ストリートウェアにまつわるホモフォビア問題
ホモエロティックアート作品で知られたアーティスト、故トム・オブ・フィンランド(Tom of Finland)を讃え、トムのインタビューの抜粋と、財団所有の関連ビジュアルをInstagramに掲載したところ、投稿から3日で32,308人のフォロワーを失った。ファッションや文化全般に多大な影響を与えてきたアーティストをファッションメディアが讃えるとは、という趣旨のものを中心に、「フォローを外す。嫌悪感を覚える」「淫らだ。フォロワーをやめる」といったものを含め、合わせて3,500件のコメントが書き込まれた。
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少し前に、80年代のパフォーマンスアーティストでナイトライフのアイコンでもあるリー・バワリー(Leigh Bowery)に捧げられたSummer 2020 Supremeも同様の反応を受けている。「HYPEBEAST(ハイプビースト)」の読者からは「(ジェームズ・)ジェビアは、エイズ感染のアーティストがお好みの様子」というコメントが寄せられた。トランススケーターのシェール・ストロベリー(Cher Strauberry)も、スピットファイヤーウィールの映像に出演した後、殺人の脅迫を40件受けたと、2020年11月「Thrasher Magazine(スラッシャー マガジン)」に対し語っている。2021年6月に「Complex(コンプレックス)」のInstagramにリル・ヨッティー(Lil Yachty)とタイラー・ザ・クリエイター(Tyler, the Creator)の金髪のウィッグ姿が投稿されたときも、「Gay and gayer(ゲイとさらにゲイな奴)」というコメントがあった。
上に挙げたのはごくごく最近の例で、こうした事柄は以前から定期的に起きている。多くのストリートウェア愛好家の間で、ゲイであることやゲイの格好をすること、LGBTQI+に関与することを、受け入れられないとする感情が高まっているのだ。ストリートウェアカルチャーの美学やジェンダー規範に反する行為は激しい攻撃に遭う。ストリートウェアとポップカルチャーは現在かつてないほどに結びつきを強めているにもかかわらず、両者は完全にかけ離れている、と感じずにはいられない。しかしなぜストリートウェアの世界は、主流の文化、特に、より広範なファッション業界とこれほど対照的なのか?
ストレートに言えば、ストリートウェアにホモフォビア(同性愛嫌悪)の問題があるから、ということになる。
ストリートウェアのトランプ化
LAのブランド「The Hundreds(ザ・ハンドレッズ)」のボビー・ハンドレッド(Bobby Hundreds)が2019年出版の『This Is Not a T-Shirt』の中で書いている通り、かつてストリートウェアはその「ライフスタイルに賛同する」文化やコミュニティによって支えられたアンダーグラウンドなものであった。ファンはブランドに対して所有意識を持っており、そこは初期のスケーター、サーファー、グラフィティアーティスト、パンク、ヒップホップアーティストなど、カウンターカルチャーのフリンジ集団の拠り所だった。プロダクトを身に着けるほとんどの人物がストリートシーンに貢献し、本物のストリートクレッドを得て同志のコミュニティに属すという構造を取っていた。しかしその考え方はもう完全に風化している印象だ。
「ストリートウェアは小コミュニティだと思われがちだが、実際にはとっくにそうではなくなっている」と、「Supreme(シュプリーム)」でキャリアをスタートさせた後「NOAH(ノア)」を設立し、最近では「J.Crew(J.クルー)」のクリエイティブを統括しているブレンドン・バベンジン(Brendon Babenzien)は言う。「ストリートウェアという言葉はかつて特定のスタイルや文化を定義するものだったが、今のストリートウェアはもう共通の観念を持つ仲間の小規模コミュニティではなく、世界のものになっている。でもストリートウェアの文化はあいにく同性愛嫌悪的な文化で、それがしばしば露呈する」
サブカルチャーとしてのストリートウェアが定着した今では、誰でも彼でも、そしてその母親までもがパーカーを着ている。かつてはバラバラだったコミュニティが突然強引に一つになったように思われるかもしれないが、多くのサブカルチャーはあるものでつながっている。
「それぞれのサブカルチャーに固有の信念、規範、習慣、伝統、属性があるが、その間には、ハイパーマスキュリニティ(過剰な男らしさ)など、共通の特徴や共通言語がある」と、『Free Stylin’: How Hip Hop Changed the Fashion Industry』の著者で、NYのFITで開催される展覧会「50 Years of Hip-Hop」のキュレーターを務める文化史家エレナ・ロメロ(Elena Romero)は言う。
主流派ではない数多くのサブカルチャーはアグレッシブな男らしさというものを中核的アイデンティティとし、それによって互いに結びついている。一方もう少し広範な文化では、アグレッシブな男らしさは理想とされていない。そのため両者は真っ向から対立している。シス(ジェンダー)の白人男性が支配してきたストリートウェア業界では、ハイファッションへの参入に伴い、ここ10年LGBTQI+のデザイナーが増え、かつてない混乱が起きている。リカルド・ティッシ(Riccardo Tisci)は、2011年秋冬の「GIVENCHY(ジバンシィ)」でロットワイラーのTシャツ、続いて2013年にNike AF1との初の限定コラボを発表し、ストリートウェアの人口動態を変えた。キム・ジョーンズは、2000年代初頭に「Umbro(アンブロ)」のクリエイティブディレクターを務めた後、「DIOR(ディオール)」MENで「Stüssy(ステューシー)」とコラボレーションするなど、ストリートとラグジュアリーを融合させた先駆者の一人だ。クイアの要素が強いシェイン・オリバー(Shayne Oliver)のブランド「Hood By Air(フッドバイエアー)」は、アンダーグラウンドから生まれたストリートウェアの新時代を象徴していた。ヒップホップのセレブリティが性的流動性と関わるようになったことも、ストリートウェアの常識を覆すものであった。2014年のフランク・オーシャン(Frank Ocean)のブログでのカミングアウト、ファレル(Pharrell Williams)とカニエ(Kanye West)のピンクの服装、2013年のイージーによる「GIVENCHY BY RICCARDO TISCI(ジバンシィ・バイ・リカルド・ティッシ)」のキルト着用なども、いずれも「非伝統的な男性らしさ」の象徴だ。
「ストリートウェアという言葉はかつて、特定のスタイルや文化を定義するものだったが、今のストリートウェアはもう共通の観念を持つ仲間の小規模コミュニティではなく、世界のものになっている。でもストリートウェアの文化はあいにく同性愛嫌悪的な文化で、それがしばしば露呈する」
– ブレンドン・バベンジン
ストリートウェアに多様性が持ち込まれることに対する否定派の多くは、ストリートウェアが以前から性の流動性と関係してきた点に気付いていない。人気商品の中にも、オルタナティブな意見や文化に直結したものが存在するし、事実上ストリートウェアの文化は完全にパンセクシャル(全性愛)文化となっている。
にもかかわらずストリートウェアコミュニティにおいてホモフォビア(同性愛嫌悪)がこれほど露骨に表出するのは、ストリートウェアが、ホモフォビアの考えを隠さない文化に影響されてきたものであるためだ。「ハイパーマスキュリニティには、個人のプライド、エゴ、自慢がつきもの」とロメロは言う。「身体能力、戦闘能力、経済力、性的能力、クールさ、スキル、はたまたゲームの中でセクシーな女性や乗り物を手に入れる能力まで、あらゆるものが顕示される。そんな中で若者文化やファッションは異性愛の規範をひとつのレンズのようにして、それを通して自分自身を見つめ、売り込んでいる」
ストリートウェアファンの中には、ストリートウェアが閉鎖的なコミュニティに戻り、神聖で、特別な、そして何より自分たちだけのものとなることを強く望む層が存在する。ストリートウェアのトランプ化現象だ。「他の人はハイファッションを着ていればいい。ストリートウェアは我々のものだ」と叫ぶよかのように。
ラグジュアリー業界は昔からクイアのクリエーターによって牽引されてきたこともあり、変化に対してよりオープンな傾向がある。トレンドに乗りやすいのだ。そのため、ラグジュアリー、ストリートウェア、ヒップホップが大きく融合するようになったここ10年、互いの価値観がシームレスに取り交わされることを我々としては予期した。しかしそのようには実際ならなかった。なぜなのか。
「ゲイ・カルチャーは、現代のファッションを生み出す上で中心的な役割を果たしてきたが、ストリートウェアにおいて、ゲイの貢献度は、比べ物にならないほど低い。ファッションは文化を反映する。ストリートウェアの初期のファッションデザイナーは、作為的にとは言わないが異性愛者の男性が中心になっていた。徐々に変わってはいくだろうが、すぐに劇的な変化が起こるとは思えない」とロメロは言う。
「議論こそなされてはいないが、若い男性達が世の中の流れに疎外感を覚えているという問題もある。自分のアイデンティティやコミュニケーション方法が見つけられないために、不健全なアイデンティティを通して自己表現をしている」
– ソフィア・プランテラ(Sofia Prantera)
「議論こそなされてはいないが、若い男性達が世の中の流れに疎外感を覚えているという問題もある。自分のアイデンティティやコミュニケーション方法が見つけられないために、不健全なアイデンティティを通して自己表現をしている」と語るのは90年代にヨーロッパ初のスケートショップとして誕生したロンドンの「Sram City Skates(スラムシティスケーツ)」での仕事を経てストリートウェアブランドの「Silas(サイラス)」を立ち上げた後、現在「Aries(アリーズ)」を率いるソフィア・プランテラだ。「若い男性が自分に当てはまるレーベルがないと感じているのは危険。自分の集団を識別する方法として偏狭な考えに惹かれる若者が育ってしまう」
ストリートウェアがジェンダー的に開かれていくことに対する怒りの声は、古き良き時代に戻りたいと願う筋金入りギャングのみから上がっているのではない。ではこの有毒勢力の正体は一体何なのか?ストリートウェアの真の価値と魂について何を知っている存在なのか?かつてアウトサイダーコミュニティのゆりかごとなっていたストリートウェアの文化としては、憎しみの波を抑えるために何をすべきなのか?
ブランドの役割
サーフィン&スケートブランド、「Gnarhunters(ナーハンターズ)」を率いるエリッサ・スティーマー(Elissa Steamer)は、90年代後半、女性としてプロスケーターとなった先駆者だ(後にトニー・ホークのスケートボードゲームソフト「プロスケーター」シリーズでその名を知られることになった)。圧倒的にストレートの男性が多い業界にクイアの女性として飛び込み、当時から多くの変化を目の当たりにしてきた彼女は、「あの頃は女性がスケートボードをしているというだけで、車の窓から軽蔑的なことを言われたり、車を停めて喧嘩を売られたりした」とフロリダでのデビュー時代を回想する。
今のスケートボード業界は、完璧とまではいかないものの、かなりインクルーシブになってきている。スティーマーの経験上、LGBTQ+コミュニティに対して言葉のバトルを繰り広げているのは真のスケートコミュニティではないという。「スケートボードに、憎しみや、何かを排除しようとするような考えは通用しない。だから私達を非難する層は居場所を失う。今は軽蔑的な発言をすることが咎められる時代だから」
「Stüssy tribe(ステューシートライブ)」、「adidas(アディダス)」、「Converse(コンバース)」のクリエイティブディレクターとして知られるポール・ミトルマン(Paul Mittleman)が育ったのは、エイズに対する行動を喚起するポスターでいっぱいだった1980年代のニューヨークだ。そこから受けた影響について「初期のStüssyの取引先となったのはパトリシア・フィールド(Patricia Field)。拠り所のない者の集まる場所だった。クイア、クラブ、グラフィティ、ストリートの文化が肩を並べ、まさにNYのありとあらゆるものが渾然一体となっていた」と語る。
しかしそうした初期の行動主義はもはやはるか昔の一コマでしかなくなっており、そのような同盟関係は今日では失われている。より大勢がストリートウェアに目を向けるようになったことで、実際にどれだけのものが壊れているかが明らかになったという次第だ。ストリートウェアは自己発信型の独自コミュニティの上に形成されたアウトサイダーのための共同安全空間であったにもかかわらず、そこでは常にシスの白人ストレート男性に偏った、他を排除する姿勢が貫かれてきた。
「ホモフォビア(同性愛嫌悪)は常に続いてきた」とバベンジンは言う。「(文化的な)できごとをきっかけに、そのテーマが論じられるようになってきたというだけのことであって、同性愛嫌悪自体は全く新しいことではない」
「若い男性が自分に当てはまるレーベルがないと感じているのは危険。自分の集団を識別する方法として偏狭な考えに惹かれる若者が育ってしまう」
「ファッションブランドやアーティストに、平等に関するメッセージを発信する役割があるかどうかという問いであれば、ある、が答えだ」と彼は続ける。「でもそれは、自分達をストリートウェアだと思っているブランドの枠組みを超えたもっと大きな問題だと思う。ホモフォビア的な行動は、人類全体の核心にある。自分とは異なる人のことも自分と同等と見なせるようになるための大規模な行動変革には時間がかかる」
ソフィア・プランテラは、ストリートウェアブランドは業界の問題に取り組むべく、役割を担うべきだと述べている。「ブランドは自分自身に忠実でなければならない。そうでなければ全てを受け入れるだけの誰のものでも何でもないものになってしまう。多くの人に影響を与えるのはとても難しいけれど少数の人に影響を与えるのはとても容易。そこはブランドとしてとても重要。影響力を与えられることによって事態を変えることができるわけだから」
良い行いをするとはどういうことか?
より効果的に静かに変化を起こすには、自ら模範を示すことが必要だろう。
例えばヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)は、ブランドの構成要素としてクイアの人材を起用することでオーディエンスを惹きつけている。彼が手がけた2度目の「LOUIS VUITTON(ルイ・ヴィトン)」のショーでは「GHE20G0TH1K」の経験者イアン・イザイア(Ian Isiah)がデヴ・ハインズ(Dev Hynes)と一緒に歌い、直近のプレゼンテーションでは「Hood by Air(フッドバイエアー)」の卒業生であるTosh Basc(元Boychild)やトランスモデルで詩人のカイ・イサイア・ジャマル(Kai Isaiah Jamal)の協力者、トランスのディレクターでアーティストのウー・ツァン(Wu Tsang)が監督を務めた圧巻の映像を発表した。カイ・イサイア・ジャマルは小誌に対し「表現はもっと包括的でなければならない。目に見える形での世界への発信内容は少しずつ進歩しているが、必要なのはそこに自分自身を反映することだ」と述べている人物だ。単にスニーカーにレインボーマークを入れて売り捌くことよりも、そういうことがはるかに影響を与える。現代の一流ハイプボーイブランドである「Balenciaga(バレンシアガ)」が今月開催したショーでは、ランウェイプレゼンテーションの最後に、クイアのカルト的名作と、史上屈指のドラッグクイーンへのオマージュが披露された。
コミュニティの他の分野でも少しずつ変化が起きている。「There Skateboards」は、完全にクイアなスケートボードチーム、企業としての最初の例だろう。トランス主導のスケートブランド「GLUE」には、Gucci Festでも紹介されたSupreme勤務のシェール・ストロベリーらが参画している。同じくGLUEのレオ・ベイカーも、女性で固めたNikeのスケート動画GIZMOに、新たな風を吹かせるエリッサ・ストリーマー(Elissa Streamer)と出演している。また、SupremeがLGBTQI+の文化やアンドレス・セラーノ(Andreas Serrano)、リー・バウリー(Leigh Bowery)、ナン・ゴールディン(Nan Goldin)などのアーティストを一貫して紹介していることも、売れ行きがどうであるかとは別の次元で賞賛に値する。
当然今後もまだまだ取り組みがなされる必要がある。良い行いをするというのは、単にモデルや社内デザイナーにLGBTQI+人材を起用するということではない。LGBTQI+文化やコミュニティに実際に生き、形の上だけでない、生きた経験を供与することのできる人物を取り込むことが求められる。また、若者が購入しやすい価格帯のブランドのアンバサダーも不可欠だ。小誌だけでなく、Thrasher Magazine、Hypebeast、Complexなどのメディアが、クイアのアーティストやコミュニティリーダー、業界の有力者を、ストレートのアーティストと同じように尊重し、熱心に紹介することも必要と言える。
そして何より、ストリートウェアにおいて、反人種主義や反女性嫌悪と同じくらいの熱さをもった反ホモフォビアの取り組みがなされることが必要だ。それは、我々全員が取り組むことで確実に可能となる。ストリートウェアのコミュニティの誰もが、文化を愛する気持ちで結ばれ、全員が人間としての基本的尊厳をもって扱われるようになる必要がある。その考え方に適応しなければ、ストリートウェアファンは社会とはかけ離れたアイデンティティを主張する偏った少数派という損な立場となるだろう。ブランド、ファン、そして出版社など我々全員が「ストリートウェアは全員のもの」という基本を再教育する必要がある。レインボーのすべての色から。まあそういうことだ。
- Words: Tiffany Godoy
- Translation: Ayaka Kadotani