life
Life beyond style

風の吹くまま気の向くままに。さすらいの活動家・竹中俊の直感は、風立つ場所を知っている。

——大学生の時に社会活動に目覚める前の竹中さんはどんな人でしたか?

それまでは一切社会活動に対する意識はありませんでした。小学校から大学までサッカーをやっていて、これだけは負けたくないっていうサッカーでずっと結果が出なかったので、自信を持てませんでした。自分に自信があるタイプではなかったですけど、クラスやチームでは目立つキャラクターではあったから、言いたいことは言うし、はっきりしていました。生徒会委員だったこともあり、人前に出るのは好きでした。

——大学へ進学したきっかけは?

高校2年生から3年生に上がるタイミングでのサッカー部の顧問の先生がアフリカとかブラジルだとかのスラム街を訪れてサッカーの指導をしている方で。ずっとその人から海外の写真を見せられたり話を聞かされて、当時は分からないし興味もあまりなかったんですけど、この人活き活きしていてかっこいいなと思って。この人が歩んできた人生を歩んでみたいなと思ったのがきっかけで、その先生と全く同じ大学に進学しました。学部はスポーツ学部で、専門は野外スポーツ学科で、登山、キャンプ、冬はスキー、スノーボードとか、100キロ歩いて2単位もらえるっていう授業がありました。めっちゃ変わった学校で、雪山に放り込まれてここで寝ろってスコップ渡されて、かまくらを作って寝て2単位もらえるとか。サッカーはすごい強豪校なんですよね。全国出るようなチームで、300人くらい部員もいて、でも僕は1年でやめちゃうんですけど。

——やめた理由は?

やめたかったっていうのは正直あるんですけれど、ずっとサッカーやってきて、大学で強豪校に入って、周りを見たら好き放題遊んでいたり、サークルで楽しそうに旅行したり、充実した学校生活送っているのに、何も結果が出ないまま4年間が終わっちゃう俺は……っていう焦りがずっとあって。

どうやったらこの場所から抜け出せるだろうかって考えていた時に、これまた変わった話なんですけど、冬休みが雪で2週間オフになって。その時にやることがなくて友達に会いにいったら、そいつが頭からはみ出すようなリュックとスケッチブックを持って待ってて。何して遊ぶ?って聞いたらヒッチハイクやってみようって。当時彼は自衛隊やったんですけど、そのまま2週間ヒッチハイクで西日本を回りました。それがすごい楽しくて。当時はお金もなかったのでもう行き当たりばったりで、泊めて下さい、飯食わせて下さいって感じで。

こんなにも知らない生き方があったり、知らない仕事があったり、家族の在り方があったり、それぞれの考え方があって、生き方って違うし、目指すものも違うのに、僕ってずっとサッカーをやってて、それ以外は何も見たことはなかった。知らない世界がすごい楽しくて、もっと人に会わないと自分の人生はすごい狭くなっていくんじゃないのかっていうのを当時はすごい感じて。時間があればいろんな人に会おうと思って。

それからTwitterとInstagramを始めて。とにかく面白い人を探して、会いたいです!お話聞かせて下さい!って。もう好奇心です。それで3カ月で50人ぐらいの人とご飯に行きました。

——その中で印象的だった人はどんな方ですか?

ネパールに連れていってくれた人なんです。僕の一つ上の人です。2015年4月25日にネパールで大きな地震があったんですが、その時に一人で学校で募金活動して瓦礫の撤去をしたりだとか、被災した子供達にサッカーボールを届けてあげたりだという記事がたまたまリツイート機能で回ってきて。必死にTwitterとInstagramで調べてもヒットせず、Facebookで調べたらたまたまヒットして、ネパールまで連れていって下さいと言って一緒に行くっていう。ネパールに行く直前までサッカーは続けていて、親との約束や先生の推薦で入学していたのでサッカーをやめるつもりはなかったんですけど、自然の流れで、俺はこっちやって判断して。

——ネパールで見た最初の景色はどうでしたか?

海外に行ったことがなかったんですけど、先生に聞いていたので憧れみたいなのはあるじゃないですか。もうテレビで見ていた世界だとか写真やSNSの向こう側の世界やっていう感覚で、全てが新鮮で起こる物事全てに喜びを感じるというか。クラクションが鳴り止まない、砂煙がめちゃくちゃ立ってるとか、野良犬が走り回っているとか、そういう景色に、異世界に来た感覚があって。

その後インドとタイの3カ国を放浪するスケジュールだったのですが、ネパールで物乞いをするストリートチルドレンを目の当たりにして。こういう部分は見たくないっていう場面が目に入るじゃないですか。子供がその辺で野垂れ死そうになっているだとか。世界ってもちろん美しい部分もあるけど、そうじゃない部分もたくさんあるんだなと。富士山は美しいけど歩いてみればゴミの山だったりだとか。

そういうところに自分は興味が湧いて。この子たちを無視して次の国でいろんな景色を楽しんで、自分の撮りたい写真を撮ってSNSにあげて、こういう生活をしているんだって伝えるだけでなく、この子一人に対して、ちょっとの時間とお金しかないけどアクションしてみて、本気でこの子に寄り添ったときに将来どっちの方が自分は幸せになるか、人間性を育んでいけるんだろうかっていうのをすごく考えて。それでもうほかの国になんてもう行かない、今この子たちを助けるために何かアクションを、と始めたのが、国際協力を始めたきっかけです。

——最初はどんなことを始めましたか?

2016年の8月に初めてネパールに行ってから彼らにご飯を届けられたのが2019年8月で、3年間は何もできなかったです。最初は何をやっていいか分からないですよね。とりあえずチャリティーのイベントをやってみても誰も来ない(笑)。会場を借り切って、自分でポスター作って、SNSでアップしてもダメで。募金活動をやろうと思って一人でダンボール持って大阪駅や京都駅に立って、「ネパールにはこんな子供達がいます。お願いします」って言っても僕みたいな身なりのやつが一人で立っていても誰もお金なんて入れてくれないわけで。企業にもずっと連絡していたんですけど。それやったらお金になるの?とか言われて追い返されて。

それでもずっと考えながら、自分の通っていた小学校やサッカーチームに行って、サッカーの服とかボールだとか文房具をもらったり、(支援金のために)自分でビジネスを始めてみたり。ちょっとずつ稼げるようになってきても、自分の生活もあったり、航空券を買うと子供たちに何かものを買ってあげるお金がなくて。そういうのをずっと3〜4年間繰り返してました。それでもネパールには半年に一回行き続けて、学校も行って。キャリーバッグ2つに自分のものはほとんど入れずに非常食とか持っていけるものを詰めて。

 

——支援ができたと自分が感じたのはどんな時ですか? 一番支援になるものは何でしょう?

経済面と精神面の2つの軸があるのかなと思っています。ある子は両親はいるんですけど、経済的な理由で一緒に生活できなくて学校にも通っていません。当時、あまりご飯が食べられなくても「俺の人生は幸せだ」って言うんですよ。理由を聞くと、「俊と友達や、日本人の友達がいるって幸せじゃない?」って。よくよく考えたら家族は寄り添えないし、学校に行ってないから友達もいないし。でも僕が友達になったというだけで拠り所が一つできて、幸福感を覚えるというか。高校までは無償で学校に行けるんですけど、制服代や教材が買えなくて順番に通っています。お父さんお母さんがいないからいじめに遭う子もいて。それでも明日も学校が終わったらサッカーができると思ったら学校も頑張れると言ってサッカーボールを持ってくる子もいる。一つやりがいをつくってあげるだけで、エネルギーに変わったりする。

そういった支援や寄り添いはすごい大切だなと思いますけど、生活のためにお金も必要です。彼らが子供らしく生きるために学校に通わせて、遊ばせてあげるには、それなりの経済的豊かさも必要だと感じています。

——自給自足をするための知識や、彼らが一人でも食べていけるようにするというのは支援になりますか?

よく言われますよね。でもなんで子供に働かせるのって話なので。国はこれだけの子供に学校に行かせる、ご飯を食べさせる、生活を保障しますって言っているので、大人がそれを支えるのが仕事の在り方だと僕は思っています。

お金もご飯も余ってるんだから、与えてあげるだけでいいとシンプルに思っていて。ただ、卒業した時に彼等がちゃんと社会に出て働けるように、やっぱり教育をしっかり整えてあげたりだとか、家族を持ったときに栄養とか人との付き合い方を理解できるように。そうやって僕は彼らの生活を支えたいと思っていて、だから自由に遊んでくれていいと思っています。

例えば、両親の経済的な豊かさをつくるための雇用を生んであげることも大切かもしれないです。でも、子供しかいない施設なんで、何か仕事をさせたら児童労働をさせるようなもの。もちろん小さく畑などはしていますけど、別にやりたくなかったらやらなくてもいいと思っています。

——ネパールに限らず、世界各国に貧困問題がありますが、竹中さんが現在着手しているところで言うと、ネパール以外には?

日本でも児童養護施設のお手伝いで定期的にイベントを開催したりだとか。がっつり僕がやってるっていうよりかは、やられている方のサポートになります。

——それを間近で見てきて、どこに問題があると思いますか? 社会のシステムでしょうか?

社会のシステムには間違いなく問題はありますよ。コロナでのことが特に分かりやすかったんですけど、例えば緊急事態宣言が発令された時に、いや待てよ、それで雇用なくなる人、仕事なくなる人いるよね、と。緊急事態宣言で学校を閉鎖して、例えば親から暴力を受けている子供だとか、給食が頼りの子供が世の中にはいっぱいいるわけで、寄り添える学校という場所がなくなって、居たくもない家に閉じこもっていないといけない。給食がないから今日もご飯がない。そういう保証は絶対に社会がしないといけないという意味では、社会のシステムは問題があるとすごく感じます。

企業の在り方や個人単位での意識ももちろん。そういう状況でもしっかり社員を支えるだとかもそうだし、余裕があるならちょっとでもこういう支援をしようと考えられることもあるはず。個人で助けられることもたくさんあるっていうのは、僕自身、個人で活動しているからこそ思う部分ではあるんですけど。

——聴覚障害を持つユーチューバーの兄弟にインタビューをした時に、まだ障害を持つ方々が自由に職業を選べないという事実を知りました。それが見えづらい世界になってるなと感じました。

見えにくいですよね。不思議ですよね。ネパールでもそうなんですけど、もともと観光地にストリートチルドレンの子が一番集まっていたのは、観光客はお金を持ってるし、同情してもらいやすいから。だけど今観光地にいないんですよね。綺麗な街だと思われたいから出ていけって消されていくんですよ。だから日本もそういう感じですよね。より見えにくくされている。綺麗な街とかいい国だと思ってもらいたいからこそ隠しちゃう部分があるんでしょうね。

——ろう学校どこにあるんですか?養護学校どこにあるんですか?と聞かれてもパッと出ないし。昔ニュースで表参道の大きな土地に更生施設を作ろうとしたら住民から反発があったとか。

そんなもんですよ。多くの人がちょっとでも考えられるようになることがやっぱり大切なのかなと思っています。

——持論なんですが、誰かを助けてあげたいとかの意識が強い人は、自身の経験で痛みを感じたことがある人なのかなと思っているのですが、竹中さんはそういった経験はお持ちですか?

僕全くないんですよ。周りには、まさにDVに遭ってたとか、経済的に貧困だったとか、いろんな障害を持っている家族がいる子は多いんですけど、全くないです。

——アメリカの経済学者や社会学者なども資本主義に乗っ取られた世界で倫理観は今重要視されていると言っています。大手の会社もそういうことに力を入れていこうみたいなことを始めていて。だから今そういう活動を始めるにはいい時期だと思うので、これを機にみなさんが何か気づいてもらえたらいいなと思っています。が、果たしてどのように伝えたらいいか、実際に自分ごと化できる環境にないと難しいところもあると思います。

みんなこのコロナで体験してるじゃないですか?経済を止めていろんな問題がそこから生まれてきました。例えば、女性は男性よりも2倍の失業率だったり、シングルマザーが切られる数が多かったり。あれだけジェンダーの差別をなくしていこうと言っている国が、そういうことをやっちゃうと間違いなくダメですよね。自殺する人も女性は1年で1000人増えているとか。中高校生に至っては過去最大になってきているとか、なんかそういうのも含めたら、もうこの世の中でたくさん見えてきていると感じています。それこそ報道しないといけないし、そうして減らせる数だし。

そういうところをしっかり伝えられるように自分はならないといけないなと感じています。

——本当に昔からいろんなメディアで取り上げられてはいると思うんです。でも今の時代は、ただ伝えるだけじゃなくて、竹中さんがやってるように行動するところまで行かないと駄目な気がしていて。伝えるだけでは自分ごと化できてないのもひとつ問題なのかもしれない。

ネパールでの35人のパパや環境活動などたくさんのことに取り組んでいますが、活動はどこに軸を据えているのでしょうか?

ネパールの支援の事業としてはネパールへのツアーを行っているのと、日本の大学生を連れてフィールドワークをするツアーと、大阪でネパール料理屋をやっています。その売り上げを全額寄付していて、社員への給料はなしです。みんな身近に感じられるじゃないですか。美味しいご飯食べにきて、それが支援になって。

大阪で活動したい人が集まるシェアハウスを立ち上げたりというのが主な支援の活動の軸になっています。ほかには、北海道で村づくりをしたり、沖縄で珊瑚礁の養殖をやったりとか。

——珊瑚礁の養殖や生物多様性などの問題はどのように調べていますか?

僕オタクなんですよ。問題を見つけてどういうアクションを自分ができるかを考えるのが大好きで、ずっと勉強しています。Netflixを観たり、大学の教授が書いている論文も読んでいます。SNSの投稿をひとつするにも論文を読むので普段の発信も3〜4時間かかるんです。インフルエンス部分も大切にしないといけないので、キャッチーで、今みんなが興味ある話題をピックアップしないといけないし、今のニュースをどうやって自分らしく、自分の活動と絡めて、論文のデータを使って分かりやすく説明するかをずっと勉強します。大好きなんですよ。これもう大好きなんで。

人の考え方とか心の余裕、余白っていうのをつくってあげるのも活動家の使命だと思っています。心の在り方とか。そういうのを投稿していますね。

——誰かを助けようって思える人を育てるというのはすごく難しいと感じます。

誰かを助けようと思う心は誰もがあると思っています。例えば、問題を生み出しまくっている企業さん、たくさんあるじゃないですか。でも、彼らも会社を大きくすることは、社員の幸せ、その家族の幸せのため。一所懸命頑張り続けた結果、自分の目の前の人たちのためだけに必死になりすぎた故にできた問題だと思っていて。自分の目の前の人を幸せにしようとした一つのかたちが決して悪いわけではなく、でも、立ち止まってちゃんと地球のことやその先まで考えてみる作業が大切なのかなと思っています。

もっと誰かを助けることに欲張りになれば良いのになって思います。みんな国際協力やりたいって言うんですよ。

——どうしてやらないんでしょうか?

できないと思ってるんでしょうね。自分ひとりの力では。でも僕からしたら、誰でもできるんで。

——他の国と比べて、社会問題に対しての意識が日本はかなり低いです。できることからも大事ですが、少し強引に引き入れるというのも大切なんじゃないかと思いますがいかがですか?

個人の自由だと思っていますし、行動をわざわざコントロールする必要もない。気づいた時にやり出したらいいなという感覚です。楽しいと見せられていないのは自分に責任があります。だから、自分がもっと面白くしないといけない。飲食で社会貢献したい人もいれば、海関連でやりたい人もいる。山のこと、動物のこと、ファッションでやりたい人もいるから僕は全部やるんですよ。

そして、お金で動かせるのなら、もっとこの社会活動を稼げるようにしないといけない。海外は社会活動で稼げるんです。アメリカはすごいですよ。企業よりもNPOなどの方がお金を持っています。

 

——ファッションは好きですか?

大好きです。本当にもう今は荷物もないんですけど、元々18〜20歳は毎日違う服が着たくて。古着が好きで古着を毎日着まわしてました。

ファッションが好きな方で環境活動をつきつめていくと、矛盾してしまう部分もでてきます。それを理由に着手できない人もいるんじゃないかなとも思います。

これが何の素材なのか、どこで作られているのかというところまで徹底的にこだわって僕は服を買っていますが、それをみんなやらなくてもいいと思っています。ファッションが好きなのであれば、服ができる過程を知ることは重要だと思います。もっと自分のファッションに自信が持てたり、ファッションを通して、もっと誰かを幸せにできると思っているんで、学ぶことは意味があると考えています。

白いTシャツが2枚あってこっちの方が500円高いけど、素材や作っている人の笑顔の数が全然違うときにどっちを選びますか?多くの人が笑っててくれた方がシンプルにいいですよね。

——そういう知識を得ていく過程で、環境問題に対する知識や行動のグラデーションがあってもいいなと思います。そこで足の引っ張り合いがない方が良いですよね。意識高い系のことやっちゃってと思う人もいれば、やり方が中途半端だという人もいる。それに対してはどう思いますか?

僕もそう言われたことあります。全然環境に配慮してないけど、大好きな後輩が作っている服は僕は全然広告で着るので。だから結局、自分の判断。そこはもう気にもしていないですね。

——オンラインサロンを運営されているとのことですが、男女比率はどのような感じですか?

全国での公演は250日以上になるんですが、8〜9割が女性で、お子さんがおられる方が多いです。男性は僕の年代の方が多いです。

シングルマザーや子供など社会的弱者に関する発信をよくしているので、そこに共感して集まってきてくれる人たちがいます。ミニマリストで物も家も持たないアドレスホッパーでずっと自由に各地を回りながら社会活動をするライフスタイルに憧れて、俺も世界を回りたいとか、自由に生きていたいという年下の男性は多いです。それがすごいきれいにスパッと分かれていて、狙っている部分でもあったんですけど。

最近はECOALF(エコアルフ)さんという企業との取り組みもありました。アサヒビールさんとの取り組みもやってるんですけど、たくさんの男性社員がいらっしゃるのでそういう方々にもアプローチしていきたいです。

——企業との具体的な活動内容とは?

ECOALFさんとアサヒビールさんが共同でビールを造ったりだとか、タンブラーを作ったりしています。深煎りで出さないといけないのに、火が通らなくて浅煎りになってしまった廃棄される豆があって、その欠点豆を回収してビールを造るかとか、捨てるはずの食パンの耳を回収してビールを造るなど、食品ロスなどに対して声を上げるツールとしてビールの生産をはじめ、その現場やSNS発信などのPRに携わらせてもらっています。ビールは男性も好きだし、大きな企業だからこそできる人の動かし方、手にとってもらえる方法を増やしていくという部分では絶対やるべきことなので一緒にやらせてもらっています。

——オンラインサロンの男女比率や入会した目的などを聞いた際に、男女の社会に対する意識が違う理由の一つとして、男性として生まれてくることが社会を生きる上でアドバンテージになっているという社会システムもあると思います。そのアドバンテージをうまく活用できるといいことずくめだと思っています。そういう意味で日本社会の意識改革は必要ですね。少しずつ変化は感じてきていますが。

日本に昔からある文化というか、考え方なのかなと思っています。例えば、子供ができたときに男性でも育休を取れるっていうのは当たり前ですよね。調査だとみんな取りたいんですよ。できるなら子供が生まれたときは妻と子供の支えになりたいけど、やっぱり育休なんかダメだよって会社から言われて結局取れない。本人は寄り添いたいけど、それは男としてどうなんだよっていうような考え方がまだあるんで。それぞれの思いと実際の行動にギャップが生じています。みんなでしっかり声を上げたりだとか、できる範囲でいいから無理せずにやっていかないといけないなと。

いろんな問題がある中で少しずつみんなが生きやすいように考えて、ディスカッションして、声を大にして発信していかないといけない。それが当たり前なんだよと言えるようにしていかないといけない。頑張らないといけないですね。

——お話会の反応はどうですか?サロンの人が多いですか?

サロンメンバー以外の人もいっぱいいますね。よく耳にするのは、そういう話はあまり気にしてないけど、定期的に参加して元気をもらって明日頑張ろうっていう人。初めてそういう話を聞いてはっとされる方も。

結局、こういうことをやれとか、こういう生き方が正解だとかじゃなくて、今日みんなでいろんなことを考えてみようってスタンスなんで。だから響くところは違いますけど、初めて自分のことを肯定できた瞬間になりましたっていうコメントとか、親が外国人の方で、そこに行こうともしたこともないし、考えたこともないけど、ちょっとお母さんの国境を見てみたいと感じたという方もいれば、自分は子供が居るから、私生活からできることから変えていこうと思ったとか、家族に連絡するようになったとか、本当に様々です。

——社会活動の種が蒔かれているようですね。竹中さんも「海外って面白そう」から始まり、いろいろなご縁からそれにつながったように。最初は「ちょっとネパールに行ってみよう」でも良いしってことですね。

そうです。遊びじゃないですけど、そういう(楽しむ)感覚でやってます。僕は。