自由なニットを求めて。
「両親のことは本当に大切に思っています」。具志堅幸太は東京のスタジオで語る。「ただ、両親はとても厳格で、伝統を重んじていました。10代の頃はそれがどうしても受け入れられなくて、とにかく自由気ままにクリエイティブなことをしたいと思うようになったんです」。33歳となった今でも、他人から指図されることは好まない。「縛られている感じがするのがとにかく苦手で。生活のあらゆる面において、完全な自由が必要なんです」
2019年に自身の名を冠したブランドを立ち上げて以来、具志堅はそうしたある種の切実さを自身の代名詞としてきた。奇抜ながらも着やすい彼の服は、ニットウェアの世界におけるほぼ全てのルールや慣習に、どこか逆らっているようにも見える。「ニットがとにかく好きなんです」と彼は言う。「というのも糸そのものから糸の組み合わせ方、編み方の技法、パターン、質感、色、デザインに至るまで、あらゆる要素に自由があるから」
彼の作品の中には、不規則な編み目や手編みのアイテム、大きな穴が開いているものや、オフショルダー、落とした裾、そして敢えて処理をせずに残された糸端などが見られる。別の作品では、強くねじられた糸やふわふわした糸、スラブ糸、そして不均一な糸などが用いられ、それらは珍しい染料による鮮やかな色彩をまとっていた。また、2026年春夏コレクションでは、CWU-36Pのボンバージャケットをニットウェアとして再構築したことで、本来は内側にあるはずの鮮やかなオレンジの裏地が透けて見えるように仕立てられていた。
具志堅がニットウェアのルールや慣習を知らないというわけではない。確かに、ロンドンのセントラル・セント・マーチンズのニットウェアコースに入る直前までは、ニットと織物の違いさえ分からなかった。しかし入学後、1990年代に生産終了したシンプルな家庭用ブラザー製の編み機を使って手を動かし始め、すぐにそれが自分の表現手段であると確信した。「当時、頭の中にあったのは漠然としたアイデアだけでした。実際に編み物を始めてから、それを自分の手でかたちにできると気づいたんです」


© Courtesy of Kota Gushiken
在学中、具志堅はChristian Dior(クリスチャン・ディオール)やProenza Schouler(プロエンザ・スクーラー)、Christian Wijnants(クリスチャン・ウィナントス)のニットウェア部門で経験を積んだ。2016年の卒業後は、東京・新宿にフラッグシップストアを構える百貨店、伊勢丹新宿店から新作コレクションの制作を打診される。彼はこれを引き受け、その後1年をかけて日本の伝統的な「割烹着」をカラフルに再解釈し、2017年秋冬のデビューコレクションを作り上げた。
中国の新進気鋭のブランドでのお披露目の機会が白紙になった後、具志堅は独立を決意した。「ほとんど無一文に近い状態でした」と彼は振り返る。「だから、次のコレクション(2019年秋冬)に取り組みながら、日中は仕事をかけ持ちしていました」。このとき初めて、彼は全ての作品を自らで編むのではなく、日本の工場と共に政策を行った。その変化は、彼の創作の自由を制限するどころか、むしろ大きく押し広げることになる。「自分の技術的な制約から解放されたことで、デザインのアイデアをさらに追求できると気づいたんです」。その一例が、彼が頻繁に採用する編み技法「インターシャ」だ。モチーフを生地の上に重ねるのではなく、生地の中に直接「描き込む」技法により、鮮やかな色彩のパターンを成立させる。
ときには具志堅自身が、共に働く職人達の幅を広げることもある。「私がアイデアを思いつくと、『いやいや、それは無理だよ!』と言われることもあります。でも、『いくつかの技法を組み合わせれば、もしかしたらできるかもしれない』とも言われて。そうやって、とにかく試してみるのです」
1890年代から続く家族経営のニットウェアブランド、スコットランド生まれのJamieson’s(ジェイミソンズ)との継続的なコラボにおいても、同様のことが起きている。具志堅は、同ブランドが誇るシェトランドウールを用いたいくつかの作品を手がけてきた。そのひとつがリバースステッチ・フェアアイル ジャンパーで、縫い目を敢えて表に出すことで、「裏返し」たような表情を作る。もうひとつはジャンパー風スカーフ。片方の袖を縫い合わせていないため、クロップド丈のセーターとして着ることも、首に巻くこともできるハイブリッドな一着だ。「Jamieson’sのスタッフが最初にデザインを見たときは、『こいつ、一体何をやってるんだ?』という反応でした」と具志堅は語る。「でも、最終的な仕上がりには気に入ってもらえました」

これは彼のニットウェアに対する遊び心とユーモアをよく表している。各コレクションはいずれも彼の日常に根差しており、作品の多くはそうした何気ない出来事を文字通り描いたものだ。2024年秋冬コレクションのふわりとしたモヘアのカーディガンには、背中に1匹の猿があしらわれている。それは、かつて新潟のパブで目にしたビールポスターのイメージをもとにしたものだ。別の2つのジャンパーには、2022年1月1日の夕暮れと夜に、自宅の窓から見た富士山がそれぞれ描かれている。
こうした軽やかさは、『Is This the Debut?』(2019年秋冬)や、『Ridiculously Serious』(2022年春夏)、そして『Orgnaseid WeIl』[原文ママ](2024年秋冬)といったコレクションタイトルにも表れている。後者は従来のランウェイ形式ではなく、2024年の東京ファッションウィークにおいて、2人の日本人お笑い芸人によるスタンドアップコメディとして披露された。これは、彼が同年に受賞した東京ファッションアワードの支援によって実現したものだ。

この賞は、東京を拠点とするデザイナーの支援と、彼らの国際的な活躍の後押しを目的としており、さらに具志堅をパリ・ファッションウィークへと導いたものでもある。昨年1月、彼はそこで2026年秋冬コレクションを発表。これは、日本国内では依然としてTABAYA United Arrows、talklein、+81といったブティックを中心に展開されている彼の活動にとって、次のフェーズを示唆するものとも言える。また、同コレクションでは、これまでのニット中心の構成から幅を広げ、織物によるアイテムも取り入れられている。例えば、コインポケットやバックポケットにかぎ針編みのディテールを施したデニムパンツなどだ。そしてこれらの着想源となったのは、バリ島旅行中のヒンドゥー教僧侶との偶然の出会いであったという。「彼は『自然の成り行きに任せろ、心には従うな』と教えてくれた」と具志堅は振り返る。「東京に戻ってイギリス人の鍼灸師にその話をしたら、『その僧侶はおそらく “無為” の概念を指していたのだろう。つまり、何かを成し遂げたいのなら、それをコントロールしようとしてはいけないということだ』という意味だと」
このコンセプトは、コレクションのいくつかの核となるアイテムにも反映されている。そのひとつが、コットンのケーブルニットのジャンパーだ。「中部地方の染色工場を訪れた際、同世代くらいの職人がいて。彼は “失敗作” と呼ばれるものを作っていて、異なる色合いを混ぜ合わせていたんです。どうやって作ったのか尋ねると、『漂白と染色を同時に行ったんです』と。正直、最初は全く意味が分からなかったですね」。と言いつつも具志堅は即座に、その技法を取り入れることに決めた。温度や湿度によって発色が変化するため、夏に生産される最終的なプロダクトは、冬に作られたサンプルとは全く異なる仕上がりになるだろう。
「こうした予測不可能なことこそ、まさに自分が求めていたものなんです」と具志堅は言い、笑いながらこう付け加えた。「とは言え、自分が何を求めているか分かっている時点で、 “無為” とは言えないのかもしれませんけどね」
- Words: Lukas Mauve
- Photography: © Courtesy of Kota Gushiken