聞こえるだろうか。運河はいま、ラグジュアリーがカルチャーの主導権を握る音に満ちている。5月9日、第61回ヴェネチア・ビエンナーレの開幕とともに、アート界が再び水の都に押し寄せた。その背後では、ファッション業界の資本が街に流れ込み、ラグジュアリーメゾンはほかを圧倒するほどの存在感を放っている。今やこの場所はアートの祭典というより、トレンドの主導権を競う場へと変わりつつある。

2024年のヴェネチア・ビエンナーレでは、Dior(ディオール)、BOTTEGA VENETA(ボッテガ・ヴェネタ)、Burberry(バーバリー)、CHANEL(シャネル)、TODS(トッズ)、Schiaparelli(スキャパレリ)、Rick Owens(リック・オーウェンス)といったブランドとの協業や関連イベントが数多く展開された。一方、今年は、そのアプローチにも明確な変化が見られる。多くのファッションブランドが、企業戦略におけるアートの重要性を長期的な視点で捉えるようになったからだ。

ヴェネチア・ファッション・イヤーとでも呼ぶべきだろうか。ZEGNA(ゼニア)によるイタリア館へのスポンサーシップは、同館のアーティスト兼キュレーターとの10年にわたる関係の集大成とも言える。さらに、BVLGARI(ブルガリ)は2030年までビエンナーレとの公式パートナーシップを締結し、今後3会期において存在感を強めていく姿勢を見せている。BOTTEGA VENETAはピエール・ルイージ・ネルヴィ財団と提携し、アーティストとの対談シリーズを開催。さらにプラダ財団ではアーサー・ジャファ(Arthur Jafa)とリチャード・プリンス(Richard Prince)の展覧会が開催中で、大きな話題を呼んでいる。また、エスパス・ルイ・ヴィトンでは、2024年に映画制作を支援したルー・ヤン(Lu Yang)の展示を開催。ラグジュアリーメゾンによるアート支援の流れは、なお拡大を続けている。

ファッションがアートへ接近する流れは今に始まったことではない。変わったのはその文脈だ。先月のミラノ・デザインウィークでは、実際のデザインそのものよりも、ブランドによるプロモーション活動が注目を集めていた。例えば、GUCCI(グッチ)の自動販売機や、MIU MIU(ミュウミュウ)とJIL SANDER(ジル・サンダー)による文学的なポップアップストア、さらにはYohji Yamamoto(ヨウジ・ヤマモト)がAēsop(イソップ)のために手がけたスタッフユニフォームまで、そのどれもが、本来主役であるはずのデザイン以上に注目を集めていたのだ。

そして、カルチャーシーンの重心がビエンナーレへと移る中、ヴェネチアでは街そのものが展示される作品と同様に、重要な意味を持っている。ほんの1年前には、とある億万長者の結婚式が、ヴェネチアを新たな超富裕層時代の発生地へと変えた。この制御不能な富の重みは、街そのものが数センチ沈んでもおかしくないほどだった。

水の都ヴェネチアには、人々を惹きつける独特の神秘性がある。そしてその魅力は長年にわたって、ファッションメゾンの文化拠点をこの街へと引き寄せてきた。フランソワ・ピノ(François Pinault)率いるKering(ケリング)は、2006年にパラッツォ・グラッシ、2009年にプンタ・デッラ・ドガーナ財団をオープンし、総額12億ドル相当ともされる彼のアートコレクションの一部を展示した。また、2011年にはプラダ財団ヴェネチアが、2013年にはエスパス・ルイ・ヴィトンが開設されたが、いずれもその年のヴェネチア・ビエンナーレと同時期にオープンした。さらには、600ドル級スニーカーで知られるGolden Goose(ゴールデン・グース)でさえ、同ブランドの発祥地であるマルゲーラ工業地区に2024年、新たなカルチャー拠点を立ち上げた。

今年のビエンナーレは、ラグジュアリーの概念や定義の在り方が大きく変化する中で開催される。大手ファッションブランドは、自らの影響力を拡大すべく、アートやデザインを始めとするほかのカルチャー領域へと活動の幅を広げている。売上の低迷に加え、超富裕層の顧客層も縮小しつつある今、こうした文化領域に踏み込むことは、もはや単なる情熱的な文化支援というよりは、ビジネス戦略として機能し始めている。それはある意味、当然の流れとも言えるだろう。例えばBOTEGA VENETAの1万200ドルのレザーTシャツを購入できる人々は、オークションで名画を入札したり、ヴェネチアの華やかなガラパーティーに足を運んだりする層でもあるのだ。だとすれば、ラグジュアリー顧客が、ラグジュアリーウェアを着て出かける場そのもの、つまりカルチャーの生産手段をブランド側が押さえようとするのも、ごく自然な流れなのかもしれない。

その象徴的な例がDries Van Noten(ドリス・ヴァン・ノッテン)だろう。同名ブランドを離れた後、彼は次なる活動として、自身の文化センター、フォンダツィオーネ・ドリス・ヴァン・ノッテンを立ち上げる。2026年のビエンナーレに合わせてオープンするこのプロジェクトは、アートとファッションがいかに密接に結びついているかを示す、現時点で最も明確な例であると言える。そしてその流れをたどれば、ファッションとアートの結びつきの原点に行き着く。まだ一着のドレスも手がける前の1931年、クリスチャン・ディオール(Christian Dior)は自身のパリのアートギャラリーで、サルバドール・ダリ(Salvador Dalí)の『溶ける時計』で知られる代表作『記憶の固執』を展示していた。これが後に、アートとファッションという2つの領域が交差していく、その礎のひとつとなった。

1993年にミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada)とパトリツィオ・ベルテッリ(Patrizio Bertelli)がプラダ財団の創設を発表したことが初期の小さな兆候だったとすれば、本当の転機は2014年のPRADAのミラノ拠点拡張と、その翌年のLOUIS VUITTON(ルイ・ヴィトン)がパリに開設した広大な財団施設にある。それはファッション界の土台そのものを揺るがし、ラグジュアリーメゾンを単なるファッションメゾンから文化的影響力を持つ存在へと押し上げた。ヒューゴ・ボス賞、マックス・マーラ・アート・プライズ・フォー・ウィメン、ロエベ財団クラフト賞、シャネル・カルチャー・ファンドは、いずれも業界の次世代の才能に資金を注ぎ込んできた。また、LOUIS VUITTONの施設がオープン時、あるアートメディアから「ステロイド漬けのハンドバッグ宮殿」と揶揄されたにもかかわらず、ラグジュアリーメゾンがファッションという本来の枠を超えてカルチャーへ踏み込む流れは、その後も加速を続けている。

今年のヴェネチア・ビエンナーレで、ファッション主導のプログラムが改めて示しているのは、単に良い服を売るだけのブランドは、もはや十分とは言えないということだ。ラグジュアリーはとうの昔にファッション業界の枠を超え、今や文化のあらゆる側面へと浸透している。そして2026年、トレンドを作ることそのものを芸術へと昇華させる舞台として、ヴェネチアほどふさわしい場所があるだろうか?