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Life beyond style

セクシーの夏:HIGHSNOBIETYはこの夏、服装を超越するパーソナルスタイルを探求する。社会、性、心理的表現と探求の場としての身体をテーマとした評論、ストーリーを紹介する特別シリーズ。オマー・アポロ(Omar Apollo)のデジタルカバー、ファッション界の傑作(ケツ作と言うべきか)エッセイ「お尻」、パンツとしての下着についての論考、そして限度なき服装の自由についてのレポートなどを続々お届け。

1993年、ニューヨーク誌5月号の表紙を飾ったのは、アルバム『Ingénue』でプラチナディスク賞に輝き、一躍スーパースターの座に躍り出たシンガーソングライター、k.d.ラング(k.d.lang)だった。代名詞のスーツ姿、カーテンカットのヘアスタイルのラングが、あごに手を添え、カメラを直視した写真だ。腕の部分にかかる見出しに「レズビアン・シック」、頬の横に「ゲイ女性の大胆不敵な新世界」と書かれていなければ、フォーチュン誌やインク誌の表紙にも見えたことだろうし、波紋を呼ぶこともなかったかもしれない。有名誌がレズビアンを表紙に起用することはめったになかったことであり、仮にあったとしても、その性的指向について堂々とポジティブに発信をすることはまずなかった。

2カ月後、ラングはさらにヴァニティ・フェア誌の表紙に、今度は90年代を代表するスーパーモデルのシンディ・クロフォード(Cindy Crawford)と一緒に登場した。二人で一緒にポーズを決めて撮った写真だ。クロフォードは黒の水着にヒール姿、片手にカミソリを握っている。ラングは散髪椅子にもたれ、喉と鼻の下にシェービングクリームを塗られた姿で両眉を上げ、コミカルな表情をしている。遊び心のある表紙だが、こちらもやはり、非常に珍しいケースだった。

その後数年の間に、ゲイの女性はメディアやポップカルチャーへの登場、有名雑誌の表紙への起用、テレビ番組の司会、映画の主役を果たすなど、いたるところに登場するようになり、タブロイド紙の大物達とパーティーを繰り広げるようになった。『GO fish』(1994年)、『バウンド』(1996年)、『Go!Go!チアーズ』(1999年)などの映画は、ゲイであることを前面に出したキャラクターが登場する作品だ。ゲイであることを公にした上で女優、モデルとして活動していたジェニー・シミズ(Jenny Lynn Shimizu)が、Calvin Klein(カルバン クライン)のようなメジャーブランドのキャンペーンに出演し、アンジェリーナ・ジョリー(Angelina Jolie)やマドンナ(Madonna)といったスターと颯爽と歩く姿が写真に収められた。2003年になる頃には、ゲイである旨を堂々とカミングアウトをしたエレン・デジェネレスが、世界最大級の昼間のトーク番組の司会を務めるまでになった。

潮流が変わり、レズビアンであることが突然ファッショナブルさを帯びるようになった。ファッショナブルなだけでなく、シックとさえみなされた。レズビアン・シック。それはルックであり、ひとつのムーブメントであり、歴史の瞬間だった。

その発端となったルックとして、決定的なものがあった。

体にフィットするニュートラルトーンのビジネスウェアに身を包み、話題のデザイナーズハンドバッグを携えるのがレズビアン・シックだった。1970年代にレズビアン・フェミニスト・コミュニティによって創設された反ファッション運動の、だぶだぶとした両性具有的な着こなしとは対照的だった。整った身だしなみで会社勤めをし、収入は高く、コスモポリタンなライフスタイルを送る、1993年のワシントン・ポスト紙に掲載されたカーラ・スウィッシャー(Kara Swisher)のオピニオン記事の言葉を引用すれば「脚は毛だらけ、食べるのはグラノーラ、女性の音楽贔屓で、反男性主義の性悪女系」レズビアンとはかけ離れたものがレズビアン・シックであり、それは90年代のメディアでよく使われた、クィアに見えるほどに男性的でありつつも、異性愛規範の世界に女性として溶け込むこともできる装いを意味する表現であった。

少なくとも、映画やテレビ、雑誌の見開きページで描かれるレズビアン・シックとは、そうしたものだった。

しかし現実は違った。レズビアン・ファッション史の研究者で『Unsuitable: A History of Lesbian Fashion』の著者であるエレナー・メドハースト(Eleanor Medhurst)は、レズビアン・シックについて「レズビアンのスタイルや文化のうち、世間から受け入れられ得る部分を主流に押し上げる一方(主流文化にとって)「魅力的」とされない部分を全て無視」していたとしている。

当初「アンドロジニー(両性具有)、スーツ、ショートヘア」として始まったものが、ほどなく「ガールボス的レズビアン、つまりパワースーツに少しフェミニンなカットの少し長めの髪」というスタイルへと変化していったのだとメドハーストは言う。ラングやシミズのような男性的なイメージの女性から、突如としてVERSACE(ヴェルサーチェ)のランウェイの常連になるまでの名声を勝ち得たモデルのターシャ・ティルバーグ(Tasha Tilberg)、『GO fish』や『アメリカン・サイコ』(2000年)の脚本、主演で、やはりその名を轟かせた脚本家で女優のグィネヴィア・ターナー(Guinevere Turner)のような、従来の女性に近い方へと、レズビアン・シックは変化していった。また実際のレズビアンではない人物や、実在さえしない人物がレズビアン・シックの顔を務めるケースも発生した。マドンナや『Lの世界』のベット・ポーター(Bette Porter)などがその例だ。こうした変化が起きたのは、マーケティングのしやすさによる、というのがメドハーストの主張だ。シックであるか否かを論じる以前に、ジェンダー規範を破壊することなく、遵守する女性の方が、消費者には心地が良かったためだという。

レズビアン・シックの歪みが生じたのは、美的感覚の点に限ったことではない。ほとんどのゲイ女性の暮らしは、富と名声に恵まれたラングやマドンナの暮らしとはかけ離れていた。「一般」人にとって、ゲイであることを公言することは、時折、あるいはそれ以上に、社会生活における大きな代償をもたらすのが現実だった。家族から勘当されたり、仕事探しに苦労したり、嫌がらせを受けたりする。最終的にレズビアン・シックはクィアの政治性と向き合うことなくストレートの集団に迎合し、レズビアニズムを見た目の問題へと変えてしまった。

2000年、ジョディー・R・ショルブ(Jodi R. Schorb)とタニア・N・ハミディ(Tania N. Hammidi)が『Tulsa Studies in Women’s Literature(タルサ女性文学研究)』誌に寄稿した論文「The Do’s and Don’ts of Lesbian Chic(レズビアン・シックの心得と禁忌)」の中で実に的確な表現をしている。「露出度を高めれば自ずと力が手に入るというものではない。自身のビール広告を出したからといって、レズであることを理由に勤務先のビール工場から解雇される可能性がなくなるわけではない」

批判はさらに続いた。2004年の『Lの世界』の初回放送後、ブース・ムーア(Booth Moore)がロサンゼルス・タイムズ紙に寄せた記事には「この番組もまた(レズビアンの)受け入れを促進するのではなく、レズビアンをマーケティングの道具として利用するものになりかねない。本作の目的は『セックス・アンド・ザ・シティ』の後に続く作品を作ることにあるのだろう」とある。『Lの世界』のような番組に登場したスタイリッシュで上品なレズビアンは、メインストリームの(ほとんどがストレートである)視聴者の目を楽しませることを目的に描き出されたものだった。

90年代の他のトレンドと同様、レズビアン・シックにおいても、レズビアニズムは一過性の流行として扱われたに過ぎなかった。現在では廃刊となっているオーストラリアの女性誌『クレオ』の1993年発売の一冊では、レズビアン・シックを最新の「ファッション・ステートメント」であるとし、また「口角の上がった魅力的女友達」を最もホットな「デザイナー・アクセサリー」だとしている。レズビアニズムをアイデンティティの一部ではなく、新作のPRADA(プラダ)のハンドバッグのような感覚で扱っていた。

しかし、レズビアン・シックには本当に後ろ向きの側面しかないのだろうか?

レズビアン・シックがクィア女性の認知度を高めたことは確かだ。レズビアン・シックという美意識がメディアによって生み出される以前、レズビアンはそれほどメディアに取り上げられていなかった。マニトバ大学が実施した世界的な調査によると、1981年から1990年の間にテレビ番組に登場したゲイやレズビアンのキャラクター数は合計89人と、1991年から2000年の338人よりも遥かに少ない。

ロン・ベッカー(Ron Becker)は著書『Gay TV and Straight America(ゲイTVとストレート・アメリカ)』の中で「1992-1993年のシーズンは(テレビ)業界における、ゲイ関係の題材に対する姿勢の転換期であった。1993年春のレズビアン・シック・ムーブメントは、社会情勢の変化を告げるものであり、ストレートの人々がゲイについてより多く、より新しい捉え方において考える機会を与えるものであった」

「レズビアンが立派なものとして表現されるようになって、多くの人が人生に前向きさを見出した」とメドハースト。1993年にスウィッシャーが言ったような「殺人者、被害者、冗談」としてのゲイの女性の描かれ方はなくなった。作家、ジャーナリスト、そしてレズビアン・エロティカ誌『On Our Backs』の共同創刊者であるスージー・ブライト(Susie Bright)は、2023年『PAPER』誌に「レズビアン・シックの登場以前、レズビアンは目に見えない存在だった。私は見える存在でいたい」と語っている。

良いこと尽くめではなかったかもしれないが、悪いこと尽くめでもなかった、といったところだろうか。1993年のスタイルは、特定のタイプのレズビアンを可視化するものだった。そのタイプに当てはまらないレズビアン達は、レズビアン・シックにもまた消去される感覚を味わったことだろう。しかしレズビアン・シックという言葉は完全に消滅することはなく、また進化を始める機会も得ている。2008年の『ゴーカー・メディア』の記事では、リンジー・ローハン(Lindsay Lohan)と彼女の当時のガールフレンド、サマンサン・ロンソン(Samantha Ronson)が 「レズビアニズム・シック」を作り出しているとの宣言がなされている。また2022年、ニューヨーク・ポスト紙は「レズビアンのような服装をすること」を最もホットなトレンドとした。そして2024年、ニューヨーク・タイムズ紙は、デザイナー、ダニエラ・カルマイヤー(Daniela Kallmeyer)の服を「全ての人のためのレズビアン・シック」と称した。今はまだその時期ではないが、レズビアン・シックという言葉が全く違う意味を持つ日もいずれ到来するかもしれない。厳密な定義に当てはまらない限りレズビアン・シックとは言えないといった制限がなくなり、地位や貧富の差に関係なく、レズビアンという枠組みの中にいる全ての人の完全な自己表現が可能になる日が来ることを願いたい。