写真家・柳原路世:美しさに取り憑かれた社会。
美しさは、いつからこれほどまでに強い力を持つようになったのだろうか。とりわけアジアにおいて、美は単なる装い以上の意味を持っている。透き通る肌、整った輪郭、緻密に計算されたメイク。そこには努力や自己管理、さらには礼儀のような倫理すら重ねられてきた。美しくあることは、自分自身を整え、社会に対して誠実であることの証明でもある。
しかしその倫理は、ときに私達の身体を静かに縛りつける。SNSに並ぶ完璧な顔、終わりのないスキンケア、理想に近づくための美容医療。美しさはいつしか選択ではなく、避けることのできない基準のように振る舞いはじめる。
まるで、何かに取り憑かれているかのように。

唇に厚みのある艶を重ね、光を造形するようなプランパー。温感プランプ効果で血色感を引き出し、ふっくらとしたボリュームを生み出す。


マスカラ ディオールショウ オーバーボリューム090,790,840
マスカラ ディオールショウ オーバーボリューム ウォータープルーフ
独自フォーミュラと新シェイプブラシがまつ毛一本一本を捉え、存在感あるボリュームを形成。形状記憶ワックスがまつ毛をコーティングし、力強く印象的なまなざしへと導く。
ディオールショウ サンク クルール 563,855
クチュールから着想を得た、DIORを象徴するアイシャドウパレット。軽やかで滑らかな質感がまぶたにフィットし、多彩なテクスチャーが奥行きある目もとをつくり出す。
日本には古くから、妖怪という概念が存在する。不可思議な現象や説明のつかない存在に名前を与え、人はそれを妖怪として語ってきた。妖怪とは恐怖の象徴であると同時に、人間の欲望や不安を映し出す存在でもある。しかし、写真家・柳原路世が捉える妖怪は、そうした伝統的な怪異とは少し異なる。彼女の妖怪は、暗闇から現れる怪物ではない。むしろ日常の中に紛れ込み、ほんのわずかな違和感として姿を現す。巨大な唇が脚を生やして横たわり、目は身体から離れて歩き出す。化粧品の周囲で身体のパーツは独立し、まるで別の生命のように振る舞う。
その光景は不穏でありながら、どこかユーモラスでもある。そこに現れる妖怪は、超自然的な存在ではなく、私達自身の身体の中に潜むズレや過剰さがふと露わになった瞬間の姿なのかもしれない。
その身体はパーツへと分解されている。顔や身体はひとつの存在としてではなく、独立した断片として現れる。それは、現代の美容文化とどこか重なっている。SNSやビューティーの世界では、顔はしばしばパーツごとに語られる。理想的なリップ、完璧なアイメイク、滑らかな肌。アルゴリズムは顔を分解し、それぞれのパーツを最適化する。美しさはいつしか、数値やテクニックによって管理されるものになっていく。
言い換えれば、それはアルゴリズム化された美だ。

ルージュ エルメス ルージュ ア レーヴル マット 11
ルージュ エルメス ブリヤン ア レーヴル ポピー
エルメスのレザーの質感を思わせるカラーが、唇に彩りを添える。詩的でありながら機能性を備えたケースが、リップスティックの美しさを引き立てる。
ローズ エルメス ローズ ア レーヴル 14,30
リップのカラーとリンクしたケースが、口もとに宿るニュアンスを思わせる。血色を帯びたカラーが自然になじみ、みずみずしい艶を添えて顔立ちを端正に整える。

サンタル 26の象徴的な香りを閉じ込めたキャンドル。スモーキーなウッディノートが空間にゆっくりと広がり、静かな安らぎをもたらす。
身体の断片は、その状況をどこか皮肉るかのように存在している。巨大な唇や歩き出す目は、理想的なパーツの誇張でもあり、同時にその滑稽な変形でもある。しかしそこには、冷たい批評よりもむしろ軽やかなユーモアが漂っている。アジアの美容文化が描く、曇りのない完璧な顔。そこではわずかなズレすら修正され、理想に近づくことが求められる。しかし柳原の妖怪は、その規範からほんの少しだけ外れている。唇は過剰に大きく、目は独立し、身体は自由に動き出す。
そのズレは欠陥ではない。むしろそこには、個性が生まれる余白がある。もし美しさが妖怪のように私達に取り憑くのだとしたら、その妖怪は必ずしも排除されるべきものではないのかもしれない。むしろそこには、身体が規範から解放される瞬間が潜んでいる。


19世紀ナポリ派絵画から着想を得た、地中海の静けさからヴェスヴィオ火山の噴火までを収めた18色パレット。クリーミーな質感が肌に溶け込み、澄んだ光を目もとに宿す。
アイシャドウ 5 カラーズ
冬の静かな散歩を彷彿とさせるアイシーグリーンの階調で、スモーキーな目もとを演出。クリーミーに広がる高発色シェードが自然に溶け合い、奥行きある立体感をもたらす。

マーブルローズのトーンをまとった、ユニークなデザインのノマディックケース。流れるような曲線と幾何学的な精密さが交差し、アールデコの気配を漂わせる。
完璧な美は、ときに息苦しい。しかし、少しだけ歪んだ美は、どこか魅力的だ。
本当に美しいのは、整えられた顔なのか。それとも、ズレを抱えたままの社会なのか。美しさに取り憑かれた身体は、ときに妖怪になる。そしてそのとき、社会はようやく自由になるのかもしれない。

カンボン通り31番地のアール・デコ階段に張り巡らされた鏡から着想し、スクエアカットのガラスケースへと昇華。肌に溶け込むように密着し、サテンの光沢を帯びた発色が続く。
- Photography: Michiyo Yanagihara @ Ende
- Make-Up: Kato @ Tron
- Words: Yuki Uenaka (Column), Nanako Fujiyama (Caption)