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Where the runway meets the street

これまで相当な数のラグジュアリー企業の経営者やデザイナーと会ってきた身として証言する。毎週のミーティングで今朝持ち上がった質問が「来シーズンはどのラグジュアリーブランドとコラボすべきか」というものであったという事実。

ちょっと待った。まずその問いへの答えは「どこともコラボしない。そんなのはもう遅い」であって、第二に、ファッション業界はそのような考えを捨てなければならないのであり、考えるべきはむしろ「我々はいつからファッションをリードできなくなったのか」なのだ。

昨晩ミラノで、「FENDI(フェンディ)」と「VERSACE(ヴェルサーチェ)」が、業界では既に公然のものとなっていた秘密を発表し、メディアやインフルエンサー、ファンに話題を提供した。「FENDACE」のことだ。シルヴィア・ヴェントゥリーニ・フェンディ(Silvia Venturini Fendi)の協力を得たフェンディのアーティスティックディレクター、キム・ジョーンズ(Kim Jones)版のVERSACEがデビューを飾り、その数分後には同じくイタリアのメゾンであるFENDIを、今度は逆にドナテッラ・ヴェルサーチェ(Donatella Versace)が演出したものが同じランウェイで披露された。

©FENDI

FENDI、VERSACE両メゾンのミューズを長年務めてきたケイト・モス(Kate Moss)、ナオミ・キャンベル(Naomi Campbell)、クリステン・マクメナミー(Kristen McMenamy)、そして新世代モデルのプレシャス・リー(Precious Lee)、パロマ・エルセッサー(Paloma Elsesser)、アドゥット・アケシュ(Adut Akech)が、ゴールドのFのロゴのチョーカー、VERSACEの金色のメドゥーサロゴをあしらったFENDIピーカブーやバゲットのハンドバッグ、ドナテッラのブロンドウィッグなど、メゾンのシグネチャーアイテムの改変版を身につけて登場した。

楽しきマーチャンダイジングの金鉱というべきその光景は、ラグジュアリーファッション業界がいかに想像性に欠けたものになり果てているかを象徴しているに他ならなかった。最も声高に熱心に売り込み、最も仲間から称賛された者が、自作の幻想ポイントを稼いでいくだけの世界がそこにはあるのみだ。

GUCCI(グッチ)」は今年「BALENCIAGA(バレンシアガ)と提携し、続いて今度は逆にBALENCIAGAがGUCCIと提携した。ファッション業界屈指の影響力を誇り、経済的にも成功しているブランドが手を組んだことは、業界関係者やファンを驚かせた。同じファッショングループに属し、長年同じ消費者を奪い合ってきた2つのブランドが手を組んだケースで言えば、BALENCIAGAのデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)が2016年に「VETEMENTS(ヴェトモン)」で初めて行った、「COMME des GARÇONS(コム・デ・ギャルソン)」、「MANOLO BLAHNIK(マノロ・ブラニク)」、「Brioni(ブリオーニ)」などのラグジュアリーブランドを含む18のアパレル企業とのコラボレーションが新鮮だった。

© GUCCI

MONCLER(モンクレール)」は2018年にジーニアスプロジェクトを立ち上げ、2019年1月には「VALENTINO(ヴァレンティノ)」と「UNDERCOVER(アンダーカバー)」が続いた。そうしてコンセプトが進化していったことは、当時なりには斬新で新鮮な戦略だと感じられた。しかしそれ以後、「JEAN PAUL GAULTIER(ジャンポール・ゴルチエ)」×諸ブランド、「sacai(サカイ)」×諸ブランド、「Karl Lagerfeld(カール・ラガーフェルド)」×「KENNETH IZE(ケネス・アイズ)」、「Dries Van Noten(ドリス・ヴァン・ノッテン)」×「Christian Lacroix(クリスチャン・ラクロア)」、VALENTINO×「Craig Green(クレイグ・グリーン)」、「RIMOWA(リモワ)」×FENDI、RIMOWA×「DIOR(ディオール)」と、この公式が完全なコピペ方式で模倣されるようになった。

何をしようと勝手だが、それをコラボレーションと呼ぶことだけはすべきでない。FENDIとVERSACEのInstagramで紹介されているFENDACEは、このパートナーシップを「コラボレーションではなくスワップ(入れ替え)」と称し、コラボレーションと明確に区別している。GUCCIとBALENCIAGAは「コラボレーションではなくハッキング」、VALENTINOはCraig Greenとのパートナーシップを「解釈」、JEAN PAUL GAULTIERもsacaiとのリンクアップを「解釈」としている。お分かりいただけないだろうか。コラボレーションではないのだ。

まあ、いい。一旦コラボレーションと呼ぶとしよう。その方が時間の節約のためにも、もはや制御不能状態に陥っているラグジュアリーブランドのほとんどに目を覚ましてもらうためにもなるだろう。しかしそこに見られるものは、イノベーションにしてもコンテンツにしても、世間にどのような言葉を採用させるかを考えて決めるという非常に時代遅れな考え方にしても、どれもこれも制御不能状態としか言いようがない。

© JEAN PAUL GAULTIER

オブザーバーらは「落ち着こう。そんなに深刻じゃない」などとコメントし、数兆ドル規模の高級ファッション業界のことを、解剖したり分析したりするべきではないとしている。となると各ブランドは私たちの目を欺くことに成功したようだ。コレクションや製品の発表、「破壊」、そして自己申請ベースの「ネットを賑わせるポップカルチャーの瞬間」。その全てが、買い手である大衆に対し、ブランドと少しでも深くつながり、関わり合いになり、1度でも多く店舗に足を運べば、「内情通」になれると思わせるために戦略的に計画されたものであることを、私たちは忘れている。本当にそんなことで、これまで買い手を撥ね付けるような態度であったラグジュアリーブランドのデザイン集団から受け入れられると思うのか。来シーズンどうなるか、良ければ運試しをしてみるといい。

ほとんどのラグジュアリーブランドはもはや業界を先導する立場にない。まだ先導していると考えるのは幻想で、若者文化によって敷かれたルールや要件に追いつこうとしているに過ぎないのが現実だ。ラグジュアリーブランドがターゲットにしたいと考えるような世代が文化的に信頼しているのは、「Nike(ナイキ)」、「THE NORTH FACE(ザ・ノース・フェイス)」、「PALACE SKATEBOARDS(パレススケートボード)」に加え、「Ed Hardy(エド・ハーディー)」、「True religion(トゥルー・レリジョン)」、「Juicy Couture(ジューシー・クチュール)」といった2000年代を代表するブランドだ。そんな中、ラグジュアリーブランドは、似たようなデザイン哲学で作ったアイテムを、3シーズンも遅れて倍もの価格で、数少なく提供することをよしとするビジネスモデルやマーケティング手法を取っている。方向性を誤っているのだ。

Dries Van Noten x Christian Lacroix SS20 © GETTY IMAGES / RICHARD BORD

そもそも、次世代の多くがより手頃な価格のブランドを選ぶのは、派手な消費や使い捨てのノベルティ、無意味なブランド提携など、旧来のラグジュアリーを象徴する全てから逃れるためだ。現在のほとんどの「私は普通のママじゃない、かっこいいママなの」系ラグジュアリーブランドはまさにそうした逃れたいものの類ということになる。

だからといって、高級ブランドが次世代の消費者を取り込むこと、彼らをターゲットとすることが全く不可能というわけではない。近付きたいと思う消費者のいる場所にブランド側から足を伸ばせば良い話だ。そしてNikeや「adidas(アディダス)」のように、ブランドと既に関わりを持っている地域コミュニティに的を絞り、そこに働きかけるようにすれば良い。あるいはBALENCIAGAとカニエ・ウェスト(Kanye West)のアルバムとのパートナーシップやフォートナイトとのコラボレーションに見られるように、革新的方法で文化に溶け込み、「JACQUEMUS(ジャクムス)」方式で、新しい(知られていない)クリエーターを招き入れることもできる。

どのブランドも何より理解すべきは、自分があらゆる人にとっての全てとなれるわけではない、ということだ。ただ売ろうとするのではなく、主張を定めることに立ち返る必要がある。すべてを闇雲にぶつけてみて何が刺さるか試そうとするのではなく、自らが接近したい集団に合わせて発想を進化させ、取り組むべき戦略を2〜3に絞るべきだろう。自己の外に目を向けることこそが、ラグジュアリーが再び主導権を握り息吹を吹き返すための必須条件だ。