トレンドは、まだ存在しているのか。
トレンドは、もう機能していない。それでも、ファッションメディアはその言葉を使い続ける。「今季はこれが来る」「次はこれが流行る」そうした説明は、以前よりも増えているようにすら見える。だが、その多くは本当に “トレンド” なのだろうか。
バズが起きればトレンドなのか。売れればトレンドなのか。コレクションに同じ色やシルエットが並べば、それで十分なのか。今起きているのは、トレンドの更新ではなく、トレンドという言葉の “延命” ではないか。
トレンドは “設計されていた”
かつて、トレンドは自然発生するものではなかった。
むしろ、明確に “設計された現象” だった。情報は限られ、流通経路も絞られていた。雑誌や一部のメディアが、何を取り上げ、どう見せるかによって、「今、何が重要か」がほぼ決まっていた。つまり、トレンドとは多くの人が同時に同じものを見ることで成立する構造だった。
編集が“意味を決めていた時代”
その中心にいたのが、編集だった。何を選び、どの順番で並べ、どう言葉を与えるか。その積み重ねによって、現象は意味を持ち始める。ここではじめて、「流行」が立ち上がる。
実際『Vogue』や『Harper’s Bazaar』のような雑誌は、シーズンごとのスタイルや価値観を提示し、それが市場全体に波及していった。トレンドとは、単なる人気ではなく、編集された意味の集合だった。
限られた視点が、共通認識をつくる
当時の構造は、ある意味で単純だった。
・発信者は限られている
・受け手も同じ情報を見ている
・選択肢も多くない
だからこそ、「みんなが知っているもの」が生まれた。トレンドは、個人の選択というより、共通認識に近いものだった。
トレンドは、メディアの機能だった
重要なのは、トレンドは、時代の結果ではなく、
メディアの機能そのものだった。限られた情報を整理し、優先順位をつけ、「今」を定義する。それが編集であり、その結果としてトレンドが生まれていた。
トレンドは、分散した
では、この構造はなぜ機能しなくなったのか。理由は単純で、情報の流通が変わったからだ。SNSの普及によって、発信者は一気に増えた。ブランドだけでなく、個人、コミュニティ、インフルエンサー。誰もが同時に “見せる側” に回るようになった。
結果として、みんなが同じものを見る状態は崩れた。選択肢は増え、視点は分散し、「これが正しい」という一本の軸は成立しなくなる。
トレンドは、共有されるものではなく、それぞれの文脈の中に分かれていった。
アルゴリズムが “見せるもの” を決める
しかし、分散は自由を生んだわけではない。むしろ、別の構造が入り込んできた。アルゴリズムだ。何を見るかは、自分で選んでいるようでいて、実際には “選ばされている”。過去の行動や嗜好に基づいて、似たものが繰り返し提示される。
その結果、「自分の中でだけ成立するトレンド」が生まれる。それは共有されない。しかし、強く信じられる。トレンドは、マスの現象ではなく、パーソナライズされた錯覚に近づいている。
実際、Vogueの記事「How ‘the algorithm’ became a scapegoat for bland style」では、アルゴリズムがファッションの均質化や “個人らしさ” の喪失を加速させている一方で、それ自体が単独の原因ではなく、業界全体の構造問題を覆い隠す “言い訳” としても機能していることが指摘されている。
「トレンド」という言葉だけが残る
この状態でも、メディアは「トレンド」を語り続ける。
なぜか。その言葉が、最も効率的だからだ。「今これがトレンドです」と言えば、説明は一瞬で終わる。広告にも転用しやすい。読者にも理解されやすい。
しかし、その裏で起きているのは、複雑な現象の “省略” だ。分散し、個別化し、文脈ごとに異なる動きを、
ひとつの言葉に押し込める。その瞬間、未編域は完全に消える。
McKinsey & CompanyとBusiness of Fashionが共同で発表している「The State of Fashion」でも、消費行動の分散化、コミュニティ単位での価値観形成、ブランドロイヤリティの変化などが継続的に分析されている。つまり、かつてのように “全員が同じものを追う市場” は、既に前提として崩れている。
にもかかわらず、「トレンド」という言葉だけは残り続ける。それは、現象を理解するためというより、市場を説明しやすくするための言葉になってしまったからだ。
トレンドは、ディテールから “態度” へ
ただし、トレンドが完全に消えたわけではない。
形を変えただけだ。色やシルエットといったディテールではなく、スタイルや態度、コミュニティとして現れるようになった。
クワイエット・ラグジュアリー、ストリート、アスレジャー。これらは単なる服装ではなく、どう生きるかに近い。
この変化は、古典的な「トリクルダウン型」の流行構造から、“トリクルアップ” やコミュニティ起点へと移行していることとも重なる。ファッション理論においても、かつてのように上流階級や一部メディアだけが流行を決定する時代ではなく、ストリートや小規模コミュニティから価値観が波及する構造が指摘されてきた。
こうした変化の背景には、“安全な編集” への疲労もある。アルゴリズムに最適化されたコンテンツは、理解しやすい。しかし同時に、均質化も加速させる。
セレブリティ起用、バズ前提の編集、「今これが来ている」という短絡的な説明。それらは効率的だ。だが、あまりにも安全すぎる。
実際、若い世代の消費行動を見ると、むしろ「自分だけのスタイル」への欲求が強くなっている。Who What Wear は Gen Z のファッション傾向を “hyperpersonal style” と表現し、トレンドよりも、自分の価値観や経験に紐づいた選択が重視されていると分析している。また、Vogue Business が取り上げた “chaotic customization” も象徴的だ。そこでは、完成されたトレンドよりも、自分で編集し、崩し、組み替える行為そのものが重視されている。
つまり、トレンドは消えたのではない。画一的な “正解” としてのトレンドが機能しなくなり、態度やコミュニティへと分散したのだ。
そしてもうひとつ重要なのは、個人が、自分に何が似合うかを理解し始めたことだ。身体、環境、価値観。それぞれに最適化された選択が可能になったとき、“みんな同じものを着る理由” はなくなる。
トレンドは、従うものではなく、参照するものへと変わった。
つまり問題なのは、アルゴリズムそのものというより、アルゴリズムに最適化された“安全な編集”なのだ。
ブレないブランドが強い理由
この変化は、ブランドの強さにも表れている。
Rick Owens 、Comme des Garçons 、Yohji Yamamoto。これらのブランドは、トレンドを追わない。むしろ、自分たちの文脈を一貫して提示し続ける。結果として、それが “参照点” になる。
トレンドに合わせて変わるブランドよりも、軸を持ち続けるブランドの方が、長く強い。それは、消費されるのではなく、解釈され続けるからだ。
トレンドという言葉の危うさ
それでも、トレンドという言葉は必要なのか。便利で、わかりやすく、説明しやすい。しかし同時に、思考を止める言葉でもある。複雑な現象を単純化し、違和感を見えなくする。「トレンド」という一言で済ませた瞬間に、それ以上考える必要がなくなる。
未編域に戻るために
トレンドは、すでに編まれたものだ。整えられ、説明され、消費できる形にされた結果。だからこそ、その手前にあるものを扱う必要がある。まだ意味になっていないもの。判断しきれない違和感。言葉になりきらない感覚。未編域は、そこにある。トレンドを追うのではなく、未編域に触れ続けること。それが、これからの編集の役割だと思う。
- Words: Yuki Uenaka