マルタン・マルジェラの元右腕
ルッツ・ヒュエルの脱構築
ドイツ生まれのデザイナー、ルッツ・ヒュエル(LUTZ HUELLE)の洋服作りに対する内省的アプローチは、クラシックなワードローブのアイテムの構成から密度、アイデンティティに至るまでを変換させる“decontextualization(脱構築)”というスタイルに表れている。デザインコンサルタントのミシェル・ラファティ(Michele Rafferty)が、今日のファッション概況において、自身がいかにかつてないほどにファッションに共感できるようになっているかを、 ヒュエルと高名なイタリア人ファッションジャーナリストであるアンジェロ・フラッカヴェント(Angelo Flaccavento)とメールでのやりとりで語り合う。
ファッション業界は熱狂している。し過ぎているといっても過言ではない。手段や場所を問わず、なんとかしてインパクトを残したいという渇望が渦巻いている。皮肉や、裏の裏のさらにまた裏をかく行為が合意の上に成り立つ言語のようになっている。デザイナーからスタ イリスト、編集者から投資家まで、あらゆる関係者がその渦中にいる。無数のデザイナー、ショー、ファッションウィークが存在する現代は極限の状態。時代は“もっと”を求めている。
2000年代初頭、ファッションはまだ目覚めていない。うぶで繭に包まれ、その可能性を知る余地もない。マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)、ジル・サンダー(Jil Sander)、ヘルムート・ラング(Helmut Lang)といったデザイナーが、一回にひとつのコレクションというペースでウェアラブルという概念を作り出すという誠実なビジョンを確立した時代だ。明確な意図、簡素なボキャブラリーでデザインされたルックが毎シーズン話題になった。
ルッツ・ヒュエルが研鑽を重ねていたその当時は、世間はデザイナーに壮大な命題に対する答えを求め、ランウェイには、社会のより理想的なビジョンが表現される時代だった。現代のように、インスタグラムに投稿されてインターネットを賑わすことを前提にしたファッションの時代ではなかった。ヒュエルの仕事は、我々がデザイナーにより多くのものを求めてもよい、求めるべきなのだということを思い起こさせてくれる。
我々は今、社会の流れの速さのあまりに大事なものを忘れてしまっているのだろうか?ファッションの力を忘れてしまっているのだろうか?コレクションに始まり、プレスプリングやリゾート、クルーズなどかつてないほどのスピードで動くファッションサイクルの中、ヒュエルは例外的で時代錯誤とも取れる立ち位置である。
ヒュエルは1990年代、イギリス・ロンドンのCentral Saint Martinsに学び、1995年の卒業後フランス・パリに移住。Maison Martin Margiela(メゾン マルタン マルジェラ)で働き始めた。こうしてヒュエルは、ベルギー人デザイナーのマルタン・マルジェラの側で3年間を共にした。
「すべては現実的であるということだった。当時マルタンは、自分にとって理解や納得のできる服を作っていたデザイナーの一人だった」とヒュエルは当時を振り返る。
2000年、ヒュエルはパートナーのデビッド・バリュー(David Ballu)と共に自らの名前を冠したブランドを立ち上げた。熱意と信念の結晶だった。辛い時期もあれば、賞をもらうこともあった。長年の間に避ける術なく受けた痣や切り傷は、ヒュエル独自の魅力的な個性を形成していった。
フランス最大のファッションアワードであるANDAM Fashion Awardで2000年と2002年に2回の栄冠に輝き、2004年にはスイスのルツェルンで開催されたGWANDファッションフェスティバルでプレタポルテ賞を受賞したヒュエルは、しばしば“decontextualization”と呼ばれるスタイルを作り出した。そのコレクションには、男性的な要素と女性的な要素が融合し、本来のモダンさが介在している。スウィングドレスにあしらわれたプリンスオブウェールズチェック、男性的なAlpha Industries(アルファ・インダストリーズ)のボンバー、ジェネリックなデニムジャケットといったものを一度紐解き、ウールのパネル、メタリックパディング、ブロケードで再構築する。そうして作られたアイテムは、ファッション関係者の中でマストアイテムとされるようになった。
内在する男性的な要素は薄れてはいない。それは荒々しくもあり、同時に洗練されてもいる。同じジャケットを翌シーズンにはシアリングコートやドレス、ニットで作る。チューリップスリーブとスカートにも同 じく二元性が生まれ、いかにもクチュールらしいレトロなマダムコレクションも、ヒュエルの手にかかるとひたすら美しいシルエットとなる。KATHARINE HAMNETT(キャサリン ハムネット)を思わせるプリントスローガンのジャージーはストリートウェアにすがるのではなく、巧みなパロディといった印象だ。
ヒュエルは、自らの洋服を着用してくれる人々との関係を維持し、自分がどのような人に対して洋服を作っているのかを本当の意味で理解し、常連客を拡大してきた。新しさばかりを追い求める現代においては見逃されがちな視点だ。
成人したヒュエルは、粛々と独自のルックを作り上げてきた。その姿勢、雰囲気、ショーのキャスティングにはマルジェラの美的感覚と近いものがあ るかもしれない。彼がパリで2018-19年秋冬コレクションのショーを開いた直後、かつての上司、マルジェラも奇しくも同じくパリのガリエラ美術館で回顧展を開いた。思い出を辿るようにヒュエルはその展覧会を訪れはしたが、独自のデザインレガシーを追究する姿勢は崩さない。
何よりも重要なのは、ヒュエルがいかに明確に、着実に自身の道を歩んでいるかだ。他のデザイナーがスタイルのヒントや装飾のアイデアをどこかから得てくるのに対し、ヒュエルには確固たる精神がある。質の悪い模倣が溢れる世の中において、デザインの土台を作ってくれたマルジェラとの間に、ヒュエルは本物のつながりを感じている。
ヒュエルは今、歩みを緩め、ルッツルックと呼ばれる自身のルックを見直し、磨き直したいと考えている。首をひねりたくなるようなデザイナーやクリエイティブ関係者らで膨れ上がったショーのテンポ感から一歩距離を置きたいのだ。その線で話を進めつつも、これまでに探訪していないアイデアを忘れ去ることのないよう配慮し、彼の洋服を着る女性に対する責任を全うしている。こうした献身的な姿勢と、彼本来のポジティブなエネルギーに満ち溢れた性質が、ヒュエルを愛さずにはいられない存 在にしているのだ。
私は今年、ヒュエルの作品と2018年におけるファッションの意味するところを議論すべく、ヒュエルとイタリア人ファッションジャーナリストのアンジェロ・フラッカヴェント(Angelo Flaccavento)と連絡を取った。我々のやりとりの一部を以下に紹介しよう。
2018年4月30日21:08 ミシェル・ラファティ:
Hello both.. xx
今のファッション文化におけるアイロニーについて二人にずっと聞きたいと思っていたんだ。
過去にもアイロニーはもちろんあったけれど、今ほどそれがハイファッション、ストリートファッションにおいて存在感を持ち、強力に映ることはかつてなかったと思う。MOSCHINO(モスキーノ)は今も昔もアイロニーに満ちている。マルジェラだって皮肉っぽかったと言う声もあるだろう。でもマルジェラの場合は、ドレスの中に美を見出せるような方向に物の見方を変えたいという思いがあっただけで、特に皮肉があった訳ではないように思う。
皮肉は果たして、美しいもの、価値のあるもの、面白いものになり得るのかな?
RSVP..
M xx2018年5月1日11:54 アンジェロ・フラッカヴェント:
M 、L 、5月に突入だね。
M 、今のファッション文化においての皮肉について論じようということ自体が、実に皮肉だよ。現代のシステムの中で欠けている要素こそが、皮肉なのだから。皮肉とは、横行する荒々しい剥奪や恥知らずの横領といったものに対するウィットの利いた嘲笑だと僕は思う。でも物事に深刻になり過ぎることなく、面白みを持って一定の主張をするということの大切さを教えてくれる存在の皮肉というものには賛成だ。MOSCHINOのようなブランドの皮肉は、僕の目からするとかなり古臭い。皮肉の新たな形としてはどのようなものが考えられると思う?
Best
a2018年5月1日18:16 ルッツ・ヒュエル:
ミシェル、アンジェロ、二人とも元気かな!僕たちを取り巻く世界の証言に気の利いた返しをするのに皮肉が使われるのは、とてもいいことだと思う。物事を違った観点から見つめるきっかけになるし、自分たちが物事を深刻に考え過ぎているだけだと思わせてくれることもある。軽妙でユーモアに満ちたもの言いをする最高の方法でもある。
感情を露わにしないことだけを目的に皮肉が使われるときは、皮肉本来の面白さが薄れる。手当たり次第に何でも見境なく侮辱するならずっと簡単だしリスクも低い。そういう冷たい、本来の皮肉とはかけ離れたものは 、受け入れ難いと思うことがある。
僕が心を揺さぶられるのは決まって、心を開いて、純真無垢に、感情を露わにする人に触れたときなんだ。
僕が今何より渇望しているのは、軽やかさ、喜び、美、発想であって、そういうものはシニカルな皮肉とは正反対をいくものだよ。
それでは良いメーデーを。ルッツ x
2018年5月4日23:31 ミシェル・ラファティ:
その通り…!皮肉は美しくも面白くもなるものだけれど、ファッションにおいては古びるのが速いし、うまい具合に成熟もしない。そのとき限りのものなんだろうね。今は良いと思えるものから思えないものまで、いろいろな皮肉で溢れている。それから同じようなものの繰り返しも多い。現代に新しさは実際には必要とされていないのかもしれない。必要なのは、Lの言う通り、ひとつまみのフレッシュな軽妙さと素直さ、つまり“無敵の真実”なんだろうね!
Lの仕事に関して僕が感心するのは、顧客なりオーディエンスなり、周囲との対話を続けているという点なんだ。だから、今後どういう方向性に進むにしても、共に歩んでいくという信頼関係が生まれる。僕は、物事が徐々に成長していろいろな分野に広がっている様子を見つめていきたいんだ。そんなに何もかもがどんどん変わるのは嫌だよ!
絶えず新しいものを追い求めたいとは思わない。この業界でそういうのって、変というか、無理なのかな? ずれてる?
M
2018年5月5日11:28 アンジェロ・フラッカヴェント:
同感だよ、M。常に新しいものを好むことの強いられる世の中が耐えられない。だいたい、新しいものと言ったって、実際に新しいことなんて全然ないんだから。ほとんどがこれまでにもあったものにちょっと新しいパッチやグラフィックスを合わせたくらいのものだろう。そういう意味でファッションのスピリットは致命的な状態にある。つい先週まで羨望の的だったものが、翌週にはもう捨てられて、別の新しいものに取って代わる。
ゆっくり且つ着実に歩みを進めて、シーズン毎に自然な形で進化していくクリエイターに惹かれるよ。ルッツは間違いなくその一人だ。
だけど、絶え間ない変化には妙な癒しや効果もあるように思う。物事が再生していくような感じがするんだ。死に対する恐怖をほんの少し遠くへ追いやってくれる。ちょっと哲学的過ぎるかな?
a
2018年5月5日12:34 ミシェル・ラファティ:
ハハハ!今日のロンドンは快晴だ。ちょっとその点、考えてみるよ!
M
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2018年5月5日14:17 ルッツ・ヒュエル:
二人の言う通り、ファッションにおいては絶対的に常に変化が必要だ。個人的には同じ服をずっと着続ける。着ていて気分がいいものを見つけると毎日のように着ていたくなる。そこが服の魅力だ。昨日買ったばかりだろうと10年前に買ったものであろうと、着ることによって、気分を良くする力がある。それと同時に、自分にブレーキをかけて、半年毎に新しいものを生み出そうとせずにいる必要があった。意識的に抑えない限り、僕の頭は常に前進しようとしてしまう。絶え間ない変化には陶酔効果のようなものもある。そこがファッションの大好きなところだ。常に変化があって、必ずまだ別の可能性、別の見方、考え方がある。そう思うととても気分が高揚するんだ。ファッションはもうやり尽くされているなんていう考えは全くもっておかしいと思う。物の見方は毎日変わっていく。人間が進化し続ける限り、ファッションだって進化し続けるんだ。
要はバランスを取るっていうことに尽きるね。まあ、そこが難しいんだけど、ハハハ!
パリも晴れてて気持ちがいいよ!後でテラスでマルガリータでも飲もうかな、なんて、考えるだけで笑みが漏れてくる 🙂
いい週末を。 xx
2018年5月9日22:24 ミシェル・ラファティ:
なるほど、では前進と進化ということで…ファッションコミュニケーション(ファッションショーとか、ファッションウィークとか、広告)がこれからどこに向かっているか、二人の考えを聞かせてもらえないかな?
今後、どんな風に変わっていくと思う?今後20年でどんな感じに なると思うか、何かおかしな意見を聞かせてほしい。
XX
2018年5月10日19:05 アンジェロ・フラッカヴェント:
すごく難題だよ。水晶で占ったって答えは出てこないんじゃないかな。あらゆるものが凄まじい速さで動いている。今良いと思われるものも、明日にはもう古いとされてしまう時代だ。
ファッションコミュニケーションは、デジタル文化によるイメージの過剰供給の影響を受けていると思う。そのせいで、ひとつのイメージが長続きするということはなかなかなくなってきている。そんな中、ファッションはイメージレベルで消費され続けている。デジタルメディアで渇望の的となるデザイナーものが、ハイストリートで購入されるかもしれない。そういう人造消費主義に汚染されているんだ。
ファッションショーにはライブ体験として絶対的な力があると思うから、続くと思う。雑誌は既存のファッショントレンドを記録するのではなくて、独自のファッション観を作ってファッションを自分たちのために操作して利用できるような、キュレーション機能を備えた現実の教え育て役的存在になる必要があるんじゃないかな。 今のファッション雑誌は主流のものからニッチなものまで結局みんな同じに見える。
ファッションブランドは一方、新しいコミュニケーションの方法を見つけるべきだろうね。写真そのものを使わないようにして、受け取る側に想像させるようにするとか。そうなったら相当斬新だと思わないかい? すべてを見せるのではなくて、何も見えない状態で空想させるんだ。
2018年5月16日13:40 ルッツ・ヒュエル:
質問が難しくて少し返事が遅くなってしまった。でもアンジェロの回答は満点だと思ったよ。僕の思考はいつも結局、本物や真実とそうでないものの違いというところに帰着する。今の世の中では確かにイメージが溢れているのに、そのほとんどが視覚的な観点に加えて、明確な意見やビジョンがあるかどうかという観点においても、全く新鮮ではない。
いつも既存の別のイメージばかりをヒントにしているのが原因なんじゃないかと思う。新しいものを一から作り出すとか、今の世の中のあり方に関する感情や、現代社会で生きることへの思いを込めることが必要なのに。(これって、分かってもらえるかな?)
僕は、自分にポジティブなリアクションをさせてくれるようなものをずっと求めているんだ。今の生活を映し出してくれるもの、将来のあり方の可能性を見せてくれるもの、単なるイメージということを超えたレベルで腑に落ちる何かを。
アンジェロの言う通り、今でもファッションショーには他に代えられない力があると思う。人が集まって、共に体験をすることのできる他にない瞬間だし、一番感情に訴える体験だ。ショーの雰囲気に身を置くことで、ある一定の方法で物事が見つめられるようになる。電話やコンピューターでは決してできないことだよ。
僕が今の世の中でいちばん良いことだと思うのは、たくさん悪い側面はあるにしても、ソーシャルメディアによって、長い間非現実的だったファッションが、現実の生活の中に帰ってきたことだよ。僕にとってのインスタグラムは、『i-D』が初期の頃に、街の人に自分の服装をどう思うかを尋ねた取材をベースに組んでいた‘Straight- ups’みたいなものなんだ。‘Straight-ups’ではデザイナーからハイストリート、ヴィンテージ、ホームメイドまでいろいろ取り上げられていて、どのルックも独創的だった。それこそがスタイルの極みだと思うし、それ以上に楽しいファッション像もないと思う。僕の心に直に語りかけてくるものがあった。今の世の中でもそういうアプローチが最良だったりするんじゃないかな。10人中9人に通用するような線を進もうとするんじゃなくて、もっと細かく詰めたファッションの見せ方を模索していくんだ。
現代社会において理に適ったことをしつつも成功するためには、明確な視点を持って、それをできる限りパーソナルに、大胆に、薄めることなく提示していく以外にないといつも思っているよ。
分かってもらえるかな。二人はどう思う? パリより xx
2018年5月16日16:29 ミシェル・ラファティ:
その通り!二人の意見、すごくいいと思ったよ。写真だけじゃ、ファッションショーが実際にどんなものだったか、絶対に想像できないしね。音楽、照明の感じ、全部があって初めて感じられるものがある。
今ミラノから帰ってるところなんだ。
また連絡するよ。
Best love, M
iPhone から送信
2018年5月16日18:56 GMT+02:00 ミシェル・ラファティ:
僕がこの仕事を始めた頃のマックイーン(McQueen)のショーの中でも、特にアン・ピーブルスの“I Can’t Stand the Rain”のショーはすごく良かった。今振り返ると特にそう思う。当時、大事な瞬間だと知らずにその場にいたことがまた良かったんだろうね…。リナーテ空港より – 二人ともきっと覚えているよね… Mx
iPhone より送信
2018年5月16日19:14 アンジェロ・フラッカヴェント:
ああ、リナーテなら昨日いたよ。2018年5月16日17:06 ルッツ・ヒュエル:
そうだね!一生の思い出になるぐらいのショーっていうのがある。自分の中に残って離れないんだ。最初は何の気なしにその場にいたのだとしてもね x2018年5月16日17:12 アンジェロ・フラッカヴェント:
その通りだよ、ルッツ。ブルス広場のアーチの下での君のショーは本当に印象に残ってるよ。2018年5月16日17:21 GMT+02:00 ルッツ・ヒュエル:
ありがとう!あのショーは僕にとっても良い思い出だ。コレクションには欠陥もあったけど。本物のバラでできた大きなイヤリングをしたアレックスのことが忘れられないよ。あの当時の本当のお気に入りだったな。この写真を見ると今でも幸せな気持ちになる。
2018年5月16日17:44 アンジェロ・フラッカヴェント:
あれは最高だったね!2018年5月16日17:21 GMT+02:00 ルッツ・ヒュエル:
僕が一番好きだったショーは、マックイーンがバグリーズウェアハウスでやった‘The Birds’なんだ。ものすごいエネルギーを感じたよ。本当にずっと記憶に残ってる。
…忘れられないファッションの瞬間がそれぞれの胸に残るっていうのも、やっぱりファッションショーだけが持つ力だね!
- ORIGINAL WORDS & FASHION: MICHELE RAFFERTY
- PHOTOGRAPHY: CLARE SHILLAND
- HAIR: HIROSHI MATSUSHITA
- MODEL: MARIA LOKS / NEXT LONDON
- SPECIAL THANKS: ANDREW BUNNEY