4月、トロントのクラブ兼テクスメクスレストラン、Sneaky Dee’ sで、マティ・マセソン(Matty Matheson)のバンドPig Penのデビューライブが行われた。破れたTシャツに白い長袖シャツ、乱れ髪をかろうじてまとめるような黒い帽子をまとい、脅威と安らぎのギリギリの線を行くような姿で、マセソンはステージを闊歩した。

「ここは特別な店なんだ。料理は腹にくるけど味はいい。出しちまえば大丈夫だしね……。で、この曲は、自分で食べる野菜は自分で育てようっていう歌だ」と話すマセソンの熱い語りに続いて「Venom Moon Rising」の演奏が始まった。マセソンが押し潰した声で「THE SUN WILL NEVER RISE AGAIN」(もう二度と太陽は昇らない)と叫ぶ、激しく荒々しい、終末的テーマの曲だ。

ガーデニングをテーマにした曲が太陽の崩壊による世界の滅亡を歌うのはどういうことかと思われるかもしれないが、マセソンと幼なじみのウェイド・マクニール(Wade MacNeil)、トミー・メジャー(Tommy Major)、ダニエル・ロマーノ(Daniel Romano)、イアン・SKI・ロマーノ(Ian SKI Romano)兄弟からなるメンバーがこの曲を書いたのはコロナ禍の頃だった。傷を負った世界が、かろうじてではあれ、これまでのように続いていくとは思えなかった時期だった。世界の大多数がそれまでとは違った生活を強いられた。その後はゆっくりもとへと回帰したが、マセソンは違った。「家族を養えないことに強い恐怖を感じた。自分は生きることの一端にしか取り組んできていなかった。単なるタレントは仕事がなくなると自分の稼ぎで生きていくことができない」

 

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「それが本当に残念で落ち込んだし嫌になった。なんとかして仕事、機会をつくろうと思った。何もせずに全部を失うのは嫌だ。駐車場で食事を配ることもできるし庭で野菜を育てることもできる。ミシンを買って服を作ることもできる。なんでもそうして自分で考えてすることに魅力を感じるし、そういうのが大好きだ」

そんな気概があるからこそ、マセソンはこれほど長く注目を集める存在であり続けているのだろう。レストランで働くところから始まり、やがて自らレストランを経営するようになり、さらにYouTubeやVICEの料理動画、料理旅番組へと出演の場を広げた。料理本の出版は声優やテレビのゲスト出演に繋がり、ブランドパートナーシップ、自身の製品展開も始まり、やがてその全てが一気に同時進行するようになった。

マセソンはこの20年でマセソンワールドをつくり上げた。マティ・マセソンのレストランで食事をし、マティ・マセソンが友人のキーナン(Keenan)とアシュリー・マクヴェイ(Ashley McVey)と共に経営する農場Blue Goose Farmの食材とマティ・マセソンの鋳鉄製フライパンを使ってマティ・マセソンの料理本に掲載されたレシピを調理する。マティ・マセソンがデザインしたROSA RUGOSA(ローザ・ルゴーサ)の服を着てマティ・マセソンの料理動画を観ながら作ってもいい。さらに一日の最後には、マティ・マセソンが出演するゴールデングローブ賞受賞のコメディドラマ『一流シェフのファミリーレストラン』を視聴するといった具合に、一日中マセソン漬けで過ごすことが現実にできてしまう。

それでもなおマセソンは歩みを止めない。世話好き、パーティーの盛り上げ役、良き友という人柄、評判を武器に(彼と親交をあたためる人は幸運だ)、親しみやすく、かつ複雑で、見た目は雑だが、隠れた深みのある、決して気取らない、いつでも手の届く料理で帝国を築き上げている。その帝国づくりは常人には決して成し得ないものというより、誰にでもできそうな感じがする。友人のバンドのライブを初めて観たときに「自分でもできるかも?」と思うような感覚だ。

「みんなで盛り上がって一体になって作るショーだから」とマセソン。「観客もバンドと同じくらい大事で、全員がひとつになることで力が生まれる。ハードコアのいいところはそこだから」

マセソンに実際会うと、その人気に不思議はないと思えた。自虐とあたたかさの間を行ったり来たりしながらの鋭くも陽気な話しぶりですこぶる親しみやすい。

「生まれたときからこんな感じだから」とマセソン。「家でも兄弟の真ん中だし、クラスでもみんなを楽しませる道化役だった。友達グループでもいつも一番面白い奴だった。何度も転校したから注目もされたし、友達もできたんだと思う」

あちこち転々とする暮らしの中では、自分のものだと感じられるものが拠り所になる。興味を持った対象にやがて夢中になる。マセソンが最初に夢中になったのは音楽だった。1990年代半ば、オンタリオ州フォート・エリ(ニューヨーク州バッファローの北に位置する町)に住んでいた10代の頃、マセソンはハードコアとヘヴィ・ミュージックに居場所を見つけた。「子供の頃、父親が好きだったのはLed ZeppelinとかBlack Sabbathとかで、AC/DCとか、Thin Lizzy系の音楽を聴いてた」とマセソンは語る。「でも10歳年上の姉はDanzigだとかのテープを持っていた。H・R・ギーガー風のアートを初めて観て、これはなんだ? と思ったのを今も覚えている」

興味をそそられたマセソンは、姉や友人達と国境を越え、バッファロー、シラキュース、そのほか北部に点在する小さなライブハウス、コンサートホール、地下室で開かれるライブに通う10代を過ごした。「そこから沼にはまっていった」と言う。

そして友人らとHanging Heartsを結成することを決めた。「毎週末、友達とうちの両親の古い赤のサンダンス(プリムス・サンダンス:クライスラー社が1987~1994年に生産した小型車のモデル)——仲間内では「スカム(クズ)・ダンス」と呼んでいたけどね——に乗ってロチェスターとかシラキュースとかエリーとか、ボストンにまでライブを観に行った。お金はなかったけれど、仲のいい友達と一緒にライブに行って、シーンの一員になっている感覚が最高だった」

しかし人生にはいろいろある。諸事情でマセソンは料理の世界に入った。厨房での過酷な長時間労働が続き、音楽を含めてほとんど全てのことを後回しにせざるを得なくなった。しかしDIY精神は飲食の世界でも生き続けた。2008年26歳で数人の友人とトロントにレストランOddFellowsを開業した。「従業員は全員30歳以下。若者ばかりだった。日曜の夜にはTaco Bell®みたいに$15でタコスを食べ放題にした。冬はピエロギを出したり、昔のホッケー映像を流したりした。そういうイベントで、毎週日曜、友達がみんな集まった。料金はほとんど誰も払っていなかった。タダ飲みでひたすらみんなでパーティーをしていた」

OddFellowsは2年ほどで閉店した。「あの頃は意味不明だったけど最高だった」とマセソン。レストランには「エンジン全開で閃光みたいに輝く黄金時代がある。OddFellowsはそんな場所だった。あの頃あの場所にいた人ならあの時代を知っている。でもいいものは長くは続かない」

「いいものは長くは続かない」と言うマセソンのため息まじりのこの言葉は、苦労の末に得た悟りであり、彼の仕事人生全体のテーマとなっている。確かにいいものは長くは続かない。だが変異することはできる。変異後のものにも真の価値があれば、それはやはり見いだされる。

Pig Penはまさにそうして誕生した。マセソンと友人達は、世界が停滞したコロナ禍の頃、何かを一緒に作り出して楽しみたいと考えていた。「全員、自分が住むオンタリオ州リッジウェイ近くのスタジオに集まったんだ。昼飯前に5曲書いて、ザ レックス ホテルでピザを食べてからさらに5曲。全部で10曲書いて、次の日に録音した。2年間寝かせていたけど、日常が戻り始めて、いよいよ本当にやるのかどうか決めるときが来たんだ」

結局、彼らは公開に踏み切った。一度のライブがフェス出演に発展し、小規模ツアーへと繋がり、その先の展開も控えていた。そんなPig Penの『Mental Madness』は、重さを感じさせる繰り返しが特徴の10曲入りのアルバムだ。インスピレーションと絶望、喜びと恐怖の間を揺れ動く様は人生そのものだ。特に複雑なレコードではなく、複雑になることを目指しているわけでもないが、高揚と絶望の激しい落差は、「これは世界の終わりなのか、それともより良い社会を想像するチャンスなのか?」という、コロナ禍の真っ只中、我々の多くの胸に去来した思いを映し出す。

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マセソンが出した答えは、Pig Penのアルバム、ワークウェアラインROSA RUGOSA、お馴染みメニューの完成度の高さに定評がある超ローカルな肉と野菜のレストランPRIME SEAFOOD PALACE(「構想は数年前から始まっていた。6年もかけて一店舗つくるなんて、誰にも経験してほしくない苦労だった」)に留まらない。彼は加えて、オンタリオ州で花と野菜を販売する小規模農場Blue Goose Farmも立ち上げた。正式オープンは去年で、料理人にとってまさに夢のような場所だ。いずれも音楽や食に関する取り組みだが、底辺にはほぼユートピアに近い理念が潜んでいる。マセソンはこうした取り組みから、創造的なアイデアであたたかく柔らかな世界を生み出す本格的なプロジェクトが発展していくよう、新たな協力者を歓迎している。

その理念が最も顕著なのはBlue Goose Farmだ。持続可能な農業と(可能な限り)「手を加えない」栽培を掲げるこの農場では、店頭と配送で野菜や花を販売している。しかしマセソンが真の魅力を感じているのは、農場の営みを通して自身に意識させられる存在感のようなものだ。自分が食べるものを育て、周囲のコミュニティにもゆっくり丁寧に食料を提供している。彼が長年育んできた気持ちを最も直接的に体現するものとなっている。

マセソンと農場との関係を理解すると、彼が世界における自らの立場をどう捉えているのかが見えてくる。彼は自らの道に交わる人々に食料を提供するために働きたいと考えている。名声はその副産物であり、核心は変わらない。「今の時代はこうしないでほかにどうする? というところまで来ている」と彼は言う。「昔以上に食糧生産が必要だ。だから腹を決めて野菜の栽培を始めた」

今、「Blue Goose Farmはとんでもないものになった。本当に凄い。子供を持つことと同じだ——こんな愛情を感じたことはない。Blue Goose Farmを通して本当に大切なものが何かということを知るようになった。野菜作りは自分がやってることの中で、普通に考えて最高のことだね」。

農場のウェブサイトには、裸足に、シャツも着ず、オーバーオールだけを着て、麦わら帽子を目深に被ったマセソンの写真が掲載されている。太陽に向かって高く伸びる(インゲンマメの仲間の)ドラゴンタングビーンズの畑に身を乗り出す彼の顔には、隠し切れない誇らしさの笑みがこぼれている。

※本記事は2025年10月に発売したHIGHSNOBIETY JAPAN ISSUE15++に掲載された内容です

【書誌情報】
タイトル:HIGHSNOBIETY JAPAN ISSUE15++ : TAKAO OSAWA
発売日:2025年10月16日(木)
定価:1,650円(税込)
仕様:A4変型

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