グレース・ウェールズ・ボナー(Grace Wales Bonner)に全てを与えよ。イギリスとジャマイカの血を引く彼女が、いくつもの著名ブランドのクリエイティブ・ディレクター候補として名前が挙がっているとの噂を耳にしたとき、こう思わずにはいられなかった。彼女ほどの才能と支持を集めるデザイナーが、これまで抜擢されてこなかったことの方が不思議だ、と。

そんなボナーが遂に正当に評価された。グレース・ウェールズ・ボナーがHERMÈS(エルメス)メンズプレタポルテのクリエイティブディレクターに就任する。それも、じっくりと腰を据えて。

「夢が叶い、新たな一歩が踏み出せます」とボナーは声明で述べた。本心からの言葉だ。

著名アートキュレーター、ハンス・ウルリッヒ・オブリスト(Hans Ulrich Obrist)によるインタビューの中で、2019年、ボナーは、大手ブランドのクリエイティブ・ディレクターになることを前向きに考えている旨を述べていた。ただしそれには条件があった。

「私が惹かれるのは、伝統を持つブランドです。既存の枠組みの中で、古典主義の要素を揺さぶり、再構築していくことに興味があるのです」と彼女は当時から語っていた。

具体的なブランド名を尋ねられ、真っ先に挙げたのがHERMÈSだった。彼女は、今から10年以上前の2014年、ロンドンの名門美術学校セントラル・セント・マーチンズを卒業したばかりの年に、自身の名を冠したブランドWALES BONNER(ウェールズ・ボナー)を立ち上げたデザイナーである。

WALES BONNERと聞いて多くの人が思い浮かべるのは、ほぼ単独でサンバスニーカーの再ブームを巻き起こしたと言えるadidas(アディダス)とのコラボレーションだろう。だが、ボナーの創作の核にあるのは、サヴィル・ロウ仕込みのテーラリングである。

ボナーは、何世紀にもわたりオーダーメイドスーツが仕立てられてきたロンドンの名通りサヴィル・ロウに店舗を構える、英国の老舗テーラーANDERSON & SHEPPARD(アンダーソン&シェパード)と長年パートナーシップを結んでいる。クラフトへの深い意識は、ボナーの手がける全ての作品に通じている。近年、ストリートウェアの巨頭STÜSSY(ステューシー)とサーフカルチャーに着想を得たコレクションを発表した際にも、ダブルブレザーにはLoro Piana(ロロ・ピアーナ)の上質なドースキンウールを採用していた。

しかしボナーは単なるスーツの作り手ではない。ディナージャケットや70年代風のフレアジーンズへのクロップやスタッズを施し、テキスタイルをパッチワークのように組み合わせながら、服装のジェンダー規範そのものを更新している。

フランス伝統ラグジュアリーファッションの頂点に立つHERMÈSにも、ボナーによって、思慮深く実用的なコントラストがもたらされるだろう。HERMÈSの前クリエイティブ・ディレクター、ヴェロニク・ニシャニアン(Véronique Nichanian)は、およそ40年にわたり控えめで洗練されたコレクションを生み出してきた。どれも上質で静謐なコレクションだった。HERMÈS自体が静けさを美徳とするブランドではあるが、ニシャニアンのコレクションはそのコアな顧客層を超えて広がるものではなかった。ボナーは、その枠を大きく越える可能性をもたらす存在である。

WALES BONNERのコレクションには、ボナーのルーツであるイギリスとジャマイカに加え、より広範なブラック・ディアスポラ(元の居住地を離れて暮らす黒人コミュニティ)の要素が息づいている。シーズンごとに、裸足でマラソンを制したエチオピアのオリンピック選手アベベ・ビキラ(Abebe Bikila)から、気品あるアメリカ人作家ジェイムズ・ボールドウィン(James Baldwin)まで、多様な人物が参照されており、地に足のついた服に豊かな深みを与えている。

こうした世界的視野と知的な思慮こそが、グレース・ウェールズ・ボナーの作品に生命力を与えている。やがてHERMÈSにも、同じ息吹が宿ることになるだろう。