うことにします』と言うことは、彼らの仕事を奪ってしまうことになります」。

持続可能性には明確な定義がないため、化粧品や香水業界全体で議論の的となっている。たとえば、世界で最も厳しいと言われているアメリカ農務省によるオーガニック認証制度「USDAオーガニック認証」のように、「持続可能性」や「グリーン」といった用語は規制されていないため、一部の消費者や専門家は、ブランドが持続可能性を根拠のない主張で環境配慮をしているように装いごまかしていると指摘する。

多くの天然資源を推している香水ブランドが関連づけるカテゴリー「クリーンビューティー」にも同じことが言える。顧客がどの製品をクリーンと考えるかについて尋ねれば、それぞれ違った回答が返ってくるだろう。同様に、Ulta、Sephora、Credoなどの美容小売業者も、 “クリーン” 製品に対する基準をそれぞれの基準で確立し始め、一部は持続可能性を誓っている。

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クリーンビューティーの台頭により、合成成分を含む非天然の添加物に対する恐怖心が高まっているが、合成成分は必ずしも、 “悪” ではない。例えば、合成由来の柑橘系成分は、かゆみやヒリヒリと燃えるような感覚を引き起こすことがある天然の柑橘系オイルと比較して肌への刺激が少ない。合成ムスクの一種であるガラクソライドは、体内でエストロゲンを乱すとして一部から批判され、水路を汚染するとも言われているが、香りや個人向け製品での使用が有害であるかどうかについての研究はまだ結論が出ているわけではない。それでも、合成成分への恐怖心はインターネット上の良くない面を浮き彫りにする。「私のTikTokに『あなたはホルモンバランスを崩す物を使っている。いつか赤ちゃんができるといいね』というコメントがよくされます。これらはTikTokの非常識な人々です」とバーノンは語る。

こうした批判的なユーザーに訴えるため、女優、ミシェル・ファイファー(Michelle Pfeiffer)は2019年にHENRY ROSE(ヘンリー・ローズ)などの香水ブランドを設立し、「情報の透明性」と「安全な合成成分の使用」を中心にブランディングしている。一見良い取り組みに見えるが、バーノンにとっては、ますます消費者を混乱させてしまうと言う。「安全な合成成分」という言葉のせいで、消費者の間で安全じゃない合成成分もあるという考えが浸透してしまうだろうと話す。

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実際に、安全性の低い合成成分は存在するが、市販の香水には使われていない。国際香粧品香料協会(IFRA)は、科学的根拠と消費者の洞察に基づき、天然、合成成分の使用の禁止や制限をするための規格を定期的に更新している。(一部の更新された内容は、規制の変化に対応するために製造業者が製品の配合を変更しなければならないという調香師達の不満を引き起こすこともあるが)IFRAの広報担当者は、「IFRAの基準は50年以上にわたって香水の製作における規制を設け、科学的根拠と消費者に基づき、人々が安心して香水を楽しむことができるように努めてきました。このIFRAの取り組みは、世界の香料業界が最善の技術と香料成分および混合物の安全な使用を保護するものです」と語る。

「Annabel’s Birthday Cake(アナベルの誕生日ケーキ)」や「evokes plastic doll heads(プラスチックの人形の頭の香り)」といった香水を作ったことでも有名な調香師、マリッサ・ザッパス(Marissa Zappas)は、香水の安全性に対する懸念の多くを「グウィネス・パルトロー(Gwyneth Paltrow)が恐怖を広めた」と話す。パルトローのライフスタイルブランド「GOOP(グープ)」は、クリーンビューティの台頭において大きな影響を及ぼしているという。

「私のつくる香水に、パラベン、フタル酸エステル、着色料、または酸化防止剤BHTが含まれていないか、問い合わせのメールがきました。私は、 “私の製品は全てIFRAに準拠しています。つまり、パラベン、フタル酸エステル、BHTを含んでいません。BHTはIFRAによってかなり前に禁止されています”と返答しました」

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ザッパスは、「情報の透明性」「ナチュラル」「クリーン」といった美容マーケティングの流行語は、業界のより大きな問題の兆候だと推測する。何十年もの間、香水はセレブリティの支持や華やかな広告に頼って顧客を獲得してきた。しかし、香水が何でできているのか、どんな香りがするのか、ほとんど情報を提供しないこのようなマーケティング手法に、一般の人々は不信感を募らせている。一方、成分や配合にこだわるブランドは、消費者が求める情報を提供し、より地に足のついた、親しみやすいイメージを与えるだろう。

だが、原材料にこだわりすぎても、限界がある。「ORMAIEは創造性と技術にこだわっているブランドであり、わざわざ環境に配慮したマーケティングはしていません」とブイグは言い、ザッパスも成分を重視した取り組みには制限を感じているという。「トレンドだから自然派や天然成分を掲げているのではなく、違う方法で人の心を動かしているのです。私にとって、トレンドを理由にするのはつまらないことなんです。まやかしじゃないマーケティングに戻さないと」

香水は、目に見える製品とは違うため、香水業界においてマーケティング方法は大きな課題だろう。大衆向けの新製品やニッチな製品でも、ブランドの価値観や成分、さらには芸術的な要素(例えば、香りが与える感情など)に基づいたメッセージを織り交ぜる必要がある。

タッパーは、こうしたマーケティングを読み解くのは消費者次第だと話す。「みんな次々と出てくる流行語に混乱してしまいます。あるものは、良いと信じ込まされているが、実際はゴミのような物だったり、合成成分などの非天然成分を悪者扱いする者もいる」タッパーは、ワシントンDCに拠点を置き、化粧品などのパーソナルケア製品の安全性ガイドラインを提供している団体「環境ワーキンググループ(EWG)」が、オーガニック業界と癒着しているロビイストグループ(特定の利益や立場を代表し、政府や立法機関に対して影響力を行使するために活動する団体)だと指摘する。EWGは、自閉症と小児用ワクチンの関連性を説いたり、日焼け止めに含まれる一般的な成分の危険性を誇張するなど、科学的根拠のない警鐘的な見解を促しているという。

産地や消費者の思想に関係なく、合成成分と天然成分は最終的には “香り” という基準で判断される。「情報へアクセスすれば、みんな自分で判断できますよね」とタッパーは言う。 “合成成分か天然成分か” これに最終的な判断を下すのは、香りを嗅ぎ分ける我々なのだ。