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Life beyond style

ニューヨークのジム『ドッグパウンド(Dogpound)』に行けば、彼らがどのようにして熱狂的なファンを獲得していったのか分かるだろう。センスのいい音楽。インスタ映えする空間。愛想のよいトレーナー。たった10分間中にいるだけで、そこにいた2人がジム創設者の「カーク・マイヤーズ(Kirk Myers)」のことを彼らの人生を変えた人物だと讃えた。

そのうちの1人はフェンシングのオリンピック代表選手である「マイルス・チェムリーワトソン(Miles Chamley-Watson)」。「カークとの最初のワークアウトはこれまでに経験したようなものではなかった」と彼はいう。「カークはジム以上のものをここで作り上げている。彼のおかげで、私の選手としてのキャリアは開花することができたんだ」。

2年前にソーホーにオープンして以来、ジャックトレーニングの優秀なスタッフとハイプロファイルなクライアントを通して、「ドッグパウンド」ジムは世界に名を轟かせた。ジムではパーソナルトレーニングとクラスの両方を開催。ニューヨークのハイソサエティな人々は虜になり、2017年に「ヴィクトリアズ・シークレット(Victoria’s Secret)」が中国でイベントを開催した際には、カークは世界中を飛び回り、モデルたちがランウエイにふさわしい引き締まった体型になるよう、フィットネストレーニングをほどこした。

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しかしマイヤーズがアスリートのメダル獲得や、モデルのボディメイクを請け負うようになる前、彼は肥満からくるうっ血性の心臓疾患を抱えていた。彼の華麗なる変貌は、彼自身を救った。さらにこの凄まじい経験が、偉大なトレーナーを生み出したのであろう。

このストーリーは他人が語るにはまるで信じられないような話なので、マイヤーズ自身の言葉で、彼がどのように病院のベッドで横たわっていた人間から、世間で引っ張りだこのトレーナーになったのかを説明する。

カンザスシティーにいた頃は本当に不健康だった。中毒っぽい性格で、家にいたときには驚くほどの量のジャンクフードを食べていた。そして体重が過剰に増えた。高校時代には、体重が300ポンド(およそ136kg)をゆうに越えていた。大学時代もそれは続き、とはいえエネルギーはゼロに等しかった。結局、医者にうっ血性心臓疾患と診断され、ほぼ2週間入院することになった。

この経験を、人生を変える好機と捉えた。栄養学とフィットネスの勉強を始めた。手当たり次第その分野に関連する本や雑誌を読みあさった。見つけたメソッドと食事療法は全て試した。さらに地元のジムのクラスを受講した。するとすぐに体重は落ち始めた。10ポンド(およそ4.5kg)落ちたところで、変化を感じ始めたので、続けることができた。次に、自分の体が変わりつつあると気がついたときには、80ポンド(およそ36kg)を落とせていた。

友人にフィットネスのアドバイスを求められるようになった。私の変化していく姿を見て、みな私の意見を聞きたがった。昔から先生になりたいと思っていたし、自分の学んだことを人に教えていくのは正しいことだと思った。自分を変えるためにしてきたことが、どれだけ人の人生を変えることができるか気づいた。

それが、トレーナーになりたいと決意したときだ。少人数のクライアントとスタートしたが、周りにいたジムの人々は彼らの変わっていく姿を見ていた。カンザスシティには、不健康な人たちが沢山いた。私は、多くの女性の人生を変える手助けをした。彼女たちの中には、100ポンド(およそ45kg)の減量に成功した人もいた。ほどなくして、何十人ものクライアントを抱えるようになり、自分の会社を設立した。ビジネスは順調で、20代半ばにはある程度のお金が稼げるようになった。

出だしはとても好調だった。しかし、再び私の中毒的な性格に悩まされるようになった。体重が減り、成功を納め、女の子からもモテるようになった。夜な夜な飲みに出るようになり、アルコールだけではなくときにはドラッグもした。悪の道に進んでいった。

自分の行いのせいで全てを失った。体はボロボロになり始めた。病気になり、再入院を余儀なくされた。私は、自分自身で一生懸命働いて築き上げたもの全てを失った。その間、自分の世話をしてくれた姉がいるメンフィスへ移った。体調がよくなり始めたとき、新たなスタートを切るべく、新天地へ行く必要があると思うようになった。

ニューヨークへ行った。兄がそこに住んでいて、関係性の再構築を図りたかった。私が困難な時を過ごしていた時、衝突してしまっていたのだ。当初の予定では、私は2カ月だけニューヨークで過ごすことにしていた。ヨガをして、自分が必要としていた穏やかなメンタルを手に入れた。お酒とドラッグから距離を置いた。そして、ニューヨークでトレーニングができるかを模索し始めた。

ニューヨークで自分の可能性を見極め始めた。私は、決して他人に自分自身のことを偉大なトレーナーであると言ったことはない。しかし、私は献身的な労働者だ。チャンスをが与えられるなら、誰かの人生にインパクトをもたらすことができるを持っている。もしあるチャンスが転がっていたら、私はそれを掴むことができる。兄は映画業界で働いていて、彼のネットワークを少し紹介してくれた。私はクライアントの選定を始めた。世界が変わり始めた。

「ヒュー・ジャックマン(Hugh Jackman)」が私のトレーニングを受講してくれるようになった。当時、ハイプロファイルなクライアントを少しづつ獲得し始めていて、その中にはニューヨーク株取引所のプレジデントである「トム・ファーレ(Tom Farley)」もいた。彼はヒュー・ジャックマンと彼のボディーガードと知り合いで、彼らを紹介してくれたのだ。私は彼らに、自分がしてきたのと同じことを叩き込んだ。ヒューはワークアウトを気に入り、定期的に私を呼んでくれ、私たちはウィークリーのトレーニンググループを作った。彼は自分の犬をそのセッションに連れてきていて、それでグループの名前を「ドッグパウンド」にすることにした。

『ドッグパウンド』ジムをオープンすることに決めた。かつては、自分がジムを主催するトレーナーになるなんて考えもしなかった。だが、他のジムは私の経験と行動を見て焦り、私を追い出そうとした。彼らは過剰なまでに保守的で、しかし私には最高のトレーナーになれる自信があった。自分自身のためのスペースが必要だったのだ。私のクライアントの1人である「ファビアン・バロン(Fabien Baron)」が、私の感性に合う空間をデザインしてくれた。今や私の生活の全てがここから1ブロック以内にある。ちなみに、私の住む家は、道路を渡った反対側にあるんだ。

ヴィクトリアズ・シークレットのモデルとのトレーニングは、ごく自然な流れで始まった。最初に会ったのは「ジャスミン・トゥークス(Jasmine Tookes)」。彼女は友人によってここに連れてこられた。彼女はセッションを楽しみ、そこから輪が広がっていった。今では「ライス・リベイロ(Lais Ribeiro)」、「ロミー・ストリド(Romee Strijd)」をはじめとする多くのモデルをトレーニングしている。彼女たちはジムの外観・内観を気に入り、トレーニングを楽しみ、そしてソーシャルメディアにポストするようになった。そこから先は本当に早かった。私は彼女たちが「ヘルシーでいることはクールなことだ」と思い、若い女の子たちに向けて自らメッセージを発信してくれていることを、誇りに思う。

『ドッグパウンド』の2店舗目のオープンを見据えている。拡大はしたいが、急成長を望んでいるわけではない。考えているのは、ロサンゼルス、ロンドン、またはニューヨークのもっと大きなスペース。年内には実現できるだろう。もっと多くの人々に私たちのトレーニングを体験してもらうことが楽しみだ。