47丁目略史:ニューヨーク市ダイヤモンド・ディストリクト

マンハッタンの5番街と6番街の間、47丁目にダイヤモンド・ディストリクトと呼ばれる、都市の中のまたひとつの都市のような地区がある。入り組んだ超高層ビル、厳格な時計修理工房に挟まれたこの場所に潜む事務所や隠し部屋、金庫で、最も強い信頼を寄せられた管理人による監視が行き届いているのは、世界で最も値のつく腕時計や宝石の数々があるから。ネオンに照らされた外では売り子の怒号が飛び交い、希少な品々に触れ、吟味するよう客に促す。建物の中は、固い握手と、何百枚ものくしゃくしゃになったドル札が取り交わされる商売一色の世界だ。
未体験の方にはこう伝えておこう。47丁目はスリルに満ちた場所だ。腕時計の世界を超えて47丁目を有名にした2019年公開の映画『アンカット・ダイヤモンド』(出演者であるジュリア・フォックス(Julia Fox)のクセの強い “アンカット・ダイヤモンド” の発音がミームになってネット上に多数上がっているが、その元の作品だ)に描かれたシーンは現実に忠実と言えるだろう。しかし、状況は変わりつつある。デジタル店頭が実店舗を凌駕しつつある。ソーシャルメディアにより、時計を売買する層に対する固定観念が覆され、若い層が時を刻む聖杯たる高級腕時計への渇望を抱くようになり、新世代の売り手も出現している。代々受け継がれてきた家業としての時計商を主体とし、信頼を何よりの通貨とし続けてきたこの場所で今、新参者とレガシーセラーの間の緊張感が高まっている。それがまた訪れるものにとってはたまらないスリルとなっている。
一旦歴史を遡ろう。ダイヤモンド・ディストリクトは18世紀後半、ウォール街に近いメイデン・レーンの一画で誕生した。それから100年、ニューヨークのダイヤモンド取引は飛躍的に発展し、商人らは街頭で宝石を大量に売り歩くようになった。ダイヤモンド商が増え続けた1920年代、それまでニューヨークのごく普通の街区であった47丁目が、新たな取引場所として機能するようになった。
さらなる原点には、何世紀にもわたりユダヤ人がダイヤモンド取引に従事していたヨーロッパの歴史がある。「ダイヤモンドは持ち運びが可能であったため、ユダヤ人は流刑や離散を繰り返しながらも、ダイヤモンド取引に従事することができた」と、アメリカの社会学者マレーリン・シュナイダー(Mareleyn Schneiderin)による、ルネ・ローズ・シールド教授(Renée Rose Shield)の著書「Diamond Stories: Enduring Change on 47th Street」の書評にも書かれている。第二次世界大戦の脅威により、多くの熟練ダイヤモンド・トレーダーが米国に渡った。
ダイヤモンドの需要は膨れた。腕時計の文字盤にもダイヤモンドが使われるようになると今度は腕時計も石そのものと同じく憧れの的となった。こうして元は卸売りが中心であった宝石取引が小売り優先のビジネスモデルへと発展し、卸売業者は世界知名度を誇る宝飾系の巨大複合企業に販売をするようになった。「この独自の取引所は小売の中心地となり、あらゆる豪華な装飾品がここから羽ばたいていくようになった」と、21世紀のダイヤモンド産業と民族貿易事例を研究するデューク大学のバラク・D・リッチマン法学教授(Barak D. Richman)。「47丁目は常に世界貿易の中心地の写し鏡であり続けてきた。ロンドン、アムステルダム、アントワープ、そして20世紀初頭にはニューヨークが貿易の要となった。80年代後半の47番街では、90%ほどがユダヤ人であった」

主に宝石が取引されていたダイヤモンド・ディストリクトで、高級腕時計の委託販売が行われるようになったのは1980年代後半のことだった。「47丁目で腕時計はずっと売られてはいたが、人気がなかったので、ディーラーが少なかった」と業界の重鎮ジョン・バックリー(John Buckley)は言う。ブルックリン生まれのバックリーは、25年以上の高級品取引実績を持ち、地元では自他共に「門番」で通っている。「元は1つしかなかった腕時計のウィンドウ(取扱店舗)が今では何千にも増えた」。最初の店は「セミオン・ブロンシュタインという店だった。96年にルネッサンス(という別の店)ができた時には、他に腕時計を置いていた店は3店舗ほどしかなかった」とバックリー。そこから需要が爆発的に伸びたということだ。「消費者側の需要が街を動かす。街の意向が消費動向を左右しているのではない」
ダイヤモンド・ディストリクトの「商業活動と機運を高める」ことを目的に1997年に結成された組織、ダイヤモンド・ディストリクト・パートナーシップによると、現在47丁目には2,600以上の事業者が肩を並べ、そこで33,000人が働き、1日平均4億ドルの取引が行われているという。
時計製造の中心地はジュネーブであり続けるであろうが、47丁目は時計業界において、希少なRolex(ロレックス)、ニッチなPatek Philippe(パテック フィリップ)、Audemars Piguet(オーデマ ピゲ)を探すならこの場所というポジションを確立している。なかなかお目にかかれない高級腕時計と、その豊かさを凌ぐほどに豊かな知識を持った商人達がひしめく場所だ。


47丁目の高級腕時計販売の新たな先駆者的人物として、タイラー・ミコルスキー(Tyler Mikorski)がいる。ビジネス名はヴーカム(Vookum)。お酒の入ったときに考え出したが、グーグル検索でのヒット件数がゼロであったことから使うようになった名前だという。高校卒業後18歳で腕時計販売店に勤め始めたというミコルスキーとバックリーと電話をしていると、2人に促されてもう1人別の人物の声が聞こえてきた。ジョンの息子でミコルスキーの学友でもあるジェームズ・バックリー(James Buckley)だった。たわごとは言わず、テンポが早く、自信に溢れている。まるで47丁目のすさまじいエネルギーが電話回線を通って伝わってくるかのようだ。「タイラーとは小学2年で知り合った。便所の扉を開けたらタイラーがちょうど排便中。気まずく顔を見合わせた。それ以来、友達になった。俺とタイラー、親父の3人のうち、親父が対応するのは教育に関心の高い中高年の熱心な(卸売の)お客、タイラーはハスラーに憧れる10代からの若者担当、自分は独自の認証サービスの運営担当だ」
47丁目において家族の絆は重要だ。「セキュリティの懸念と、業界の人間絡みのことがあるので」と、大学卒業後に親族経営に加わり、後に「Ellie M Fine Jewelry」を設立したエリー・メンデルゾーン(Ellie Mendelsohn)は語る。「セキュリティはこういう業界ではとても大事。高価な商品を誰彼構わず任せたりしないほうが良い。でも家族なら普通信用できるでしょう。47丁目にいるのは、ほとんどが他の国から昔アメリカに渡ってきた人達。そういう文化では家族はとても重要だと思う。47丁目で(祖父、父から続く)3代目として、私は誰でも彼でも雇うということはしない」

こうした安全対策は、新たな売り手のみならず買い手にとっても障壁となり得る。知らない人間は痛い目に遭う。「47丁目に行く人のほとんどは、適正価格の見当がまったくついていない」とバックリー。「うちは卸しだから、タイラーや47丁目のほとんどの業者とは価格設定が全然違う。売った相手がそれをまたどこかに売るという前提を破るなら、その時計を買い戻すようにしてる」
ここで絡んでくるのがソーシャルメディアだ。#WatchTok投稿者からYouTubeやInstagramに至るまで、様々なコンテンツ・クリエイターの流入が新たな波を起こしている。リーム・ザ・ドリーム(Reem the Dreem)ことリーム・ソルタン(Reem Soltan)は、9万人以上のTikTokフォロワー向けに47丁目の様子を発信している。「APジャンボのクロージング」から「本日のお買い得品」まで多岐に渡るショート動画で、商品の原価、交渉エチケット、10セントで手に入るお買い得品、偽物対策などを彼女は紹介している。もっと広く見渡してみてもやはり、ソーシャルメディアはこのきらびやかな47丁目の堂々たる姿をより広く伝える力を発揮している。「TikTok世代は他のどの世代よりも影響を受けていると思う」と、こちらもベンダーのジュリア・アゼル(Julia Azer)は語る。「大学生は今、5年後に初めての高級腕時計を買うための貯金をしている」
「ソーシャルメディアで見慣れたクリエーターには親近感が湧くんだよ」と、毎朝出勤前に1時間アプリを見ているというバックリーは言う。「時計について知ることのできる場所がフォーラム以外になかった90年代から@TuscanyRoseとしてInstagram(およびインターネット)に投稿してきた。最近では『Rolexは一生買わないけれど、時計の仕事について知るのはすごく面白い』みたいなコメントがあったりする」


こうしたことが、47丁目の腕時計売買コミュニティ拡大につながった。「コレクター側だけでなく、時計製造分野も驚異的に成長、多様化している」と話すのはニューヨーク時計協会の副理事、カロリーナ・ナヴァロ。「何十年もの間、時計コレクターと言えば裕福な年配の白人男性が定番で、HSNYの月例講演会の出席者もそうした面々だった。今こうして若いコレクターや女性コレクター、あらゆる人種や民族の愛好家が出てきているのは新鮮」
わずか2年前に路上販売を始めたアゼルを例に挙げよう。「47丁目には女性はとても少なく、女性が販売の最前線に立つことはほとんどない。私は、女性への販売を行い、女性が時計を身近に感じられるようにするプラットフォームを作ろうとしている」と彼女は言う。「47丁目の女性として生きるには、生活を賭けて闘志を燃やしていなければならない。競争は激しい」
家族の絆、信頼、組織的知識が非常に重視される47丁目のようなコミュニティにおいて、変化は当然緊張をもたらす。縄張り意識があることはもちろんのこと、古参の一部からは、新集団にはバイヤー教育に必要な素養がないのではないかという懸念の声が上がっている。しかし、オンラインショッピングやクチュールブティックなど、腕時計コレクションを超富裕層だけのものにしてしまう邪悪な勢力から47丁目を守るという点においては、新旧の売り手の意向が合致する。「私達はお店にはない商品をたくさん入手している」とリームは言う。「蚤の市のようなもので、お金さえきちんと出せば何でも手に入る。触れて、確かめてから購入できる」

家族の絆、信頼、組織的知識が非常に重視される47丁目のようなコミュニティにおいて、変化は当然緊張をもたらす。縄張り意識があることはもちろんのこと、古参の一部からは、新集団にはバイヤー教育に必要な素養がないのではないかという懸念の声が上がっている。しかし、オンラインショッピングやクチュールブティックなど、腕時計コレクションを超富裕層だけのものにしてしまう邪悪な勢力から47丁目を守るという点においては、新旧の売り手の意向が合致する。「私達はお店にはない商品をたくさん入手している」とリームは言う。「蚤の市のようなもので、お金さえきちんと出せば何でも手に入る。触れて、確かめてから購入できる」
時計仕掛けのカーニバル集団とも言うべき47丁目は、時計産業を取り巻く文化存続の最後の希望なのかもしれない。掘り出し物を手に入れるには強気で行く必要があるが、その価値は十分にある。
- TRANSLATION: Ayaka Kadotani
- WORDS: Scarlett Baker