謎に包まれたクリエイティブスタジオ「ZOO AS ZOO」
ジェネラライズされゆく社会への抵抗
10=1であり、100=1でもある。すなわち1≠1であり、10=100でもある。ベールに包まれたクリエイティブスタジオ「ZOO AS ZOO」をあえて表現するならばこうなるだろう。明確な数字であるのに曖昧模糊、なのに整う。エクセルならパンクするであろうことを理路整然とやってのけるところが実に人間らしい。
——「ZOO AS ZOO」は謎に包まれています。
2025年の2月から10年目に入るにあたって、「なんでもっと表に出ていかないの?」とよく言われるんですが、自分自身も、クライアントワークも全然表に出さないのは、きっといろいろ理由があります。一回やってみようと思ったものの、質問にコネクトできないのと、インタビュアーの人ともコネクトできなくて……。話したいところを「それちょっとダークだから話さないで」と言われたり。「もっとこういう風に話してみたら?」と言われるのがすごく嫌で。
——なるほど。今、メディアのあり方も社会問題になっています。都合のいい情報しか発信しないなど、日本では直近の選挙で話題になりました。
そうですね。後、私は元々自撮りとかもできないくらい、Twitter(現X)もしたことないですし、Snapchatで自撮りとか本当に昔からしないんですよ。自分のInstagramのアカウントも持ってないですし。
——へえ、凄い。
会社のアカウントはあるんですけど。誰かに送るために自撮りしても、自分のアルバムの中に入っているのが嫌で、消しちゃうんですよ。
——それはすごく気になりますね。
昔からですね。
——過去にこだわらないというか、新しいものをインプットするために捨てていかなきゃいけない、みたいなことでしょうか?
ひとつは、自分自身の頭の中にある自分と、外から見られる自分のギャップがあるような……ギャップの中で生きていくのが嫌なんです。それを常に感じています。自分から入っていく自分が嫌になる、みたいな感じで、「こう思われているんだな。あ、こういう感じで聞いてくるんだな」とかは分かるんですが、自分からそれになる、なろうと思うような自分に苦痛を感じるのかもしれません。
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——なるほど。そのギャップを解消するための手段という形でアートやデザインの方向にいったと感じますか?
元々すごく理数系だったんですよ。数学とかが好きで、中学生の頃はコンペとか行って、数学の家庭教師とかもしているくらい理数系でした。高校では生物学と脳神経学を学んでいて、でも小さい頃からものづくりがずっと好きでした。細かい作業もずっとできるようなタイプで、それから大学では工業デザインも学びました。ずっと一人でもすごく遊べる子だったので。今でもなんですけど、一人でいることが全然苦じゃなくて。
——それ分かります(笑)。
なんでしょうね。アートはまあ常に自分の一部だったんだろうな。ギャップを感じ始めたのは、まずひとつは “女” になり始めたと感じた頃かもしれないです。子供の頃って “子供” じゃないですか。そこから成長するにつれ、顔だとか喋り方、性格とか興味とかいろいろあるんですけど、 “自分って女なんだぁ” とやっと気がつくというか、意識してしまうことが徐々に増えました。よくZOOは男だと思われるんですよ。センス、色とかスタイルがマスキュリンなので、クライアントも男性が多いんですよ。女を隠したいわけじゃないんですけど、女って自覚したのも最近なんだろうなって思ったのが、仕事でもプライベートでも男性といると女が強まるんだなって感じたりとかして。一人だった時はそんなに感じなかったので。例えば、私が持っているものが、全て私の隣にいる男性から貰ったかのように聞かれたりするんですね。むちゃくちゃ嫌でした。でもやっと最近その “女” っていう区切り? 鎖? 特別枠? が取れてきたかと感じていて、 “自分” というホームベースに帰ってきたかのように嬉しいです。ギャップの距離が縮んでいるということですね。性別のことはひとつの例で、いろんなギャップを日々感じますが、どれだけ自分の軸に辿り着けるかがいつも大事ですね。
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——なるほど。そういうギャップですね。理数系で、すごく論理的だから、工業デザインなのかなって思ったんです。「魂は芸術に宿るか」という質問に関して、数字的に物事を淡々とこなしていくのは、ある種ロボティックなところもあります。それは、自分と外とのギャップを数字的なもので解明できるじゃないけど、そういうことがあったのかなって。
そういうことを考えるのも好きですね。数学が好きというよりも、それぞれの美しさがある。数学にも奥深い美しさがあって、謎が多くて、コンプレックスなのにシンプルなものがあって、綺麗さや美しさを感じる。科学とか生物学も、それぞれの成り立っている仕組みが面白いなと思います。「芸術に魂が宿るか」は、それが誰の表現、いつの表現、その人が本当に生きているかどうか、みたいなところですかね。本当に、アートは良し悪しではなく、私がただつながるものは、その作り手の何かを感じるときです。それが、自分に似ているとか、自分と全然違う、ポイントオブレファレンスが自分になってしまうと思うんですけど、同じようなものに何も感じないものがほとんどで、それはもう死んいでる(笑)。死ぬまで至ってないっていうか、生きた後死ぬっていう考え方だとするならば、死んでもいなくて、なんでもないみたいな感じのものもよくある。
——まだ死ぬことができればいいけど、そもそも生きてもいないものが多い。
そうですね。生き物でもない。生きるというのは起きて、生活することではなくて。私は死ぬ瞬間をすごく想像しちゃうんですけど、まず一人で死にたいんですね。
——ええ!
一人じゃないと自分になりきれないから。見られている自分を演じながら死ぬのがすごく嫌で。自分の成長を感じるのって、自分の全面を受け入れるというか、ちゃんと自分になっていくこと。一般的に悪いことも、それがあるから良さが出てくるとか、自分の欲求を抑えないでそのままでいることが、難しかったりするんですよね。それを貫き通すとか、自分をフィルタリングして、フィルタリングして、フィルタリングして澄んだ自分に最終的になりたい。邪魔なものは全部省いていって、最終的にいろんな自分が一本線につながって、綺麗に澄んだ細いものになって死にたい。
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——「芸術に属性は必要だと考えますか?」という質問を投げかけています。削ぎ落として、削ぎ落として自分になる過程で、例えば女性を感じたり、アーティストである属性、そういうものが生きていくにつれてどんどん追加されていきますが、それは削ぎ落としていくべきだと思いますか?
私は削ぎ落としたいですね。それはZOOという会社名にもつながるんです。「どういうことしているの?」とか、「Who are you?」って聞かれた時に説明するのがすごく難しくて。人間はもっとコンプレックスだと思うんですよね。大きな枠とか大雑把な言葉でアイデンティティーを決めていくような行為は私にはすごく困難です。いろんなものがいっぺんにあること、それぞれのミクスチャーみたいなのがあって、これで “1” なんですよ。 “10” とかじゃなくて、この混合が “1” 。人の気分は変わるものだし、人が自分自身のどこにフォーカスしているのかって一日のうちでも変わると思っているんです。一日の中でもコロコロと何回も変わるんです。「自分はこんな人だ」と断言することは難しく、自分の可能性を打ち切ってしまいます。
——いろんな個性があるけれど、変化するので、そもそもレッテルだとか属性というものを持つのが不毛であるという考え方ですか? だからZOOである、と。
そうですね。今はクリエイティブスタジオというのが、みなさんが一番分かりやすいと思うんですけど、私的には、「明日、畑を始めてもいいんだけどな」みたいな感じ。でも人とアプローチの仕方は変わらない、コアな要素は変わらない。じゃあ畑ってどう作るとか、ファーミングって何? ってなって。うちの会社はソフトを開発してみたり、ラーメン屋さんを作ってみたりしていますが、今、表に出しているのがクリエイティブスタジオってだけなんです。何が出るかって結果で、ZOOは集まりたい人が集まって、その時集まった人達が一緒にやったものがただの結果で、メディアだろうが、物であろうが、あんまり関係なくて。だからシェフが入って、エンジニアが入って、トラベラーが入ってとか、なんでもいいんです。どう意図を持って集まってくるかは、それぞれの思いもありますし、こうしないといけないとかはないです。
——仰りたいことは分かりますが、なかなか言語化できない。変わらないけれど、結果違うものが生まれてくるってことですもんね。
そうですね。生まれてきたものはその時のアウトプットで、インプットの制限はあまりしていません。
——インプットを制限しないというのは、すごく当たり前のように感じますが、属性、例えばジェンダーやサステナビリティから作品を作っていくのは、一種のインプットの制限だと思っています。個人を見つめて自分が何を表現したいのかを考えるのはすごく大事なことだと思うんですが、何か自分の属性、ジェンダーだったりとかセクシュアリティだったりとか、人種であったりとかが制限をかけている気がするので、インプットを制限しないのは心に響きますね。
意見がないわけではないんですが、たまに聞かれますよ。「フェミニストなのか」って。でも、そうじゃなくて、 “自分ニスト”ですけど、みたいな。
——いいですね。自分ニスト。
考えとか、自分の信じるものって、自分の経験や自分で感じたものが自分の真実になって、他の人の真実が自分と違っても全然良くて、「女社長だからフェミニストでしょ」とか言われるんですけど、そんな感じでも全然ないんだけどね。
——本当によくありますね。女性クリエイティブディレクターという言い方をしたりとか。友人がロサンゼルスで書道をやっていますが、 “女性書道家” は別に嫌な言い方ではないですが、やっぱり女性だからレアだよねっていう見え方になってしまうことに疑問を持っていました。
社会的に “女は” っていうのがありますよね。それが全員にあるわけじゃなくて、ある頻度がこっちより多いんだろうな。他の誰かのやり方が悪いとかも全然思わなくて、自分を守れている人はすごく素敵だなって思っていて、その考えがどれだけ自分と違っても、すごく大事なことだなと思うし、全員私みたいな人だったら超ヤバいだろうなって思うし、周りに自分と近いところにいてほしいとかは全然思わないですね。
——それが本当のインクルーシビティだと思います。
スタジオを始めてから最初の大統領選挙の時に、社会がリベラルとコンサバティブで分かれるような感じで、「クリエイティブだからきっとこうでしょ」って思われがちでチーム内、クライアント周りでもちょっと複雑な空気になったことがあります。いや、だってそういう風に違う考えを持った人がいるんだよ、この世の中に。考えが違う人達が集まる場ってすごくいいというか、当たり前じゃんって感じなんですけど。
——そうですよね。でもやっぱり、考えが似通った人と集まりがちだと思います。
そうですね。
——ほとんどがそうだと思います。そういう意味でZOO AS ZOOは、本当にそれができていて、意見のぶつかり合いもあるだろうし、違う人もいて、いいロールモデルを芸術を通して見せられている気がしますね。
ありがとうございます。
——社会的なことばかりになってきましたね(笑)。
哲学的な話も社会的な話も経済的な話も好きです。
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原宿のTHE PLUGで開催された、日本での初個展「四十日放浪 | 40 Day Walks of Hollow」
——そうですか? じゃあ、どんどんいきましょう。少し偏見かもしれないのですが、展示のフライヤーを見た時に、アーティストアーティストなんだなと思ったんです。でも、実際にお会いして、情報をいただく限り、クライアントワークもたくさんされています。
クライアントワークは制限もありますが、やりがいもあって、楽しいことも多くて、チャレンジングなことも多いです。そこからの成長や新しい学び、視点が積まれていっていると実感するのはすごくリワーディングです。アートのほうを思い切りやるために、クライアントワークを頑張っているみたいな感じです。周りのクリエイティブな人達もですけど、私自身もですが、どれだけコマーシャルワークをしていなくたって、アーティストはお金が必要です。
アーティスト界は、コマーシャルワークを毛嫌いしているところがあるんですけど、実際お金持ちのアートコレクターは、税金対策で買う場合もある。それと、こういうアーティストと知り合いだとか、業界のマウンティングみたいなもののために名前を使われていたりすることがあって、「いや、それもすごく嫌だ」って感じて、逃げようがないんですよね。今までのプロダクトやプロジェクトも、自分達のお金でやってきていて、結構プライドを持ってクライアントワークをしています。
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424 Fashion + Retail Instaco, J6 Group, Office Mag, Surface, Frame
——クリエイティブを評価する、特にクリエイティブエージェンシーだと、クリエイティブの評価基準はどういうものがあるんですか? 広告だと、例えばそのインプレッションであったりとか、そういうものになると思うんですけど、そういう数字的なところで見ているのかとか、それともクライアントが嬉しい、良かったとかの感情になりますか?
クリエティブ、コミュニケーション、ブランディング、などなんでも作るものには全体的なシステムを作り上げるようなイメージなんですが、私にとってはその組み方が綺麗かどうかというのがすごく大事で、そこに自分が美しいと思ったものがちゃんと出せて、ちゃんとクライアントが使いこなせて、メインテインできるよう考えられているかどうかなど、結局自分の納得感に戻ってきちゃうんですよね。綺麗な仕組みを作ったら、コンシステンシーがあるので、数字は結果ついてくるものだと思っています。数字をガッと上げるんじゃなくて、コンスタントにロングラスティングなものを作るとか、いろんな面で見ます。あとはスモールビジネス、ローカルなビジネスさんともすごく積極的に仕事をするんですが、その意向を綺麗にまとめたものにできているか、その人がちゃんとコネクトできるものができたかという、クライアント側のサティスファクションも重要です。それを数字化するのは難しいんですが、やはり自分が納得いかないものを作るのが一番苦しいです。自分の中に汚いものが入る感覚がすごく嫌になってきて。
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S3RVING TIM3
Art + Music + Fashion
Doon Kanda, Guillaume Berg,
Hana Yagi, Sabukaru, NYFW
Coach K, Software Studios
——なるほど。コンシステンシーを持つ、売上も大きなステップアップじゃなくて、意味のある成長みたいな言い方が適切かと思いますが、やっぱり目先の売上や目先の数字を大切にしている人が多いイメージです。感触としてどうですか? そういう方だったらきっとお断りしますよね。
それがひとつのロングジャーニーの中のワンステップで、一旦ここでジャンプアップしたいのであればいいんですけど、この後何も考えてないと、提案するほうも無責任になっちゃうので、すごく嫌ですね。考えを持っていない人には細かいことを決められないし、決まらなくてぐちゃぐちゃになると本当にまずいものになってきて。価値を見いだすってすごく大変なことで、大変だからやっぱり時間がかかるんですよ。人のキャリアとか、簡単に言うと料理も長く煮込むとか、クオリティーを求めたら時間がかかるというか。早く数字を達成する意味がちゃんとあればいいと思うんですけど、意味なく、それがただビジネススクールで学んだから、ただそう言われたから、そういう感じだと達成しても続かないんですよね。
——そうですね。本当に共感します。
ラグジュアリーブランドももの凄い歴史があって、その最初の何十年がすごく大変で、そこにずっしり根っこを張ったから、ちょっと迷ってもブレないグラウンドがあるんですよね。根っこの深さが上を保つためにあって、それぞれいろんなストーリーがあって、葛藤があって、時間は絶対かかっていますよね。残るものを作るには。
——時間というのが条件のひとつだと思いますが、そう考えていない人もいます。なぜなら特にデジタル革命とかAIとかで、もっと時間をかけずに量産が簡単にできていっています。コンテンツの量は今の何百倍とか何万倍にも膨れ上がると思うんですよね。しかも世界ともっと密につながって、そうしたときに時間をかける意味を見いだせたらいいのですが。
デジタル上の表現とか、デジタルツーリングで作るものって、いろんなものが作れるって思われがちです。100人のクリエイターが同じソフトを作って、ソフトの中って同じツールがあって、同じ使い方があって、そのインスピレーションをインターネットで探していると同じところに行き着くんですよ。同じところ、同じものを見て、同じツールとなってくると、似たものが凄い増えてくる。みんなに気づいてほしいのは、 “アウトサイド・オブ・デジタル”。デジタルって実はもの凄い制限がかかった世界なんだよって。同じような画面の中で、味もなくて味わうこともできないし、匂うこともできないし、触ることもできなくて、風も吹かないし光も入らないっていう世界の中の制限があるっていうことを分かっていない。それを本当に自由と感じて、自由なキャンバスだって本当に感じられる? って思うんですよね。
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——そうですね。それを分かった上でコンテンツを消費していったほうがいいですね。逆の発想で、“アウトサイド・オブ・デジタル” が感じられるものがデジタルアートなんですかね?
この前のグループ展はデジタルアートのギャラリーだったんです。その時に考えて考えて、 “デジタルアート” が新しすぎて、こういうものだよねという哲学論がまだ出ていないなって思いました。フィジカルなアートの哲学をデジタルに持ってきて、ジャッジしようとしている。まずそこからもうちょっと巻き戻して、例えばデジタルアーキテクチャとか、AIアーキテクチャ、建築って、どこの土の上でどんな光が入って、どんな環境でコミュニティがあって、できるものだと思うんですね。でもデジタルの中だと、「いや、デジタルの中の建築で、窓いる?」 みたいに思っちゃって。デジタルアーキテクスチャって、実はもっと掘れるんじゃないかな、と。例えば、土をネットワークの遅さ・早さに置き換えてみたり、光の明るさをアクセス数に紐づけてみたり。
デジタルの反響っていうところから考えたほうがいいんじゃないか。例えば電気が必要だとか、モニター越しでしか見られないとか。ピクセルがあるとか、RGBというカラーリングだとか、コピーができるとか、左右対称が作れるとか、上下がない世界とか、いろいろ考えてみたんですが、デジタルの中でもアートはきっとできるんですね。デジタルの環境や良さ、制限をもうちょっと考えてみて、そこから何を問うべきなのか、とか。例えば、遠いほど良い、という仮定があり、より遠くに届くほど価値が出るのがアートなんじゃないか。量産されるものが価値なんじゃないかとか、いろいろ考えてみています。
——まさに、人間だからフィジカル前提で話しているのが、そもそものデジタルアートでおかしなことだということですよね。まだデジタルの視点から作られているものはないし、あるかもしれないですけど、そこにまだ人間は立てていないかもしれないですね。
基盤がまだちゃんと業界として出来ていないのかなって。例えばいろんなコラボレーションの人数が多いほどいいという見方もあると思うんですよ。インターネットの中でコラボできる。この作品のWEBが、広くて拡散しているほどこれに価値があるという考え方だとか。
——デジタルアートはそういう掘り下げ方というか、そういう方向性があるんだという光が見えた気がします。
そういう時に出したものが、1ピクセル幅の直線っていうものなんです。地球上だと、どれだけ真っ直ぐな線を描こうとしても真っ直ぐにはならないんです。どれだけ真っ直ぐに歩いていたとしても、地球を歩いていたら丸になっちゃう。地球に対して真っ直ぐな線が描けるのはデジタルの中の世界だけなのではないかと。その問いかけを、いっぱいモニターをくっつけて、「線」という作品で出して、その1ピクセルを売っていました。1ピクセル1円っていうのでやっていたんですが、この同じものをみんなが持っている、数が多くなるほど線が長くなってつながっていくみたいな。
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——面白い。
自分の中の問いかけから、ひとつの仮説を立ててみて考えたものを出す。この現実世界では本当の綺麗な直線ってないのかも。
——机は直角に出来ている感じがするだけであって。それを考えるのはすごく楽しい。
すごく楽しかったです。辿り着いた時に(笑)。
——デジタルアートの進化に希望が持てます。一方で、なぜフィジカルの世界では直線が存在しないのかを考えた時に、人間の根源的な欲求、拒否反応みたいなものにつながっていく気がしなくもない。要は、デジタルに対して、そういう考えは面白いと思いつつも、デジタルでは人間の本質がもしかすると失われてしまうかもしれない。だからデジタルを通してそこに気づけて、人間の本質を知ることができるのではないのか、とか。だからこそ、人間性を失わないため、フィジカルを失わないために、方向性はきちんと決めておきたいと感じました。
うんうん。なんかこういう話ができるのは嬉しいですね。
——そこに辿り着いたというか、第三の目が開く感覚。
こういうことばかり考えますね。どんなプロジェクトも掘り下げて、それに対する自分の美しさを発見したら、その本質に自分自身で辿り着けたら、それをどう表現するのか。人それぞれのコミュニケーションのあり方なので、大事なのはそのエクササイズで、一番楽しいところですね。
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——もし今の社会なり世界に対して、不満があるとしたらそれは何で、ZOO AS ZOOの活動でどのようなサポートができると思いますか?
不満、そうですね。人の進化を考えると、前に進むとかってことって、その時代に合わせて変わっていくことだと思います。その変化自体が社会として前進しているのかどうかは難しいです。もっと昔は、いろんな村があったり、いろんな衣装があったり、いろんな言語、儀式、決まりごとやルール、考え、考えからきたカルチャーがありました。今はそれがどんどんジェネラライズされていっています。教育や社会のあり方、働き方であったりとか、全部まとめてこれにしようみたいに、何かが大きく変化することで、世界全体的に失ったものがあると思います。
——本当に共感します。フラットになっているというか、先ほど味わいの話をしたと思いますが、薄口にすることでみんなが傷つかないみたいなことになっちゃっている気がします。
そう。もっと派閥があっていいし、ある程度争いがあってもいい。それだけ強く思える人達のグルーピングがあるってことなので。同じような学校で同じ教科書で同じようなカリキュラムで、先生の教え方もこうじゃなきゃいけない、とか。すごく人類をつまらないものにしていっているような気がして。大きく分けて、国の中でもいっぱいあってその中にもいっぱいある。もっと方言もあったし、美しさの基準も、結婚のあり方ももっといっぱいあって、いろんな人がいろんなことを考えていろんなあり方を出してきたのに。
——デジタルアートの話をして良かったと思うのは、人間の進化がデジタルのようになってきているというか、さっき制限はデジタルのほうが多いって話をしたじゃないですか。 “L” を押すと “L” が入力されるみたいな。
アルファベットを使うこともだし、アルファベットでコーディングを書くのも、誰が作ったかによって支配されています。
例えば大きく話すとインターネットがつながらない人達の生きた証しはインターネットには残らないわけです。そういうところにも情報があって生きた証しがあるのに、それをないものと見なして、 “デジタルは進化” と言っています。すごく限られている世界だと思うんですよね。もちろんインターネットの中にも情報など発見はいっぱいあります。可能性が広がったこともたくさんあります。でも忘れがちなこともあります。
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——本当にそうですよね。だから、そういう意味で考えるとデジタルアートっていうのはすごく可能性を秘めているかもしれないですよね。それに気づかせてくれる。
そうですね。不満は……。スタバもこんなにいらないし(笑)。キャピタライゼーションは分かるんですけど。いろんな人達が小さいコミュニティで、新しいコミュニケーションツールを作っていく例えばギャル語とかギャル文字とかそういうのがすごく好きなんです。その人達だけができるコミュニケーションを作っていくってすごく大切で、本当は凄いこと。そこだけのファッション、そこだけの美学、そこだけのコミュニケーションツールを若い子達が作るエネルギーって、やっぱり生きてるって思う。
——まさに。ダイバーシティの話に戻るかもしれませんが、自分はマジョリティの圧力でマイノリティが社会の隅に追いやられてしまうことって、ある種、いい側面もある気がしているんです。だからそれを今はフラットにしようとしていて、マイノリティをうまくサポートできているのかと思います。ダイバーシティとかインクルーシブという言い方が。みんな同じところに立とう、スタートラインに立ちましょうっていうのは、もちろん当たり前のことだと思うんですけど、同じスタートラインに立てなかったからこそのガッツがあったりとか、自分に気づけたりってこともあると思うんですよね。
そういう考えも持っている大人ってすごく大事です。子供が大人になる過程で、いろんな形を見せることはすごく大事で希望を与えることだなと思っています。見えないものを想像するのはすごく難しいので。自分で自身の道を作ることができるのは、限られた人格の人とかになってくると思うんですよね。でも子供の頃からいろんな形があることを知ると、100を見せたら100の選択肢があって、その中のひとつを選んだ後にまた100があって、その中にまた100があると、独自な生き方ができる。(私には4人の子供がいるのですが、)無理にこういう大人であろうとか、大人ということすらも自覚していないというか、私は私だからという感じでいるんですけど、最初は罪悪感みたいなのもあったんです。でもそういう窮屈さの中で生きてほしくないので、そのまんまでいるようになりました。でも、子供はオープンマインドで、観察力も想像力もすごくあるので、こっちから伝えなければ自分達で情報を整理して、自分の解釈ができるんですよ。でも言われちゃうと信じ込んじゃうんで、その幅をオープンにする。自分らしさを守っていくとどうしてもマイノリティになるのは仕方がなくて、それが普通なんですけどね。みんなマイノリティのはず!
——そうですよね。
堂々と見せているか、だけ。
——最初の削ぎ落としていく話が伏線回収できた感じ。
社会に罪悪感を持ちながら自分を変えていくのは一番の罪だと思っています。
——なるほど。だから、その刺激を与える意味でのZOO AS ZOOの活動ってことですね。
そうですね。今の活動は10年目を間近にして、チームの意志もあるし、いろんなプロジェクトをもっといろんな人とやっていくためには、出ないといけない。スケールが大きくなると、自分達の小さいスケールの中だけではできないので、知ってもらうことが必要で、それをどう、誰に知ってもらうかをちゃんと決められればいいという考えにやっとなりまして。考え方とかもこの数年で自分はすごく成長したと思っています。よりはっきりと、ふわっとした中でもちゃんと説明ができたりとか、この数年いろんなことがあったからこそ、自分の見えるものが広くなった。この数年ずっと考えているのは、見えている情報や聞こえている情報より、見えないもの、聞こえていないもののほうがはるかに多く、大きい。見えているものが5%と考えると、見えていないものへの想像力がすごく必要になってくる。歴史もそうなんですけど、美術館に行って絵を見る時、誰が絵を描ける権利があったのか、学校に行けない人とか、字すらも書けないとなると、本すら残せないとか、美術家に女性は少ないとか、残されたものってほんの一部。それらがその時の全ての風景じゃないし、声でもない。自分が知っているもの、見えるものが全てじゃないって思うとすごく楽しいですよね。
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——茶の湯の文化だとか、日本庭園、織物、和歌、俳句もそうだと思うんですけど、日本のそういう伝統文化において、個人的な見解では、空間認識能力に長けていたと思っていて。 “幽玄” が近いのかもしれない。例えば枯山水、湖を石で見立てましたとか、見えないもの、精神性を別の形にして残しています。
そうですね。それを自分の生活の中でもよく考えるようになったし、人との関わりでも、自分が想像しているより結構複雑な状況が多いです。みんないろんな事情があるので、自分が聞いたもの、見たものだけでジャッジしないように心がけています。知らなくても不安にならないというか、許容ではなく、可能性の多さというか。
——最後に、先ほどジェネラライズされている社会に不満を感じているとのことでしたが、その課題を解決するために、一言で何が必要だと考えますか?
それぞれの “自信” ですかね。自分を信じる力。自分の意志にオーナーシップを持って、自分で考えて自分の答えを出していく。それで自信が積み上げられていくものなのかなって思っています。 傲慢ではなくて “本当の自信” ですよ。まずは自分から、自分のありのままと向き合うことから始めて、相手にこうしなきゃいけないなどと求めずに、その人のあり方に感謝する。自分をちゃんと大事にできれば、ちゃんと自分にフィットするものを見つけられる可能性が高くなってくると思っています。友人でも仕事でも恋愛でも、このフィット感を探していく。さっきの村の話じゃないですが、いろんな器、コミュニティの交差が出来てくるはず。窮屈でもここに入ろうではなくて。それぞれ自分を信じて、それを続けていく力を持つと、自然にこうなっていくんじゃないかな。今、ZOOのあり方はそうだと思っていて、私がずっとこうだから周りに人が集まって、調和がいいんですよね。ただそれだけで。
——アーティストやデザイナーの方々へインタビューでこういう話をすると、芸術的眼差しとかっていう返答がくるんですけど、人間のあり方みたいなところに落ちていったので、すごく良かったと思います。
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——最後にすみません、ラーメンは日本でやっているんですか?
光るんですよ、ラーメン。ポップアップ系なので、いろいろなところでやっています。ロンドンにあるスタジオとレシピ開発をしました。妖怪の家族が営んでいるラーメン屋というストーリーがあって、「むか~しむかし……」の中に入り込んだような体験型です。「中村家」というのは母親の旧姓が中村で、岡山にある古い家の記憶からインスピレーションを得ました。
——光るラーメン、どこかでやってください。
やってほしいっていう案件が来ていて。
——日本で? 海外?
海外、ヨーロッパですね。
——ちょっと詳しく知りたいです。
分かりました。シェアします。
- INTERVIEW: YUKI UENAKA