タンクトップ:定番アイテムか、それとも手抜きか?

インナーにはもう飽きた。あ〜あ、言ってしまった。多くの人はさほど気にならないだろうが、ベルリンやニューヨークのような都市では実はかなり挑発的な発言だ——というのも、白いリブ編みのタンクトップは、性別や性的指向、政治的立場を問わず、珍しく誰もが支持するアイテムだからだ。

見た目より実用性が優先されるのは理解できる。暑い日には、タンクトップほど軽く、それでいて(インナーではなく)“服” として広く受け入れられているものは、男性にとってほかにない。ただ気になるのは、タンクトップが本当にファッションとして成立するのかという点だ。結局、それは手抜きではないのだろうか? とはいえ、この春の早い時期から、実際の気温に関係なく、男性がタンクトップをトップスとして着る流れが再び戻ってきているようだ。

正直なところ、あまり歓迎できる流れではない。かつてはボタンダウンシャツの下に着るものに過ぎなかったリブ編みのアンダーシャツが、いまではAcne Studios(アクネ ストゥディオズ)のフレアジーンズや、普段は批判しつつも実は気に入っているOUR LEGACY(アワーレガシー)のブーツとともに、いわゆる “ファックボーイ” の定番スタイルになっている。 もしかすると、タンクトップそのものというよりも、それを着ている人達に自分が勝手に重ねているイメージに引っかかっているだけかもしれない。とはいえ、白いタンクトップを着こなし、その象徴性ごと受け入れるには、やはり一定のセンスが求められる。スタイルの差はごくわずかでありながら決定的で、ほんの些細なディテールが全体の印象を大きく左右する。

例えば、COS(コス)のコットン製タンクトップは、砂時計のようなシルエットに加え、高めに設定されたネックラインによって、ベーシックなものよりも手の込んだ、洗練された印象に仕上がっている(ウィメンズはさらにシックに振り切っている)。一方で、少し変化をつけたいなら、lululemon(ルルレモン)のスクエアなネックラインは、木材をブレンドした生地で、デコルテのラインを美しく引き立てる。

SKIMS(スキムズ)には、ストラップをスパゲッティのように細くし、男性の肩のラインに沿うように官能的に包み込む、ボートネックを思わせるシルエットの一着がある。 一方、Tom Ford(トム・フォード)の600ドル超のメッシュモデルは、より艶っぽく挑発的で、白タンクが本来持っていた ベースレイヤーとしてのイメージを覆す。対して、SUNSPEL(サンスペル)の “ベスト” はゆったりとしたカットで、スタンダードなタンクトップとスリーブレスTシャツと呼ぶべきものの間をとったようなアイテムとなっている。 そして最後に、ファレル・ウィリアムス(Pharrell William)とヒュー・ジャックマン(Hugh Jackman)のお気に入り:スイス発のラウンジウェアとナイトウェアブランドZIMMERLI(ヅィメリー)はひそかに知られる “リシュリュー” タンクを編み上げたことで知られ、シルヴェスター・スタローン(Sylvester Stallone)が『ロッキー』で、ホアキン・フェニックス(Joaquin Phoenix)が『ウォーク・ザ・ライン』でジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)を演じた際、さらには『ダイ・ハード』のブルース・ウィリス(Bruce Willis)など、数々の名優が名作の中で着用してきた。

タンクトップにまつわるあれこれや選択肢、そしてこのアイテムへの違和感について考えているうちに気づいたのは、苛立ちの原因はタンクトップそのものではなく、白いタンクトップにまつわるイメージだということだ。どれだけ現代的にアップデートされようと、男性のタンクトップには、どこか時代遅れで居心地の悪い男らしさが残っている—— “ワイフビーター” という不穏な呼び名や、ベルグハインの一部の空間での浸透ぶりが示すように——そこには、私が全く共感できないマチズモが色濃く漂っている。

ただ同時に感じているのは、こうしたアイテムがどのように、どこで、誰によって着られ、デザインされるかによって、そこに静かな反抗の余地が生まれるということだ。タンクトップが現代の服という概念そのものと同じくらい古いアイテムである以上、幅広い層に着られていること自体は、特に新しい話ではない。つまり、大したことのようでいて、そうでもない。とはいえ、いわゆる “セックス不況” の時代にあり、清教徒的な価値観の広がりや若者の保守化が進む中で、腕や胸、体毛を敢えてさらすことには、いまなお政治的な意味がある。結局のところ、私はタンクトップなんて退屈だと、あなたにも——自分自身にも——言い聞かせようとしていた。