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性の多様性が可視化される一方で、「クィア」や「LGBTQ+」といった言葉が新たな境界線を生むこともある現代社会。そんな中、「クィアであることをあえて語らない」姿勢を貫く台湾のアーティスト、マンボウ・キーの発言と作品が注目を集めている。失恋を契機に、家庭というきわめて個人的で複雑な空間から始まった自己探求の旅は、やがてアートを媒介として社会との対話へとつながっていった。それまで見ないふりをしてきた「家族」や「性」と向き合い、自らの内なるクィア性を掘り下げることで、表現者としての新たなステージへと歩み始める。台湾と日本、異なる文化と社会の狭間で、彼がいま願うのは「ラベルのない世界」。その言葉には、カテゴライズを超えて人間そのものに向き合おうとする切実な眼差しがある。

©︎Weslie Wei

——日本へは頻繁に来られていますか?

1年に2回は来ています。今年は初めてですが、前回は去年の12月に。トータルすると10回は超えていると思います。

——お仕事でですか?

ほとんど仕事ありきの来日ですが、前後してプライベートの時間も作っています。

——どの季節が一番好きですか?

全部好きですが、あえて言うなら冬でしょうか。台湾は雪が降らないので、凛とした日本の空気感がある冬の季節がいいなと思います。でも、室内の暖房は何回来ても慣れません。

——台湾はずっと暖かいのですね。

寒くなるのはせいぜい年に1カ月くらいでしょうか。その時期は大抵雨季を迎えるので、ジメジメした台北の雨季はあまり得意ではありません。

——台中の出身ですよね? 

そうですね。台中でも都心と郊外がありますが、郊外の方です。台中の市内まで1時間半かかります。

——どんなところですか? もの凄く田舎なのか、少し都市っぽい感じなのか。

主に客家の人から成る集落で小さな街ですね。農業がメインになりますが、かつてもう少し栄えていた時代もあります。そこで暮らしていて不便な気持ちになったことはありません。

——その客家という小さな街でお祖母様に育てられたとのことですが、ご両親は何をされていたのですか?

1980〜90年代はスナックとカジノが併設型なので、スナックのママさんがお母さんで、お父さんがカジノを共同経営していました。当時、中国語で言う「賭場」はアングラなものだったので、スナックの中でこっそり行われていました。で、父親はプロフェッショナルな博打で生計を立てていました。

——凄い家族ですね。

クレイジーな家族です。

——きょうだいはいますか?

父親が違う兄が2人いますが、幼少期を共に過ごしていないので成人してから兄の存在を知りました。

——ティーンエイジの時の家族関係について聞かせてください。

僕は生まれた時から父と母は同棲していませんでした。なので、小さい頃、父と母が会話をするシーンを見たことはほとんどなかったように思います。大きくなるにつれて僕の父と母が正式な婚姻関係にないことを知りました。さらに大きくなってから、父と母の関係は、愛と恨みが織り混ざった複雑な関係なんだ理解しました。

©︎Kuo.fangwei

——なるほど。ご自身のクィア性に気づいたのはいつでしょうか?

性自認においては小学生の時から僕が男性でありながらも男の子が好きという自覚はありました。しかし、クィアという言葉も知りませんし、クィア性と本当に自認したのは、27〜8歳くらいからです。

僕は10代の頃にカミングアウトする上で苦痛を味わう必要がなかったのは幸運なことでした。というのは、僕は高校に入って好きな相手ができて、恋愛は上手く成就したんです。青少年の時代には僕自身が家庭に何を求め、家族をどう捉えたらいいのかなど、いろんなものが不確かな中で、高校生の時に恋愛を通して少しずつセルフアイデンティティ、自信を確立していきました。クィア性に対する見方が変わったのも、20代の失恋経験によるものです。失恋を介して、僕自身が台湾におけるゲイコミュニティの凝り固まった価値観のみならず、もっと多様な性のあり方について考える必要があるんではないかと気づきました。恋愛を介して僕は自己受容していったように思います。

決定的に自分を見直す契機となった失恋が27歳の時。27歳まで僕は映画の美術の仕事とテレビ局を相手にサラリーマンとして仕事をしていたので、わりかし今に比べて規則正しい生活をしていました。しかし、失恋をきっかけに僕は離職して台湾を出て、徹底的に自分を見つめ直したんです。その時に、あまり意識してこなかった、もしくは避けてきた自分の家庭での成長背景が自分自身の人格形成において光と影を落としてきたということも再確認しましたし、自分はいちアーティストとしてもっと自分に素直に生きなければいけないと考えさせる、そういった失恋でした。

——『Father’s Video Tapes(父のセックステープ)』と題した展示がありましたが、マンボウさんの作家性であるクィアの性質は恋愛によるものが大きかったんですね。失恋の方がもっと芸術的コネクションが強いというか。

アーティストとして創作する上で必要なのは、勇気と能力だと思います。僕はその失恋をきっかけにアーティストとしての目覚めのみならず、自分があまり意識してこなかった自分の内なるクィア性についても目覚めていきました。その失恋の前からビデオテープの存在を知っていました。少年期にそのビデオテープをこっそり父親がいないときに観てしまった時、他に僕と同じような経験がない友人にも話せずとても困惑していました。しかし、クィアという言葉がない時代にすでに家族がクィアだったこと、既存の枠組み、性と価値観に縛られない家族のもとで僕は育ったことを、国外のいろんな人と出会う中で初めて、僕は本当に自分を抱きしめることができた。初めて勇気を持つことができ、このセックステープを持って、しっかり創作をしていきたいという思いがあることに気づき、台湾に戻ってアーティスト活動を始めました。

——アートを制作していく過程でセルフアイデンティティを発見できることが多いアーティストもいますが、マンボウさんはしっかりを自分を発見して芸術に変換していることを考えると、逆なのかもしれません。

今日においても自分探しの旅はまだ道半ばとも思っています。自分探しの旅はこの先も続いていくもの、地続きなものだと思っています。

今までいろんなインタビューやエッセイの中で、実は自分のクィア性の目覚めは恋愛経験の影響が大きいことをあまり語ってきませんでした。台湾においても、僕の家族のあり方は普通ではないので、こんなスペシャルな家族のもとで育ったんだというところが注目されがちです。そしてその特殊性はその環境を離れないと比較できませんでした。

しかし、家を出て、家族と離れて社会に入り、そして恋愛の中で、他者との触れ合い、自分というものを再認識していきました。特に20代の頃は台湾社会においても同性愛者の方々含め、自由ではない背景がありました。僕の家族も恋愛も、渾然一体のものです。

——う〜ん、小説が書けそうですね。ということは、クィア性を持っていない人達も大事なインスピレーションのひとつということですね。

はい、いろんな方々の交流で自分を相対化していきながらのクィア性の覚醒は、その方々が必ずしもクィアであることに限りません。その交流を通して初めて自分の父親について許せましたし、父親について理解が深まったとも思います。

——アートの表現としてのクィア性には種類やグラデーションがあると思いますが、クィア性の表現をどのように定義しますか? それは内在するジェンダーのバランスなのでしょうか?

僕はこのクィアをひとつの重要なテーマとして繰り返し展示をしていますが、今プライベートな生活ではあまり「クィア」って言わないように気をつけています。クィアであることを協調することによってある種の見えない境界が生まれる可能性があるから。クィアは社会が内包している当たり前の人達です。これまでも自分の背景、過程背景であったり、展覧会のテーマでクィア性について様々なシーンで人々に分かち合わないといけないトークであったりとか、そういったシーンで、僕にとってのクィア性は、性別の二面性に縛られず、その人の個性に注目し、趣味嗜好やその人の関心に眼差しをおくことだと話してきました。だからクィアはある種の脱性別と言えるかもしれません。台湾において、クィアにおける法改正やそういった啓蒙活動はまだ発展途上で、クィアのテーマを掲げるそういった組織によるイベント、トーク、パーティー、政治活動で多くの方々が関わっています。その中で、そういった性の多様性を僕達は活発的に話し合っていますが、クィア性の定義はまだ拡張段階にあるのではないかと思います。

——属性をあえて主張することで線を引いてしまっているのは凄くよく分かります。おそらく今その流れが来ていると思うんです。フェミニズムや、LGBTQなどのマイノリティの声をあげることは全く悪いとは言いませんが、やりすぎた部分はあると思います。その歪みがちょっと生まれてきている。本当のインクルーシビティを主張するために、マンボウさんの仰るようなアプローチを私は尊重したい。正しいとかそうじゃないとかいう言い方は良くないかもしれませんが、これからの時代、正しい気がします。

激しく同意します。

Manbo’s Portrait ©︎Kuo.fangwei

——では最後に、パルコでの新作個展について聞かせてください。

昨年初めて東京で個展をさせていただいて、今回幸いにも継続的に東京で展示ができることに凄く喜びを感じています。自分が経験してきたプロセスをみなさまにお見せしようと思っているので、一つの成果というよりはその過程を見ていただきたいです。日本と台湾は、地政学的にも歴史的にも似て非なるところがたくさんあります。例えば、2019年、台湾における同性婚が法改正により認められましたが、日本はその目標に向かって現在頑張っている過程にあります。今回は昨年よりも規模が大きいので、より大きい空間でもう少しいろんな角度から僕の作品を見ていただけるようにします。渋谷やPARCOに来る人は国際色豊かで、年齢層もいろんな人が行き交う街です。そういった人、もの、ことが交差する交差点のようなこの街で、自分の家庭から出発した内なる眼差しから整理した写真、撮っていた写真もあれば、カラフルでみんなが見て楽しくなるような商業写真の作品も混ぜて展示をします。特に展示の開催期間はプライドウィークと重なります。今、名前のない苦しみの中でもがいている少数派の人々もきっといるかと思います。それぞれが抱えている問題の中でも自分の作品が見る人にとって少しでも勇気を与え、共鳴があればいいなと、次の渋谷PARCOでの個展に期待を寄せています。

©Manbo Key

「HOME PLEASURE」

¥6,000

居家娛樂|Home Pleasure
会期:5月30日(金)〜6月9日(月)
時間:11:00〜21:00
会場:渋谷PARCO 4階 PARCO MUSEUM TOKYO
入場料:無料

※写真集「HOME PLEASURE」は予価・税抜価格です
※入場は閉場の30分前まで
※最終日18:00閉場
※営業日時は変更となる場合がございます、渋谷PARCOの営業日時をご確認ください。

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