空前のファッションウィーク:歴史的シーズンをひもとく。
近年随一の盛り上がりを見せた今回のファッションシーズン。クリエイティブのトップ人材の歴史的再編により、ランウェイは話題のデザイナーデビュー尽くしとなった。筆者の知る限り、これらデザイナーの大半は、注目の話題コレクションを指揮するクリエイティブディレクターまたは巨大メゾンのリーダー職に既に就いていた。そんな面々が軒並み、これまでとは異なるメゾンで、異なる「コード」を使い、我々の生活をガラッと変える可能性を手にしていた。
結果、本当に我々の生活は変わったのか?
「大変革」「地殻変動」といった言葉が飛び交い、誰もがそれだけの出来事が起こるのだと信じていた。ようやくラグジュアリーファッション界に語るべき話題が生まれ、話題を糧とする編集者や批評家、コメンテーター達はこの機会を逃さなかった。だが、あまりに多くの変化が一度に押し寄せた。DIOR(ディオール)、BALENCIAGA(バレンシアガ)、GUCCI(グッチ)、JIL SANDER(ジル・サンダー)、LOEWE(ロエベ)、TOM FORD(トム・フォード)、Maison Margiela(メゾン・マルジェラ)、VERSACE(ヴェルサーチェ)、CELINE(セリーヌ)——。熱狂的に報道は繰り返されたが、その熱量と現実との間には大きな隔たりがあった。それも当然のことだ。
1シーズンで全てが見えるわけではない。最初のコレクションはあくまで宣言であり、舞台を整えるためのものだ。次に何を見せるのか、今回のコレクションの売れ行きはどうなるのか、どのように展開されていくのか、デムナ(Demna)がケリング傘下のGUCCIを立て直せるのか——そんな声があちこちから聞こえてくる。気づけば、話題の中心は服そのものではなくビジネスになっている。
この傾向は非常に示唆的だ。コレクションの価値やデザイナーの力量をめぐる議論が、ほぼ例外なく市場の話にすり替わってしまう。ほかのカルチャー批評には見られない現象だ。映画の話なら俳優の演技について、音楽の話なら曲について語るのが普通だろう。もちろん映画批評家が興行収入について触れたり、音楽批評家がストリーミング数やチケット売上を引き合いに出することはある。だがそれを作品の分析手段として用いることはない。コンセプトが優れていても商業的に失敗するショーやコレクションはある。では、それは成功と呼ぶべきか、失敗と呼ぶべきか。
答えは当然、両方だ。創造性と経済性の両面で健全に機能するファッション生態系を、私達は望んでいる。華やかで美しい服が並び、それを大きなスター達が身にまとう——そんな立派なブティックを求めているのだろう。そう、確かにそうだ。けれど実際のところ、人々が本当に求めているのは「合意」なのかもしれない。誰もが納得できる美学のムーブメントを生み出すデザイナー。その存在こそが望まれている。それは文化を変え、莫大な経済的成功をもたらす。ちょうどBALENCIAGAの黄金期にデムナがそうしたように。成功を見極め、その瞬間に立ち会い、次に何が起こるのかを待ち望む。その満足感を、私達は求めているのだ。
勝者を応援し敗者を嘲笑する点でファッションはスポーツに似ている。お気に入りのチームや選手を応援し、シーズン優勝を願う。一部の層がマイケル・ライダー(Michael Rider)のCELINE移籍を喜んだ感情にも、ジャイアンツが新クォーターバックを獲得したときの感情と通じるものがある。ついに我々の時代が来たといった感覚だ。
おそらくは、我々が望む変化がそもそもファッションとは全く無関係なのだろう。業界の巨人達に、自分達の変化への願望を投影している——そんな印象を受けた。ホワイトハウスに座る人物には不満があっても、少なくとも「CHANEL(シャネル)のトップが誰か」についてなら、意見が一致できる。そんなものなのかもしれない。
筆者は、服を心から愛する者として意見を述べている。もしかしたら、自分のこの愛は、ファッションの動向について強い意見を持つ人々の多くよりもずっと深いかもしれない。VERSACEやJIL SANDER、CHANELなど、華々しいデビューを飾ったブランドの中には、素晴らしいショーもいくつかあったと思う。けれど、巨大な惑星達が再び軌道に戻り、舞い上がった塵が静かに落ち着いた今、はっきりと見えてきたのは——結局のところ、どれも大したことではなかったということだ。それは虚無ではない。ただ単に、ファッションが私達の生活を本質的に変える力を、今最も失っているということ。そしてそれは自由を意味する現象であり、好意的に受け止めて良い。
この10年でファッションが急速に大衆文化の中で語られるようになっていった結果、意外にもより良い服が作られるようになった。必ずしも全ての服が良くなっているわけではないが、美しく人道的に作られた服へのアクセスは過去最高に向上している。良い服パラダイムが確立、実証されてきた。新しいパンツを買う筆者の様子をリアルタイム視聴するウォッチパーティーは残念ながら存在しないが、筆者自身としては自らのことを、良い服を愛し、見識があり、意図的にものを選んでいると思っている。そしてそんな自らの価値観が、パリのランウェイには反映されていないと感じている。筆者と同じ思いの人は多いだろう。
そのため、史上最も話題を集めたファッションウィークが開催され過ぎ去っても、何も変わらなかったことに驚きはない。勝者と敗者の物語がこれからどう展開するのかを見るのは確かに刺激的だが、企業主導のラグジュアリーファッションが結局のところゲームに過ぎないと気づくことの方が、ずっとスリリングだ。自分のパンツを買いに出かける。それこそ現実の暮らしだ。
- Words: Noah Johnson
- Translation: Ayaka Kadotani
- Thumbnail Photography: © ADRIEN DIRAND / DIOR Spring Summer 2026