キム・ジョーンズ新時代
“脱ストリートウェア”へ
KIM JONES
キム·ジョーンズ(Kim Jones)は現在、世界で最も先進的なデザイナーの一人として注目を集めている。Louis Vuitton(ルイ・ヴィトン)時代は、カジュアルなスポーツウェアとハイエンドなファッションを融合させたことでその名を馳せた。彼が最近、Dior(ディオール)のアーティスティック ディレクターに就任した事実は“ストリートウェア”という言葉を脱却すべき時代の到来を感じさせる。
優れたブランドはいずれも創立者の恩恵が陰に潜んでいる。パリのギャルド・レピュブリケーヌ(フランス共和国親衛隊)の騎兵舎で行われたDIOR MEN’Sの2019年サマーコレクションのショーは、創立者の存在感を浮き彫りにした。新たにメンズ アーティスティック ディレクターに就任したキム・ジョーンズは、KAWS(カウズ)のアーティスト名で知られるブライアン・ドネリーを起用し、ファーストシーズンにストリートアートの要素を取り入れた。このショーでKAWSは、高さ10メートルにも及ぶ花の“BFF”などを手がけた。
鮮やかなピンクとくっきりとした白と黒の花、合計70,000本で作られたこのオブジェは、フワフワの毛やボタンでできた鼻、XX印の瞳が特徴的な4本指のマペットキャラクター“BFF”で表現されたムッシュ ディオールである。オブジェの片手に握られていたのは、1952年に発表された限定版の香水“ミス ディオール”をイメージし、ムッシュの愛犬ボビーを象った香水瓶だ。そんな偉大なるデザイナーと香水瓶にインスピレーションを得て、ジョーンズはこれからDiorで新たな時代を築こうとしている。
1979年にロンドンで生まれたジョーンズは、幼い頃から絶えずさまざまな土地に移り住んできた。水理地質学者だった父親の転勤で、間に何度かロンドンでの暮らしを挟みつつ、一家全員でタンザニアやケニア、エクアドル、アマゾンといった遠い地を転々としてきた。今でもアフリカはジョーンズにとって第二の故郷だという。最初に好きになった服も、ボツワナで見たライオンの写真がプリントされたTシャツだった。
14歳頃の彼は父親の足跡を辿り、動物学か生物保護の道に進もうと考えていた。しかし青年期になり、姉がたくさん持っていたファッション誌を夢中で読みふけるうちに、カルチャーとクリエイティビティが交錯する分野に進みたいと思うようになった。コレクター気質が出てきたのもこの頃だった。若き日のジョーンズはLevi’s®(リーバイス®)のヴィンテージデニムを集めたり、ロンドンの活気あるサブカルチャーシーンにつかり、ヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)などのデザイナーの存在を知っていく。現在のジョーンズのコレクションには、ヴィヴィアン・ウエストウッドやレイチェル・オーバーン(Rachel Auburn)、スティーブン・リナール(Stephen Linard)といったデザイナーとブランドを含む、80年代ロンドンのクラブウェアからモダンクラシックまでを網羅した、目を見張るアーカイブとなっている。2016年の『Designboom』のインタビュー内でジョーンズは、ISSEY MIYAKE(イッセイ ミヤケ)、Jean Paul-Gaultier(ジャンポール・ゴルチエ)、Christopher Nemeth(クリストファー・ネメス)の服に加え、500足を超えるスニーカーを所有していると語っている。そしてその多くがNIKEのAir Huarache(エア ハラチ)やAir Jordan(エア ジョーダン)だという。
かつて自分たちの好きな服を探しあぐねていたジョーンズと友人たちは、マルコム・ マクラーレン(Malcolm McLaren)やヴィヴィアン・ウエストウッドが牽引していたパンクムーブメントの流れに乗り、DIY的アプローチによる服作りを始めた。そのデザインをロンドンの名門アートスクール「セントラル・セント・マーチンズ(Central Saint Martins)」のファッションコースディレクターであった故ルイーズ・ウィルソン(Louise Wilson)に見せ、見事ジョーンズは同校で学ぶ機会を得る。そして同じ頃、ジョーンズはInternational Stüssy Tribeの初期メンバーで、ストリートウェアブランドのディストリビューター、Gimme Five(ギミーファイブ)の創立者でもあるマイケル・コペルマン(Michael Kopelman)からファッション業界での初仕事のオファーを受けた。当初の仕事には、ロンドンのファッションシーンを牽引していたショップへ向けて送るため、Supreme(シュプリーム)や他のブランドの商品が入った箱を開けるという作業もあった。コペルマンとフレイザー・クック(Fraser Cooke)が手がけ、時代を先行していたブティック『ザ・ハイドアウト(The Hideout)』もそのうちの一つだった。フレイザー・クックは現在、NIKEで最も注目されるコラボレーションを監修したり、UNDERCOVER(アンダーカバー)の高橋盾やジョーンズ自身といった最先端を行くデザイナーたちをNIKEへと送り込んだりしている。
しかしジョーンズは、2002年に発表した卒業コレクションですでに旋風を巻き起こしていた。同コレクションがデザイナーのジョン・ガリアーノ(John Galliano)の目に留まり、ガリアーノがその半分を買い上げたというのは有名な話である。その1年後、ジョーンズはeBayでVivienne Westwoodのプレミア付きパラシュートシャツを売った資金を元手に、ロンドン・ファッション・ウィークでデビューを果たした。当時からジョーンズは、90 年代のユースカルチャーやレイヴフェスティバルからインスピレーションを探り、スポーツウェアとサブカルチャーの融合に関心があった。こうした影響は、クロップドのペルーヴィアンストライプのボンバージャケットやグラデーション染めしたデニム、そしてトライバルモチーフプリントの襟付きボンバーなどのアイテムに表れた。そして彼のDIY的デザイン嗜好は、パステルピンクと濃い紫のコントラストを効かせたバイカラーやパッチワークのパンツ、異素材を組み合わせたサルエルのナイロントラックパンツとナイキ ターミネーター ハイを合わせたスタイリングなどに見られた。
こうして当時のストリートウェアのトレンドを、ランウェイに登場するような服へと落とし込むスタイルコードを確立したジョーンズの手腕は、UNIQLO(ユニクロ)やHUGO BOSS(ヒューゴ・ボス)、Topshop(トップショップ)、Umbro(アンブロ)といったブランドから注目されることとなった。Umbroとは2007年までの数シーズンにわたり、カプセルコレクションを発表。また、Supremeとも2005年にフットボールジャージーでコラボレーションを行った。そして2008年には、イギリスの老舗テイラーであるDunhill(ダンヒル)のクリエイティブ・ディレクターへ任命され、ボタンの代わりにジッパーを使用したり、控えめなコーチジャケットを贅沢な生地でアレンジした。また他にもスポーティなコートを日本の着物風に作り変えたりと、世俗的でカジュアルな世界観によって、この歴史ある英国ブランドを活気付けた。こうして3年のキャリアを積んだ後、ジョーンズはとうとうLouis Vuittonへその活躍の場を移す。
広くはそのアクセサリーがステータスの象徴として知られてきたLouis Vuittonを、メンズウェアシーンにおいて強力なブランドへと押し上げたことが、ジョーンズの7年間の功績の最たるものだ。多様なスタイルを持ち合わせるジョーンズのデザインコードは、ジェット機で各地を回る、いわゆるジェットセッターたちの間ですでに定評のあった、同ブランドとよく馴染んだ。2014-15年秋冬コレクションでは、Patagonia(パタゴニア)の定番であるフリース素材に高級ブランドらしいハードウェアを合わせた上質なフリースのシリーズを発表した。そして2015-16年秋冬には、1986年にロンドンから東京へと移り住み、2010年に51歳で逝去した、ジョーンズのお気に入りデザイナー、クリストファー・ネメス(Christopher Nemeth)の作品を蘇らせた。ネメスのシグネチャーであるアーティスティックなプリントを使い、ファンならずとも欲しいと思わせるようなアイテムを作り上げた。またそれは、ネメスがキャリアの後期に生み出したサヴィル・ロウとストリートのシルエットをミックスさせたスタイルに敬意を示し、ネメスの灯火を受け継いだようだ。
Supremeとのコラボレーションを果たし、もはや歴史的となった2017-18年秋冬シーズン以上にジョーンズの凄さを物語るコレクションはないだろう。これをストリートウェアの死の予兆と見る声もあったし、確かに両ブランドは相対するものかもしれない。だが実際は、世界中から渇望されながら、その驚愕の価格からも、ごく限られた幸運な人しか手にすることのできないプロダクトを作るという両ブランドの共通意思が辿った自然な道だった。
「服は全て街で着るものなのだから、全部がストリートウェアだ。クチュールのドレスだって、街中で着ればストリートウェアになる」
「ストリートウェアという言葉には飽きてるんだ」と、ディオール メンズ 2019 サマー コレクションのバックステージで語ったジョーンズ。これからランウェイ上を歩き、世界に向けてお披露目されるコレクションのルックを最終確認しながらジョーンズが口にした言葉だ。「服は全て街で着るものなのだから、全部がストリートウェアだ。クチュールのドレスだって、街中で着ればストリートウェアになる」
実際“ストリートウェア”という言葉は使われすぎているのかもしれない。ジョーンズが例に挙げるのは、彼がモダンファッションにおいて好きだというデザイナー、UNDERCOVERの高橋盾だ。高橋のクリエイションには、パンクの要素を含んだ破壊と再構築によって生まれる服と、破壊的なグラフィックに傾倒したアイテムとの間を縫うようなアプローチがよく見られる。2019年春夏コレクション期間中、高橋は自身初のメンズウェアコレクションショーを開催した。そこにはジョーンズの姿もあった。二人は共通の憧憬を分かち合う友人同士だ。
「盾の仕事は間違いなくファッションだよ。ストリートウェアという区分に入れるのは間違っていると思う。彼が手がけているのは純粋に良いデザインということに尽きる。もう時代は2018年なんだ。みんなが何を着ているのか、もっと現実的にならないとね」とジョーンズは話す。
Diorでのジョーンズは、コマーシャル面に対する現実的なアプローチを取ると同時に、ファーストシーズンとなったコレクションにおいて、新たな世界観も確立しようとした。まず彼は、Dior Homme(ディオール オム)というブランド名をよりシンプルなDiorへと変えた。歴代のアーティスティック ディレクターであるエディ・スリマン(Hedi Slimane)とクリス・ヴァン・アッシュ(Kris Van Assche)は、Dior Hommeといえば、どこかゴシック的でエッジのきいた、ダークな服というレガシーを残した。一方でジョーンズは、ファーストコレクションにおいて、クリスチャン・ディオール(Christian Dior)氏の持つ自然や草花への愛、Diorのウィメンズウェアとメンズウェアという2つの世界を合わせたいという願望を着想源としながら、先代によって敷かれてきたルールを書き換えた。
「これまで関わってきたブランドごとに、違ったコードやDNAを使うようにしているんだ。Diorは本来、テーラリングブランドだから、シックである必要がある」ジョーンズの言う“テーラリング”とは当然、伝統的な仕立てという範疇に全く留まらない。ジョーンズのデビューコレクションには高級な素材や技術がふんだんに使われたが、それはボンバージャケットやトップコート、Tシャツといったクラシックなスポーツウェアを、より職人的な、そして若干女性らしい装いへと昇華させるためであった。Dior Hommeのロゴも昔のデザインである、全て大文字表記の“DIOR”に変更された。ウィメンズウェアと同じロゴを採用することで、ジョーンズのメンズラインと、マリア・グラツィア・キウリ(Maria Grazia Chiuri)の手がけるウィメンズコレクションとのつながりをより強固なものとした。
「Diorにはどこか実利主義的なところがある。少しロマンチックだけれど、とてもスポーティな雰囲気も纏っている」とジョーンズは話す。
同コレクションでは、アーカイブにあったスーツのシルエットをダブルジャケットとボリューム感のあるトラウザーに採用し、一着はクリスチャン・ディオールが幼少期に過ごした家からイメージされた淡いピンク、もう一着は黄色で仕上げられた。この色と金の斑点をあしらった他のアイテムは、かつてクリスチャン・ディオールのことを「“dieu”(フランス語で“神”の意)と “or”(フランス語で“金”の意)を合わせた魔法の名前を持つ当代きっての天才だ」と述べたフランスの詩人ジャン・コクトーへの茶目っ気あるオマージュだ。
多用されたモチーフの一つが、1977年にヴィクトル・グランピエール(Victor Grandpierre)によって、Diorオリジナルブティックのためにデザインされたトワル・ド・ジュイだ。ショーツやシアートップス、KAWSがデザインした“BEE”(ミツバチ)の刺繍付きボンバージャケットにレイヤーとして使われたテクニカルなオーガンジー素材に、刺繍やジャカードとして度々登場した。これはジョーンズが同コレクションにおいて再解釈したDiorが持つコードの一つにすぎないが、彼が発表してきた過去のコレクション同様、高額なものとなるだろう。
Diorがラグジュアリーの王道を行くブランドならば、ジョーンズはまさにファッションの王道を行くデザイナーだ。しかし両者にとって、ラグジュアリーとファッションが意味するところは、2年前と比べて変わってきている。ドレスコードが廃れ、カジュアルウェアが台頭してきた現代、プロダクトに取り付けられる値札は、長年にわたり良質な商品を作り続けてきた事実に直結することもあれば、圧倒的な“ハイプ”により作り出された需要で決定されることもある。最新コレクションに多数登場したスニーカーも、KAWSがアレンジした“BEE”の刺繍付きデニムのトラックジャケットも、今ではファッションやラグジュアリーという柔軟な用語で包括できる。
「Diorにはどこか実利主義的なところがある。少しロマンチックだけれど、とてもスポーティな雰囲気も纏っている」
DiorのCEOであるピエトロ・ベッカーリ(Pietro Beccari)は6月に行われたフランスの新聞『Le Figaro』の取材に対し「インターネットやインスタグラムのある現代、ブランドが愛されるにはプロダクトのみならず、その背景となる文化やノウハウが重要だ。Diorは求められている魅力的なストーリーを多く持っている」と述べている。
ジョーンズが LVMH の稼ぎ頭を担っていることは自然なことだろう。アメリカの新聞『The New York Times』が2017年に報じたところによると、Diorは LVMH グループの資本金の41%、議決権の56.8%を掌握しているという。ベッカーリも現代の装いに対して「スポーツウェアを魅力的で優雅、唯一無二なクチュールのように、なおかつ高価に打ち出すことは可能だ。気持ちに訴えるしかるべきものがあれば、顧客は喜んで対価を支払う」と、ジョーンズと同じく現実主義的な見解を述べている。
ジョーンズはデザイナーとして、新しいものを欲する人間の脳の最も原始的な部分に働きかけつつ、ファッションブランドの既存スタイルコードを巧みに生かす実行力を擁している。もしストリートウェアがこれまでとは異なり、巨大なハイファッションの上に築かれた、よりアクセスしやすい存在となるための一種のムーブメントであるならば、由緒あるDiorのようなブランドに、品質での妥協や価格の心配をすることなくストリートウェアのエネルギーを持ち込む力がジョーンズにはある。これはジョーンズの友人らをDiorへ連れてくることも可能にした。ストリートウェアとは元々、それが産業として確立する以前は、同じ思いを持ったクリエイティブな人たちのコミュニティだったのだ。
ジョーンズは言う。「働くなら自分が好きな人と一緒がいい。マシュー・ウィリアムズ(Matthew Williams)にバックルのデザインを頼んだのは大好きなブランドのデザイナーだからだ。それからYOON(ユーン)とも仕事をしているし、KAWSには“BEE”のデザインを依頼した」
KAWSとはかなり前からお互いの存在を意識していた。二人とも、人気を博したNIKEとのコラボレーションを実現した逸材でもある。二人は、ジョーンズがDiorに指名される以前からの知り合いだった。そこで、デビューショーのステートメント作りにあたり、真っ先にジョーンズの頭に浮かんだのがKAWSだった。
「KAWSとはずっと前から一緒に仕事がしたかった。彼の作品が大好きだから、Diorでの初仕事で一緒にやれるのは嬉しいことだ。僕にとっては、これからの世代においてKAWSは世界で一番重要なアーティストだ」
KAWSはショーのために、ムッシュ ディオールのオブジェ(Diorのショールームにも小さいものが置かれている)を作る前、自身も知らなかったというBaby Diorの洋服を身に纏った“BFF”のぬいぐるみもデザインした。その結果、ショーに至るまでの数日、ジョーンズのインスタグラムには、エイサップ・ロッキー(A$AP Rocky)、ケイト・モス(Kate Moss)、さらにはLouis Vuittonのメンズ・アーティスティック・ディレクターに新たに就任したヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)などのセレブリティが、2体のぬいぐるみを手にポーズを取る写真が投稿された。
KAWSは当初、オブジェの制作をためらったと漏らす。アートの世界はファッションの世界よりもずっとゆったりとした時間軸で動いているため、Diorというブランドがあれほどの巨大なショーをものの数カ月で完成させてしまうことに驚嘆したという。“BEE”のモチーフに加え、Diorのロゴも独自のスタイルに作り変えた。また、AMBUSH®(アンブッシュ)のデザイナー、YOONが指揮を執るジュエリーコレクションにもKAWSのさまざまな作品が登場している。
YOONのアプローチによって誕生したジュエリーでは、KAWSの“BEE”とムッシュ ディオールの“BFF”がスタッズ入りのペンダントやハイエンドなキーチェーンに登場した。太い虹色で描かれた“DIOR”の文字モチーフリング、サイケデリックな色合いで絞り染めされた愛犬ボニーの高級キーチェーンなど、色彩溢れるジョーンズのコレクションへさらに花を添えた。ウィメンズウェアの要素を取り入れたいというジョーンズの願いにより、今シーズンのメンズコレクションでは初めて、Diorの伝統的なバッグである「サドル」バッグが、ソフトレザーのサイドバッグ、ポーチ、バックパックなどのエレガントなラゲージアイテムの形で登場した。
「ストリートウェアという言葉には飽きてるんだ」
新しいバッグやベルトの数々、そしてベースボールキャップにまでもチャンキーで取り外しが簡単なCOBRA バックル、“ローラーコースターベルト”がシグネチャーである、新生1019 ALYX 9SMのマシュー・ウィリアムズがデザインしたカスタムバックルをフィーチャーしている。
「キムとは昔から友達で、自分のブランドを立ち上げるときに本当にいろいろ教えてもらったし、背中を押してもらったんだ」とウィリアムズは言う。
初シーズンを終えたウィリアムズがプレゼントした1019 ALYX 9SMのカスタムバックル付きバックパックは、ジョーンズの大のお気に入りとなっている。ウィリアムズは自身の根底にある実利主義的アプローチと、Diorの高級なブランディングを組み合わせたバックルを数種類デザインした。クリスチャン・ディオールの“C”と“D”のイニシャルをあしらったインターロッキングバックルがその例だろう。ロンドングライムシーンのアーティスト、スケプタはこのバックルがフィーチャーされたベースボールキャップを着用してショーに来場した。
「いくつもあるバックルのデザインを2カ月くらいで仕上げるよう言われたんだ。でもキムのためだから、やりきったよ」とウィリアムズは話す。
ジョーンズはおそらく街中で着られる物全てをストリートウェアと位置付けているが、彼のDiorに対するアプローチには、ストリートウェアカルチャーの先人たちの姿勢に通じるものが見られる。特定のマインドを持った人々に向けた服のデザイン、クリエイティブ業界の優秀な友人らを誘い込み、彼ら単独では作り出すことができなかっただろう魅力的なプロダクトを生み出しているからだ。
「ストリートウェアの中で控え目に活動してきた人たちの多くが認知されるようになってきている。世界がその存在に気付くようになって、どんどん成長している。けれど、Diorのようなブランドは職人技が持ち味だ。ものづくりのスピード、その一体感には圧倒された。なかなかできることではないよ」とKAWSは言う。
ジョーンズは、消費者の欲望の変遷と、プロダクトを欲しいと思わせるものが何なのかということを見失っていない。ブランドのビジョンを一貫して見せ続けることと、毎シーズン新たなヒットを生み出すことのバランスを十分にわきまえているのだ。だからこそ、メンズコレクションに「サドル」バッグを取り入れたり、新たなシルエットのスニーカーを発表したりすることが効果を生んでいる。結局はストリートウェアブランド、ラグジュアリーブランドに関係なく、ウエストポーチを使いこなす人々はますます増えている。
スニーカーも男女を問わずステータスのシンボルとなった。ゆえに、Diorのバッグがメンズアクセサリーの必須アイテムとなる日が来るというジョーンズの見解も、さほど現実離れしたものではない。それがウィリアムズのデザインによるバックルをあしらったものともなればなおのことだ。 “It” ブランドや “It” アイテムは毎シーズン入れ替わるが、こうしたメンズバッグには永続的なアイテムとなる可能性も秘めている。
「実際に買いたいと思ってもらえるのは、メンズウェアであるということ以上に、いつでも着られる服なんだ」
- WORDS: JIAN DELEON
- PHOTOGRAPHY: SOPHIE CARRE, JACKIE NICKERSON, MORGAN O'DONOVAN & MILAN VUKMIROVIC
- ARCHIVE IMAGERY: COURTESY OF DIOR