CHANELのコードと人のつながりの物語
シルヴィ・ルガストゥロワ氏にインタビュー
CHANEL(シャネル)は一度でもフェミニズム、フェミニニティをうたっただろうか。常にしたたかに女性の新境地を切り拓きながらも、男性への敬意ものぞかせる。ジェンダーに限らず、多様な視点という意味で、CHANELのユニバーサルで包括的なコードと言語は、先見性と言うのもおこがましい、時代を置き去りにしてしまうほど普遍的で美しく、つとめて自然に人類を魅了する。メゾンを唯一無双たらしめる理由である。
CHANELのパッケージ・グラフィックデザイン制作責任者のシルヴィ・ルガストゥロワ氏(Sylvie Legastelois)は、メゾンの革新を支える立役者の一人である。40年メゾンと共に歩み、近年ではフレグランス「ガブリエル シャネル」や「トランテアン ル ルージュ」などの名品を世に送り出している。今回、「トランテアン ル ルージュ」の新作のために来日したルガストゥロワ氏が、シンプルのなかに翠を集めた完璧なオブジェの背景にある、CHANELのコードと人のつながりの物語を語ってくれた。
——早速ですが、「トランテアン ル ルージュ」のパッケージ制作の過程についてお聞かせください。
今回CHANELでは、私達が今まで作ってきたリップの中で一番プレミアムなものを作ろうと考えました。宝石のように貴重なものというイメージです。貴重なだけでなく、環境にも優しく、CHANELのコードに沿った作品で前進すること、これはガブリエル・シャネル(Gabrielle Chanel)の精神に則ったものです。
原点にあるものは、CHANELのフレグランスです。メイクアップでは珍しいガラス素材を使用しています。ガラスの透明感に魅力を感じました。また、新たにシルバーのメタルを使いました。着想源はCHANELのアパルトマンにある鏡張りの螺旋階段で、まさにガラスとシルバーがうまくマッチしています。私達にとっても伝説的な螺旋階段なのですが、ガブリエル本人が住んでいたアパルトマンが上にあり、そこにつながる階段です。ここに座るのが好きだったんです。なんのために座るかというと、クチュールのショーでモデル達が階段を降りていくのを上から見ていたんです。でもその姿は誰の目にも見えない。鏡越しに、洋服や、お客様達の反応を上からじっと見つめていたというエピソードがあります。鏡はメイクには付きものですよね。女性も男性も、美しさをつくるために鏡はマストアイテムです。なのでガラスは私達にとって、とても大事なんです。
新しいリップと言っても、パッケージやゴールド、ブラック、ホワイトといったところで、同じファミリーに見えると思います。ケースは宝石箱のようで、フレグランスの「シャネル N°5」のコードを踏襲しています。こちらもリップとフレグランスのスプレーの結びつきを感じられると思います。
CHANELのパッケージには一貫性があります。今までと違う素材を使用したリップですが、少し曲線を描いています。スクエアは「ガルデ」と言うのですが、少し丸みを帯びたスクエアとして共通しています。CHANELのメイクアップは、全く四角ではなく、ガルデという曲線を描いています。ずっと同じコードです。
——ガラス素材を使用するにあたり、困難な点はありましたか?
ガラス素材をリップスティックというとても小さいサイズに落とし込むことは非常に大きな挑戦でした。大きいものなら簡単なのですが、これだけの小ささで、ガラスの本当に精密なサイズ感を出すことは、技術が高くないとできません。この金属加工をしてくださったサプライヤーは「ルージュ アリュール」の頃からパートナーなのですが、日本のサプライヤーなんです。ガラスも日本のサプライヤーが制作しております。私達の誇りです。まるでダイヤモンドセッティングくらいの精密さです。このゴールドのメタルリングをガラスにはめ込むセッティングで、完成させるのに4年くらいかかりました。一度でできるものではないんです。いろんな試行錯誤があり、間違いを犯すことだってあります。最初のトライアルではかなり分厚かったです。
CHANELのリップと言うと、ゴールドとブラックですよね。最初は、当然の如くゴールドを使ってトライしてみたら、やはりシルバーや鏡の螺旋階段の雰囲気とずいぶんかけ離れていました。また、ゴールドにするとガラスから透けて見えるメタルの存在感が大きすぎると感じて、このトライアルは残念ながら失敗だと思いました。私達の「ココ クラッシュ」というリングは、ゴールドとシルバーを2つ重ね合わせていて、20年前だったらそんなに大胆なことはしなかったかもしれません。ですが、合わせることに私達はもう躊躇しなくなっています。だからこそ、今回の「トランテアン ル ルージュ」でも、ゴールドのリングと、シルバーのリフィルを合わせました。マグネットが仕込んであるので使い心地もとても快適です。
本体とリフィル(お好みの色)を付けたコフレの提案もしています。コフレには革製の小さなポーチも付属し、色も選んでいただけます。私達は “エココンセプション” と呼びますが、サプライヤーの方にちょっとした挑戦をお願いしました。これまでプラスチックで組み立てられていたものをエココンセプションに則って、プラスチックパーツを全てメタルに変えて欲しいとリクエストしました。難しいと言われたのですが、私達はそれに固執しました。これは金属オンリーなので、金属をプラスチックのパーツに分けて分別する必要がないのです。単一素材ということが大切なんです。使い終わったらリサイクルに出していただけます。
また、CHANELにとってこのクリック音がとても大事なので、音にもこだわりました。目に見えないものではあるのですが、こだわりがあるんです。「レ ゼクスクルジフ ドゥ シャネル」や「ブルー ドゥ シャネル」も、キャップのマグネットはCHANELのアイテムのシグニチャーみたいなものです。違う音でも、音がしないのもダメなんです。そして、間違った方向ではなく、必ず同じ方向にオリエンテーションされるようにマグネットの位置にもこだわっています。
©CHANEL
——Parfait(パーフェクト)。
パーフェクトにしようとトライしています。
——長年CHANELにいらっしゃって、一番印象に残っている、または難しかったパッケージはなんですか?
技術的に一番難易度が高かったのは、「ガブリエル シャネル」のボトルです。ガラスの層がとても薄いです。
——持った時、すごく軽く感じました。
これ以上軽くすることができないほど、軽量化を図りました。ガブリエル シャネルを作る際、巷でラグジュアリーはガラスの量をたっぷり使ってデコラティブに、プラスの考えが主流だったんです。しかし、私の野心は別のところにありました。プラスではなくマイナスの発想で軽いものにしました。ラグジュアリーに、とても繊細で。クリスタルガラスはとても薄い成形が可能なのですが、まるでクリスタルグラスのようです。日本のガラス製品のように、透けて見えるような薄さを追求しました。素材をふんだんに使わなくても、貴重感のあるオブジェを作り出せる証明ができたのが「ガブリエル シャネル」だと思います。挑戦でしたね。トライアルも多く重ねました。
——こちらも日本の工場で?
これはフランスです。環境に配慮し、地元でサプライヤーを見つけることも、我々のエココンセプションの一環にあります。今回の「トランテアン ル ルージュ」の日本のガラスメーカーの方々は、ミニチュアサイズのガラス容器を作ることにノウハウを持っている方だったんです。なので、日本という遠い距離の場所では、あえて重いものではなくて、小さいサイズを量産してもらうことを心がけました。ローンチして1年が経ちますが、日本のガラスサプライヤー以外に、世界中どこを探してもこれを作れるサプライヤーはいません。
——日本がそこまで特化しているのはなぜだと思いますか?
日本には伝統的な工芸品という歴史があります。工場でも企業でも、人間の手によるもの、ということを大切にするスピリットが受け継がれているように私は感じています。工場の量産の自動化はフランスの方が進んでいて、日本は完璧に自動化せず、人間が介入して、人間とマシーンの共生が多くあると感じています。日本のガラスのサプライヤーの方々は、みなさんチャレンジが大好きなんです。難しいことを言うほどやる気が出る。しかも、CHANELが大好き!(笑)私が「この形はできますか? これプラスチックですけど、これをガラスにできますか?」と言うと、「この挑戦、受けて立ちます』ですって(笑)。
私達は新しいものをつくるとき、チャレンジするとき、一番専門技術を有している人達に声をかけます。これをつくったとき、私達のフランスのパートナーやサプライヤーは非常に苛立っていました(笑)。日本のサプライヤーか、と。みんな非常に悔しがっています。
——この過程を見せていただいた時に、少し細くしたり、プリセットも斜めにしたりと、一貫してさりげない捻り、繊細さが窺えます。その繊細さは、CHANELのコードとフェミニニティを結びつけるものなのでしょうか?
はい、であり、いいえです。ガブリエル・シャネルは、ちょっと不思議な人で、もちろん女性のための作品をつくっているのですが、男性からインスピレーションを受けてつくっている人なんです。「N°5」もそうです。最初に出来た「シャネル N°5 パルファム」は、ウイスキーボトルと見まがうような、男性性を帯びたボトルなんです。当時、周りのブランドはすごく複雑なフォルムをつくり出していて、こんなにシンプルなスクエアのフォルムをつくり出したことはかなり革新的でした。その頃、ジャージーやツイードなどの素材を使用し、それらはほとんど男性のワードローブに使われていた素材でした。なぜCHANELがそれを選んだかと言うと、それまで女性はコルセットのような素材で縛られている時代だったので、女性も自由に動けるということが大切だという願いのもとに取り入れたのです。
——一般的にCHANELには女性的なイメージが多いと思います。今話をうかがって、女性だけのものというレッテルも貼っていないし、非常にニュートラルだと思いました。だからCHANELは男性も魅了しているんですね。
「N°5」を男性が身にまとうこともありますし、「ブルー ドゥ シャネル」はメンズラインとして出したフレグランスですが、女性がまとうこともあります。私はこれをユニバーサルと思っています。CHANELのジャケットを男性が身に着けることもあるんです。CHANELのツイードジャケットを着たいという男友達もたくさんいます。
——CHANELのリップが持つ力はなんだと思いますか?
2つあります。リップはとてもシンプルなオブジェですよね。最初にジャケットには手が届かなくても、リップからスタートできると思います。そのCHANELのリップを手にした時点で、憧れのCHANELというメゾンの一部になったような気分を味わわせてもらえる、そういう力があると思います。とてもシンプルなオブジェだからこそ、私達はそこに真心や技術を込めて、みなさまに届けたいという思いがあります。ノーメイクでもいい方、あるいはあるときノーメイクでしか出かけられなくても、このルージュを纏うだけで、少し自信がつき、美しくなったような気持ちにさせるパワーをCHANELのリップは与えてくれるんじゃないかなと思います。ガブリエル・シャネルが「悲しいときには、ルージュをまとって挑みなさい」と言っていました。そういうパワーをもらえるものじゃないかと思います。時々つけるものではなくて、日常的なものですよね。ガブリエル・シャネルが最初のハンドバッグを作った時に、内側にリップスティックがちょうど収まるような小さいポケットをつけていたとも言われています。旅は道連れではないですが、いつも一緒にいるのがリップスティックだと思います。
——“メゾンやスタイル、コードの前では常に謙虚であり、デザイナーがCHANELをつくるのではなく、CHANELが我々をつくる” という言葉に感銘を受けました。現在のファッションはデザイナーに焦点がいく時代で、デザイナーとブランドのバランスがすごく難しいと思います。そのあたりのバランスはどのようにとっていますか?
たくさんの謙虚さが必要だと思います。クリエイターとはいえ、ちっぽけな存在だと思っています。自分の存在を消すことができるのは、クリエイターの技術だと思います。なので、「これは私がつくったリップ」ではなくて、「これはCHANELのリップなんだ」という気持ちで常にいます。ガブリエル・シャネルが立ち上げたブランド=メゾンですよ。歴史あるCHANELを偉大なメゾンだと私自身感じているので、私達はメゾンをサポートするというイメージです。何か新しいものをつくるときでも、それが永遠にこのメゾンを大きく、成長させていくものだと思っているので、私がいなくなっても、このメゾンは存在し続けるだろうし、私達が歴史のある一時期に作った製品は、メゾンを豊かにしていくものだと、メゾンありきだと考えています。
——SNSやデジタルの台頭が個人にフォーカスした時代を作り出しました。この時代に、このような話を聞けて良かったです。
ありがとうございます。この9月で私はCHANELでのキャリア40周年を迎えます。40年もCHANELの一線にいられたのは、その謙虚さがあったからこそなのではないかと思います。次のプロダクトをデザインすることになったら、また最初の1日のような初心を忘れずに臨みたいと思っています。
©CHANEL
トランテアン ル ルージュ
カンボン通り31番地の伝説的螺旋階段に張り巡らされた鏡をイメージしたスクエアケースに、ルミナス マット フィニッシュの12のシェードが新たに加わる。1階の輝くコスチューム ブレスレットに着想したルージュ アクセソワール(23)、アパルトマンに香るジャスミンの香りをイメージしたルージュ N°5(18)に、最上階のアトリエにある糸巻きや針刺しなど、CHANELのクチュールクリエイションを支える夢の道具を色彩へと変換したルージュ クチュリエール(15)など、知性と自由を想わせる、12の品格レッド。
価格:¥25,300、¥11,550(リフィル)
発売日:9月13日(金)
©CHANEL
ガブリエル シャネル
創業者の名を冠した、情熱に満ちた自由な精神をもつ女性を体現した香り。ガルデ(丸みを帯びたスクエア)のゴールドのボトルは力強さと繊細さを共存させる。エキゾチックなジャスミン、フルーティなイランイラン、弾けるオレンジ ブロッサム、なめらかなチュベローズの4種の花々をブレンドしたフローラルフレッシュな香り。
価格:¥23,100(100ml)、¥16,500(50ml)
発売日:8月2日(金)
※全て税込価格
- PHOTOGRAPHY: KAORI NISHIDA
- WORDS: YUKI UENAKA