エマ・ダーシー:「着るものは私の鎧」
「ハウス・オブ・ザ・ドラゴン」主演のエマ・ダーシー(Emma Darcy)が、スタイル、演劇、デヴィッド・ボウイ(David Bowie)について語る。
服装は大半の人にとって、存在や自己表現の重要な要素だけれど、ジェンダーフルイド(ジェンダーが流動的な人)やトランスジェンダーにとって服装の果たす役割はより大きい。私自身はトランスマスキュリン(出生時に割り当てられた性別は女性だが、男性性をより感じる)で、硬めのフォルムを柔らかく着るのがマイスタイル。以前は質感が好きだったけれど、今は徐々に鮮やかな色が好きになってきている。自分以外の人の、いろいろな歴史の詰まった洋服を着るのがとても好き。幼少期からチャリティーショップで売られていた洋服を着て育った。私が着るようになる以前に別の人と人生を共にしていた洋服というのがとてもいい。モノに自ら歴史を刻むのは大仕事だけれど、ユーズドなら自分の手に渡る前に既に旅をしている。洋服は私にとって鎧。私という人間にとって必要不可欠。服装が変われば気分も変わる。
洋服はボロボロになるまで徹底的に着る。服装は、人からどう見られるかをとても分かりやすくコントロールできる手段だと思っていて、私が少し前に髪を真っ赤に染めたのも同じ理由。染めてみて、自分とは思えないほど新しい自分になった至福の喜びを感じた。その感覚を追い求めている。これまで自分として受け取られてきたものとは違うところへ行きたい。長年同じスタイリストのローズ・フォアード(Rose Forde)と、ヘアドレッサーのジョディ・テイラー(Jody Taylor)と仕事をしているのもそのため。説明をしなくても分かってもらえるのがとてもありがたい。
私にとっては全てがお芝居。だから俳優という仕事を大好きでしている。私の仕事も人間性も演劇から形成されてきたもので、演劇は常に私の自己意識の根幹を成している。私の大学には演劇コースはなかったけれど、それでも演劇に関わり続ける方法は常に自分で見つけてきた。舞台美術はかなりしたし、演技、共同演出もいくらかした。専攻だった美術への関心は、大学を出てから完全になくなった。学生の頃の私は服装も違った。服装というものは周りの環境に合わせて変えていくものだけれど、当時の私にとって大勢のクリエイティブ集団に囲まれるのは人生初めてのことで、私の服装はかえって実用性重視になっていた。舞台から遠ざかるのは寂しい。今すぐにでも、舞台に立ちたい。随分長くできていない分、これまでにないくらい舞台の仕事がしたい。プレスや雑誌の撮影、ファッションと、いろいろ楽しめるようになってはきたけれど、カメラの前に立つのは大好きというわけではない。プレスの仕事は自分がアニメの登場人物になるような感じだから。実際、自分自身アニメのような服を着ているのだし、ちょうどいいくらいだろうとも思うからそこは気にしないけれど。(Commissionの)ピンクシャツにピンクネクタイ姿が、私の絵文字とも言っていいほど私に馴染んだことには喜びも感じるくらい。Highsnobietyの撮影ではスタイリングを一緒にして、自分らしさが出せてとても良かった。
言うまでもなく、私はデヴィッド・ボウイの影響を受けている。スタイル面でデヴィッド・ボウイの影響を受けていない人など、そもそもいないとさえ思う。影響を受けていないなどと言う人はおかしいくらいだと。意識的に取り込むことはしなくても、デヴィッド・ボウイの影響は何かしらあるはずだから。私のスタイルを変えたものがあるとすれば、それは仕事。レイニラ(ターガリエン王女)役でたくさんスカートを穿いてきて、そこから、もっと男性的な格好をしたいと思うようになった。新たな環境に置かれると、誰でも調整が必要になる。自分とそぐわないものについての発見を経てこそ、自分が何を着たいかは分かるのだと、私は学んできた。
今の私は胸の高鳴りを感じているし、気持ちも前向き。物事をしっかり言葉で言い表すのがとても好き。考えをきちんと言葉にできると気持ちも整理される。フルイディティ(ジェンダー流動性)の描写、用語、ラベリングもそう。心の奥底にある感覚を言葉にすると、どこか筋が通るような感覚になる。その点で、マギー・ネルソン(Maggie Nelson)の『The Argonauts』という本がとても好き。全学校で授業に使ってほしいくらい素晴らしいと思う。「唯一の選択肢は言語であり、ほかにツールはない。だが同時に言語とて決して十分とは言えない」という考えがとてもいい。俳優という職業に就く私にとって、その究極のパラドックスはとても刺さる。どんな脚本でも、言葉が良くなければならない。ある人物が自己表現のために使っている言葉や避けている言葉から、その人の中身が伝わる。その人が何を言葉にし、何を言葉にしないか、その間の溝こそが、その人の心理や人となりを伝えている。
シーズン2でもう少し遊びの余地が出てくるのが楽しみ。遊びこそがスタイル、アートの本質でもあるから。