星野源という自性。そして次章。
音楽家・俳優・文筆家として多様な創造のアウトレットを持ちながらも、一貫した哲学のもと時代と響き合うクリエイティブを生み出し続けるアーティスト・星野源。オルタナティブでありながらポピュラーでもあるという稀有な立ち位置を、彼は文字通り、死に物狂いで築いてきた。その道のりを、“自らが信じる表現を貫くこと” ——すなわちクリエイティブへの「愛」だとあえて定義するならば、幾多の逆境を経験しながらも、なぜ彼はその「愛」を見失うことなく、さらなる未知の地平へと突き進むことができるのか。2025年1月28日には約1年ぶりとなる新曲「Eureka」をリリース。そしてこの春、5thアルバム『POP VIRUS』以来、6年ぶりとなるニューアルバムの発表と全国ツアーの開催を控えた星野源に訊く、愛・希望・時代の空気について。

All CELINE HOMME BY HEDI SLIMANE
「愛」が生まれる場所
——突然なんですが、星野さんは「愛」ある生活を送っていますか?
急ですね(笑)。
——Apple Musicのラジオ番組『Inner Visions Hour with Gen Hoshino』では「“愛している” という言葉に違和感があった」とお話しされていましたよね。ニッポン放送の『星野源のオールナイトニッポン』では、星野さんが敬愛する映画監督、ジョン・ウォーターズの「愛しているとささやくのは、相手が眠っている時にだけにすること」(『Mr. Know-It-All:The Tarnished Wisdom of a Filth Elder』より)という言葉を引用して、共感を示されていて。
うん、そういう話もしましたね。
——星野さんの創作からは、人が “何か” や “誰か” を愛することを、手軽なモチーフやテーマとして使うのではなく、具に観察してその感情の本質を細やかに表現しようとしている印象を受けます。例えば、ご自身の楽曲「不思議」の歌詞には〈孤独の側にいる/愛に足る想い〉というラインがありますよね。「愛」と言い切らないところに表現としての誠実さがあるなと思ったんです。
ずっと「愛している」という言葉に違和感があったんです。『Inner Visions Hour』の中でも話しましたけど、愛は「する」ものじゃないだろうと。やっぱりもっと他のいい言葉があるんじゃないかなってのはずっと考えていて。実感として「これが愛だぜ」って思った経験があまりないんですよ。でも、他人を見ていて「ああ、愛を感じる」って時はある。だから、僕も自分では分からないけれど人から見たら、愛のある暮らしを送ってるんだろうな、とは思う。音楽も芝居も文筆も、愛を込めてやってるかと聞かれたらよく分からない。ただただ没頭する感覚でやっています。
——「恋」にも、「愛が生まれるのは一人から」という歌詞がありますが、恋愛だけに限らない「愛」について綴られた歌詞とも受け取れますね。
愛って、他の人や動物、物、概念、偶像……なんでもいいんですけど、人と他の “何か” の間にふっと浮かび上がってくるようなイメージが自分の中ではあるんです。人って基本的に孤独で、世の中の誰しもがそれを抱えている。その一人一人の孤独が “何か” と接続した時に、様々なものが行き来するじゃないですか。言葉とか、体液とか。その中のひとつに「愛」があるって感覚が僕にはあるんです。だから、静電気みたいな感じなのかも。恋に落ちた時の瞬間を表す表現に「ビビッとくる」ってあるじゃないですか、あれって意外と的確な言葉なのかもしれないですよね(笑)。

All FENDI
——漠とした哲学的な質問なんですが、人はなぜ何かを無条件に愛してしまうんだと思いますか? 意味や生産性を度外視して、何かを突き詰めてしまう気持ちって、人の生にどんな意味をもたらしているんだと星野さんは思いますか?
人間の本質って「生産性のないことをしてしまう」ところにあるんじゃないでしょうか。例えば、木の実を取ったり、動物を狩って食べたりして、なんとか生きていくことが仕事そのものだった大昔の人間でさえ、装飾がありすぎて使えない器を作ったり、落書きみたいなものを洞窟に描いたりしていた。それらには「遊び」というよりは宗教的な意味合いが込められていたのかもしれないけれど、それでも必死な生活のある意味で余剰の部分であることにはかわりないわけで……そういうことをしないと生きていけないのが、人間らしさなんじゃないかなって思うんです。
——なるほど。オランダの歴史家、ヨハン・ホイジンガが、人間の本質を「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」として定義したことを思い起こさせるお話ですね。
まさにそうですね。自分自身の個人的な経験に置き換えてみても、やっぱりそうだよなって思いますね。ここ数年、精神的に落ち込むことが多かったんです。一旦、どん底に落ちてしまうと、本にしろ、映画にしろ、音楽にしろ、何にも興味が持てなくなる。いいインプットをしたいんだけど、それができない。でも、心が復活してくると「あ、面白い」って思えたりするようになるってことを実体験して。だから、やっぱり何かに没頭できる状態っていうのは、人間として心が健康な状態にあることの証拠なんじゃないかな。
——星野さんは音楽家・俳優・文筆家としてどの分野でも成功を収めていますが、キャリアの初期には「どれかひとつに絞らないと成功できない」と周囲から言われることも多かったとか。今は流石にそういうことを言われることはないと思いますが、だからこそのフラストレーションやストレスってあったりしますか?
昔は、ただやりたいからやってただけなのに、横槍を入れられることがよくありましたね。「ひとつに絞れ」「真面目にやれ」みたいな。今はもう言われないのでその点では楽です。自分は芝居も音楽も中学1年生の時に同時に始めて、それが仕事になりました。どちらかが成功してからじゃなくて、同時に別のキャリアを歩んできたから、音楽と役者で所属している事務所も違うんです。それぞれ別の星野源がそれぞれ成功して、それぞれ本業になった。



All LOEWE
——「やめたほうがいいんじゃない」と、言われても「それでもやるんだ」と諦めなかったのはなぜでしょうか?
その言葉に説得力がなかったからだと思います。本当にそう思わされていたら、多分どちらかを辞めていたと思う。僕が活動を始めた時は、今ほど「タイムマネージメント」とか「効率化」みたいなものが重視される時代じゃなかったから、いい意味でも悪い意味でも無駄な時間をたっぷり過ごせたし、「やりたい」っていう情熱の一本槍で闘っていけたんですよ。今だったら「そんなことをやってても無駄だよ、星野くん」って誰かに理論立てて、エビデンスまで持ってこられて、きちんと説得されそうな気がする(笑)。
——確かにYouTubeを覗けば「効率化」に関するティップスを紹介した動画は凄い再生数ですし、SNSにはありとあらゆるニッチなことが好きな人達が溢れていて。何を始めるにせよ、続けるにせよ、理由が重視される時代になっている気はします。
今は「なんか自分でもよく分かんないんですけど、やりたいんですよね」っていうのを言いにくい時代なのかもしれないですね。何かを「好き」って言うと、すぐに “キャラ化” されちゃうじゃないですか。
——“キャラ化” というと?
例えば、誰も見向きもしないようなものが好きでたくさん集めている人がいて、それをSNSで発信したら、その人はすぐに「蒐集家キャラ」として消費される。昔は、他の人が全く興味を示さないような物を好きだって誰かが公言する時って、ある種の近寄りがたさを放つものだった気がするんですよね。「え、なんでそんなの好きなの?」みたいな嫌悪に近い、ネガティブな反応もあった気がするから、善かれ悪しかれではあるんですけど、それでもその人の偏愛は守られていたように思う。でも、今はその愛を共有するツールが山ほどあって、コミュニティをすぐに築けてしまうから——。
——「なんか自分でもよく分からないけど、やりたい」の「自分でもよく分からない」部分を育む時間が失われてしまう?
そうですね。孤独を感じずに済むようになったという意味ではいいことなのかもしれないけれど、人の視線が少しでもあると、その「好き」の表出って自己表現になってしまうんですよね。だから深まっていかない。ものづくりをする上では、一人で自分の内側を向いて、承認欲求や自己表現のツールにしようと思わない、「好き」を発酵させる時間が大事だと思うんです。

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——自分のやりたいを続けるためには、やっぱり才能も必要だと思いますか? それともそれは「好き」を突き詰めた後からついてくるものだと思いますか? 例えば、音楽に限って言うと星野さんの場合どうだったんでしょうか?
うーん、どうなんでしょうね。でも正直、自分でもよく分かんないんですよね。好きだから続けられたのか、それとも才能があったから続けられたのか。今も昔も変わらず音楽を聴いて「うぉー!」って興奮することは多いから、好きなのは間違い無いと思うんですけど。中1の時に宅録で自作曲を作り始めた最初の頃は、恥ずかしくて誰にも音源を聴かせられなかったんですよ。でも、いざクラスメイトとかと音楽活動をやるようになったら、「こうした方がいい」とか「それじゃ全然カッコよくない」とか、一緒に作っているものへのダメ出しが自分でも驚くほど澱みなくどんどん出てきて(笑)。
——水を得た魚のように、プロデュースの能力が迸ったんですね。
自分の歌詞やメロディに対して確信もてるようになるのは、もっと経験を重ねてからなんですけど、そういう「良し悪しの判断」には何の経験もなかったのに最初から自信があったんですよね。それが正解なのかも分からないけれど、とにかく自信満々だった。その時は気づかなかったけど、そういう根拠のない自信と確信も「才能」と呼ぶと思います。




好きなことを好きなように
——キャリアの中で、表舞台での活動を辞めたいと思ったことはありましたか?
2018年の年末にアルバム『POP VIRUS』をリリースした後に一度、燃え尽き症候群のようになってしまったことはありました。日本の音楽業界の慣習に疲れてしまったのと、自分が詩として書いた表現が、ゴシップ的な受け取られ方をすることに悲しくなって。「Pop Virus」という曲の歌詞は、音楽のことを歌っている歌なんですけど、結びに「刻む 一拍の永遠を/渡す 一粒の永遠を」ってラインがあって、これは流れから考えると「一粒」って音符や単音のことなんだけど、それを結婚指輪のメタファーみたいなこととして捉えられて、「星野源、結婚か?!」って騒がれているのを知って。「どれだけ努力しても、結局こうなのか」って。
——真伨な想いでつくった作品が誤解されたり、都合のいい文脈で利用されるのは、何よりも芸術家にとっては辛いことだろうな、と推察します。さらに伺うと、星野さんはご自身のパブリックイメージと実際の自分自身のギャップに苦しむことはありましたか?
昔はありました。でもイメージって本当にただのイメージで、誰であれ本当のその人は絶対にそこにはいないんですよね。ポジティブなイメージもネガティブなイメージもとにかく全部幻想で。それって基本的なことなんですけどね。

——先日リリースされた新曲「Eureka」は、今のお話と通じるテーマの楽曲だと思うんです。「息を吹き返した」から始まる歌詞では、奪われた自己を自分自身と対話することによって取り戻し、前へと進み続ける様が綴られています。だからこそ、星野さんに「それでも進み続ける原動力はなんですか?」ということを伺いたいです。
うーん……死ねないから、かな。止まるっていうことは死、というか、死んだら止まるじゃないですか、誰でも。「前へと進んでいこう」みたいな意思がないわけじゃないんですけど、この曲は「そういうものである」ということを描いているだけなんですよね。生きている限り進むでしょう、という。極端な例を言うと、全く動かずに暮らしている人さえも何かしら “進んで” しまっていると思うんですよ。他人やあるいは本人も停滞しているとしか思えない状況でも生きている限り、人は進んでしまう。
——確かに否が応でも死へのタイムリミットは近づいていきますし、思考は積み重なりますもんね。ちょっと話はズレるかもしれませんが、例えば詩人のエミリー・ディキンソン(Emily Dickinson)や画家のヘンリー・ダーガー(Henry Darger)のような死後、作品が “発見” され評価を受けることになった稀代の芸術家達は、生きている間は隠伿して芸術を作り続けていました。
そういう人達もいますよね。だから、絶えず競争社会を勝ち抜いて、周りに合わせて新しいトレンドをどんどん取り入れることにフォーカスしている人達が、前へと進んでいるのかっていうと、そういうわけではない。
——「Eureka」には「向かうほどに/呆れた 希望は/要らないまま」という今の時代を生きる人の実感と強く響き合うような強烈なラインがありますが、星野さんは「希望」を持たずに、人は生きていけると思いますか?
うん、生きていけると思います。改めて「希望は要らないな」と、最近感じていて。そもそも「希望ってなんだったっけ?」って。「新年会で行きたい店の第一希望は焼肉屋です」とかそういう意味の希望はあるけど、「何かを救ってくれるもの」みたいな意味合いの希望は存在しないと思う。逆に絶望は確かにある。でも、それでも今まで楽しく生きてこれたし、希望ってないといけない気がしてたけど、そもそも希望なんていらないじゃんっていう結論に今、辿り着いたって感じですね。


——でも、それって刹那主義とか快楽主義ということではないと思うんですよ。様々な過程や経験を経て辿り着いた真理であって、「Eureka」の「“今”は過去と未来の先にあるんだ」という歌詞にあるように、そこには過去・現在・未来への眼差しが宿っている。
そうですね。ただ……本当に正直なことを言うと、今はいろんなことが、どうでもいいです(笑)。自分の好きなことを好きなようにやるだけっていうのが今の僕ですね。
ある意味で解放され、自由になった星野さんが作る次のアルバムが今から楽しみです。これまでに見たこと・聴いたことのなかったような星野さんの表現に出会えるんじゃないかと。期待してます!
ははは(笑)。そうなったらいいな、って思いますね。引き続き、制作がんばります!

『Gen』
2025年5月14日発売
『Gen』Box Set “Poetry” (BOX+CD+BOOK) VIZL-2438/税込価格 ¥7,480
『Gen』Box Set “Visual” (BOX+CD+2BDs) VIZL-2436/税込価格 ¥8,910
『Gen』Box Set “Visual” (BOX+CD+3DVDs) VIZL-2437/税込価格 ¥8,910
通常盤 VICL-66033/税込価格 ¥3,410
https://genhoshino.lnk.to/Gen_digital
収録曲01. 創造
02. Mad Hope (feat. Louis Cole, Sam Gendel, Sam Wilkes)
03. Star
04. Glitch
05. 喜劇
06. 2 (feat. Lee Youngji)
07. Melody
08. 不思議
09. Memories (feat. UMI, Camilo)
10. 暗闇
11. Why
12. 生命体
13. Eden (feat. Cordae, DJ Jazzy Jeff)
14. Sayonara
15. 異世界混合大舞踏会
16. Eureka

Gen Hoshino presents MAD HOPE
追加公演含む8都市17公演
5月15日(木)、16日(金):愛知・Aichi Sky Expo(愛知県国際展示場)ホールA
5月24日(土)、25日(日):北海道・北海道立総合体育センター(北海きたえーる)
5月31日(土)、6月1日(日):埼玉・さいたまスーパーアリーナ
6月11日(水)、12日(木):宮城・セキスイハイムスーパーアリーナ
6月18日(水)、19日(木):福岡・マリンメッセ福岡A館
6月24日(火)、25日(水):大阪・大阪城ホール
7月12日(土)、13日(日):沖縄・沖縄アリーナ
[追加公演]
9月21日(日):大阪・京セラドーム
10月18日(土)、19日(日):神奈川・Kアリーナ横浜

【書誌情報】
タイトル:HIGHSNOBIETY JAPAN ISSUE14+:GEN HOSHINO
発売日:2025年3月15日(土)
定価:1,650円(税込)
仕様:A4変型
※表紙・裏表紙以外の内容は同様になります。
◼︎取り扱い書店
全国書店、ネット書店、電子書店
※一部取り扱いのない店舗もございます。予めご了承ください。
※在庫の有無は、直接店舗までお問い合わせをお願いします。
購入サイト:Amazon、タワーレコードオンライン、HMV & BOOKS online、セブンネットショッピング
- PHOTOGRAPHY: YOSHITAKE HAMANAKA
- STYLING: MASAHIRO HIRAMATSU @ Y’S C
- HAIR & MAKE-UP: TAKESHI
- INTERVIEW: JIN OTABE