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タブーに芸術が魅せる夢


残虐な表現や強すぎる性的描写といった不特定多数が鑑賞するに適さないとされる作品は現代、レーティングによって取り締まられている。「R18」は過激な性的描写や反社会的な行動、犯罪のイメージなどから未成年を守り、規範は民衆を律する。成人と未成年の境界線は誰しもに訪れるが、世の中には法的なガイドラインの及ばないギリギリのラインがにわかに存在する。地上での露出をはばかられ、社会的倫理の枠に収まりきらない価値観のなかで生まれた芸術の背後にはタブーの狭間でもがき、行き場を探す者達が蠢いている。
『薔薇族』は、商業誌として初めて成功した昭和のゲイ雑誌だ。男性のイラストを表紙に掲げ、主に読者から寄せられた絵や小説、悩み相談などの便りで構成され、1号1500万円もの広告料を売り上げるほど市場が集中していたという実績からもその影響力の強さがうかがえる。戦後の焼け野原で本を作れば売れた時代に、父親が残した出版社を極貧状態で引き継ぎ、世間一般にはまだ理解度の低いテーマであったにもかかわらず、取次業者との口座を正式に開通させて1971年に創刊させたのは、ビジネスの才覚を持つ編集長の伊藤文學氏が39歳の時だった。

『薔薇族』の前衛となった雑誌『風俗奇譚(ふうぞくきたん)』や後に創刊した『サブ』『アドン』などのゲイ雑誌で活躍するアーティスト達は、創成期のゲイ・エロティック・アート史を形成した。描画スタイルは大きく3方向に分かれていて、それぞれのルーツや時代的背景に応じて表現が変化していった。1970年代後半までの創成期で活躍した三島剛や月岡弦らの描く男性は、概して、「表情に愁いや翳りを帯び、モチーフには武士や任侠といった、日本における伝統的なホモ・ソーシャルな世界の精神論的な男性美学を描いたもの」が目立っていた。

その後、80年代にはゲイ雑誌の活性化により、内藤ルネや長谷川サダオ、木村べんなどが活躍。「一般のコマーシャルやファッションイラストレーションと共時性のあるデザインや、欧米のピンナップ、スポーツマン風の爽やかで身近な青年像などが描かれるようになった」という。「これらの作品では愁いや翳りが希薄になったことは、時代的にゲイであることのうしろめたさから次第に開放されていたからではないか」と、漫画家・アーティストの田亀源五郎氏は著書『日本のゲイ・エロティック・アート Vol.1ゲイ雑誌創生期の作家たち』(ポット出版/2003年)で考察する。
三島剛が描く、浮世絵を彷彿させる力強い作品群に魅了されて画集の出版を即決した伊藤文學氏は当時を思い返す。「三島剛っていう人はヤクザみたいな人だと言われていたんだけれど、実際はすごく綺麗好きな人なんだよね。食器なんかもすごく綺麗に整えてあって。本職はね、京都のお人形の顔を描いていた。人形は顔が命、一筆で描かなきゃいけないわけ。毛が一本一本丹念に描かれた原画を見たときは感動したね」。『薔薇族』での活躍後、雑誌『サブ』のアイコンとなるほど三島の画力は凄まじいパワーを持っていた。真っ白な背景にふんどし一丁で立ちはだかる漢の勇ましい立ち姿。体毛が繊細に再現され、隆々とした筋肉に入った芸術的な和彫りがつぶさに描かれている。一筆一筆に執念を感じさせ、見る者の心を掴む。まるで忸怩(じくじ)たる思いを強いる社会への報復として、秘めたる情念を注ぎ込んでいるかのようだ。


三島剛画集『若者』より
LGBTQに対する社会的認知はここ数年でかなり変革を遂げたが、1970〜1980年代、当時の彼らがありのままで生活できるほどの市民権はほぼ得られていなかった。口に出せば非難しか受けず認知すらされない孤独や不安に苦しみ、自己肯定が叶わず閉塞された世界と隣り合わせで生きる者達が、自ら命を落とすことは珍しくなかった。社会に迎合して生き延びようとする者が、素性を隠して結婚し子孫を反映させるのは当たり前の選択だった。
「やっぱり、長男や学校の先生とか銀行員だったら、結婚しないわけにはいかないもんね。昔の人はいやいやながらセックスして、子供を作ってたんだよね。変な話だけど、どうやって女の人とセックスすればいいのか編集部に電話がきて、教えたこともあったよ」


描画や執筆、雑誌購読によって心を開放できる随一の場所として存在していた『薔薇族』は、わいせつ罪に問われ始末書の提出に数十回と警察へ出向く日々を重ねながら2004年までに全382冊を発行した。今でもなお、社会からタブーとされた人々を誰ひとり取りこぼすまいと使命感をもつ異性愛者の伊藤は、現在もブログでの発信や「おはなし会」など積極的に活動している。彼らの性的嗜好は趣味指向ではない、本能なのだからと語気を強める。
未成年とのわいせつ行為は法律で厳しく取り締まられているが、伊藤は教育現場で起きてしまうような、拡張しすぎた少年愛さえ否定しない。もうすぐ8歳を迎える男子の母である著者が嫌悪感をもって倫理観をぶつけるも、「もって生まれたもんなんだから、変えられないわけだよ。学校をやめたって少年愛をやめるわけにはいかない」という言葉に憤然とするしかなかった。「みんな理性で抑えているけれども、中には抑えられない人が出てきちゃう。昔だったら写真集とか作って抑えていたけれど、今じゃそれもできないから」。倫理はおろか法律的にも完全にアウトだと声高らかに言いたいところだが、本能としてあるものがある事実に異論はない。それを無いものにしてしまうと歪みが生じてしまう。社会に必要なのは流れをせき止めるのではなく通り道を作ることなのだ。
いじめや差別と同様に、人間の本能や本来あるものを無しとしてしまう世の中では、生き辛さが新たな苦しみを生みだす。抑圧されて歪曲した欲情はやがて、誰かを傷つけてしまうことに繋がる。そんな中、芸術という可視化された形によって救われる者がいる。圧縮された感情は芸術のモチベーションと相関し、是か非かだけではないグレーの世界を許容する。芸術がもたらす思考や議論はより生きやすい世界づくりへの系譜であり、社会的排除の中で苦しむ人達に光を与える重要な存在なのだ。
エロスと芸術の均衡が保たれる時
緊縛も日本に起因する芸術のなかでタブー視されながら、ファッションとの親和性を深く持つ文化だ。日本を代表する写真家の荒木経惟氏は緊縛を写真表現の一部に取り入れ、さらにそれをファッションフォトグラフィーの文脈と組み合わせることで、モードと日本の伝統芸術に接点をもたらした第一人者である。1963年にデビューし、雑誌『SMスナイパー』での連載企画にて緊縛をテーマにしたポートレート写真の新しいアプローチを見出した荒木。彼にとって緊縛とはエロスを表現するためのひとつのメソッドでありながらも、性的な欲望を開放するためではなく、ときに被写体の演戯欲を叶えるドラマティックなショーであったという。縛りという手法の完璧性に従わず、あえて不完全さや人間らしさをありのままに表現した親密なポートレートは、現在も世界中から高い評価を受けている。
SAINT LAURENT(サンローラン)のクリエイティブ・ディレクターに就任した翌年の2017年の初夏、アンソニー・バカレロ(Anthony Vaccarello)は、トップモデルのアンニャ・ルービック(Anja Rubik)を引き連れて来日し、都内某所で荒木氏との撮影を行った。コレクションの一部を身に纏い、素肌をあらわにしながら手首や躰に縄をくくりつけられながらの撮影。渾身の身体表現で撮影に臨んだ彼女の気高く鍛え上げられた肉体美からは、荒木氏に対する絶対的な信頼と芸術への真摯的な献身が感じられた。躰を縛る行為に抵抗を感じる視聴者の衝撃をひらりと覆し、即時性に則るファッションの世界における普遍というパラドックスを体現するかのように、そこで行われたファッションフォトグラフィーには高潔な芸術表現が存在していた。
世界中に愛される荒木経惟氏とのセッションは、バカレロにとって不可避だったのかもしれない。エディ・スリマン(Hedi Slimane)の退任劇を世界中が見守る中、前年比27.4%増の店舗売上を記録した(2015年第4半期、出典:VOGUE UK)スーパースターからのバトンを受け取ったファーストシーズン。憧れの鬼才・荒木経惟という存在に半身を委ねることは、その後のブランドを率いる責任と喜びを享受する彼の決意証明だったといえる。
“I’ve always loved the side of Araki that’s extremely free,” he says. “He’s not working out of oppression or concern for how others see him. He does what he wants, and there’s poetry in that freedom.——「私はいつも、非常に自由な荒木の側面が好きでした」と彼は言います。「抑圧や他人の目を気にして仕事をしているわけではありません。彼は自分のやりたいことをやっていて、その自由さの中に詩があるのです」——『W』誌より
このセッションはバカレロ氏に自由と力を与えると同時に、ラグジュアリーファッション界における荒木氏の存在の重要度を改めて裏付けるものとなった。その後、バカレロ氏が牽引するSAINT LAURENTはCOVID-19の影響を受ける2019年まで順調に売上実績を伸ばし続けた。
もともと日本から始まった緊縛という文化が世界で認知されるようになったのはここ10年。縛りに魅了された海外のアーティスト達の発信のおかげで、改めて日本での再認識が進んでいる。日本では、歴史上裏文化としてこれまで長く認識されてきた緊縛だが、海外では芸術としての認知が高い。その背景には、日本人の持つ羞恥心が深く関係している。性的な話題を今だにタブー視する日本人の “恥じらい” が、縛りの世界でも表現の変化を生み出し、そこに海外の人々は究極の美徳を見出すのだと、ロープアーティストのHajime Kinoko氏はひもとく。

「日本の縛りの作品はちょっとマニアックなんです。寒い和室で、見えるか見えないかぐらいの明かりがついて、吐息が白くなるほど寒いはずなのに体は赤らんでいて、首筋に汗の粒がついてたりする。吊られてても、微妙な感じというか、少し浮いてる感じで。リアクションも少し恥ずかしさみたいなものがあって声を押し殺してるけど出ちゃう、みたいな繊細さが伝わってくる。そういう細かい設定が、外国人から見ると、大人のエロスとなってアートに映ってるんですね。マニアさんはエロとして好きなのではなくて、アートとして愛しているんです」
オーバーリアクションな世界の縛りとは圧倒的に一線を画す、繊細な芸術描写。性的快楽に縛りを取り入れることを海外ではおもしろそうだと受け入れる男女が多いというが、日本人にとって受け入れがたいのはその歴史にも関係があるのかもしれない。
緊縛は江戸時代の御用聞きが罪人を捕らえていた “お縄” の手法に起因する。捕縄術には階級が反映されていて、位の高い武士にはより美的感覚の求められる形状を施し、低いほど簡素だったのだという。生業や位、季節などで縛りのスタイルは変わり、当時150以上の流派が存在した。縛りが芸術として歩みを進めるきっかけは、伊藤晴雨。責め絵師と呼ばれ、女性を縛る過酷な作風を貫き通した画家だ。その後、雑誌『奇譚クラブ』からSMとして知られて行き、やがて作家、団鬼六などによって緊縛の世界観や固定観念が形成されていった。

そもそも、なぜ人は縛り、縛られたがるのだろうか。Kinoko氏は語る。
「縛りによって心が解放される人達もいる。解放と縛られる、拘束されるっていうのが紙一重というか。昔、罪人が見世物にされて女性が縛られたりした時に、本能的にエロスを感じていたのかもしれません。エロスって感じちゃいけない時に感じる。心が動く時にエロスを感じる人って多いと思うんです」
縛るという行為に燻し出されるエロティシズムが官能のボルテージを上げ、想像やクリエイティブが膨らんでいく。パンパンに膨らんだ水風船から水が弾け飛ぶように、才能のあるアーティスト達は新しい芸術の扉をひとつ、またひとつと開いていった。羞恥心という美学によってある種、神格化されてきた緊縛という芸術表現において現代の緊縛師、Hajime Kinoko氏は写真表現やインスタレーションを人物から物体まで模索しながら、縛りの真骨頂を目指す。

「縛り方にも芸術性があって、僕が思っている縛りは女性の身体に合ってないと成立しないんです。体つきや骨格、肌の感じから判断して、縄の太さや色を選びます。表情が出た方がいい時、この人がどういう心情なのかなと考えながら、強くかけたり逆に弱めたりしていく。そうするとその人の内面みたいなものが出てくる。そうして、化学反応が起きて即興の芸術とエンターテインメントになっていくんです」

『鬼緊縛』より
Kinoko氏のモチベーションにフェティシズムは存在しない。あくまで美の可能性を引き出すために、被写体と協力しながら作り上げる彼のメソッドには、受け取り手の感性の高さが求められる。例えるなら生花のように、型を守りながら素地を最大限に活かし美しく仕上げる。緊縛のエロスは芸術であり古くから受け継がれてきた伝統文化に通じる精神論や “道” にたどり着く。
「緊縛が日本の文化であるということを忘れてはいけないと肝に銘じてやっています。禅や華道・書道のように型があり崩しという美学がある。縄の解釈も『真・行・草』に当てはめながら、考えて作っています」
芸術は社会構造や歴史的背景を理解し読み解くことも楽しみの一部。ファッションやアートに教養をもって立ち向かう時、新たな視点に気づくはずだ。芸術作品の存在意義や作者の意図を感じるだけでなく、背景にある物語を考えぬくことで磨かれた感性は、人生にこの上ない刺激と豊かさをもたらし続けてくれるはずだ。

※本記事は2021年4月に発売したHIGHSNOBIETY JAPAN ISSUE 06に掲載された内容です。

【書誌情報】
タイトル:HIGHSNOBIETY JAPAN ISSUE06
発売日: 2021年4月9日(金)
価格:1,650円(税込)
仕様:A4 変形版
※通常版・限定版ともに、表紙・裏表紙以外の内容は同様になります。
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- WORDS: SATO FLORIDA
- PHOTOGRAPHY: KO TSUCHIYA(PORTRAIT), KENICHI SUGIMORI(STILL)
- ART CURATION: YUKA TAKAHASHI @ KOMIYAMA TOKYO