ストリートウェアは衰退した。しかし、それが示す未来は面白い

暗雲の立ち込めるストリートウェア業界。最初に警鐘を鳴らしたのは永遠の預言者、故ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)だった。「(ストリートウェアは)滅びるからさ」という大胆発言が、ラグジュアリーストリートウェアを大衆に広めた当人であるデザイナー、アブローの口から飛び出したのは2019年のことだった。
その1年前から、アブローはストリートウェアが楽観視できなくなりつつあるとほのめかしていた。彼がLOUIS VUITTON(ルイ・ヴィトン)メンズのクリエイティブ・ディレクターとしてデビューした歴史的コレクションの場でゲストに手渡された辞書には「反逆的デザイナーがファッション業界の一員として出すデビューコレクションとなればおよそ想像がつくような服のジャンル」とストリートウェアが定義付けされていた。この発言は、アブロー自身による、彼がファッション業界の一員となった旨の表明であった。
しかしそれは、アブロー個人のデザインが転換するということ以上に、ストリートウェアがファッション業界の一部となる転換期の到来を意味していた。
「ストリートウェアは死んだ」、ヴァネッサ・フリードマン(Vanessa Friedman)は2022年、その3年前のアブローの予測を確定する形でニューヨーク・タイムズ紙にそう書いた。そしてその1年後には小誌『HIGHSNOBIETY』でも、最も著名なストリートウェアブランド、Supreme(シュプリーム自体にも終わりが訪れたと報じる記事を掲載した。
これでストリートウェアは本当に終わりということになるのだろうか?
「メディアの論調は刻々と変わる。ストリートウェアは死んだという報道がなされたりもする。だがストリートウェアはトレンドではない」とファッションジャーナリストでコンサルタントのクリストファー・モレンシー(Christopher Morencyは言う。「本来ストリートウェアとは常に存在し続けるメンタリティやマインドや振る舞いであるところ、メディアやラグジュアリー(市場)がそれをトレンドとして扱ったことから汚い印象が生まれたのだと感じる」
ストリートウェアの精神は当然それが誕生した頃に生まれ出てきているものではあるが、ほかのサブカルチャーと同様、ストリートウェアの場合も起源を特定することは難しい。ただ一般には、80年代から90年代にかけてのロサンゼルスとニューヨークのスケートボード、ヒップホップ、グラフィティ、サーフカルチャーの融合から生まれたとされている。こうした集団が着ていた、ゆったりとしたフィットでグラフィックが満載のカジュアルウェアがやがて凝縮し、ストリートウェアと呼ばれて売られるようになった、という認識だ。
「ストリートウェアが生まれた時期は反抗の時代だった。業界全体が、主流の全てに対してパンクで反抗的な態度を取っていた。ストリートウェアは、自分達は自分達のやり方で行く、大手ブランドや有名デザイナーは必要ない、というスタンスのサブカルチャーだった」と、90年代、ヨーロッパでFRESHJIVE(フレッシュジャイブ)やSTÜSSY(ステューシー)など先駆的アメリカブランドの販売を手がけるSÄCK & NOLDEを共同設立したクラウス・ノルデ(Klaus Nolde)は語る。
互いの存在をほとんど知らずにいたアメリカの様々なカウンターカルチャーが、2,000億ドル規模の産業を生み出すに至った経緯については既に広く取り上げられているため、ここでの説明は控えるが、重要なのは実際に2,000億ドル規模の産業がそこから生まれたという事実だ。
市場規模が拡大するにつれ、かつてはアンダーグラウンドだったストリートウェアというファッションの一派への注目度も高まるようになった。かつてSupremeの著作権侵害を訴えニューヨークオフィスに弁護士を送り込んだことのあるLOUIS VUITTONも、その17年後、Supremeとのコラボレーションを実現した。そのLV × Supremeコラボレーションの仕掛け人であったキム・ジョーンズ(Kim Jones)は、DIOR(ディオール)のディレクターとしても、引退していたショーン・ステューシー(Shawn Stussy)を呼び戻してコラボレーションを実現。また最近ではGUCCI(グッチ)とPALACE(パレス)とのコラボレーションも実現している。
一過性のコラボレーションを超えてストリートウェア界の有力者がラグジュアリーブランドに引き抜かれるようになった。最も目立ったのはヴァージルのLOUIS VUITTONデザイナー就任だが、彼と同世代の人材や彼の友人らもやはり引き抜かれていった。CHITO(チト)とのコラボレーションを通じてかつてパリの高級クチュリエであったGIVENCHYにグラフィティ文化をもたらしたマシュー・ウィリアムズ(Matthew M. Williams)や、Calvin Klein(カルバン・クラインのデザインを手がけたヘロン・プレストン(Heron Preston)がその例だ。
こうして、かつては嘲笑し合うほど対極にあったハイファッションとストリートウェアが完全に融合するようになった。価格も人気も高まったストリートウェアは、かつてないほど希釈されていった。盛者必衰の理と言うべきものだ。
『HIGHSNOBIETY』ではコミュニティメンバー1,000人にインタビューを実施した。「2〜3年前と比べて今の方がストリートウェアやストリートウェアブランドにワクワクしますか?」という質問に対する回答は「いいえ」が圧倒的多数であった。2〜3年前よりもストリートウェアへの興味が薄れたと感じている回答者は全体の56%(Z世代では62%)に上り、ストリートウェアへの興味の度合いは、アート、フィットネス、建築、デザインといったトピックに次いで10番目という結果であった。
果たしてこれは懸念すべきことなのか? ロンドンを拠点とするブランド、JEHUCALの創設者、Jehu-cal Emmanuel Enemokwu(ジェフ・カル・エマニュエル・エネモクウ)はその懸念を抱いていない。「ストリートウェアが人気でなくなったことは悪いことではないと思う。ストリートウェアは、ほとんど富裕層のフェチのようなものになってしまった」と言う。ストリートウェアプラットフォームUNDISCOVEREDを運営するケリー・アチャンポン(Kelly Acheampong)も同じ意見だ。「ストリートウェアはそもそもこれほど大きくグローバルなものになることを意図して作られたものではないと思う」

©HIGHSNOBIETY
小誌の調査では、ストリートウェアへの注目は薄れてきている。これはしかし、ストリートウェアに、自身の立ち位置を再調整する機会が到来していることを意味する。実際ストリートウェアは既に、本来のルーツに回帰し始めている。
「ブランドは今、『ちょっと待った! 今、ストリートウェアを本来の姿に戻しているところだから』と主張することで際立つことができる」とアチャンポン。「CORTEIZはその道を切り開いていると思う。CORTEIZにはストリートウェアの本質が宿っていると感じる」
2017年にクリント・オグベナ(Clint Ogbenna)がウェストロンドンに設立したCORTEIZは、反逆的ストリートウェアブランドの中でも群を抜く大ブランドだ。CORTEIZほど、次々と繰り出すゲリラマーケティング企画に大勢のファンの参加を集めるブランドはない。クロスバーチャレンジでのスニーカーゲット企画に、99ペンスでのカーゴパンツ売店企画、高級ダウンとCORTEIZダウンの交換企画と、あらゆるイベントに大勢のファンが集まるのは、クリントのコミュニティづくりの手腕によるものだ。
Instagramのストーリーズに投稿された謎の暗号に導かれた若者がCORTEIZの売るものをとにかく手に入れようと揉み合う様子は、FTPのポップアップで暴動が起きた10年前を思わせる。発売前夜ともなればSupremeの店舗前に野宿の集団が発生し、Asspizzaがクリスマスプレゼントを配布するとなれば何百人もの若者が押し寄せAsspizzaが逮捕された、全てがきれいに一掃される前のあの時代と同じ風景だ。
InstagramでGullyguyleoとして知られるレオ・マンデラ(Leo Mandella)は2010年代半ばから後半の「黄金時代」のストリートウェアシーンについて「強いコミュニティがあって、ストリートウェアの世界にいればその一員になれた」と、語った。「ストリートウェアブランドと組めばうまくいくという算段で大企業が手を組むようになってから、ストリートウェアはずっとメジャーなものになった。もうあの頃のコミュニティの感覚はなくなっていると思う。でも(今年)行ったベルリンのBasement Cupにはあの時の輝きがまだ残っていた。とてもコミュニティ感の強いイベントで、昔に戻ったような気分になれた」
ストリートウェアのエネルギーの小さな塊はこのように今でも存在している。イングランドの中だけでも、服を求める人がロンドンの路上で争う事態を引き起こしたYearsoftears、ノッティンガムの地元ショッピングセンターでプレゼント配布を試みたところ大勢が殺到し出入り禁止処分を受けたLOSTBOYS CHANNEL、「北部ツアー」で6都市を人で埋め尽くしたDrama Callなどが挙げられる。
ローカルシーンは世界各地で拡大している。ベルリンの6PM(シックスピーエム)、メルボルンのJUDAH.(ユダ)、アムステルダムのLaFam(ラ・ファム)、モントリオールのPUNKANDYOと、各地に刺激的なストリートウェアブランドがあり、コミュニティがある。全世界に知られていなくともそれでいい。ストリートブランドはデザイナーの地元コミュニティのためにあるのだからストリートブランドはデザイナーの地元コミュニティのためにあるのだから。「ストリートウェアは一時期資金力のある企業に奪われていたが、今はストリートブランド側が地元に根ざすことで本質を取り戻しつつある」とアチャンポン。
「ラグジュアリーブランドはデザインセンスや、コラボレーションビジネスモデルといったストリートウェアの根幹を成す要素を取り入れはしたが、それを単にトレンドとして利用したにすぎなかった。トレンドにしては長く続いたにはしても」とモレンシー。「ヴァージル・アブローやデムナ・ヴァザリアの存在によって大きなムーブメントにはなったが、ラグジュアリー(ファッション)は『コミュニティによる、コミュニティのためのもの』というストリートウェアの本質を理解していなかった。そこがストリートウェアにとって大事だということは今も変わっていない」

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ストリートウェアが大衆のユニフォームでなくなった今、その地位に急速に浮上しているのが、ゴープコア、あるいは「クワイエット・アウトドア」と呼ばれるものだ。トレンド予測の専門家ごとに使う用語は異なるが、ストリートウェアから発展した、主にゴアテックスを多く着用するスタイルのことを言う。そしてもうひとつが、ストリートウェアの対極的存在であり後継者でもある年配富裕層向けのクワイエット・ラグジュアリーだ。(小誌調査では対象者の70%がクワイエット・ラグジュアリーに憧れを感じると回答)。ただしストリートウェアとて昔ながらの洗練されたスタイルからの影響を全く受けないわけではない。Aimé Leon Dore(エメ レオン ドレ)やNOAH(ノア)は、そのギャップをうまく埋めているブランドだ。
ラグジュアリーブランドや大手ブランドは今、クワイエット・ラグジュアリー人気を掻き集め、手近で利益を手に入れようとしている。つい数年前までは眉をひそめてしまうようなグラフィックTシャツやカーゴパンツを売り出していたショッピングモールブランドも、今は上質な仕立ての提供に全力を注いでいる。派手さの目立つMOSCHINOのようなラグジュアリーブランドさえもその動きに加わっている。しかし概して彼らはストリートウェアには手を出していない。ストリートウェアはファッション業界の外野へと追いやられたのだ。
ただ、現在の草の根ブランドがいずれラグジュアリーストリートウェア2.0を生み出す可能性もあり、もしそうなればそれは第一波のラグジュアリーストリートウェアよりも、より本物のムーブメントになる可能性もある。

©HIGHSNOBIETY
「ファッション界に反抗することで成功するブランドがある一方で、ファッション界に参入しようとするブランドもあるが、後者を下に見るべきではない」とマンデラ。「ストリートウェアブランドであればファッション界に反抗しなければいけないというのは愚かな考えだと思う」
今後何が起こるにせよ、現在、各ブランドが再びカルチャーのルーツに戻り、地元コミュニティで盛り上がりを見せるようになるまでの過渡期に入っていることは確かだ。「90年代も反抗の時代だったが、今もまた反抗が起きようとしているのだ」と、ストリートウェアのシーンが成長するのを当時から見てきたノルデ。
ストリートウェアは、流行ファッションとして扱われる時代を卒業し、再び通好みのテイストとなった。
- PHOTOGRAPHY: JULIEN TELL
- WORDS: TOM BARKER
- TRANSLATION: AYAKA KADOTANI