style
Where the runway meets the street

©️THOMAS WELCH

1982年、ファブリック研究とヴィンテージミリタリーギアに熱心だったイタリアのデザイナー、マッシモ・オスティは、軍用車に使われる厚手のキャンバス地を洋服に使うことを思いついた。樹脂を染み込ませた顔料で片面ずつ染め、ジャケットやミリタリーテイストのケープを製作。かつて見たこともないような出来栄えに、この生地を使った新ブランド「Tella Stella」を立ち上げることを決意した。

ブランド名はSTONE ISLAND(ストーンアイランド)。丈夫さのシンボルとしてロゴに採用したのは、方位磁針の風配図。耐候性、実用性に美意識が融合するという革命的な意味を表すロゴだ。現在では多数のブランドが、都市生活に適した防風・防雨の「テックウェア」を手掛けるようになったが、当時、STONE ISLANDは孤高の存在であった。その地位確立の背景には、鋭い先見の明を持ったある人物の存在があった。

その人物の名はカルロ・リヴェッティ。家業で既にイタリア国内での大規模衣料品製造を手掛けており、スーツ製造にも見識が深かった。当時リヴェッティは25歳。新たな挑戦を求めた若きリヴェッティは、男性の服装がスーツからよりカジュアルな服装へと変わっていくトレンドに対応し、未来にもつながるようなブランドを探していた。オスティから見せられたSTONE ISLAND初のコレクションは、そんなリヴェッティがまさに求めていたものだった。

©️THOMAS WELCH

オスティと提携し、STONE ISLANDの生産を請け負うこととなったリヴェッティは、狂おしい情熱でビジネスに打ち込んだ。オスティはやがて徐々に他事業へと転向。STONE ISLANDの事業と、可能な限り革新的な服作りの精神はリヴェッティが受け継いだ。

その後数十年の間に、STONE ISLANDは単なるブランドの枠を超え、アイデアの実験場としての成長を遂げた。縫製後に染色を施す「製品染め」の先駆けにもなった。独自の染色レシピは60,000にも上る。デザイナーは、酸で染料を剥がしたりペイントボール銃で染料を発射したりしながらカモフラージュ柄を完成させたり、温度変化によって色の変化するジャケットを作ったりと、エンジニアに近い働きをする。また、ケブラー、ダイニーマ、プリマロフトといった最先端素材による衣料品開発にも取り組んでいる。これまで展開してきたポール・ハーヴェイ、アイター・スロープ、Acronymのエロルソン・ヒューなど、メンズウェア界の革新的デザイナーたちとの活動では、デザイナーがブランド側に貢献し、ブランドは積み重ねてきた技術ノウハウをデザイナーに教えるという共生関係が成り立っている。

実験こそがSTONE ISLANDの核心にある。最先端技術を駆使し、服作りの限界を超えることに取り組んでいる。そして同時にイタリアの伝統の美意識も強く保っている。その両方が融合することで形成されるデザイン精神はこの上なく純粋だ。

STONE ISLANDを語るのにあたり、そのカルト的な人気ぶりへの言及は欠かせない。口コミが最高の宣伝になるというのはマーケティングの秘訣だが、STONE ISLANDは常に草の根的な影響力を力にし続けてきた。イタリアのパニナリやイギリスのサッカーファン、ヒップホップアーティストといったサブカルチャー集団がSTONE ISLANDを取り込んできたことはよく知られるところだ。ファン層は世界各国、数世代にわたり、俗に「ストーニー」と呼ばれる父親世代のSTONE ISLANDアイテムをこぞって身に着ける息子世代がいる。STONE ISLANDのヴィンテージ集めも、多くを心底夢中にさせ続けている。

グローバルに展開しつつも、常にイタリアの魂を持ち続けるSTONE ISLAND。機能を起点にフォルムを形成していくハイテクウェアとは異なり、「spezzatura(スペッツァトゥーラ:イタリア語で切れ端のこと)」のダンディズムを貫きながら、淡々と独自のスタイルを表現している。そのジャケットに一度袖を通してみれば、そこに感じられるのは漲る堂々たる自信だ。

ファン、サプライヤー、従業員といった人の側面にもイタリアらしさが感じられる。イタリアのことわざに「初対面ではお客様、二度目に会えば友人、三度目は家族」というものがあるが、リヴェッティはまさにその実践者であり、その姿勢が全社に浸透している。

©️ COURTESY OF STONE ISLAND
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創立40周年を迎えたSTONE ISLAND。数十年にわたってその舵取りを行ってきたリヴェッティに、これまでの学びについて尋ねた。

——最初の段階で感じたSTONE ISLANDの魅力とは?

創業したてのSTONE ISLANDと出会った頃はもう家業のGFTの仕事をしていました。スポーツウェアへの参入を考えていた中で、STONE ISLANDには完全な新しさを感じました。他のどこにもない別次元のものという印象でした。STONE ISLAND誕生の瞬間から立ち会っていたようなものですね。

——40年以上繁栄できるブランドはなかなかありませんが、STONE ISLANDの核となるものは何でしょうか?

40年などとは、信じられないような思いです。すべてが昨日のことのようで。市場、トレンド、ファッション、誰にも何にも従わずにやってきましたからね。目指していたのは革新でした。革新を起こせば、他のブランドが追いかけているようなものとは無縁になりますから。最初に扱った新素材テッラ・ステッラで服飾に革命を起こして以来、生地に徹底してこだわってきました。生地メーカーの研究を進められるよう織機の購入を肩代わりするなどして投資をしました。

メーカー側が自己負担でSTONE ISLAND向けの研究に取り組むこともあります。足が出る痛手よりも面白いと思えることをする方が大事だということで。私たちは昔から、メーカー各社、自社の従業員、そしてもちろんお客様のいずれとも、風通しの良い関係性を築いてきました。敬意をもって接することを大切にしてきたことが、40年間続けてこられた秘訣だと思います。

©️THOMAS WELCH

——40年間のSTONE ISLANDの進化についてお聞かせください。

イタリアで事業をするには相当な楽天性が必要です(笑)。私は会社には常に自信を持ってやってきました。長い年月の中で浮き沈みはもちろんありましたが、全員が常に誇りを持って働けるようにしてきました。業績の良し悪しの最重視は決してせず、常に予想外の新たなものを作り出す革新性を何より大事にしてきました。目先の結果を追い求めることなく、己との戦いを続けてきた結果、市場の最前線に立つことができたのだと思います。

——今の時代は大半の企業が求められるものを出していく姿勢で、ニーズさえ生まれていないものを提供していくという考えは持っていません。そんな時代にこそ、重要な視点でしょう。

求められるものを出していくだけでは負け試合です。市場など度外視すれば良いということではありませんが、何か違ったものを出していこうとするなら、今の市場にないものを考える必要があります。小売企業から何かを作って欲しいと依頼が入ったときには必ずその理由を尋ねます。既にそこで成功している企業が他にあるのであれば、私たちが手を出しても単なる二番煎じになってしまいます。

©️ COURTESY OF STONE ISLAND
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——ここ数年、メンズファッションにテックウェアが浸透している現象をご覧になって、長年テックウェアの最前線に立ち続けてきたSTONE ISLANDブランドの正しさが証明されたとお感じになっていることでしょう。世界が追いついてきたというか。

世界が変わると直感的に感じられた自分を誇りに思いますね。15年前から「来たる新たな服装の波に備えるべき」と発言していましたから。もちろん、前のめりになり過ぎることで出遅れるのと同じくらい失敗することもあります。STONE ISLANDの場合はお客様に恵まれていますね。縫製後の染色をするには生地を熟知していなければなりません。布の魂を理解して扱うという古くからのクチュリエの伝統を工業レベルで実践するというのは、簡単に真似できるものではありません。

——STONE ISLANDの歴史は、素材の革新の歴史とも言えます。新しい生地が登場する度にブランド自体も成長していきます。

STONE ISLANDの強みは素材を変化させる力です。元の素材から出発して、まったく違う完成品にたどり着く。錬金術のような仕事です。できあがったものを見て、生地メーカーが自分のところの生地だと分からないことさえあります。

——STONE ISLANDは文化的にも大きな影響力を持つブランドですが、STONE ISLANDのどのような側面が、世界中のさまざまなサブカルチャーに浸透してきた理由になっているのでしょうか?

誰にも媚びないところでしょう。STONE ISLANDは芯が強く、ブランドとしての価値観を具体性のある明確な言語で伝えます。事業を始めた頃はまだまだ小さな世界でしたが、私たちの方から文化を掌握しようとしたことは一度もありません。最初はパニナリ、その後はサッカーファンと、サブカルチャーの側からSTONE ISLANDのことを取り込んでいってくれました。マーケティング的な話ではなく、実際自然とそうなったのです。STONE ISLANDがサブカルチャーに対してマーケティングをする意思のないことはサブカルチャー側にも伝わっています。こうした自然な流れが重要なのだと思います。

ファンの方々の反応には大変熱いものがあります。中国の上海でポップアップ出店をしたときには、私のところにSTONE ISLANDのジャケット姿の男性がやってきて、そのジャケットがどう作られたか、10分ほど私に懇々と説明してくださいました。もちろん製法は私自身知っているわけですが、そこにあれほど熱くなっていただけるというのは嬉しいものでしたね。他ブランドではなかなかないことではないでしょうか。

——この40年での学びについて教えてください。もっとこうしておけば良かったというような後悔はありますか?

私は今65歳で、STONE ISLANDを始めたのは25歳のときでした。自分のヴィジョンを羽ばたかせられたことを誇りに思っています。もちろん失敗もしましたが、失敗はチャンスでもあります。製品開発では多くの失敗をしますが、そこから学んでこそより良いものが作れるようになります。革新を起こそうとするのなら、失敗への覚悟はしなければなりません。むしろ失敗をしない方が心配です。失敗しないということは革新性が足りないことを意味する可能性がありますからね。

それから、これまで大胆な決断に何度も踏み切ってきたことが、今のSTONE ISLANDにつながっているとも思います。たとえば、デニムはSTONE ISLANDの強みではないと感じたときには、デニムをやめる決断をしました。誰もがジーンズを履く時代に、会社としてデニム製品を手掛けるのをやめる。それによって取り損ねた利益もあったのかもしれませんが、得意分野に集中するための正しい決断であったと思います。やはりビジョンというものは貫くしかありませんからね。