End of the World / SEKAI NO OWARI、Fukaseのネクストステージ
3月上旬、彼自身がデザインと監修を手掛ける新たなアニメーションプロジェクト「BAD MOOD(バッドムード)」をローンチさせた、SEKAI NO OWARI、そしてグローバル・プロジェクトのEnd of the Worldのフロントマン、Fukase。そしてクリエイティブディレクターには、End of the Worldのクリエイティブディレクターも務める和田直希氏を起用。その2人と2019年夏に行った、HIGHSNOBIETY JAPAN ISSUE03に掲載されたインタビューを、未公開部分も含めて全文公開。
「End of the World(エンド・オブ・ザ・ワールド)」がついに世界デビューを果たし、 世界の始まりを迎えたボーカルFukaseと、 世界戦略をクリエイティブ面でサポートする和田直希(End of the World クリエイティブ・ディレクター)との対談形式でのロングインタビュー。 究極の世界観を作り上げてきた「SEKAI NO OWARI(セカイ ノ オワリ)」での成功体験が、新人バンドとして海外へ飛び立つEnd of the Worldへどんな影響をもたらすのか。 独特な目線で世の中を見据えるFukaseのリアルボイス。
——End of the Worldの世界デビューおめでとうございます! 最新曲『LOST』を世界リリースされた後の状況はいかがですか?
Fukase(以下F) ありがとうございます! やっぱり、当初から第一目標だった「NEW MUSIC FRIDAY」というSpotifyのプレイリストに入った時に、僕も含めてそこに入るって話を誰も知らなくてすごく嬉しかったです。海外に行くと「NEW MUSIC FRIDAY」っていう大きなビルボードが出てたりして、すごいなあって思っていて、いつか実現してみたいなって思っていたので。ちょうど僕が朝起きて、普通に「NEW MUSIC FRIDAY」のUKを見ていて気になる曲があったからそれを聴いていたら、その4つ下に自分たちの曲が入っていてびっくりして慌てて「入るなんて聞いてないんだけど!」ってスタッフにスクショして送って、そしたら「こちら側も聞いてない!」って。あれだけ認知のあるプレイリストに入るということは、スタートとしてはすごく大切なことだったので、やった! って思いましたね。
——海外からの反応はありしたか?
F 僕に対するレスっていうより、「見たよ! やったね、大変だったもんね」みたいなメッセージをもらったりとか、実際、海外に住んでる友達とかからは反応はありました。
——和田さんの方にも何か反応はありましたか?
和田直希(以下W) 僕はインドネシアとかニューヨークをベースに仕事をしているので、そっちサイドからはすごくありましたね。元々数カ月前から(End of the Worldと)一緒にやってるというのを言ってたからっていうのもあるんですけど、実際そのタイミングでたくさんの人たちに聴いてもらえたというのもあるので、「良かったよ!」っていう反応の方が多かったですね。曲自体のこととか、あと英語の発音が本当に上手いねとか。
——本当にすごいことですよね。ちなみに英語はどこで勉強したんですか?
F どれくらい前からだったか覚えてないんですけど、英語の発音に特化したレッスンをずっとしていて。結構昔から歌のためにもコミュニケーションのためにも。僕はアメリカ人とシェアハウスで一緒に暮らしてたりとか、スペイン人がいたこともあったり、少なくとも日常会話というか、一緒に暮らしていけるだけの会話は、文法を勉強したわけじゃないですけどなんとなくできるようになったんです。英語の発音は、ずっと一緒に側で支えててくれたアメリカ人の友達たちがいたのでちょっとずつ。ひとつ分かったら次分かんなくて、みたいなことの繰り返しで、最終的に僕がいちばん難しかったのは、アメリカ人のなかでも歌にすると認識が違う発音っていうのがあって、その違いってマジで分かんなくて。それこそ最初は“L”と“R”から始まって、でもやっぱり歌なので、口の中だったり体の響きだったりを意識するのは結構ボイトレに似てる感覚もあって、すごい楽しみながらコミュニケーション取りながらやってましたね。
W 初めてFukaseくんに会ったのは、ある食事会だったんですけど、その食事会は英語での会話だったんですよ、外国人が多くて。すっごい上手にしゃべってるなあと思って、それが初対面の印象として大きかったです。Spotifyの初週ストリーム数では、国としてはダントツでアメリカなんですよ、今のところ。
F アメリカ、ドイツ、イギリスの順番で、日本は5位くらいでしたね、ランキングの解析で見るとたしか。あとはメキシコかな。
——それってオーガニックな数字なんですか?
W そうですね。「NEW MUSIC FRIDAY」に載って、その翌日から落ちなくて、むしろ伸びていったんです。これは本当にあり得ないことで、純粋にオーガニックな反応がこの時代でもあるんだなあって。
——それは本物のユーザー反応ですね……アルバムの前に次のシングルは出されるんですか?
F 言ってしまえば、ここまでの反応が得られると思っていなかったので。アルバムを出してツアーを回ることによって、そこで現地の人たちと触れて知ってもらっていくというのが当初のイメージだったんです。でも実際にサブスクとかで聴いてくれる方がいるのだとしたら、もう1枚シングルを出すことについても話していこうと思ってます。
W クリエイティブに関してもストラテジーを中長期で考えてるんですけど、アルバム出してこうなるから次シングル出してこうなろう、みたいな計画がいい意味でひっくり返ったっていう。
——想像していなかったっていうのは、実際にはどれくらいのイメージをしていたんですか?
F 日本だとCD出したり音源が出るのはプロモーションが終わった後、要するにYouTubeでMVを出す、いろんなテレビ番組や、雑誌に出させてもらったりして、みんなが楽しみにしてから(音源が)出る、というのがわりと普通だと思うんですけど、欧米では曲がまず出ることが多いみたいで。それがどんどんどんどんラジオだったりサブスクのプレイリストに入っていろんな人に聴かれるようになっていくっていう、出してからじわじわと広げていくやり方なんです。例えば、海外ではわりと主流なんですが、アルバムがバンッて出ちゃって、そこからリカットされてMVが1、2カ月後に出たりするやり方。やはり初速は遅くて、うまくいくとしてもじわじわじわじわ浸透していって最初は何の感触もないまま始まるんだろうなと思っていたところが、決してゼロではないというか、スタートとしてはこれ以上ないスタートを切れたなあって思います。MVもじつは撮ってはいるけどまだ出ていないものもあるので、雑誌が出る頃には出ていると思いますが、やはりそのタイミングでラジオでかかるように、また世界中にアプローチしていこうっていう話をしています。特に欧米ではラジオがすごく強くてテレビよりもラジオっていう感じなので。海外に行ってるとやっぱり思うんですよね、ラジオでかかっている音楽がすごく耳に残るっていうか。
——パワープレイのレベルが日本とは違いますもんね(笑)。
F クルマに乗っててもそうだし、どこでもかかってるっていう感じじゃないですか(笑)。だからUberに乗ってても絶対ラジオがかかってるし。それが大事なのは僕も実際向こうに行って仕事している時も思っていたので、ここからだなって感じです。
——ビジュアルに関して何かありますか?
W 誤解を恐れずに言うと、SEKAI NO OWARIのファンじゃない人に見せても、すごくかっこいいと言われるビジュアルにしようと意識しました。特に外国の人が見た時にもかっこいいってなるように。もちろんSEKAI NO OWARIもそういう一面はあると思うんですけど。私は世界中でビジネスをやってきたので、その世界の最大公約数っていうのはこれだろうっていうのはすごく意識しました。
——音楽の話に戻るんですけど、アルバムの中の楽曲について何かトピックスってありますか?
F もちろんいろいろあるんですけど、アルバムを作るうえで最終的に重点を置いたのは、“ピアノの音色”が自分たちの持ち味だなって思っていて、歌っていてもピアノと自分の歌のマッチングがいいなあと思っているので、結構ピアノがどこでも聴こえる楽曲になっていますね。ピアノがきれいに聴こえるように、途中からピアノをもっと多用しようって言って。もちろん生で撮ったものもありますけど、これは逆に打ち込みの方がいいピアノの音になるんじゃないかとか、なんかそういう試行錯誤をしながら、そこはすごく大切にしました。
——いろんなプロデューサーの方と組まれてみて、自分のなかで想像してなかったようなことってありましたか?
F なんだろうなあ……。会った瞬間に考える方がすごく多くて、スタジオセッションで会ってそこからパッて始まることが多くて。自分たちのスタイルはアイデアをいっぱい持っておいて、そこでメンバー同士でぶつけ合いながらっていう感じなんですけど、海外では1日でほぼほぼ(曲の大枠が)できて、その後がすごく長いんですよ。スタジオ入って半年後にまたスタジオ入ってっていう感じで、1曲を作るのがすごく長くて。やはりそれは世界のメインの音楽の作り方が、一人にフォーカスを当てたものではなくてプロジェクトとしての一面がすごく強いので、皆さんが皆さん違う役割をしていたりとか、みんなでひとつのプロジェクトを作っていくっていう感じがします。
聞いたところによると、参加して曲を渡されて曲を作った。で、曲が出てクレジットを見て「俺はあのアーティストともコラボしてたんだ」って気づくっていう。ひとりのアーティストがいろんなアーティストに声をかけて、それでプロジェクトが出来ていくので、参加してる側が他に誰が参加しているか知らないこともあるんですよ、全部データのやりとりで済むこともありますから。参加したアーティストがお互いびっくりするみたいな。実際、ポール・マッカートニーがカニエ・ウエストと曲を作った時、誰かと自分が気づかないうちにコラボレーションしていてすごくびっくりしたっていう話を聞いて、あんまり日本だとそういうことってないのでびっくりしましたね、とにかく。それで成立するのかって最初はそのメカニズムを見た時に思ったんですけど、考えてみると映画だってすごくいろんな人が関わっているし。もちろん音楽も、ひとりの人がすごく掘り下げてすごく時間をかけてやる良さもあると思うんですけど、そういうプロジェクトとして、いろんな人が関わっていろんな人がその曲について考える時間があっていろんなアイデアが結集してるっていうのも、ひとつの音楽のあり方なんだなっていうのを学びました。
——和田さんは近くで見ていてどう感じますか?
W End of the Worldの撮影って、事前の確認作業があんまりなくって当日考えようって思うんですけど、自分が得意なことが分かってるので、自分の意見だけを押して誰かの意見が潰れるっていうのが嫌で、現場で自分の得意なことを出そうって思ってます。その時に相手の目を見ながら話すとベストな最大公約数っていうのが出て、そうすると結果、何年か前から考えられてたんじゃないかっていうクリエイティブになるっていう感じで。それこそ今日の撮影も本当にそう思いました。考え抜いて何カ月前から仕込んでっていうのじゃできないなって。どうしてもそれぞれが忖度してしまう。今回の高いところで撮るっていうのもそうかもしれないですけど(笑)、この奇跡を信じてずっと生きてきてやってるので、そのやり方がすごくフィットしますね。
——
それが意識的であれ無意識的であれ、SEKAI NO OWARIとは関わる人が違うということもあって、フィロソフィーが違ってくるのかなと。以前に何かでインタビューを読ませていただいた時に「社会貢献」について読んだことがあって、『Hey Ho』とかの時だったと思うんですけど、それが世界となると価値観が違う人が多くなるというか、より広いところをベースに活動されることになる。そういう意味で、End of the Worldのフィロソフィー的に現時点で考えていることって何かありますか?
F 根本的に「持続可能であること」っていうのをすごく大切にしていて。やはり自分の哲学がどうであれ、続けられないことや実行できないことでは、ただ嘆いてるだけになってしまうので。僕は嘆いて人の心に訴えることが、それが解決に繋がるのならばそういうこともしますけど、ただ嘆いていてそれを届けたことで満足してしまうということを、僕はしないタイプだと思っているんです。例えば、僕は「ブレーメン」という活動をやっていて、それは動物殺処分ゼロを支援するプロジェクトなんですけども、主に犬と猫、ペットに対してで、でも殺処分されてる動物は当然犬や猫だけではないわけで。だけどそこを入れてしまうと、たぶん見た人が時代に合わないとか、クエスチョンマークが生まれてしまう。そうすると、結局実現できなくなってしまうので、ちゃんと今の時代だったら受け入れられるだろうという範囲内で留めておくことが、やはり持続可能とか実現可能っていうことのキーなのかなって思っています。そこは分かる範囲で止める。動物なんだから命は全部一緒でしょって言って、そうだとしても、そういうふうにみんなが思う未来が本当の未来にあったとしても、今はそこは出しどころじゃないっていう、バランスを取ることを自分たちのなかでは大切にしています。
——深瀬さん自身の話にも繋がってくると思うんですけど、音楽のルーツというものを改めてお聞かせください。
F ヒップホップなんですよね、じつは僕(笑)。ジャパニーズ・ヒップホップが僕はすごく好きで、ラッパーになるかバンドをやるかすごく迷ってたんです、結構真剣に(笑)。どっちかっていうと僕は、高校生の時はBボーイ・ストリートスタイルだったので、あんまりバンドバンドしてなくって。和田さんと初めて会った3日くらい後にうちで飲んだ時もヒップホップをかけて、ジャパニーズ・ヒップホップ談義で熱くなりましたよね(笑)。
——具体的にはどのへんのアーティストなんですか?
W OZROSAURUS(オジロザウルス)で盛り上がったよね! 日本のそういうゴリゴリのやつ。
F 「さんピンCAMP」みたいな。
——僕、昔「さんピンCAMP」行きましたよ!
F えっ! いちばん最初のやつってことですか!? それすごいなあ!
——はい、1996年の最初のやつです! 僕はまだ20半ばくらいだったと思うんですけど、ちょうど当時「さんピンCAMP」に参加していたメンバーのZEEBRA、YOU THE ROCK★、RHYMSTER、SHAKKAZONBIEとかと、当時働いていた『Fine』という雑誌でよく仕事してたんです。雑誌にモデルとして出てもらったり一緒にイベントやったり。
F 「さんピンCAMP」は3年前くらいに復活して開催されたやつに僕は行きました。あんまりロックフェスっていうのは行ったことがなくて。でもヒップホップのライブとかはよく行ってるんです、すごく“ラップ”が好きで。
W 飲むとだいぶラッパーになりますよね(笑)。飲めば飲むほどラッパーになって、まずビートをかけだして、ラップし出して、「おい!おまえもラップしろよ!」って絡んでくるんですよ(笑)。
F まじ面倒くさい人になってしまうんです(笑)。
——海外のラッパーじゃなくて日本のラッパーなんですね。
F やはり韻の踏み方がすごく好きなので、ただの棒読みとは違うというか。僕はたまに曲の中でラップ風なのをやるんですけど、韻を踏むのは僕に合わないのであえて踏まない。英語だとこの韻のどこがすごいのかまで分かんなくて、そこって難しいじゃないですか。高校生の時とか全然分からなかったし。日本人の感覚と全然違って、一見同じように聴こえるものでも、向こうからすると全然違うように聴こえて韻にならなかったりするので、やっぱりジャパニーズ・ヒップホップの「この韻の踏み方すごい!」みたいなところが好きだったんです。
——そこから選択肢として、そっちに行かなかった理由はあるんですか?
F 誰も僕がそれをやるのを望んでなかったから(笑)。前に一緒にコラボしたことがある、韓国のアーティスト、EPIK HIGHのMCをやってるタブロと話した時に、「俺は逆でバンドをやりたかったけどラッパーになったんだ」みたいなことを話していましたね。ラップと歌って両方上手い人ってあんまりいないと思うんですよ、必ずどっちかに特化していて。声質によって絶対合う合わないってあると思うから、やっぱりそこは選択せざるを得なかったという感じでした。
——やりたいということじゃなく判断した感じなんですね。
F そうですね。あと、ラップに関しては好きすぎてハードルが下がっちゃうんですよ、自分のなかで。一般に受け入れられないレベルで満足しちゃうと思うんです。僕はミュージシャンになるしか道がなくって、学校も行ってなかったですし、可能性という道がひとつも伸びてなかったんですよ、人生に。だから、ミュージシャンになるしか生き延びる方法がなかったんで、これは普通にヒップホップやったらやばいなって思ってやめました。
——なるほど。それが高校生くらいの時ですか?
F いや、それはもう20歳くらいの時です。僕は高校から20歳くらいまで、閉鎖病棟にいたりとか闘病生活をずっとしてたので。元々あった脳の発達障害からくる心気症だったりとか強迫神経症だったりとかいろんな病気が併発していて、その治療に3、4年かかってしまった。なので20歳過ぎくらいから、これはやばいと思って音楽くらいしか自分に残されていないと思った。その時はまだ音楽は大してやってなくて、一回“F”を押さえるのに挫折してしまったエレキギターを部屋から出してきて、同時、今でもメンバーですが、ありったけの信頼できる友達に声をかけて、工場を借りて、そこをライブハウスにして、「俺はミュージシャンになる!」と。
——それはゼロベースの話ですか?
F はい、ゼロベースの話です。ギターも弾けないじゃん、みたいになったんですけど、どうにかなるって言って(笑)。でも10人くらい集まってくれて、みんながみんな、バイト代から何からそのライブハウスを作るのにお金を使ってくれて、心のどこかでは心配してたのかもしれないけど、みんなが前を向いてて、僕もちょっとずつFが弾けるようになり、っていう感じで音楽を始めたんです。
自分がやりたいものよりも、求められるものをやろうっていう気持ちで。それがすごく嬉しかったんですよね、自分にとって。いい曲だねって言われることがすごく嬉しくって。いい曲だなあって自分で思うより。僕は、音楽はコミュニケーション・ツールのひとつだと思っていて、誰か聴いてくれる人がいないと自分は音楽をやっていたくないなって。やはりきっと僕のラップだったら誰も聴いてくれないなって、歌だったらもう少し聴いてくれる人がいるかもしれないって思った。迷いましたけど、最後は後腐れなく歌をやってよかったなって思ってます。
——元々集まってくれた友人たちは、中学とか高校とかの地元の人たちなんですか?
F 全員地元じゃないんですけど、幼稚園からのメンバーがSaoriちゃんで、Nakajinは小学校から。DJ LOVEは高校からなんですけど、最初声かけた時断られたんですよ、仕事でいっぱいいっぱいだからバンドとかできないって言われて。まじかって思ったんですけど(笑)。LOVEって今2代目なんですけど、中学校からの友達の初代LOVEに声かけて一緒にやろうって。
あんまりインタビューとかで話したことないかもしれないんですけど、ライブハウスを作るきっかけになったのは、ライブハウスを作ろうぜっていうよりも、初代のLOVEが一人暮らしをしたいって言い出して、一人暮らしを防音のところでやれば、ずっとバンドの練習ができるんじゃないかっていう提案をしてきたんです。それでどんどん話がでかくなってきちゃって、ライブハウスにしたらお客さんが呼べるってなって、どんどん夢が膨らみまくって、借りたはいいんですけど、初代LOVEに「ここに住みたくはない」って言われて(笑)。それで結局別々に住んだんですけど。でもそういうきっかけというかノリで、最初は24時間使えるスタジオとかのつもりだったんですけどね。
でもその後、僕は闘病しながら別の夢を持っていて、自分と同じ疾患がある人たちの助けになりたいと思って、そういう助けになることを学べる大学に入りたくってずっと勉強してたんです。それこそ今でも自分たちのライブのセットデザインをしてくれているのは、その予備校で知り合った友達なんです。で、実際僕たちの音響のことを全部設計してるのも、予備校の喫煙所で知り合った友達で、僕らが作った「clubEARTH」っていうスタッフのチームで、今でもライブを一緒に作ってるんです。
——場所はどちらに作っていたんですか?
F 今でもあるんですけど、羽田の3駅手前に大鳥居駅っていうところがあるんですけど、そこの工業地帯の中に。
——通称「セカオワハウス」は今もあるんですか?
F 今もあります。スタジオ兼泊まれるスペースがあるみたいな感じで。
——どういうきっかけで作ったんですか?
F 僕は地元大好き人間なので、スタジオにポンって入って知らないエンジニアさんと曲作るのとかあんまり得意じゃないんです。曲作りって、家とか見慣れた川とかじゃないとダメなので、やっぱり自分の家にスタジオがあるのがいちばん作りやすいなあって。レコーディングは別にいいんですけど、ゼロからイチの作業って、すごい安心していられる状態じゃないと生まれないし。ライブハウスを作って、ライブハウスでみんなで楽曲を制作しながら、必要であればそこで寝泊まりして、その環境で僕は、実際にリリースできるくらいまでの制作ができた。
なんか、デビューが決まったからってそこを出ることになってみんながバラバラになったら、きっとバラバラに曲作りをして、バラバラな方向性になって、バラバラに解散していくだろうなって思ったんで、やはりひとつの家というか、ご飯も食べれるし、寝泊まりもできるし、スタジオもあってそこで曲を作れるっていうのが、たぶん向いてるので。やっぱバンドってバラバラにいると、めちゃくちゃ仲悪くなると思うんですよ。だって実際みんな仲悪いじゃないですか(笑)。僕たちは喧嘩はしますけど仲は良くって、だからちゃんとみんなで曲作りができてるというか。ギクシャクしないっていうのは、そういう環境作りからかなって思ってます。
——昔からバンドって、少しずつメンバーの音楽の方向性が違ってきて解散するっていうのがパターンですけど、それも含めてなんかかっこいいなって思っちゃったりするんですけど(笑)。
F そういうのトゲトゲしくて、なんかバンドっぽいですよね(笑)。でもそれって地獄じゃないですか、すごい嫌いなやつとずっといなきゃいけないとか(笑)。アルバムとか出るたびに、インタビューとかしてても「全然違うよバーカ!」とかって思ったりして。そんなの耐えられないですね、僕(笑)。
W 僕のインドネシアの会社も、日本人の社員はみんな一緒に住んでるんですよね。その感覚ってすごく分かります。いちいち昼間っからイラつくとか嫌じゃないですか、打ち合わせ中とかに。今日の夜飲みに行こうぜって、毎日会ってるのに言える関係性を大事にしています
——今でもそこで制作したりしてるんですね。
F そうですね。今は僕以外みんな結婚してるので、それぞれ別々の家があって、僕は別の家がなくてそこにずっと管理人みたいな感じで今もいるので(笑)。海外のホームステイ先として提供していたりもするので、そういう人たちといたりとか、ビザの関係で一回本国に戻ってまた半年後に戻ってくるやつもいたりして、なんかそういうのを続けてる感じです。
W 一緒にやろうってなったのもセカオワハウスだったもんね。
F そうですね、和田さん来てくれて。
——お話聞きながら考えていたんですけど、うちの会社も創業して20年近く経って、プライベートでも長く時間を共にするっていう人は、僕はそんなにないかなって思ったんです。創業からずっと一緒にやってるやつとも、仲は普通にいいですけどプライベートではほとんど一緒にいることはないので。
F でも僕もそうですよ、Saoriちゃん以外のメンバーと2人で飲んだことってないんです。LOVEさんとかNakajinとサシ飲みとかしないですよ。別に腹を割って話すことがないくらいずっと一緒にいるから、酒の力を借りる必要がないっていう(笑)。LOVEさんだけ一回、なんか立て込んだ話があった時だけあったかな。仕事が終わってセカオワハウスに戻って来て、みんな各々の家に帰るんですけど、LOVEさんなんか今日帰んないなあって思ってたら、朝6時くらいまで、LOVEさんは飲んでなかったのかもしれないですけど、そういうことが一回だけありましたね。
——和田さんはこれからEnd of the Worldをどうしようと考えてますか?
W クリエイティビティについてまじめに考えてみたんですけど、僕はそもそも小6くらいからちゃんと学校行ってなくて、15歳で失踪して浮浪者になって、18歳で会社作って。そのきっかけは15歳の時にあまりにも学校行かないから先生に呼び出されて「どう思ってるんだ」って聞かれたので、自分の気持ちをちゃんと伝えたんです。そしたら家に帰ったら先生からFAXで精神病院の紹介状が届いてたんですよ。で、学校が僕にできることはないと思って、その3日後に失踪したんです。
クリエイティブって何なのっていうと、やっぱり作品があって、時代があって、どう時代性に合わせてマーケットインさせていくかっていう作業。それを着々とやるだけなんですけど、僕にとって多くの人に知ってもらうことって結局生きるための手段だったんで、顔洗うのとトイレ行くのとクリエイティブって違いがないんですよ。だから、さあクリエイティブするぞ、とか、自身の会社以外のクリエィティブを手掛けよう、とか思ったことがなかったんです。
ただ、幸運にもそういったクリエィテビィティが周りにも受け入れられてきて、いい仲間も増えて、世界中に拠点が出来て、大好きだったニコラ・フォルミケッティとKAMARQという家具ブランドを作って、自身の夢だった街づくりのプロジェクトが始まって、ようやくこの20年で自身の夢を叶えたな、と感じていました。
そんな時、たまたまFukaseくんに出会って……声を掛けてもらって。これは言っていいのか分かんないんですけど、ある時「夢は何なの?」って聞いたら「グラミー賞獲ることだよ」って聞いて、結構衝撃だったんですよね。Fukaseくんは、その言葉が本当にまっすぐで、何か自分自身にすっと入ったんです。「この男に賭けてみたい」という気持ちでいっぱいになりました。そして、それが自分自身にとっても新たな夢の始まりになったんですよね。
すっごいいい声を持ってて、素晴らしいメンバーがいて、素晴らしいチームが揃ってる中で、どう世界で一緒に戦うかと考えた時に、自身が出来ることはクリエイティビティでEnd of the Worldと世界を繋ぐことです。End of the Worldを俯瞰して、数年後の未来を予測して、その時代にどう当て込んでっていうような道筋を作るのは、中にいない人がやった方がある意味いいんじゃないかなって。
——SEKAI NO OWARIは、Fukaseさん、というかメンバーみんなで世界観含めて作っていってる感じですか?
F End of the Worldとすごく明確に分けているわけではないんですよね、ただチームが違うというだけで。友達に言われたことなんですけど、SEKAI NO OWARIって自分が生きてきて音楽を始める前に出会った人たちで作ったもので、End of the WorldってSEKAI NO OWARIがあったから出会えた人たちと始めてるものなんなんですよね。
最近離れることになったマネージャーとはデビューする前からずっと一緒にやってました。僕に初めて声をかけてくれた音楽業界の人で、その人とは10年以上やっていて、僕はコーヒー屋さんでバイトしてたんですけど、バイトの休憩中に「曲とデモどうでした?」とか電話したりして、「あれじゃ売れないんじゃない?」とか言われたりして。「幻の命」って曲があるんですけど、ラジオ局に持ってったら「サビがどこか分かんない」って言われたんだよって言われて、「分かんないわけないよ“幻”って言ってんじゃん、頭おかしいんじゃないの!」って(笑)。
彼も音楽業界に入社して3カ月で僕に出会ってるんで、完全にペーペーなんですよ。最初なんかデビューさせてやるみたいな感じで来たんで(笑)。そんなことも分かんなくて、全ての意見をアーティストに言いまくるとか最初のうちは危険じゃないですか。でもそんな危険な橋を二人三脚で渡りながら、そこからSEKAI NO OWARIっていうものを、誰にも認知されていないFukaseっていう人間がそういう仲間と作った。SEKAI NO OWARIを作ったことで、自分はこういう人間だっていうことを日本中に発信したことによって集まったチームで、End of the Worldはやれてるなってすごく思うんです。どっちが絆が強いとかではなくて。
——前回のインタビューで「元々日本の中だけでやるっていう考え自体がなかった」というようなことを言ってたと思うんですけど、そうやって出会った人たちと当たり前のように世界をベースにしてやるっていうのはすごくいいですね。
F 楽しくないですか? 僕は肉体的な休み以外のクリエイティブな休みはいらないと思ってるし、何か考えていないと暇で暇でしょうがないと思うタイプなんで。でもバンドを2個やってる感覚なので、体力的にも結構しんどいなって思うこともあるんですけど、これからもっとしんどくなるから、体力も付けていかなきゃなって思ってます。
——移動がどうしても多くなりますもんね。
F 移動っていちばん疲れるじゃないですか。移動の使い方は僕よりも和田さんのほうが絶対得意だと思うんで(笑)。
W もう「無」になる(笑)。ほんとに僕、時差ボケないんですよ。この生活をずっと続けてるので、地球が住所と思ってますもん(笑)。
——ひとつお聞きしたいんですけど、「ライブ」というものの位置付けをどう考えていますか?
F 僕あまり得意じゃなくって、あまり好きなわけでもなくって、人のライブを観に行かせていただくことも全然しなくって。たぶん好みというか性格の問題だと思うんですけども。どういう気持ちで皆さんが観てるとかも分かんなくて、最初はすごい適当にやってたと思うんですけど、でもやっぱり自分がステージに立つ以上は、ライブにこだわりがある人の言うことを聞きまくって生きてきたんですよ。「こうしたほうがいい」と言われれば、「はい、分かりました」って意見をすごく取り入れて。それこそそれが本当の自分なのかもしれませんけど、自分がマシーンみたいになってる感覚がします。それがいろんな人に作られた「Fukase」っていう存在なんだなって。無に近いというか、曲によって全然違っちゃうし、考えてることも全然変わっちゃうし、すごく客観性を意識しています。主観性はほぼほぼなく。
——演技っぽい感覚なんですかね?
F んー、そういうわけではないと思うんですよね。曲の中に入るっていう感じなんだと思います。その入り方を、いろんな人がどう見てるかっていうのを参考にしながら。この前、ROCK IN JAPAN FESTIVAL(ロック・イン・ジャパン・フェスティバル)っていうフェスでトリをやらせていただいたんですけど、何万人も入るような一番大きいステージで。僕がその時歌ってて思ったのは、なんか「ひとりぼっち感」がすごかったんです。人があまりにもいすぎて、渋谷のスクランブル交差点で弾き語りしてるみたいな気持ちで歌ってたんですよ。僕の中で音楽はそこで鳴っていて、それをたまたまそこにいる人たちが観ているくらいの感覚に近いというか、パッションな感じじゃなくって。
元々僕はパンクロックが好きで、Epitaph Records(エピタフ・レコード)だったりThe Offspring(オフスプリング)の『PUNK-O-RAMA(パンク・オー・ラマ)」を探して歩いてる日々だったんで、そういうパッションのワーッ! ていうのは分かってたんですけど、自分のスタイルに合わないって思ったんです。自分がやりたいライブパフォーマンスが合わないから、とにかく合うように自分を変えていこうって思った時に、自分の中を空にすることがすごい重要だなって思ったので。
だから僕は、ライブがある日はやらなきゃいけないルーティンがしっかりあって、これをこなしてステージに立って、終わってからこれをやるっていうのが決まっていて、それをいかに精度良くやるかっていうのが、自分にとってすごい大切にしていることなんです。結果それが、いちばんお客さんに伝わるって思っていて。やっぱり僕がいちばん大切にしてるのは音楽であって、ライブで音楽が伝わることがいちばん重要で、僕がライブでどう思ったかよりも、音楽を伝えるために最善の道、いちばんいいやり方っていうものを、とにかく日々人と話しながら考えています。僕は一生SEKAI NO OWARIのライブを観ることはできないので、End of the Worldも。要するに映像でしか観ることができないので、それを観ている人たちの意見を尊重しながらやっている感じですね。
——それはとても面白い話ですね。
F 僕が魂を込めると、全く伝わんなくなっちゃうんです(笑)。経験でそうなんです、全然連動しないんです。ROCK IN JAPANのライブの時も、本当にもうみんな帰っちゃうんじゃないかと思うくらいうまくいってないんじゃないって思ってて、でも終わったら皆さんがすごい絶賛してくれて、わあ、良かったって思ったんですけど、やってる最中は、今日はもうお酒とか飲んじゃいけないくらい怒られるんじゃないかって。もう二度とフェス出れないんじゃないかくらいの気持ちでいたら、そうじゃなかったから。逆に今日のライブすごい良かった、みたいな時に誰も何も言ってくれなかったり(笑)。やっぱり自分と切り離さないとなっていう感じです。
——そんな感覚でライブをやってるっていう人は初めて聞きました。
F そういうところになると、ミュージシャンの人とは全然意見が合わないんです(笑)。結構言われましたよ、「お前の中にパッションはないのか!」みたいなこと。いや「それは音楽に詰め込んであるから」って。
W Fukaseくんは本当にフラットですよね。
——そう思ってライブを観たら、また全然違って見えるかもしれません。曲に対してロジカルな話はよく聞きますが、ライブに対してはパッションの話が多いですよね。では最後になりますが、今日の撮影はいかがでしたか?
F なかなか高い所で(笑)。高い所というか行くまでが大変で…… 。
——高い所は苦手なんですか(笑)?
F 苦手なんですよね.. … 。 でも、おかげで素敵な作品になったんじゃないかなと思います(笑)。
——暑いなか本当にありがとうございました。
【関連リンク】
セカオワFukaseの眼に映る世界「End of the World」が始まる
- Words: Takashi Togawa
- Photography: Tomoyuki Kawakami
- Styling: Hayato Takada
- Grooming: Hiroki Eguchi