style
Where the runway meets the street

マルタン・マルジェラ(Martin Margielaの生涯とそのキャリアについての語りに、絶対的な終着点というものはないような気がするときがある。彼の誕生日がいつかというような所定の事実や、一般世間が彼を捉える尺度である、彼のシーズンごとのファッションの基準以外のところで、彼についての既知の事実というものは非常に少ない。

ファッション界のインビジブルマン(透明人間)たるマルタンについて語ろうとするとき、我々プレスは、ごく限られた公の情報を読み解き、そこから何か新しみのあるものを目指そうとする。その中で書き手それぞれの独自のスタイルによる違いが作用する。その行為を通して、書き手である我々自身がマルタンに少し近付いていくのかもしれない。素材によって自身の表現が制約を受けることを究極的に拒んだマルタンという人物に。彼はそれを予知していたのだろうか? こうなることを予知してあえて、自身がファッションから身を引いた後も何十年にもわたり語り継がれるものの種をまいたのだろうか? その可能性がかなり高い。

Maison Martin Margiela(メゾン マルタン マルジェラ)」のヴィジョンの表現には凝った形容詞が使われがちで、Maison Martin Margielaというブランドが調和というものに対していかに華麗に卑屈な立ち位置を取ってきたかをうまく言い表していないことがしばしばだ。ともすると、このブランドを形容できる一言というものはいまだに存在していないのかもしれない。そもそもマルタン自身が自在な表現の連続なのであって、彼と彼の表現とは切っても切り離せないものだったのだ。奥深さと繊細さ、大胆さと控えめさの共存。

ハイライト書籍Maison Margielaとのコラボレーションのリリースを見届けた今、我々が今回どのように、この絶対的に独創的かつ前衛的で、ファッションをしっかりと捉えた上で全てが覆るほどに揺さぶるようなプロジェクトに取り組んだかを振り返った。Highsnobietyは、匿名性と不可視性というマルジェラブランドのコアテーマから出発し、ジョン・ガリアーノ(John Gallianoによる、より新しく表現性の高いデザインコードを使って(ジェニー・)メレンズ(Jenny Meirens)とマルタンが修業時代に温めた「無の空間」という非常に重要な発想を紹介することに努めた。いずれも白黒の色調で展開したプレタポルテの洋服、シューズ、アクセサリーから成るカプセルコレクション。1990年代初頭にマルジェラが広めた数字のデザインの中にHighsnobiety の「HS」のロゴを入れ込んだ史上初となる共同ブランドデザイン。マルジェラのメンズウェアラインを意味していた10という数字を差し替え、ストリートウェアの勢力が高まり続けるマーケットにおいてラグジュアリーの存在感を押し出すカプセルコレクションとなった。

ベルギーのトップデザイナーの多くがそうであるように、マルタンもアントウェルペン王立芸術学院の出身だ。そんな彼は、「アン・ドゥムルメステール(Ann Demeulemeester)、ドリス・ヴァン・ノッテン(Dries Van Noten)、ダーク・ビッケンバーグ(Dirk Bikkembergs)、マリナ・イー(Marina Yee)、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク(Walter Van Beirendonck)、ダーク・ヴァン・セーヌ(Dirk Van Saene)から成る高名な「アントワープ・シックス」の一員だと思われていることが多いが実はそうではない。とはいえ、名誉ある第七のメンバーとみなされている。マルタンはアントワープ・シックスが1986年のロンドンファッションウィークでブレークした1年前に既にロンドンに拠点を移し、ジャン=ポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)の下で働いていた。アントワープのファッション博物館(MoMu)の館長でありチーフキュレーターであるカート・デボはアントワープ・シックスやマルタン・マルジェラについて「世界レベルでのブレークを実現した最初の世代」と述べている。

ジャン=ポール・ゴルチエの下での修業を経て、1989年、マルタンはビジネスパートナーの故ジェニー・メレンズとメゾン マルタン マルジェラを共同設立。翌年パリでデビューコレクションを発表した。席取りは早い者勝ち、モデルは躓く、ランウェイはランウェイと呼べるのか怪しいほどにクレーターのようにガタガタというショーで、大衆向けの新たな見せ物としてファッションを見せた。同じくベルギー出身のデザイナー、ラフ・シモンズ(Raf Simons)は、そんなマルタンのデビューショーについて「彼はまさにこれがしたくてファッションデザイナーになったのだろう」とさえ述べている。1989年フランスの首都パリで展開されたそんな無法地帯のようなショーがしかし、やがて当時のプレゼンテーションモデルの全て批判し、新鮮味を失ったファッションの世界に単独で変革をもたらすこととなる。

マルタンが陶器でできたベストを発表したのはこのショーでのことだった。不揃いの陶器の破片同士が非常に繊細に縫い留められていた。「ラ・モード・デストロイ(破壊というファッション)」の発想を広めるきっかけとなった作品だ。やがてその発想は脱構築主義というカテゴリーに分類されるようになる。次に1991年にはグラフィティをあしらったTabiブーツが発表された。新しいフットウェア作りに充てる予算が全くなかったところから出発したデザインではあるのだが、マルタンの揺るぎない才能により斬新な印象を与える仕上がりとなった。こうした取り組みは、レディメイドを取り込んだファッションの初期実験ということができるだろう。マルタンにとってTabiは彼の言葉でいうところの「インビジブルシューズ」に相当するものであった。ヒールがある以外はほぼ裸足で歩いているというイメージだ。それ以後このアイデアはいろいろな形に結実しているが、インビジビリティというテーマは今日においても色濃く見て取れる。

しかしマルタンの存在は、こうした謎めいた、時代精神を定義付けるような作品の枠組みを超えたところにあった。誰も目を留めないような生地をアート作品へと変身させる、無一文から富、富からまた無一文への回帰という精神性、物理的離脱。彼は「ラ・モード・デストロイ」を自らの遊び場とし、この最も純粋な再構築形態に、信憑性のある、正当なストーリーを紡ぎ出した。そんな偉業の向こう側にいるマルタン本人に面会することは不可能に近かった。プレス嫌いで知られたマルタンは、自らのパーソナリティや信条を、プレスに語る代わりに自身のブランド、作品に反映させていた。彼は映画監督のライナー・ホルツェマーに、そうしてメディアへの露出を避けることで自分という人間を守っているのだとかつて話している。それから時代が下り、デザイナーも常にインターネット上で人の目に晒されるのが当たり前の今日においては、世間から身を隠すことは非常に得難いこととなっている。

マルジェラでの活動期間を通してマルタンは終始、規則への追従を拒んだ。メレンズと共に行った洋服のブランディングと同じような品と魅力をもって、あらゆる前提を否定した。数々の一風変わった場所で作品を発表してきた中でも、モンマルトルの墓地で行われたメゾン マルタン マルジェラの1993年春夏のショーは、今回のコラボレーションと特に関係が深い。Maison Martin Margielaは会場の2箇所を使い2つの別個のショーを発表した。片側はオールホワイト、もう片方はオールブラックだった。その記念すべき瞬間へのオマージュとしてHighsnobietyとメゾン マルジェラでは、ラフなステッチを入れた白黒レイヤーのセーターと、27年ほど前にもてはやされたシンチバックルウエストを思わせるベルト付きのアウターを発表した。次の言葉からは、メゾン マルジェラが洋服そのものよりも遥かに白と黒というテーマに深い結び付きを持っていた、白と黒こそがブランドにとって導き手となっていたのだということを理解することができる。

マルタンは一般的な美的感覚で「合格」とみなされる一切のものに反対する人物として自らを確立し、通常ファッションでは極力隠す、見せないようにするような合わせ目、糸のほつれ、擦れなどを前面に引き出した。メレンズはニューヨークタイムズのインタビューの中でそのことを「洋服を文字通りひっくり返すような作業」と述べている。さらに2人は、なんの加工もしていない布を単に縫い付けただけのものをタグとするという領域にまで進んでいった。外れやすく、外れてしまえばブランド名が全く分からなくなる。MMM がこうして作り出したアイコニックなブランディングは、高度に知的なファッションのアナーキー行為のひとつだったと言えるだろう。同じニューヨークタイムズのインタビューの中でメレンズはそのことを「ひたすら自由になること」だと述べている。その白い布、マルジェラの「無の空間」こそを「勇気と信念」の究極の表現として捉える行為である。

評論家から絶賛されながらもマルタンとメレンズはメディアへの露出をほぼ拒み、パートナーとして過ごした16年の間ずっと、写真を撮られることも、取材を受けることも避けて通し、2人で立ち上げたブランドの理想を体現していた。2002年、過半数の株がディーゼルの創業者でありプレジデントのレンツォ・ロッソによって買収された。その後 2009年、マルタンは20歳のバースデーショーを最後にマルジェラを去った。そのことで彼の正体不明さは「より一層大きなメッセージ性を持つ」ようになったとパトリック・スカロンは述べている。

マルタン退却からおよそ6年、ジョン・ガリアーノがクリエイティブディレクターに就任し、メゾン マルタン マルジェラは真ん中の「M」を落としてメゾン マルジェラとなった。まさにマルタンが拒んでいた派手さや過剰さこそをトレードマークとするガリアーノが就任したことは、多くの人の目に大間違いとして映った。こうして一見「ミスマッチ」と思われた人選が、実際には既に確立していたマルジェラの世界観の正反対を行く人物こそを意図的に求めた結果であったことに評論家は気付かなかったかもしれないが、業界に多数存在する既成概念に詩的なアンチを唱えることこそが、マルタンの信条そのものではなかったのだろうか?そんなわけで、ジョン・ガリアーノは、マルジェラブランドの創立当初の理想をそのまま具現化したような人材だったのだ。マルタンの初期の作品がそうであったように困惑をもって受け止められたとしても。

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