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Where the runway meets the street

ブランド:KENZO(ケンゾー)

ストリートウェアの王、NigoによるKENZO 2022年秋冬コレクションがファッションウィークで発表された。KENZOの今にとって彼がなぜ必要な人材なのかを考える。

2020年10月、ファッション業界内外の多くの友人らを嘆きの渦に包んだのは、日本人デザイナー高田賢三の新型コロナウィルス感染症の合併症による逝去だった。享年81歳。

衷心からの追悼の言葉が、ソーシャルメディアにもハイファッション誌にも溢れた。惜しまれるのも当然だろう。高田は、山本耀司らと並んで、西洋のファッション業界に挑み、その扉を開いた日本人デザイナーだ。

高田の功績は特に、自ら押し開いたその扉の中に、後続のデザイナー陣をも招き入れたことにある。LACOSTE(ラコステ)のクリエイティブディレクターを経てKENZOに就任したフェリペ・オリヴェイラ・バティスタ(Felipe Oliveira Baptista)に代わり、KENZOの新クリエイティブディレクターに任命されたのは、そうした後続デザイナーの1人、BAPE(ベイプ)の創立者でTeriyaki BoyzのDJでもあるNigoだ。

高田の永眠に触れたのは感傷に浸るためではなく、高田が非常に重要かつ、言及されるべき価値を持ち続ける伝説的な人物であるためだ。高田の訃報以来、先日の水曜、Nigoがアーティスティックディレクターとして迎えられる旨が公となるまで、KENZOに関する話題が何も上がっていなかったことも、高田の逝去に触れた理由だ。それ以前でKENZOが話題になったタイミングというと、2016年のH&Mコレクションにまで遡るだろう。

しかし正直な話、この先のことは未知数だ。

Nigoの任命は、いろいろな意味で腑に落ちる。Nigoが、仕立て仕事に関して絶大なナショナリストであった高田と同じく日本人であるため、ということではない。KENZOは結局のところ、長くパリに本社を構え、世界各地のデザイナーを迎え入れてきたブランドだ。そんなKENZOへのNigoの就任がしっくりくるのは、NigoこそがKENZOというブランドに今まさに必要な人材であるからに他ならない。

ただ、KENZOも他のLVMH傘下ブランドと同じ道筋を辿っているに過ぎないという見方も否定はできない。LOUIS VUITTON(ルイ ヴィトン)やGIVENCHY(ジバンシィ)が新たな客層にアピールすべく、相次いでストリートウェアのデザイナーをディレクターに据え、常に好ましいとは言い切れないにせよ話題を呼ぶ、という現象が絶えない昨今のことだ。KENZOにも同じ手段が必要というのは理に適ったことで、KENZOがNigoを迎えたことは、LOUIS VUITTONによるヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)、GIVENCHYによるマシュー・ウィリアムズ(Matthew M. Williams)の採用と同じパターンとも言える。

しかしNigoとヴァージル、マシューとの間には確実な違いがある。まず、Nigoが創立したA BATHING APE(アベイシングエイプ)は今や反文化的集合意識に染み付くまでの存在となっており、活動年数的にもアブローのOff-White™ (オフホワイト)とウィリアムズの1017 Alyx 9SM(1017アリクス9SM)の合計のさらに2倍という長さを誇る。またNigoは2003年にファレル・ウィリアムス(Pharrell Williams)と共に創立したBillionaire Boys Club(ビリオネア ボーイズ クラブ)、2010年にsk8thingと創立したHuman Made(ヒューマン メイド)でも大きな成功を収めている。30年近くにわたり業界を震撼させるデザイン創出、ブランド構築で道を切り開いてきた現在50歳のNigoは段違いだ。

©︎GETTY IMAGES / DIMITRIOS KAMBOURIS

KENZOに対して皮肉を言う行為は、KENZOというブランドが常に歩んできた静かな異端者としての歴史を度外視した行為とも言える。時代の流れに従うのではなく、ブランド自身にとって然るべき選択をし続けてきたのがKENZOだ。Opening Ceremony(オープニングセレモニー)で脚光を浴びたウンベルト・リオン(Humberto Leon)とキャロル・リム(Carol Lim )を除けば、Nigoの前任者に当たる人物で大々的に取り上げられたりブランドを刷新したりした人物は1人もいない。ジル・ロズィエ(Gilles Rosier)も、アントニオ・マラス(Antonio Marras)も特に話題を呼ぶことはなく、高田の偉業を引き継ぎ、繋ぐために採用された人物という印象だ。

しかしこうした懐疑的な分析をしてもまた、ファッション業界においてストリートウェア人材の持つ可能性という視点が漏れることになる。上に挙げた人材以外にも、BALENCIAGA(バレンシアガ)のデムナ・ヴァザリア(Demna Gvsalia)、Calvin Klein(カルバン クライン)のヘロン・プレストン(Heron Preston)と、数えきれないほどのストリートウェア人材がハイファッションに進出しており、ストリートウェアへの熱狂に乗ろうというハイファッション側の意欲が薄れていく可能性は十分にある。ストリートウェアの利用が限界に達する、あるいはハイファッション業界自体にまだ、アクセシビリティ、民主主義、多様性といった意味でのストリートウェアの流入を受け入れるだけの素養はない、という判断がなされた場合に、そうした意欲の希薄化が現象として見えてくることだろう。

Nigoの採用が目新しいことではないのは事実だ。確かに影響力のある人物ではあるし、今や何世代にもわたるようになったストリートウェアファンというターゲットに響く部分もある。加えてNigoには、ものを作り出す、整理して示す、定義付ける、といったことに関する本物の力がある。多くのクリエーターは何十年、いや一生涯、世間の欲求に耳を傾け、それを映し出したものを返すという行動を取りがちだが、Nigoは、ストリートウェアの可能性やあるべき姿、そしてそれらの理想を核にしたアイデンティティやコミュニティを構築することの意味を自ら発信してきた。

しかしそんなNigoの鋭いコンテンポラリーな指揮統括の下においても、KENZOブランドが完全に刷新されることは考えにくい。いくらかの変化は起きることだろうが、変わる必要性の特に実際ある部分についてのみ、それも熟慮の上に起こされる変化に限られることだろう。

期待されるのは完全な刷新というより、KENZOのルーツへの回帰の方ではないだろうか。パリを拠点とするKENZOのアイテムを特別なものにできるだけの可能性を秘めたアクセントや図像といった根源の部分に立ち返る可能性の方が考えやすい。NigoはKENZOを一から作り上げることになるわけではない。原点回帰こそが着手のポイントになるということを、彼はもう弁えている頃だろう。

©︎GETTY IMAGES / GREGORY BOJORQUE

高田賢三がパリの第一印象を「陰気で暗い」と述べたということは昔から知られている。KENZOブランドのイメージもそんな高田のパリに対する第一印象と重なると言っては、高田も憤慨することだろう。とは言え、少なくとも近年の作品は似たり寄ったりで、アウトレット店や再販サイトなどでくすぶっているケースがあまりにも多い、というのは事実だろう。KENZOというブランドはそうした未来を目指して作られたものではなかった。Nigoが今後のKENZOにおいて、そのようなものの考え方や仕事の仕方を支持することもないだろう。

高田の伝説、潜在力を讃え、彼の名を冠したKENZOに今、間違いなく新たな時代が始まろうとしている。