バスルームの鏡に映ると、evian(エヴィアン)のフェイスミストは “naive” と書かれているように見える。

もしかするとこの見え方は意図的なのかもしれない。何しろ私は今、9ドルもする見せかけの水が入った缶を握りしめ、それをSephora公認のパーティースプレーのように顔に吹きかけようとしているのだから。それでも試す価値はあると思っている。TikTokやInstagram、さらに一部の皮膚科医によれば、毛穴が溺れるほど水を浴びせることこそ、輝く肌への近道らしい。輝く肌とは、ここ数年における幸福のマスターキーでもある。近頃、私達は何食わぬ顔で、それでいて残酷なほど正確に、見た目で語ることを求められている。いや、違う。2026年、見た目が伝えるべきなのは自分が何者かではなく、自分がどんな存在に値するか、だ。というわけで、顔にスプレーを吹きかける。

もしフェイスミストの効能が本当なら、私は肌に、持ち運び可能なSnapchatフィルターのような何かをまとえることになる。そうすれば、美しい人だけが享受できる特権をついに手にできるのだ。予約なしでもコーナー・ストアのテーブルに通され、ラヤでのデートでは、“死神のためのクリエイティブ・ディレクター” は何をしているのか説明してもらえる。マリン郡出身でサーフィンもできると言えば、誰もが疑いもなく信じてくれるだろう。この盲目的な信仰があるからこそ、Nordstromのオンラインストアには現在483種類のフェイスミストが掲載されており、Ulta Beautyに231種類、Sephoraにも158種類あるのだ。TikTokに至っては数え切れない。

今や、フェイスミストがステータス化した時代に突入している。Augustinus Bader(アウグスティヌス・バーダー)のようなカルト的人気を持つスキンケアブランドは、VANS(ヴァンズ)一足分よりも高価なウォーターベースのスプレーを発売しているのだから。そして、中でも最高額だったのは、La Prairie(ラ・プレリー)のスキン・キャビア(約26,620円)、次いでTHE BEAUTY SANDWICH(ザ ビューティー サンドイッチ)(約27,457円)、そしてコッポラ・エステートとホテル・チェルシー御用達のスキンケアブランドMONASTERY(モナステリー)(約18,000円)とのコラボミストだ。もちろんこちらは当然のことながらGoop限定販売だった。中には赤みを抑えると謳うものもあれば、肌のトーンを明るく見せたり、肌のキメを整えるものまである。一方で、ミランダ・カー(Miranda Kerr)のKORA Organics(コラ・オーガニクス)のミストのように、“機能性アロマセラピー” によって気分を高めると謳うものもあれば、Aiir(エアー)のアメジスト・ミストのように、“オーラをリフレッシュする” と主張するものもある。

Augustinus Bader
フェイストミスト
La Prairie
スキンキャビア ザ ミスト
Aēsop
イミディエイト モイスチャー フェイシャル イドロソール

少しおかしな話に聞こえるかもしれないが、クレオパトラも同じようにしていた。紀元前40年頃、彼女はバラの花びらを浮かべた湯に浸かっていたとされ、その習慣は古代ローマの人々にも広がって行った。インドの女性達は、アーユルヴェーダのスキンケア儀式の一環として、グラーブ・ジャルと呼ばれるローズウォーターのエリクサーを用いていた。1400年代には、ヨーロッパや中東を旅する巡礼者達に、病を癒し、魂を守るための “奇跡の水” を入れた小さな瓶、アンプラが配られた。『カンタベリー物語』における『尼僧院長の話』には、修道院長が殺された子供に水を吹きかけて蘇らせたという逸話まである。そしてフェイスミストは、イタリア・ルネサンス期に再び全盛期を迎える。メディチ家の宮廷では、フランス宮廷の白粉を重ねた化粧とは対照的に、みずみずしい艶肌が好まれていた。伯爵夫人や高級娼婦達は、ボッティチェッリの描く理想化された肖像画に見られるような、潤いのある艶肌を好んだ。彼はしばしば彼女達を女神として描き直していた。それは賛辞であると同時に、(夫達を怒らせず裸体を描くための)口実でもあった。

そして現代へ。1962年頃には、後に有名となるevianのフェイススプレーが誕生する。この商品は元々、火傷患者の痛みを和らげるために開発されたものだった。そして1970年代後半になると、白とピンクの特徴的なアルミ缶はアメリカに広がり、ハリウッドはそのフランス的な魅力に夢中になった。中学生のチアリーダー達は、それが禁止されている “本物のメイク” とは見なされなかったことから、学校に持ち込んでいた。つまり、禁止対象にならない “抜け道” 的な存在だったのである。「学校ではみんなこれに夢中でした」とスキンケアセラピストのソフィー・パヴィット(Sofie Pavitt)は語る。「つけていても怒られなかったんです。それなのに、すごくグラマラスに感じられて。親には “ただの水だよ” って言い訳できましたしね」

“ただの水” とはいえ、ときには役立つこともある。そう語るのは、マンハッタンの「肌の達人」こと皮膚科医のマーニー・ヌスバウム(Marnie Nussbaum)医師だ。彼女のクライアントの中には、何もしていないと自然体を装うセレブもいるが、実際はもちろんそんなわけはない。「ミストは、スキンケア製品に含まれる有効成分を肌に浸透しやすくする下準備として役立ちます」と、彼女は先日、アッパー・イースト・サイドの診療所で言った。「水分が導線のような役割を果たすことで、栄養素やミネラルがより素早く肌細胞に届くようになるのです」

DR. BARBARA STRUM
ヒアルロニックフェイスミスト
sisley
オーフローラル
111 SKIN
オールデイ ラディアンス ミスト

ミストはまた、暖房が過剰に効いた古いアパートやオフィスビルのような、乾ききった空気の中でも心地良く感じられる。ひどい風邪や失恋の涙で鼻や頬に乾いた赤みが出たときにも、ミストはその刺激を和らげ、炎症を鎮めるのに役立つ。とりわけ、Allies of Skin(アライズ・オブ・スキン)のようなアロエの鎮静効果を配合した鎮静系の製品は効果的だ。パヴィット自身が開発したフェイスミストには、ニキビ対策成分に加え、皮脂や汗の過剰な分泌を抑える “クーリング成分” が含まれており、ワークアウト後や、コルチゾールが急増するような仕事中などにはむしろ理にかなっている。マルチアーティスト兼コンテンツクリエイターのアーニャ・ティスデール(Anya Tisdale)は、フェイスミストをスキンケアの最後のステップとして使用している。「ちゃんともとを取ってる感じがするんです」と彼女は言う。「その後、肌がふっくらして、さわやかな気分になります」

ならば高濃度の化粧水をたっぷり含ませたコットンや、湯気のこもった食洗機を開けた瞬間に10秒間深呼吸するのでも、同じような効果が得られるはずだ。それなのに、なぜこれらのスプレーがUlta Beautyの新着商品ページを埋め尽くし、TikTok Shopでは興奮気味の絵文字と共に拡散されているのだろうか。その理由のひとつは、メイフラワー号にルーツを持つアフリカ系ディアスポラ研究を副専攻していた大学時代のルームメイト(実話)と同じように、ミストが本質的に “パフォーマンス” 的要素を持っているからだ。ビューティー・チュートリアルやスローモーション再生において、ミストは文字通り “オーラを作り出す” 役割を果たしている。ビューティーエキスパートでインフルエンサーのダニエル・ジェームズ(Danielle James)は、「これはひとつの演出なの」と語る。そして私はふと思った。現実世界でミストを使う自分は、どこか “気取って” 見えてしまうのではないか、と。「多分ね」と彼女は言う。「でもカメラの前なら? 最高よ」(ティスデールは、人前でミストを使うなんてあり得ないとも付け加える。「誰かをイラつかせるつもりはないから」)。スプレーを吹きかける、その仕草そのものが、商品の魅力になっている。目や口の周りに一時的に現れる艶感こそが、「見たら買う」ことが前提となった現代の経済において、十分価値を持っているのだ。

また、水道水そのものへの不信感もあるのだ。空気や体、そして心と同様に、「永遠に残り続ける化学物質」や有害物質、微細なプラスチック片が含まれているという考えがある。そのような中、ミストはある種の浄化装置として機能する。得体の知れない微粒子を、最適化された心地良い水分に置き換えてくれるのだ。ミストは、汚染された環境に対して、まだ何か抗いの余地を秘めている。そう考えると、現代のフェイスミストは悪魔を追い払い、信者の罪を清めるとされたチョーサー時代の聖水とそれほど遠くはない。もちろんその罪とは地球を汚染することであり、私達はそれを正そうとしつつも、いずれ捨てるスプレーボトルをまた買っている。このように、美しくあることと正しくあることは昔から決して同じではなかった。

とはいえ、美しくあることと心地良くあることは、昔から相性のいい関係でもある。そのせいか私は冬至の直前に、ソファに丸くなって、PINK MOON(ピンク・ムーン)の「ルナ・ローズ・ミスト」を手に取っていた。イチゴの果肉のような色をした液体は、ローズクォーツの粉末によって、「あらゆる空間に愛に満ちたエネルギーをたっぷりと注ぎこむ」と謳っている。(とはいえ抗酸化成分やプロバイオティクス、抗炎症作用のある植物エキスといった、本格的なスキンケア成分も配合されている)。私はそのミストを顔にたっぷり吹きかけ、深呼吸を数回してから、頬や額に浮かぶ小さな水滴を見つめた。清潔で、みずみずしくて、まるで妖精のプリンセスのように見えた。スマートフォンを取り出して自撮りをしようとした瞬間、スマホが指の間から滑り落ちた。見下ろすと、スマホケースにまでミストがかかっていて、滑って掴めなくなっていたのだ。この聖水は、Instagramに載せるものというより、現実の小さな喜びとしての方が良かったようだ。しかし、ほんの一瞬、私は何か新しく、潤いに満ち、生命力のある存在になっていた。