カルチャーに育まれ、コミュニティーがつなぐ。アーティスト花井祐介の人生波乗り録
来る波(チャンス)は逃さない。
サーファーやヒッピーなどのカウンターカルチャーに魅了されたアーティスト、花井祐介の作品は、アメリカンレトロを感じさせながらも、大胆すぎない、一歩引いたユーモラスな皮肉で、世界を虜にしている。ただ絵を描くことが好きだった花井をアーティストへと導いた出発地点、サーフコミュニティー。カルチャー渦巻くコミュニティーが人をつなぎ、つながる波に導かれるままに、時に社会の荒波すらも乗りこなしてしまう。全てにおいて、彼の“ノリ”の良さはピカイチだろう。
——子供の頃はキン肉マンをよく描いていたとか。趣味から実際に仕事、もしくはプロを目指すきっかけになったストーリーは?
子供の頃から絵が好きだったけど、専門とか美大に進学することもなく、ただプラプラでした。高校の友達がカフェでバイトをしていて、そこのオーナーがサーファーだったので、鎌倉でサーフィンを始めました。18、19歳くらいの時に、そのオーナーが金沢文庫に店を開くとのことで(The Road and the Sky)、幼なじみやサーフィンの後輩に声をかけていたんです。コンクリート斫(はつ)るところから、穴掘って基礎を造って、というところから1年半以上かけて店を作りました。看板を作る際に、「絵をまともに描けるやつは?」と言われ、看板を書くことになりました。店のロゴを考えて、でかい看板に描いて……いざオープンする時には、近所のMacを持っているおじさんのところで教えてもらい、メニューやフライヤー、ポスターも作りました。
——当時のタッチは今までの作品にも反映されていますか?
ないことはないと思います。そのオーナーが60〜70年代のアメリカのロックやその頃の文化が好きで、その雰囲気を出したいとのことでした。その中で、特にリック・グリフィン(Rick Griffin)の絵に惹かれました。グレイトフル・デッド(Grateful Dead)やジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)などのポスターから刺激を受けましたね。
——その後、サンフランシスコのアートスクールに通われていますね?
そのバーで5年間くらい働いて、飲食店も面白いなと思いながらも、デザインやイラストの仕事の方が面白いなと思ってきて。バーで働いて貯めたお金を使って…23歳のときかな、サンフランシスコに行こうと決めました。その前にも、サンフランシスコからメキシコまでバックパッカーをしたり、カリフォルニアの中でもサンフランシスコの文化は好きで、せっかくならサンフランシスコに住んでアートスクールにでも行けたらなって。
——アートやイラストの観点からサンフランシスコを選んだ理由は?
昔からビートニク(1950年代にアメリカで起こったビート運動に関わった人たちの総称)とかヒッピーの文化がすごい好きだったのと、現代アーティストのバリー・マッギー(Barry McGee)もサンフランシスコ出身だったのもあります。LAのカラッと明るい感じよりもサンフランシスコのちょっと霧がかった雰囲気の人たちが作るアートが僕は好きでした。
——ジェフ・マクフェトリッジ(Geoff McFetridge)と共演しているのもインスタで拝見しました。彼は自然への敬意がありますが、サーフカルチャーから影響を受けている花井さんも、自然とのつながりは作品に影響しているのでしょうか?
普段の作品に思いっきり出ることはあまりないかもしれないですけど、PENDLETON(ペンドルトン)とのコラボは、ネイティブアメリカンの神話に出てくる動物を描きました。もう10何年続けて出演しているグリーンルームフェスティバルは、元々はビーチカルチャーからきているイベントなので、そこに出す作品は海の環境をテーマにした作品が多いです。サーファーが始めた海の環境美化団体「サーフライダーファンデーション」は、元々カリフォルニアの団体で、そこにグラフィックを提供して、全ての売り上げを活動基金にしてもらったり。あとはいつもサーフィンに行く時に、海に落ちているプラスチックゴミを集めたり。
——カウンターカルチャーや皮肉を含んだメッセージ性のある作風ですが、当時と今とで、社会に対する思いや気持ちの変化はありますか?
皮肉っぽい性格は変わらないですね。海外に住んだ前後で心境の変化はあります。カルチャーショックで急に変わるんじゃなくて、もっと地味に噛み砕いて徐々に変わっている感じが多いかな。一番考え方で変わったのは、アメリカの貧困層の小学校でのボランティアを10年くらい続けていること。黒人、ヒスパニック、アジア系しかいないところで、音楽とか美術の授業がないんですよ。想像力を育む授業がないのはちょっと悲しすぎる。勉強できなかったらおしまいじゃないですか。そこの先生がシェパ―ド・フェアリー(Shepard Faiey)やレイ・バービー(Ray Barbee)に声をかけて、子供達と演奏をしたり、シェパ―ドが課題を出して作品を作ったり。月替わりで色々なアーティストが放課後に課題を出して、年度末に体育館に張り出して、アーティスト達でトップ3を決めるんです。トップ3はアーティストからプレゼントもらえるんです。去年からジェフも参加しています。企業のスポンサーもついていなくて、先生の熱意だけです。そこに関わっているのは、基本的にサーフィンとかスケートとかパンクとか、そういうカルチャーから出ているアーティストやミュージシャンばかりで、熱意があればちゃんとした教育を受けていなくても、続けていれば何でもできると身をもって示してるというか。
——カルチャーが教える教育っていいですね。学校の教育の中で、特にアートに対する意識は低い気がしています。
高校生の時に美大に行きたい思いはあったんですけど、親にそんなもの仕事があるわけないだろって。今考えたら世の中にデザインする仕事は溢れてて、何でも誰かがデザインしている。そのことを教えてもらわなかったかな。地域にある犬のフン捨てないでという看板にもグラフィックを描く人がいて、デザインする人がいる。今は、僕が子供の頃より選択肢は多くなっていると思いますが。
——アートスクール以降はアーティストとして、一本柱でやってきたのですか?
最初はウェブデザイナーの仕事をしながら、サーフィン仲間やサーフィン雑誌のためのイラストを描いていたんですけど、その後にBEAMS(ビームス)でTシャツのデザインやらせてもらうことがありました。有給を取ってブラジルの展示に行ったこともありました。でも、ウェブデザインの仕事は毎日終電で帰るくらいかなり忙しくて、ちょこちょこイラストの仕事も頂くようになっていたので、いい加減厳しいなと思って、2010年にフリーになりました。今は、イラストの仕事はほとんどしていなくてアート活動がメインです。
——自分の描きたいものと売るもののバランスは難しいところがあります。
これ俺じゃなくてもいいんじゃないかなというものを描いて欲しいという依頼も過去にはありましたけど、今は好きなものを描けてその中からコレクターさんに選んでもらっています。
——VANS(ヴァンズ)やGREGORY(グレゴリー)などともコラボされていますね。どういった過程で進めていったのでしょうか?
VANSにいる友人から話をもらいました。彼とは別ブランドで過去にも仕事をしたことがあったので進めやすかったです。カリフォルニアに行き、次のシーズンのカプセルコレクションの打ち合わせをすることになりました。VANSの50周年のタイミングで、いかにもVANSっぽい要素も入れてほしいと言われ、チェッカーの柄に僕のグラフィックを落とし込んだのと、レジェンドライダーのイラストを描いてTシャツにしました。GREGORYは担当の方からオファーを受けすぐに快諾しました。僕が高校生の頃、GREGORYはあこがれだったので。GREGORYは迷彩のイメージが強かったので、僕のグラフィックで迷彩柄を表現しました。
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——今回は香港のクリエイティブエージェンシー「AllRightsReserved」によるフィギュアができていましたね。
『DOWN BUT NOT OUT』というタイトルで、ボクシング用語で「ダウンしたけど、まだ終わっていない」という意味なんですけど、七転び八起き的な。大変な人生で疲れていても、もう一度上を向いて頑張ろう、という想いを込めて描きました。
——かなりの重厚感ですね。
そうなんです。全て木製です。世界15個限定です。
——アトリエにもフィギュアがたくさん飾られていますね。
コレクターまではいかないですけれど、フィギュアは好きです。特にアメリカの変なキャラクターものを昔からちょこちょこ買ってしまうんです。ティム・バートン(Tim Burton)の『マーズアタック』の宇宙人とか、『かいじゅうたちのいるところ』のキャロルとか。『トムとジェリー』は子供の時大好きだったんですよ。
——今までイラストレーターやアーティストとして仕事を受ける中で、何が大切だと思いますか?
僕は絵がうまいと思っているわけはないんです。サンフランシスコのアートスクールでは基礎だけを学んで卒業もしていません。スキルはあるに越したことないですが、それよりも僕は “人のつながり” が大事だと思っています。飛び抜けた才能があれば、何もしゃべらず何もしなくても仕事は来るかもしれないですが、僕の場合、ただ単にサーフィンの友達のつながりで描いたのが、どんどんつながっていきました。人とのつながりを大事にして、誰かのために描く。何の仕事にしても、誰かが求めているものを考えるだろうし。自分がやりたいことだけやればいいのも違うかもしれない。だから、作品も徐々に変わっている。僕はちょっとずつ変えています。今までの絵だなって思われるものもあれば、こんなのもやるんだって思われるのもあって、徐々に今のかたちになっていると思います。自分のアイコニックな絵をまだずっと探している。人によっては同じ絵を描き続ける人もいますが、僕としては面白くないというか、なんか変えたくなるんですよね。
——絵を描くことが嫌になったり、自分の中で波はありますか?
アーティスト活動で嫌になったことはそんなにないです。何も思い浮かばない時は大変です。そういう時はどうしようもないですよね。物思いにふける。やんなきゃいけないことがあっても、サーフィンしに行っちゃうこともあるので(笑)。でも、そういうのも大事だと思います。湘南エリアは常に波があるわけでもないので、その時を逃さないように。
——逗子エリアに高層ホテルを建てることへの抗議活動に参加されたと聞きました。
オリンピックでこの辺りがセイリングのコースに決まったのですが、近くに大きなホテルを建てるとのことで、いきなり完成予想図が出てきたんです。そうすると、僕らがサーフィンしているポイントが全部なくなるんですよ。学者さんいわく、そこそこ希少な海洋生物もいるらしくて。古いおじさん達はこの地域を活性化させないといけないと言ってかっこ悪いことしようとするんですよね。住民はここの雰囲気が好きで住んでいるのに。みんなで集まって、話し合って、署名を始めたら、鎌倉や逗子が好きな地域外の人達も署名してくれて。署名運動に参加してくれた人達に、僕のイラストが載ったステッカーを渡したり、Tシャツを作ったり。それに賛同してくれたPatagonia(パタゴニア)が200枚くらい無地のTシャツを提供してくれて、それを売って活動費にして。何とか建設は免れました。
——そこにアートが関わったというのが嬉しいです。声を広げるための媒介となった。アートの力ですね。
そうですね。関われて嬉しかったです。そして、サーファー達も。あまりいいイメージを持たれていないサーファーがいい変化をもたらしたいい事例だったので。
——カウンターカルチャー的に、ムーブメントが起きて変化が起きたのは素晴らしいことですね。
大きいことはできていないですけれど。アメリカの小学校のボランティアにしても、何か少しずつ変えられればなと。少しずつタネをまくぐらいのことができればなと。
福島のサーフショップの仲のいい人に、震災後に何度かサーフィンに連れていってもらったんですが、途中にプレハブが小学校の校庭に建ってたんです。聞いたら、子供がいなくなっちゃったから、そこに集めて授業受けているんだ、って。1〜2時間かけてバスに乗って通ってるのを聞いて悲しくなっちゃって……。なんかできないかなと考えていたら、たまたまそのサーフショップに教育委員会の人がいて、一緒にやりましょうよ、って。子供達にワークショップをここ4年くらいやっています。何かを変えられるとかはあれですけど、アートを通じてメッセージを届けられるんだよっていうのが子供達に届けられれば。
《MEET Yusuke Hanai PROJECT》
『DOWN BUT NOT OUT /ダウン・バット・ノット・アウト』
ウッドスカルプチャー(ハンドペイント)エディション15
発売⽇:8⽉10⽇(日)
発売サイト: https://ddtstore.com/
問い合わせ:DDT Store (service@ddtstore.com)
ウッドボトル(シリアル番号⼊り)200個限定
価格:32,000円(税抜) / USD $300
発売⽇:8⽉10⽇(日)
発売サイト: https://ddtstore.com/
問い合わせ:DDT Store (service@ddtstore.com)
【AllRightsReserved】
AllRightsReserved (以下ARR)は2003年に設⽴された⾹港を拠点としたクリエイティブスタジオであり、⻑年KAWSを⽀えてきたパートナーでもある。2018年7⽉、KAWS:HOLIDAYと題し、韓国・ソウルの⽯村(ソクチョン)湖にてKAWS史上最も⼤きな試みとなった⽔に浮かぶ全⻑28メートルのCOMPANIONを企画プロデュース。ソウルの展⽰後、KAWS:HOLIDAY は台北中正紀念堂(2019年1⽉)と⾹港ビクトリアハーバー(2019年3⽉)に旅に出た。2018年5⽉にはKAWSの野外常設ブロンズ彫像「SEEING/WATCHING」を中国の⻑沙IFSコンプレックスグランドオ-プンを記念して製作。
また、KAWS作品のエキジビション「KAWS:BFF (2016年)」「KAWS:CLEAN SLATE(2015年)」「KAWS:Passing Through(2010年)」も開催している。2018年には⾹港で開催されたシャネルの展覧会「マドモアゼルプリヴェ」に参加型アートインスタレーションとして、「Camellia Light」を製作。2017年にはモンクレールとタッグを組んで、⾹港の街中に1万個もの「Mr. Moncler(約19インチほどの⼩さなブランドアンバサダーフィギュア)」を配置するというアートパフォーマンスも敢⾏。イギリスの有名アーティスト、ローレンス・アージェントを迎え、パンダ保護のための注意喚起の⽬的で世界で最も⼤きなパンダアートチャリティープロジェクト「I AM HERE」を開催。2014年、成都IFSのグランドオープンを記念し製作された同作品は、全⻑15メートル、重さ13トンという前例を⾒ない巨⼤なジャイアントパンダのインスタレーションが登場し、アートと商業⾦融施設を融合させる意味で重要なランドマークになりました。
2013年⾹港のビクトリア湾沿いにあるマーキーモールハーバーシティで初となるパブリックアート、オランダのアーティスト、フロレンティン・ホフマンによる「ラバーダックプロジェクト-⾹港の旅」を製作しました。国内外のメディアや観光客を魅了し、SNSなどで⼤きな話題を呼んだ。
- Photography: Yuya Shimahara
- Interview: Yuki Uenaka