style
Where the runway meets the street

「アジア系アメリカ人」という言葉は最近作られた言葉だ。1968年当初Asian American Political Alliance(AAPA、アジア系アメリカ人政治同盟、1968年カリフォルニアで起きた第三世界解放戦線の学生ストライキに参加した短命の組織)によって使われた「Orienta(東洋の)」という言葉に代えて用いられるようになったのが始まりだ。フレッド・ハンプトンによるレインボー連合設立以前、多人種組織AAPAはヨーロッパ主義的学習カリキュラム、キャンパス内の多様性欠如に抗議した。その結果、サンフランシスコ州立大学とバークレーではエスニック・スタディーズ(民俗学)プログラムが設けられるようになり、白人以外の学生の数も増えた。

それから50年以上経ったが、故郷を離れた移民たるアジア系アメリカ人は今でも自分探しを続けている。「アジア系アメリカ人」であることの実態の多くが依然はっきりとしていないのだ。私の場合、自分が存在することが許されていると思ったことさえなかった世界で自分と見た目の近い誰かが活躍しているのを見ると、自分と同じ姿の相手を指差すスパイダーマンのあのシーンのような気持ちになる。スピルバーグ監督映画作品『フック』の中でネバーランドに暮らすロストボーイらを先導するレギンス姿のルフィオ(フィリピン系俳優ダンテ・バスコ演)の姿を初めて目にした時も、ウィリー・サントス(フィリピン系プロスケートボーダー)がスケートボードのシミュレーションゲーム『Grind Session』でキャラクターとして登場するのを見た時も、チャド・ヒューゴ(フィリピン系音楽プロデューサー)が『The Neptunes Present…Clones』のジャケットでファレル・ウィリアムスの隣に写っているのを見た時も同じように思った。

ジェフ・ステイプルとして知られるジェフ・ヌング(ステイプルデザイン主宰)がジョン・C・ジェイと初の対面を果たした時も、そうした思いを抱いたという。ジョン・C・ジェイは(Wieden + KennedyでNike史上に残る広告キャンペーン『City Attack』のスポットなど)を手がけ、その後もNikeのカルチャーマーケティングに影響を与える傍ら、現在UNIQLOのグローバルクリエイティブプレジデントを務める人物だ。

ステイプルはポートランドにあるWieden + Kennedyの本社を訪れた時のことをこう振り返る。Rock Steady Crewのブレイクダンスエキシビジョンを見ていると、自分より年上のアジア系の男性が隣に座ってきた。そして2人は話し始めた。互いのアイデンティティの話になると2人とも「中国系!」と驚いた。

お互いアジア系だなんて完全に想定外だったからすごいインパクトだったよ」とステイプル。「それだけの地位にある人はだいたい白人だっていう考えがあるからね」

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スニーカーやストリートウェア、カルトファッションブランドの融合地点にはアジア系の顔が多い。消費実態に、それは顕著に表れている。アメリカのショッピング街を行き交う裕福なアジア人観光客やアジア系アメリカ人はお金のかかった身なりをしている。

 

アジア系アメリカ人は購買力が高い(ニールセン社では2023年には1.3兆ドルに上ると予測している)。平均年齢も35.4歳と、ACRONYM®やSupremeHuman Madeといったブランドが着こなせる若さだ。そして何より、アジア系アメリカ人は元来「ソーシャル」な購買特性を持っている。ニールセンの調査によると、アジア系アメリカ人の29%が「友人や隣人に認めてもらえそうなものを買いたい」と考え(アメリカ人消費者全体の平均的な回答では15%)、32%がレビューや評価をウェブ上で投稿、シェアしているという(そう、YelpやDisqusのヘビーユーザーも多いはず)。話題のレストラン、初期のスマートフォン、そしてこうした誇大広告ブランドに至るまでをこぞってSNSにアップしていたのは、アジア系アメリカ人なのだ。

元々Nike Talkなどのオンラインフォーラムに書き込みをしていたニーク・ラークがやがてStüssyのソーシャルメディア運営者となり、さらにはストリートウェアブランドAnti Social Social Club(ASSC、自己認識を感じさせるネーミングだ)で財を成すに至ったことを考えても十分頷ける話だろう。Brain Deadの創立者カイル・ウンはASSCについて、現存するストリートウェアブランドの中で最もアジア系アメリカ色の強いものだろうと述べている。それは単に、ニーク率いるASSCが、韓国の国旗をあしらったアイテム、フィリピンの定番輸入車カルチャー、Asian Avenueをはじめとする駆け出しのインターネットコミュニティーで流行ったブラッツとホーミーズのかわいい系キャラクターを扱っているから、ということではない。

「ニークはアジア人に呼びかけている」とカイル。「君たちはアンチソーシャルなソーシャルだ!って。そういう子達は、Supremeに身を固めてメッセージボードに盛んにコメントを投稿している一方で、根はとても物静かでシャイだったりもする。オタク系のアジア人こそが最高にイカした服装をキメたりするんだよ」

アジア系アメリカ人のクリエイターや起業家は、ファッション業界のみならず、ストリートカルチャーの分野でも歓迎されている。スケートボード(久保省吾、クリスチャン・ホソイ、デーウォン・ソン)やストリートウェア(Mighty Healthyのレイ・メイト、StüssyとMaiden Noirのデザイナーであるニン・トロン、Cactus Plant Flea Marketのシンシア・ルー)、リテー(Commonwealthのオマー・キャンバオ、Extra Butterのバーニー・グロス、pickyourshoes.com,BAIT,UndefeatedのOG、エリック・ペン・チェン)、スニーカー(Nike幹部のデイヴィッド・クリーチ、バスケットボールデザインディレクターのレオ・チャン、JORDANBRANDの牽引者ジェム・ウォン、ASICSのブランドマネージャーであるマーク・マルクス、Reebokのコラボレーションキングであるレオ・ガンボア)と、各分野で多数の人材が活躍しており、これからもさらに多くのアジア系人材の活躍が予想される。

「アジア系人材はストリートカルチャーにとても良い足跡を残してきたと思う」と、NYの鳩を世界屈指の人気を誇るスニーカーに昇華させたことで知られるステイプルは言う。「The HundredsとかCrooksとかCastlesみたいなブランドのオーナーが誰かは知っていても、それがアジアのブランドだとはあまり思わないだろう」

「アジアの現状についてAnti Social Social Clubは『アンチソーシャルなソーシャル!Supremeに身を固めてメッセージボードに盛んにコメントを投稿している一方で、根はとても物静かでシャイだったりもする。オタク系のアジア人こそが最高にイカした服装をキメたりするんだ』」ーカイル・ウン

アメリカ国外では、NIGO®や藤原ヒロシといった世界的人材が独自の世界で活動を展開している。彼らがヤバイアジア人であることは意図的、作為的に知られないようになっているが、ステイプルの言葉を借りれば彼らは「ヤバくてヤバイ」人材だ。CLOTやJUICEなど主にアジア圏内の消費者をターゲットにしたブランドやストアは、伝統と現代の融合という責務を果たしている。Nikeもそうだ。生産拠点としては中国に長く根を下ろしているものの、中国市場での展開は20年弱だ。西洋的理想を排除した待望のウェスタンスニーカーシルエットを打ち出したエディソン・チャンの「TerracottaBlush」AirJordan13やシルク素材のAirForce1にはトロイの木馬的破壊力があった。ジェフ・ステイプルのSBダンクPanda Pigeonもそれに通じるものがある。「これがカルチャーへの入り口、第一歩なんだ、という発想は皆、昔を学んで知っている」とジェフ。「紅包(中国のご祝儀、お年玉袋)や龍が今、ストリートやスニーカーのカルチャーに取り込まれている」

ストリートウェアやスニーカーといった領域で活動する、あるいはそこに参画しているアジア系アメリカ人が有利な立場にあるのは、ターゲット消費者が単にブランドのビジョンを反映した存在ではなく、ブランドのコミュニティーであるためだ。白人、黒人、アジア人と人種が異なっていても、ジョーダンの履いたスニーカー、THE NORTH FACEのタイダイジャケット、素人には難解なヒップホップ系グラフィックのTシャツなどを介せば心が通い合いやすい。そして業界に数多くいるアジア系人材は、独自の新アイテムの創出ではなく、長く培われた伝統の保存に力を注いでいる。

ジェフ・ステイプルのメンターで韓国系アメリカ人、チェ・スンもそんな人材の一人だ。1979年クイーンズに移住した彼の最初の勤務先はハーレムの紳士服店だった。Sta-Prest、LeensやTripleF.A.T.Gooseのジャケットや、BVDのブリーフなどを取り扱う洋品店だ。チェはグラフィティライティングに心を奪われ、1987年、バイレイシャルロジャー“Brue”ことマクヘイル(現在はJORDANBRANDのアパレルディレクター)、日本人とのハーフのカリール“Zulu”・ウィリアムズ、ジェイムズ“Bluster”アリセアらと一緒にPNBを共同設立した。

PNBはグラフィティが出したStüssyのサーフィンのルーツへの回答だった。ストリートウェアの第一波の中、盛況が10年近く続いた。ちょうどFUBU、KarlKani、Eckoといったレーベルが台頭する「アーバンウェア」時代も重なった。チェはUNIONのロゴをデザインし、Supreme向けにもいくつかのデザインを手がける人物だが、当時の彼の原動力となっていたのは、自分はアジア系アメリカ人の先駆者だ、という感覚よりも、カルチャーやその情報発信元である音楽を大切に思う気持ちであった。

「仕事に人種は無関係。このカルチャーはこの人種のもの、と決めつけるのは社会の偏見だよ」と語るチェ。LAに移住後、CLAEの設立、DC Shoes向けのデザインと、フットウェア業界でさらに成功している。彼は「アジア系」という概念にはいまだこだわりを見せないが、彼がメンターを務めた人物の中には、「アメリカという国に移民の子供として爪痕を残すには不満を抱えて行き詰まっていても仕方がない。自分のあり方は自分で自由に決めればいい」と、具体的に発言をしている人物もいる。FlushingのブティックAlumniのクリエイティブディレクターを務めるジェイキー・チョは、チェ・スンのような人物を、偉大なクリエイター時代の一端として認めてはいるが、そのキャリアをあまり大きく讃えることはしていない。そういうことが文化的に染み付いているのかもしれない、とジェイキーは言う。

 

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「(アジア文化は)出る杭は打たれると教えられて育つ文化」だと彼は言う。「両親からは、お前はナンバーワンだ、なんて言われることは決してなくて、むしろ、お前は一番なんかじゃない、自惚れるな、くらいのことを言われて育つんだ」

現在ストリートカルチャーシーンで目立つアジア系アメリカ人に加え、目立たないところにも活躍し続ける人材がまだまだ多数いる。例えばSupremeやNikeで多数の名作を生み出したデザイナーのピーター・チャン。Cool Calm Peteという名前でリリースしたLo-Fiのヒップホップアルバムはもっと大きく評価されていいだろう。そして今は亡きLRG共同設立者のジョナス・ベヴァックァ、CELINEのスケートボードで1000のムードボードをローンチし、現在Stüssy Women’sのクリエイティブディレクターを務めるジェーン・ゴヒーン、そしてFRUITIONおよびUNKNWNのクリス・ジュリアンだ。「知る人ぞ知る」人物だとこれらの影の立役者についてジェイキーは語った。彼の言葉を借りれば「動画に出たがる」タイプではないのだという。「アメリカはまだ、アジア人の顔が前面に出ることに好意的ではない。でも裏方として活躍するのであれば許容範囲なんだと思う」

その気持ちには、自身の父がアメリカに住み着いた時の体験について述べているボビー・キム(別名ボビー・ハンドレッズ)の気持ちと通ずるところがあるだろう。移住当初、彼の父は仕事の面接に行っては挑発され差別的な呼び方をされた。それでもそれを振り払って目立たずやり過ごすことで、溶け込み、仕事をものにし、とにかくここで生き残ろうとした。

「アジア系人材はストリートカルチャーに実に足跡を残してきた。例えばThe Hundredsと聞くと、そのオーナーが誰であるかは知っていても、ブランド事態をアジアブランドと思うことなないだろう」―ジェフ・ステイプル

「自分より前の世代の人が、人種問題を取り立てて論じるほどのものでもないと捉えていたことについては責めない」とボビーは言う。「でも今の世代の白人以外の人種の人には、問題意識を持って、ブランドでも仕事でも日常の自分の捉え方においても、人種という問題に注目してほしいと、本当に願っているよ」

ボビーが最近刊行したWest Coastストリートウェアの書籍はブランドの自伝と入門書を兼ねたような一冊だ。彼のブランドが躍進したそもそもの理由の延長線上にあるとも言える。彼は常に社会的正義に関して盛んに主張をし、そしてときに目を覆うような方向に向かってしまうことがあったとしても、若者のエンパワーメントやインクルージョンにまつわるプラットフォームであり続けた。アジア系アメリカ人の苦悩を認識した上でもなお、ブラックアメリカンの苦しみがそれとは比べ物にならないものであることを彼は認識している。しかし両者が良き同胞になるための自己啓蒙は不可能ではない。

1903年に刊行されたエッセイ集『黒人のたましい』の中で、作者のW・E・B・デュボイスは、「自己のことを常に他人の観点で見つめる感覚。自らのたましいを楽しみながら軽蔑し、哀れんで傍観する世界の尺度で測る感覚」を二重意識という言葉で説明している。それは、ある人間が2つの世界に同時に存在しなければならないことから生じる内的二重性だ。デュボイスの言う2つの世界とはアメリカの黒人、白人の2つの人種という意味だが、この意識や感覚はアジア系アメリカ人の私がこれまで感じてきたものとも完全に一致する。「内的意識」という概念を元から知って生きていたわけではないが。

関連するエピソードとして食べ物に関するものが多数ある。台湾系アメリカ人の作家兼料理人のエディ・ファンは、昔、学校の食堂で出されていたアジア系向けのランチのせいで食堂に行きたくなくなったという体験について詳しく書いている。そしてこの意見に2002年にウンベルト・レオンと共にOpening Ceremonyを共同設立したキャロル・リムも共感している。しかし高名なアジア系シェフや、近隣のレストランによって全米各地で様々な料理が標準化されるようになると、アジア系料理は食べられなくもないものどころか非常に美味しいものという地位を確立した。

「アジア系であることに対する誇りというものがあって、アジアの食は文化的対話の一環としての意味を強めてきている」とリム。「子供の頃はとにかく溶け込みたい一心で、変なランチなんて食べたくない。みんなと同じものを食べたいと思った。でも大人になってみてあの変なランチが食べたくなった。だって美味しいんだから。それで今ではアジア系以外の人にも求められているわけさ」

疎外感にスタイルと関心を見出し、引き出したカイル・ウンのような人物もいる。彼はFoundationのThat’s Lifeの動画を見てスケーターのダニエル・シミズに憧れ、当時スケーティングコミュニティにおいてようやくヒットの兆しを見せ始めていたスリマーパンツやNikeのダンクSBなどに親しんだ。

 

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そしてオールスエードのアッパーにブラウンの色調、鮮やかな赤のランド(底ならし革)を合わせたBison Dunk Low SBを手に入れたウンは「周りの友達に“うんこシューズ”と口を揃えて言われた」と振り返る。2004年にシミズが打ち出したロボテックアニメの変身ジェット機に着想を得たホワイト、イエロー、グレーのカラートーンによるDunk High SBにウンは衝撃を受けた。自分のアイデンティティとなっていたものが大手のスポーツウェア企業によってスニーカーに結実したのだ。まるで彼の脳内を3Dプリンターで再現したかのように。

「出る杭は打たれるとなんとなく教えられて育つのがアジアの文化。両親からは、お前はナンバーワンだ、なんて言われることは決してなくて、むしろ、お前は一番なんかじゃない、自惚れるな、くらいのことを言われて育つんだ」ージェイキー・チョ

アジア系アメリカ人には元々、物事を研究する性質、自分の世界を作ろうという意識がある」と彼は言う。「僕はアジア系とはなじまなかった。白人とも黒人とも。でもそんなことはどうでもいいんだ。Brain Deadなんだからこの世界となじむ必要はない」

二重意識を持つことは、和解をすることにつながる。デュボイスは、自己の「二重性」を融合することで、いずれの半分も失われることなく「より良い、より真実の」結果に至ることができるという望みがあると記している。カイル・ウンを、バリー・マッギーやジェフ・マクフェトリッジ、そしてマイク・パークのAsian Man Recordsといったレーベル、そしてMelt-Bananaなどの日本のノイズロックグループとの出会いに導いたのもそうしたマインドだった。それが外界のアートの発見につながり、その存在は今もカイルと彼のブランドを形作り続けている。

前年を経て、2020年はアジア系アメリカ人にとって当たり年となる気運が高まっていた。アンドリュー・ヤンの大統領選立候補はすぐに立ち消えはせず、多くの支持を集めた。ロニー・チェンやジョー・コイ、ハサン・ミナジ、アリ・ウォンといったコメディアンがストリーミング特番や『PatriotAct』などのウェブテレビトークショー、『いつかはマイ・ベイビー』などの映画、そしてアジア系アメリカ人でキャストを固め絶大な破壊力を発揮したラブコメ映画『クレイジー・リッチ!』といったコンテンツで新たな土壌を切り開いた。韓国系アメリカ人作家のメアリー・H・K・チェやジェニー・ハンが翻訳したベストセラー小説もハリウッドで映画化された。そして極め付けは韓国人映画監督ポン・ジュノによる『パラサイト半地下の家族』のアカデミー賞4部門受賞達成だ。

「仕事に人種は無関係。このカルチャーはこの人種のもの、と決めつけるのは社会の偏見だよ」ーチェ・スン

しかし、新型コロナウイルス感染症によって、こうした進歩、躍進が、単に止まったのみならず、著しく押し戻された形となっている。NY市内でのアジア系アメリカ人へのヘイトクライムの件数が227%増を記録。K-Town(コリアンタウン)ではマスクを着用していないとして女性が顔面を殴られ、ブルックリンではゴミ出し中の女性が腐食剤をかけられるという事件が起きている。またテキサスでは2歳と6歳の子供とその父親が「中国人に見えた」という理由で10代の若者に刺されるという事件も発生した。また先月、Lululemonは「コウモリチャーハン」と書いた中華のテイクアウト容器のグラフィック入りのTシャツをプロモーションしたアートディレクターを解雇した。「今こそアジア系が立ち上がって主張ができるようになるための時期だと思う。物理的な意味においても、比喩的な意味においても、アジア系に対する攻撃が起きている今こそ」とジェフ・ステイプルは言う。彼自身、インスタライブ中、何のためらいもなく「なんであのコウモリを食べちゃったんですか?」などのコメントを書き込まれたことが一度だけではない。

こうしてひどい目に遭うことによって、アジア系アメリカ人は、我慢にも限界があると改めて感じるようになっている。第二次世界大戦中のアメリカによる日系人の強制収容や、1950年代の赤狩りで巻き起こった反中国感情といった史実に照らし、これまでアメリカに最もよく溶け込んで暮らしてきたアジア系アメリカ人も、自らの背負った人種というものを認識するようになった。そんな中、誇りや集団主義が新たに生まれている。

Public Schoolの共同設立者で現在セルジオ・タッキーニのクリエイティブディレクターを務めるダオ・イー・チョーが1990年代絶盛期のNYの音楽業界に初めて足を踏み入れた頃、彼の頭の中に、アジア系アメリカ人の模範になろうという意識はさほどなかった。しかしその後、自らの存在の持つ静かな力を意識し、Public Schoolの“We Need Leaders”というスローガンを心に留めるようになった。そんな彼は今、恵まれないアジア系コミュニティーに支援を行う非営利団体Apex For Youthの取締役を務めている。モデルマイノリティ(手本や見本となる少数派)とは対照的に、NY在住のアジア系アメリカ人では、貧困生活を送っている人の割合が27%と、どの人種にも増して高い。

「そんなに多いとは思わないかもしれないけれど、自分の取り組みで他の人に影響を与えられると思わないのは不勉強のなせる技だよ」とチョー。「共感の入り口が中国人だからでも、好きな音楽が同じだからでも、それはどっちでもいい。誇りを持ってやっていることだから、良い方向に持っていきたい」

アジア系アメリカ人のアイデンティティが進化し続け、その存在が様々な情勢の中で確立されていく中で、これまでの世代の「とにかく稼ぐためにこの国にいる」というスタンスから、より積極的に主張をしていく時代への移行が起こっている。ストリートカルチャーの持つ、破壊、自己表現、コミュニティーといった主義は、我々の多くにとって、今後歩む道を思い描く助けとなってきた。いかなる意味でもそれが完璧だとは言えないが、少なくともその主義を我々アジア系が持っていることは確かだ。

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