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Life beyond style

Highsnobiety / Shezi Manezi

本記事は、『Highsnobiety Issue 17』にて掲載された内容を転載したものである。購入はこちらから。

“バブル”というと、チューリップからアメリカの不動産市場に至るまで様々な一過性のブームを歴史に刻んできた。もしストリートウェアの現状がその兆候であるとすれば、ストリートウェア黄金期はすぐにでも終わりを迎えるのかもしれない。

1841年にスコットランド人作家、チャールズ・マッケイ(Charles Mackay)は、『Extraordinary Popular Delusions and the Madness of Crowds』を出版した。この書籍では、社会の流行や市場の動向、都市伝説の例を詳細に記していた。出版から177年、人間がいかに社会的集団を作り上げ、それによる損害の不合理さの裏付けを、さらに確信へと近づけている。その見識は、巨大なビジネスとなった今日のストリートウェアと強く関わっている。

21世紀のファッションにおいて主流のストリートウェアは、世界中の熱望するファンや狡猾な転売人らを駆り立てるようなものとなった。この宿命の赤い糸は、ほぼ全ての大都市のユースカルチャーへと広がり、20年余りで成長を遂げたバブルに陰りの兆しが見せている。本来はスケーターやパンク、ヒップホップのユニフォームとして発展したストリートウェアであったが、ファッション業界自体をも覆しかねない商業的一過性の流行へと変化してきている。

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ストリートウェアとスニーカーカルチャーは、大衆の異常なまでの興奮を誘い、インターネットがそれを助長し、不安感を募らせる。近い将来に、ストリートウェアへの熱は頂点に達し、全く新しい何かへと変わっていくだろう。もしそうではないのなら、こうであろう。

ストリートウェアをここまで成長させた社会の流れの一つを挙げるならば、認知度の向上だろう。有名ブランドが以前は知られていなかったようなスタイルを似せているだけではなく、最大限に取り込んでいるのは、歴史上初めてである。この新時代において、ショーン・ステューシー(Shawn Stussy)やジェームス・ジャビア(James Jebbia)の名は、ミラノやパリ、ソウルの上流階級にも知られる存在となった。ラメルジー(Rammellzee)やドンディ・ホワイト(Dondi White)、ダッパー・ダン(Dapper Dan)も同様に、今最も着想源としているこのカルチャーの歴史をそっちのけにはできない、ヨーロッパのファッション業界における革新的な重要人物となっているのか?その通りである。だが、これが彼らのやり方である。もし世の中が必要としている話題をおさえておけば、歴史の闇に葬られることはないからである。

イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)が北アフリカと東アジアをインスピレーションに、黒人モデルを初めてランウェイに起用した時、名ばかりの人種差別撤廃と批判にさらされる可能性もあった。今日の基準で言えば、コレクション発表形式にもう少し注意を払うべきだったのかもしれない。しかし、最終的には異なるカルチャーに対する見解を表現したという良い面があった。今日でも同じようなことが議論になっている。ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)はその流れを巧みに用い、ストリートウェアの繁栄とYves Saint Laurent(サンローラン)のプレタポルテの発表方式をファッションの民主的な動きとして照らし合わせている。

ストリートウェアは、商品カテゴリーやマーケティング計画、価格の幅ではなく、カルチャーによって定義される。あまりにも安易な考えで、「カルチャーのために!」というのが決まり文句のように頻繁に繰り返されている。ストリートウェアとは切り離せないこのフレーズは、ミーゴス(Migos)の曲やアルバム名、カーディ・B(Cardi B)の子供の名前にまで影響を与えた(子供の名前の綴りははKultureであるが)。

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この業界の大御所の一人、ボビー・ハンドレッズ(Bobby Hundreds)の名で良く知られるボビー・キム(Bobby Kim)は、何が“カルチャー”を定義するのか、大企業がどのようにネガティブな影響を及ぼしているのかについて綴っている。「アートやデザインでなく、売上やイメージが、ストリートウェアというブランドを形造る」。

2017年にも、「自分のブランドであるThe Hundreds(ザ ハンドレッズ)を14年間かけて築いたが、メディアと大衆によって“ストリートウェア”ブランドがねじ曲げられるのを見てきた。今日、ストリートウェアはスタイルやユースカルチャー、音楽における単なるハッシュタグに過ぎず、その意味や背景については誰も興味がない。」と、語っている。

この見解は正しいが、『Built to Fail』という自身のドキュメンタリーを当時プロモーションしなければ、この発言により影響力があっただろう。7ヶ月前にキムはComplexConでこの映像を発表したのは、コミュニティを大事偉業に発展させたうまい試みであっただろう。永続的かつ情熱的な渇望をもったセルフプロモーションの一つとも言える凄腕の発想は、ストリートウェアでのコアな部分である。どんなに大きなブランドになろうとも、一夜にして忘れ去られるという一抹の恐ろしさはあるようだ。

Highsnobiety / Eva Al Desnudo

どちらかと言うと、ストリートウェアがサブカルチャーとして誕生した。DIY的な美学や、サーファーやスケーター、アーティスト、グラフィティーアーティスト、パンク、ニューウェーブやヒップホップなどの様々なコミュニティーから発展していった。Fear of God(フェア オブ ゴッド)のジェリー・ロレンゾ(Jerry Lorenzo)は、「投資家やパートナーもいない。商品はピュアで、ファッションカレンダーとは関係がない。伝統的なファッションシステムの外からきたものは、全てストリートと考えられる。」と、かつてのストリートウェアをこのように定義付けた。

多くのストリートウェアブランド(Fear of Godを含む)は、その仕組みの中で落ち着いている。過半数が外部からの投資(Carlyle Groupと500万ドルの取引前ですらSupremeも)を受けており、ファッション業界全体がストリートウェアの後を追い、シーズン性が年々希薄化している。

ストリートウェアは本来、リテールやマーチャンダイジング、ファイナンスやマーケティングなどのファッションシステムとは無縁だった。主流となり始めたのは2017年からで、何か新しい形へと変わっていった。この流れにおいて、明確な事実がある。ストリートウェアは、縫製ではなくグラフィックやスクリーンプリントに依るところが大きく、生産が簡単であることと、カルチャー要素も残すことができる。世界中のセレブリティの後押しもあり、ストリートウェアの認知も広がりやすいという点でも、人々はストリートウェアを求めるようになった。ファッションブランドは、この流れが大好きである。

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Balenciaga(バレンシアガ)のTriple S(トリプル S)と同等の1,000ドルを中国産のシューズに値付けすることは、少しでも利益をあげようともがいている業界にとっては大成功だった。Supremeなどのブランドのリリース方式を倣い、ラグジュアリーブランドも“ドロップ”形式をしばしば使うようになった。シーズンごとではなく、月ごと、さらには週ごとへと移行しているのが現状である。このモデルを最初に採用したのはGucci(グッチ)だろう。CELINE(セリーヌ)のエディ・スリマン(Hedi Slimane)、Burberry(バーバリー)のリカルド・ティッシ(Riccardo Tisci)も続いている。

その反面、ラグジュアリー業界は、ストリートブランドの商品の価格高騰化を容認している。Nike ACG(ナイキ エーシージー)のシェルジャケットが、1,000ドルで販売されたのが良い例だが、10年前では想像すら出来なかった。今日の消費文化では、Nike(ナイキ)やadidas(アディダス)、LVMH(LVMH)やKering(ケリング)にとっては夢のようである。本来ならば、数百ドルの商品が数千ドルで販売され、さらにはその3倍の価格で転売されるという現実が続いている。

StockXのようなウェブサイトが示唆しているように、需要に対して商品の供給が追い付かなければどうなるだろうか?残されるのは、価格が膨れ上がった大量の商品である。商品価値はハイプ現象により独断的に決められ、洋服の本質的な価値とはほぼ関係が無いからである。

Highsnobiety / Shezi Manezi

それこそがバブル崩壊の第一の予兆である。

ストリートウェアの台頭には、カジュアル化の進行と社会規範の崩壊がある。多くの業界で男性のスーツ着用が必要ではなくなり、女性はハイヒールや伝統的なフェミニニティと紐付かなくなった。こういった慣例の崩壊に伴い、2000年代中頃にカニエ・ウェスト(Kanye West)のように、若者は自らが敬愛する誰かを模倣モデルとし始めた。

ウェストがレザーのジョガーパンツを生み出したと言われるのは見当違いであるが、大衆へと拡げたのには異論の余地はない。ウェストが現れるまでは、今ほどメンズウェアに種類はなかった。エディ・スリマンやラフ・シモンズ(Raf Simons)、リック・オウエンス(Rick Owens)やハイダー・アッカーマン(Haider Ackermann)、アレキサンダーワン(alexanderwang)やバルマン(Balmain)に光を当て、CELINEやChloé(クロエ)までをも有名にした。自身でNikeやadidasのスニーカーデザインをする頃(最初にデザインをしたのはBAPE(ベイプ)である)には、正真正銘のファッション業界の神となり、多くの人がウェストを真似て着飾るようになった。

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YEEZY(イージー)の道を辿るのすら難しくさせる時期もあった。2010年から短期間ではるが、居住者の大半が黒人で、1923年の市民権運動の暴動によって全焼したフロリダ州の都市、Levy Countyに由来する“Rosewood”ムーブメントを立ち上げた。この間、黒いスーツだけを着用し、翌年の『Watch the Throne』がリリースされる頃にはレザーキルトを好んだ。2013年の『Yeezus』期には、宝石をちりばめたMaison Margiela(メゾン マルジェラ)のマスクで顔を完全に覆った。最近では“クールダッド”を全面にに取り入れ、ZARA(ザラ)のルックはいつの時代もウェストのスタイルを投影しているように見える。

ストリートウェアはインターネットなしで始まったが、今ではなくてはならない。HypebeastやSuperfuture、Reddit上での議論は、ファッション業界に多大な影響を与えた。こういった早い段階で出現したソーシャルメディアは、多くがポジティブなコミュニティであり、今日とは異なるようである。

カニエ・ウェストの着こなしがお手本となる以前、ローデニムの洗い方(冷蔵庫に入れる、履いたまま海に入るなど)や限定版のBAPEのカモフラバンダナ(2013年に休刊した日本のメンズファッション誌『COOL TRANS』に付属した付録)をどこで手に入れるかなど、ストリートウェアのコミュニティはお互いに助け合っていた。ファン同士でサイズやリリース、好きなブランドの入手場所の情報の共有、交換や価格を上げずに売買すらもされていた。音楽についての意見交換もネットワークのコアな部分であった。当時はルーペ・フィアスコ(Lupe Fiasco)やキッド・カディ(Kid Cudi)などに関する投稿が頻繁に見られた。

当時から現在に至るハイエンドなファッションにおける大きな転換期は、主導がリーダーからフォロワーへと変わったことである。キム・ジョーンズ(Kim Jones)はLouis Vuitton(ルイ・ヴィトン)でのアーティスティック・ディレクターとしての在任期間、Supreme(シュプリーム)とのコラボレーションでこの流れを持ち込んだ。イギリス・ロンドンのストリートウェアデュストリビューターであるGimme Five(ギミーファイブ)で働いた経験を持ち、Supremeの珍しい商品を限られた店舗へ卸す手伝いをしていた(Supremeはかなり後となる2011年までロンドンへの出店を行わなかった)。

Highsnobiety / Eva Al Desnudo

ジョーンズはDIOR(ディオール)で自身初となったメンズコレクションにて、同様の精神を持ち込んだ。権威あるDIORのモチーフの新デザインとショーの装飾をストリートアーティストのカウズ(KAWS)に依頼、AMBUSH(アンブッシュ)のデザイナーであるユン・アン(Yoon Ahn)へアクセサリーを一任し、1019 ALYX 9SM(1017 アリクス 9SM)のマシュー・ウィリアムズ(Matthew Williams)のシグネチャーである、ロゴを搭載したベルトバックルの製作を共同で行った。

ハイエンドなブランドがストリートの波に乗るために、コラボレーションやグラフィックTシャツ、トラックスーツなどはリスクがない。ネット上で批判されることはなく、影響力を持つストリートウェアの重鎮らが着用し、アーンドメディア*でも高い人気を誇る。(*信頼できるメディア)

一方でオンラインコミュニティの先駆者たちが衰退し始めている。新しい世代は、ストリートウェアに貢献した都市でのスケートカルチャーやヒップホップコミュニティから完全に切り離され、単に個人の嗜好としてストリートウェアを追っている。郊外の裕福な子供、ロシアやドバイ、中国の新たな富裕層は、こぞってOFF-WHITE(オフホワイト)やSupreme、BAPEのようなブランドを求め、そういった層へと転売を始めたものもいる。

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ストリートウェアは長らくファッション業界でその妥当性が議論されてきたが、今ではハイプを作り出すビジネスモデル、スタイリングやフォトグラフィー、マーケティング手法に変革をもたらした。

商品に社会的信頼性と格好良さが常にハイレベルで求められている。以前は疎まれていた転売人が業界の勝者であると言われる理由であり、NIkeのようなブランドはショーン・ワザーズプーン(Sean Wotherspoon)が手がけるRound Twoとオープンなコラボレーションを行い、Nordstromはアメリカ・ニューヨークの転売プラットフォームであるStadium Goodsを店内のスペースに迎え入れた。

インターネットでは別の意見もある。例えば、過度な在庫量、利益の落ち込み、StockXとStadium Goods、eBay間の値段の相違を指摘している。これらは業界規模での推測であり、バブルを指し示す第二の決定的な兆候である。

昨今のストリートウェア業界での、麻痺した価値観と投機の横行の他に、バブルを示す兆候がある。バブル期は以下のような段階がある。

1. 転換:業界の新たな支配者となりうる主流の発生(例:ドロップ式のリリース)
2. ブーム:最初は緩やかだが急な価格の上昇、特に特定のもの(例:Tシャツやスニーカー)
3. 多幸感:大馬鹿理論のように、価値が不合理なレベルに達した場合(例:2018年5月にパリで開催された“Cash Rules Everything Around Me”と題されたオークションで、本来は大量生産された安価なロゴ商品が100万ドルになったこと)
4. 利食い:賢い人たちがお金を得ようとする段階(例:転売人が個人で転売オペレーションを持ち始めた)
5.パニック:読んで字の通りの意味

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現在は第4段に位置し、ストリートウェアのバブルの利食い期と言っても過言ではない。典型的なバブルの特徴は、関与する大半の人たちによる不信感から生まれる失速である。スニーカーやデザイナーロゴに身を包んだ若者なしには、大都市が繁栄する世界を想像できない。しかしバブルは一度弾けないと分からないものである。

この分析の要点は次に何が流行るのか予測を立てる目的ではなく、ストリートウェアカルチャーの良い部分や悪い部分を振り返り、これまでの進化とともに、現在バブル崩壊へ向かいうると事前に警告をするためである。誰もスニーカーが無くなるとは思ってはいないが、今日では数千ドルを支払うことに躊躇はない。おそらくは白いVANS(ヴァンズ)が人気となったように、お手頃価格なベーシックでミニマルなアイテムが戻ってくるだろう。その後は、履きやすくてしっかりとした底の靴とテーラードシャツが主流に(ロンドンと香港では少数の人が実行している)。現在では10億ドルの価値があるとも言われるSupremeは、債務を負う結果に終わるかもしれない。もしくは、様々な試みで資本を集め、私たちが思うような単なるライフスタイルブランドではなくなり、投資家が退いていくパニック期に陥るのかもしれない。

何が起きようとも、このようなことにはついていけない。YEEZYはかつてストリートウェアの聖杯のような存在であったが、今では完売前にオンラインで店頭価格かつ売り切れる前に手に入れることができる。Vetements(ヴェトモン)のようなブランドは財政面では成功していないと噂されている。究極のカルチャーの祭典であるComplexConは、実際の客からコマーシャルすぎるという強い反発に終わった。このサイクルは終わりに近づいているのかもしれない。90年代終盤のドットコム、サブプライムローンやビットコインバブルのように、危険信号が山積みである。

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17世紀のネーデルラント連邦共和国(現在のオランダ)の“チューリップマニア”が、今日のオランダを作った。この出来事は初の市場バブルと考えられている。自由市場の資本主義、消費者主義の社会的流行が到来し、新たな裕福なエリート層は、チューリップに目が眩んだ。16世紀頃にチューリップはヨーロッパに上陸し、その色はヨーロッパ大陸には無いものであった。オランダ人のエリートたちは、チューリップの球根の貿易に熱心になり、ブームは誕生したのである。1637年のブーム絶頂期には、球根1つが当時の熟練工の年収の10倍であったと言われている。『In Extraordinary Popular Delusions and the Madness of Crowds』の中でマッケイは、12エーカー(東京ドーム約1個分)の土地と球根1つが交換されたと記している。公式の先物市場は1637年2月に設立され、それから1年も経たないうちにチューリップの価値は大暴落した。

ハイプするスニーカーは、次のチューリップとなり得るのだろうか?