style
Where the runway meets the street

社会への反発。環境問題やセクシャリティー、女性の人権などに対するムーブメントがヒートアップした激動の1960年代。自由を求めて立ち上がった時代に触発されるように、表現の枷は外れ、挑戦的な姿勢を色濃く反映したヒッピーやパンクなどの様々なカルチャーが誕生した。考え方やライフスタイルに大きな変化がもたらされた時を同じくして、ファッション界に現れたのが、「12 Unwearable Dresses in Contemporary Materials(現代的素材を用いた、12の着用不可能なドレス)」という挑戦的なアプローチでデビューを飾った「paco rabanne(パコラバンヌ)」だ。以後、ブランドのアイデンティティともなる「レ パコティーユ」と呼ばれる、メタルやプラスチックなどの異素材を用いて作られた独自のスタイルは、アヴァンギャルドの精神そのもの。アンファン・テリブル(異端児)とも称された創始者、フランシスコ・ラバネダ・イ・クエルボが打ち出したこのスタイルは、paco rabanneをファッション界でも非常にユニークなポジションに位置付けた。

ラバネダが引退後、デザイナーの入れ替わりが続きブランドは減退期へ。そして現れるのが、今日のpaco rabanneを確固たるものにした立役者、2013年にクリエイティブディレクターに就任したジュリアン・ドッセーナだ。フランスの沿岸、独自の文化を持つブルターニュに生まれ、読書とスケッチで育ったドッセーナは、一度はパリに身を置くも、ベルギーの名門芸術学校ル・カンブルでファインアートを学ぶ。パリというファッションの大渦を避けることで、自身の内なる声に気づき、創造力を養えたというドッセーナ。卒業と同時に、スターデザイナー、ニコラ・ジェスキエール率いるBALENCIAGAへ。低迷期だったブランドがファッション界の第一線へと返り咲いた黄金期だった。数奇な運命の導きか、ジェスキエールの下で働いたドッセーナは、paco rabanneというアヴァンギャルドの怪物の手綱を握る大役を任されることとなる。

彼にとっては杞憂だったのかもしれない。「アンウェアラブル」を「ウェアラブル」に変換することで、paco rabanneにおける逆転のアヴァンギャリズムをいとも容易く打ち出したのだ。ユニークであるがゆえに、ある意味分かりやすかったブランドの表現方法になぞらえるのではなく、ブランドのDNAを別の切り取り方で見せた。超個性的な一着からアンダーウェアやスポーティー素材などの日常着への転換は、むしろブランド哲学に則った、さらには時代性を汲んだアヴァンギャルドの表現と言っても過言ではない。ドッセーナは、これを「モダン」と呼ぶ。

 

——paco rabanneにおけるアヴァンギャルド、フューチャリズムの捉え方について教えてください。

paco rabanneは、在り方に一石を投じたパイオニアなんだ。現代の重要な価値観を色濃く反映している、自由、ユース、性の権利を象徴している。知的で官能的、革新的で大衆的であること。この言葉とともに日々歩んでいる。

——「Unwearable(着用不能)」ドレスの発表に見るアヴァンギャルドな美学を持つブランドに、モダニティーというかたちで「Wearable(着用可能)」に落とし込んでいくことは、ある意味アヴァンギャルドな発想で通じるところがありますが、それはとても勇気のいる行いだと思います。当時を振り返って、どのように制作していましたか?

まず、実用的な観点として、女性がただパーティードレスを買っていくブランドにしたくなかった。年明けのパーティーなどで時々着用するチェーンドレス。これがかつてのpaco rabanneだった。ビジネスとして、リアルなファッションブランドを築く上では適当ではないと気づいていた。だから、ブランドのルーツを保ちながら、再び市場に戻れるような、「paco rabanneのリアルクローズとは」という視点に立ち返り、より実用的な商品に焦点を当てていった。

——paco rabanneでの7年間を振り返って、デザイン的に、ブランドの声に寄り添ったものと自身の声に寄り添ったものについて教えてください。ブランドが持つDNAはとても個性が強く、それをどのように咀嚼して自分の表現としていますか?

最初はどのようなバランスで見せて、ブランドの理解を深めていくかという挑戦だった。デザイナーとしてpaco rabanneという冒険を歩まなければ、これまで続けられていなかったと思う。彼(ラバネダ)が最先端であったという価値を守りたいという想いもあったから。

——就任当時のコレクションに比べて、近年のコレクション、特に2018年秋冬の花柄のメタルドレスに見るように、当時のブランドの息づかいがとても率直に表現されているような気がします。7年を通して、表現方法に変化はありましたか?もしくは自身の哲学に変化がありましたか?

あったね。なぜなら進化のためには、ミックスして、変化させ、アップデートをしていく必要があるから。誰もが知覚し得ない新しさを見つけるために。特に(アイコニックな)チェーンに関しては、何か別のところに文化的な結びつきを見いだせるのではないか、そこの部分をやってのけたいと思っている。それから僕は、常にエフォートレスなグランジやひねりで、モダンに仕上げるのが気分なんだ。日常という意味でのモダンだね。

——paco rabanneの哲学と自身の哲学で通じるところは?

paco rabanneというブランドには多くが詰まっているからね。デザイナーとしては、極めて自由でクリエイティブ、その美学への止まない探究心が毎度のコレクションで真新しさを生んだ。好奇心という意味では、僕と繋がる部分なのかな。

——アイコニックなスタイルがあるからこそ、そこにとらわれすぎないことが、ブランドを新天地へと導いたと考えます。それは、過去パリを離れ、ベルギーで自身の声を見つけたからだと思いますか?

その通りだと思う。僕の通ったル・カンブルはファインアートの学校なのだけれど、先生達からは、自分らしさを追求して自身の壁を乗り越えることばかりを言われていた。何かに迎合するのではなく、もっと自己表現や文化的な意味で。だから全てを知るために、ありとあらゆる文化や見識に身を投じた。それが、自己表現をより確固たるものにしてくれたんだと思う。

——離れてみることの大切さについて意見を聞かせてください。子供の頃から本を読んで育って、今でも寝る前に本を読んでいるとのことですが、これもある種、いい意味でファッションから離れる行為だと思うのですが。

なぜだか分からないのだけれど、(読書は)僕の脳と心を活性化するのに最も効率的なんだ。自分自身と向き合う時間、束の間の時間が僕には必要なんだね。

 

——近年では、ジェンダー流動性や女性の権利など、60年代に起こったムーブメントが再燃しています。改めて、自由に対する欲が強くなったのではないのかと思います。パワフルな女性像という言葉を過去のインタビューで拝見したのですが、paco rabanneもしくはドッセーナさんが捉える前衛的な女性像はどういうものでしょうか? またそれは、デザイナーとして働いてきた中で変化はありましたか?

男性がウィメンズをデザインするにあたって、女性達が日常で何を体験しているのかという視点は欠けてはならないと常に感じていた。彼女達が声を大にし、たくましく生きるためのサポート。もっと言えば、自由と強さへ導くための洋服という言葉を借りた「かたち」なんだ。

——2020年にメンズコレクションを始めたのは、ウィメンズを買い求める男性達の声があったからだとか。メンズのコレクションを作る過程で、男性性と女性性の新しい気づきはありましたか?また、男性性と女性性に違いはありますか?

ジェンダー流動性は僕が特に注力したいトピックの一つだから、すごく慎重にウィメンズウェアのかたちをメンズウェアに変換していった。そして、メンズならではの様々なアティチュードは、繊細な力強さ、率直なまでの身体への意識、ミックス志向が僕にとってはとても刺激になっている。それからある種のクィア的な要素も含んでいる。これは僕のコミュニティーに対する気持ちとして。

※このインタビューは、HIGHSNOBIETY JAPAN ISSUE06に掲載のものです。