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Tune in and turn up

Nae.Jay

今年初頭にメジャーデビューを果たした、トーキョー・ニュー・ミクスチャー・スタイル・バンド「King Gnu(キングヌー)」の統率者であり、また、King Gnuのアートワークや映像制作を手がけるほか、多方面で活躍するクリエイティブ集団「PERIMETRON(ペリメトロン)」の創立者でもある稀代の音楽家、常田大希によるプロジェクトが、この春新たに始まった。

あらゆるものが商品化される資本主義経済の中で、社会と繋がりながら、音楽や芸術をどれだけ自由に構築し、クリエイティブに活動出来るのか。そのヒントと希望は、世界進出を見据えた常田の新プロジェクト「millennium parade(ミレニアムパレード)」の始動にあった。

様々なカルチャーが混ざり合い混沌とした東京の街の在り方を、幅広いジャンルやスタイルの音から調和させ絶妙なバランスのサウンドに落とし込み、“トーキョー・カオティック”として表現する彼の音楽に対する哲学に迫るべく、5月に行われた「“millennium parade” Launch Party!!!」でのライブを中心に様々な質問を投げかけた。

Nae.Jay

——まず最初に、常田さんの音楽との結び付きについて、特にチェロとの出会いについてお伺いさせてください。

両親がピアノ弾きだったんです。ジャズ・ピアニストとクラシック・ピアニストで。家には楽器がいっぱいあったし、音楽がすごく溢れてるところに生まれたんで自然と音楽に触れ合ってました。

——チェロはいつから始めたんですか?

5、6歳の時かな。近所にチェロ弾きのおじさんがいて、その人に教えてもらって始めたんです。

——どれくらい練習していましたか? またその後、東京藝術大学に入るために、どれくらいの時間を費やしましたか?

本気で練習やり出したのが高校に入ってから。コンクールとかに出だしたのが高1くらいの時かな。その頃はめちゃめちゃ弾いてたよ、毎日8時間くらい。日本音楽コンクールで3位とか、賞を取ったことあるくらいには弾いてた。でも高校はそんなにちゃんと行ってなかったからあんまり授業には出てないけどね。

——世界的な指揮者、小澤征爾さんのオーケストラに入っていたと伺いました。

19〜20歳の時に2年間くらい行ってました。上海とかでの海外公演もあったから、結構いろんな所に行きましたね。中国ってオケの聴き方も日本とは全然違っていて、演奏中に歓声をあげたり、めちゃめちゃフラッシュたいて写真撮ったりするんですよ。俺はその感じがすごく好きで。観客がカジュアルに楽しんでる感じは、いい意味でカルチャーショックだったかな。

——元々辞めるつもりで藝大に入学したと聞きましたが、辞める前はきちんと通っていたんですか? また、どうして辞めようと思ったんですか?

1年くらいで辞めたけど、通ってる時はずっと学校の練習室に籠ってました。クラシック音楽っていうのは再現芸術の世界で、やっぱり自分とは根本的なマインドが違うから。ちょっと自分がやりたいこととはまた違うというか……。

——美術学部の人たちとは関わりはありましたか?

今でこそ、アニメーションとかでいろんな繋がりがあるけどね。自分の曲を発表するのにも今どきは映像が必要だから、いい人がいないか聞いたりしてたけど、やっぱり自分で作った方が早いってなって、結局初期のMVは自分で作ってたんですよ。ちなみに今日公開した「Stay!!!」ってMVでアニメーション描いてくれてるkoya君は、藝大時代から知ってるアニメーターです。俺が在学中に学祭で彼のアニメーション作品を見て、この頭のおかしいアニメーターは誰だって感じで衝撃を受けて、今回初めて頼みました。すぐキャラクターをケツアゴにしちゃいますね、koya君は。

——小さい頃からずっと音楽をやられていたなかで、創作意欲が生まれたのはいつですか? またそのきっかけと、ギターや打ち込みなど、当時はどのようにして曲を作っていたのか教えてください。

中学生くらいから作ってて、特にきっかけがあったわけじゃないけど、ビートルズが多重録音してるのを聞いたりしてっていうのはあったと思う。自然過ぎてあんまり覚えてない。曲はギターやらピアノやら、チェロで作ったこともあるし、ドラムやベースから作る曲もあるから、いろいろです。

——いわゆる小さい頃の「将来の夢」は、音楽に関係することだと思っていましたか?

うん、ずっとそう思ってた。

——商業的なことを考えずに、今現在、演奏していて一番好きな楽器は何ですか?

忙し過ぎて、楽器を無心で弾くってことがこの何年かない気がする……。フェンダー・ローズっていうエレクトリックピアノを買ったんで、それを弾いてるかな。

——かつてインドをバックパックで回ったと伺ったのですが、いつ頃からどのくらいの間行かれてたんですか?

大学辞めてすぐに……超ベタだね(笑)。1、2カ月くらい行ってて、結構しんどかったですね。

——カルチャーショックみたいな感じですか?

衛生面がマジで……。ちゃんとしたホテルに泊まれば違うんだろうけど、いわゆる安宿で生活してたから結構ヤバくて。カルチャーショックはめちゃめちゃあった。ガンジス川沿いのバラナシっていう場所は、いわゆる“供える祭り”としての祭りを、音楽もドンチャンやって、毎日すごいお祭り騒ぎみたいな感じで。楽器を買いに行くっていうのも旅のテーマだったから、シタール(北インド発祥の弦楽器)とかタブラ(北インド発祥の太鼓)を買ったんです。そしたら空港で密輸を疑われて、楽器全部バラされてもう台無し……。ショックは受けた(笑)。

——インドに行ったことで視点の変化や音楽への影響などありましたか?

どうだろうね。元々ヒッピーサウンドというか、ウッドストック(Woodstock Music and Art Festival, 1969)のビデオを擦り切れるほど観てたくらいあの時代のサウンドが好きだったから。そういうサイケデリックなサウンドが好きで、それは自分が作る作品のサウンド感をみても、やっぱりすごく影響されてる気がします。この前、田名網敬一さんのアトリエに遊びに行かせてもらって、彼はサイケデリックなポップアートを描くレジェンドなんですけど、元々俺が超好きだったのもあってすごくシンパシーを感じたというか、まさに俺がやりたい“トーキョー・カオティック”感を、絵ですごく表現してて似たような美意識を感じましたね。

——忙しいとは思いますが、未だに美術館や個展などに行きたいと思いますか?

はい、思います。でも、めちゃめちゃ減ったね。最近はそういうインプットの作業が出来てなくて……。そういう意味では、10代の藝大にいた頃の方がそういう情報に飢えてたし求めてた。その頃吸収したものだったり構築した考え方だったりっていうのが、たぶん今のベーシックになってる気がしますね。

——藝大生のうちは国立美術館など無料で行かれますよね。

そうだね! 俺はすぐ辞めちゃったけどね(笑)。学生はすごい守られてるんだなと思って、社会に。辞めないで休学の方がいいってことを読者には伝えてほしい。卒業する気なくても辞めちゃダメ(笑)。

——直接的な出会いで常田さんが影響を受けた人はいますか?

ほんとにいろんなジャンルのシーンに足を突っ込んでたから、それぞれにいろいろあるんですけど……。ジャズだと、millennium paradeでもドラム叩いてた石若駿っていうドラマーがいて、あいつはもう10代の頃から、日野皓正とか、いわゆるジャズの日本のトップランナーたちと一緒にやるようなすごい売れっ子だったんだよね。そいつに誘われて行った小さいジャズクラブとかでライブを観た時はすごく衝撃を受けて、今でもやっぱりジャズドラムっていうものは俺の中ですごく大事なスタイルになっています。だから結構作品にも入れるし、それは石若との出会いからかな。繋がりがある人は基本みんな何かしら影響をし合ってますね。出会う人はみんな、普段一緒にいる人とかも。

Nae.Jay

——ここからはmillennium paradeについてのお話を伺いたいのですが、このプロジェクトにおけるメンバーは、常田さんが10代後半頃に出会った人たちが多いんですか?

それこそ藝大の同級生とかも多かったりしますね。でも、藝大で学んでることっていうのは日本の音楽業界で吐き出し口がないというか……。藝大で音楽を学んでたとしても、そのアウトプット先も受け皿も日本にはなくて、そこをみんな割り切ってポップスのバックバンドをやるとか、それかもうそういうものを全く無視してアンダーグラウンドな活動をするか、現状めちゃめちゃ二極化してて。そういう意味では、こういうプロジェクト(millennium parade)が音楽をしっかり学んだ人たちにとって、今まで追い求めてたものだったり技術をちゃんと活かせる場になったりしたらいいなと思ってます。実際に「こんな現場他にないよ」ってプレイヤーたちもみんな喜んでくれて、それはすごくいいことだなと。「学びと活動がリンクする」「社会に居場所がある」っていう状況に持っていけたら一番いいかな。だから、そういう面白さも含め、それをちゃんと伝えていかなきゃいけない。それは、今俺にしか出来ないことだと思うから。

シーンの多様化が貧しい日本ではアウトプット先がほとんどないから、日本で活動する音楽家は大変だよね。すごい優秀な人も海外行っちゃったりしていて悲しいね……。

藝大の問題点として、やっぱり習い事精神のやつが多すぎるんだよね。でも、社会とコネクトするっていうことをクリエイティブに考えるっていうことは今の時代に絶対必要。昔から楽器を弾いてて、ある程度上手くなって藝大に入ってっていう人が多くて、それだけだとシーンは何も変わらない。でも最近は随分変わってきて、社会とコネクトしようとするやつが藝大出身者にも増えた印象はある。

——初ライブから4カ月経って、何か心境の変化や物理的な変化はありましたか?

楽曲を今めちゃめちゃ作ってて、作品作りをストイックにやってる感じですね。実際に大きなことが決まってたり動き出してたりしてるんで、着実に一歩ずつやっていくだけです。

——初ライブに「恵比寿LIQUIDROOM」という場所を選んだ理由があれば教えてください。

LIQUIDROOMのことが好きっていうのはありますね。山根さんっていう人がいるんだけどその人のことが大好きなんです。それと、あそこは独立してやってるライブハウスで、音楽に対する美学というかプライドもあるような場所で、そういうハコってめずらしいんだけど、そういう意味でもリスペクトしてるっていうのもあって。ただ、キャパ的にライブを観れない人がかなり増えちゃったっていうのはちょっともったいなかったかな。

——音楽隊のメンバー構成にはどういった経緯がありましたか?

ツインドラムを両サイドに並べたかった。音源はレコーディングをガッツリ生でやるっていうよりはビートものの作り方をするんだけど、ライブとなるとやっぱり肉体性は欲しくなる。それで、肉体性を出すときにドラムが一番伝わりやすいというか。迫力的にもドラムを両サイドで前面に出したかったんです。その他にも選りすぐりのミュージシャンたちを集めてっていう感じかな。

——メンバーは固定というわけではないんですか?

どうだろうね。でも、ミュージシャンもそうだし、映像チームも演出チームも全部込みでバンドっていう動き方をしていこうと思ってるから、そういう意味ではサーカス団じゃないけど大編成のバンドみたいなイメージを持ってますね。

——海外のクリエイターやアーティストを使っていないことについて何かこだわりや理由はありますか?

もちろんコラボレーションはどんどん考えていってるんだけど。俺的には川久保玲さん(ファッションデザイナー/「COMME des GARÇONS(コム デ ギャルソン)」創始者)をすごく意識していて。あの人が最初にパリコレを開いたときとかものすごい赤字だったらしいんだけど、演出込みでダーンとパリに乗り込んで、結果“黒の衝撃”みたいな感じで世界のファッションシーンで話題になった。ちゃんとトータルでクリエイトしたものを披露しないと、服だけが海外に行っても伝わらないことも多いと思う。

例えば、バンドが4人で向こうのライブハウスに行って普通にライブをやったところで、そこでの衝撃っていうのはやっぱり弱いなと個人的には思っていて。サーカス団じゃないけど、コアに固まった総合的なアートを持って乗り込んだときにこそ勝算があるんじゃないかと。だからボーカルも固定で立てないで映像を使って、初音ミク的なカルチャーのエッセンスを出したり引っ込めたりして。でも一方で、バンドはめちゃめちゃ肉体的に演奏するっていう、いろいろ複合的な面白さがある状態を作りたいですね。

——歌詞の言語にこだわりはありますか? また歌詞の内容はmillennium paradeやKing Gnuにとってどういう意味を持っていますか?

millennium paradeの話をすれば、言葉の縛りは特にないかな。まだ公開してないだけで日本語の曲だっていくつもあるしね。いろんな国のアーティストとコラボレーションしていく予定だから、各アーティストに合った言語で歌ってもらいたいって感じかな。今オフィシャルで公開している2曲の英詞はermhoiBlack Boboi)が書いてくれてるね。millennium paradeの構想版みたいなアルバムで『http://』っていうのがあって、それは中国語とかフランス語が入ってたり、要はいろんな国のアーティストとコラボしたみたいな感じになってて、そのイメージは今も持ってます。逆にKing Gnuは完全に自分の言葉というか、自分の想いを乗せたフォークソングに近いというか、そんな感じです。

——初めてのライブで3Dを使った演出方法を選んだのはなぜですか?

3Dはずっと前から考えてた。ボーカリストの代わりになるアイコンがちゃんとお客さんの顔の近くに飛び出てきて歌うっていうことがもし実現出来たら、いろんなことから自由になるんじゃないの? っていうのが漠然とあって。その方が自由度が高いし、音楽的にもいろんなシンガーを起用できるし。ボーカリストをお客さんの近くで歌わせるっていうのはベーシックにあります。

——今後のライブでもそれは続けていきますか?

いや、フェスでは出来ないんだよね、3Dメガネを全員には配れないから。だから、自主イベントは3Dでやると思うんだけど、野外とかになったときの方法は、マッピングなのか、何かしら別の面白いことをしなきゃいけないっていうのは今絶賛模索中です。

——映像は「TouchDesigner」(ビジュアルプログラミング・ツール)を使っていますよね?

うん。すごい専門的な話になるけど、レンダリングをリアルタイムでかけていくから、事前にいちいち書き出す必要がないし、その分リアルタイムで3D映像の操作が出来る。リアルタイムなライブ感を演出するためにそれを使ってるらしい。俺もそんなには把握してないんだけど。

——音響へのこだわりはありますか? 例えば今後、22.2chマルチチャンネル音響システム(8K音響システム)を使いたいなど。

そういうことまで徹底的にやりだしちゃうとね……会場の選定だったりも限定的になってきちゃうし、めちゃめちゃ赤字プロジェクトになっちゃうから(笑)。サウンドの特徴としては、50人とかの単位で演奏するフォーマットのオーケストラのサウンドをヒップホップのサンプラー、例えばMPC(AKAIのサンプラー)を使うことによって1人でそれをコントロール出来るようになる。ドラマーとサンプラーっていう1人の肉体性だけでビートとオーケストラが鳴らせるわけ。だから、オーケストラでは出せないグルーヴ感が出せるようになる。そういうクロスオーバーみたいなものはすごく意識してますね。ビートと上物、オーケストラとかは面でくる音なんだけど、そういうものを綺麗に分離して、なおかつオーケストラの良さというか広がりのあるサウンドやドラマチックさみたいなものをビートミュージックに入れられたら、またちょっと新しい世界が開けるんじゃないか、とか考えています。勢喜遊にはサンプラーを叩きながらドラム叩いてもらってるしね。身の丈にあった音響システムで。

Nae.Jay

——Srv.Vinci(サーバ・ヴィンチ)時代の曲を演奏した理由は?

Srv.Vinciって初期と後期があって、初期は石若駿がいたり、ラップとかもバンバン入ってたの。後期はメンバーが4人に固定されてKing Gnuの前身みたいな感じで、初期がmillennium paradeに進化したみたいな感じですね、その時やってたメンバーが一緒だったりして。

——セットリストはどのように決めましたか? また流れ自体に意図はありましたか?

いや、一発目だからね。ライブ一発目って……そんな余裕ないよね(笑)。もう必死。だって音源も1曲しかリリースしてない状態でのワンマンだから、客も何やるか全然分かってないし、直前まで曲作ってたし(笑)。でも、今後もっと進化していくと思います、いろいろ。一発目であれだけのものを作り上げられたのは、自分で言うのも何だけど大したもんだと思う。いい仲間に恵まれたね。

——ライブでの常田さんの指揮者ポジションについてお聞かせください。

あんまり何もやりたくないんだよね、ステージ上で(笑)。出来れば飲んでたいくらい楽しみたいっていうマインドだから。優秀なミュージシャンも周りにいるし任せられるとこは任せようみたいな感じ。King Gnuのお客さんも多かったと思うんだけど、いわゆるJ-POPフィールドのKing Gnuのお客さんが、前知識なしでああいうライブを観ることや、初めて聴くビートがあったり、そういう音楽を楽しむ状況ってお客さんにとってもすごくいい経験というか……。アメリカツアーをしたときはビートがかっこ良ければ食い付いてくるって感じなんだけど、日本のオーディエンスはやっぱり知ってる曲と知らない曲の盛り上がり方が全然違う。日本はカラオケ文化が根付いてるだけあって、知ってる曲を知ってるアレンジで聴きたがる人が多い気がする。だからこのプロジェクトを体験することで、新しい音楽の楽しみ方を知るきっかけになってくれたら嬉しいね。

——1stシングル「Veil」のMVを観た人たちが共通して“新しい”という感覚を覚えたと思うのですが、それを引き出しているのは何だと思いますか?

あれは音楽的なことで言うと、バイノーラル空間(立体音響空間)をビートが跳び回ってるんだよね。だからヘッドホンで聴くとより緻密さが伝わる。そういうところもありつつ映像的な新しさもある。PERIMETRONはみんな、日本の『攻殻機動隊』や『AKIRA』が好きだから、その辺のカルチャー感は今後もっと色濃く出していこうと思ってます。

——雑誌のインタビューで「哲学を共有しているクルー(PERIMETRON)で、作品をトータルで作ることにオリジナリティが生まれる」と話されていましたが、その共有している哲学について詳しく教えてください。

King Gnuとして活動する前からみんな一緒にやってるメンツだからね。それこそ、東京発のアーティストがどういう音を作るべきか、どういうサウンドを打ち出していくべきか、っていう最初の状況から共有されてるメンバーたちだから意志の疎通も取れてる。活動開始した当初は、やっぱり第一線の人たちより予算もクオリティも低かったんだけど、これが違うよねとかこれはめちゃめちゃ良かったね、みたいなことをちゃんとこの何年間かで積み上げてきてる。それが俺がクルーをやってることの財産というか……。だから売れたら有名な人にポンと頼む、みたいなことではできない領域というか、そういうものはあると思っています。

——millennium paradeにおいてもKing Gnuにおいても共通しているのが“東京”だと思うのですが、それは常田さんが表現したい音楽の“対比”“ギャップ”“矛盾”と東京という街がリンクするから、と記事で拝見しました。常田さんにとっての東京とはどのような場所ですか?

なんか景観への美意識がなさ過ぎて、トーンがごちゃごちゃというか。中国に行った時もめちゃめちゃ感じたんだけど、建物ひとつ取っても美意識がないし、いろんな文化がほんとにごちゃ混ぜになってて、それを俯瞰してみたら、アジア圏のトーンになってるのかなって。

——それは東京に出て来てから初めて感じた感覚ですか?

そうですね、俺は長野の田舎育ちだから。長野は、ほんともうジブリみたいなもんだから(笑)。だからより東京に影響を受けたっていう感じですかね。

——東京に出て来てからは作る曲も結構変わりましたか?

意識するようになった。いろんなカルチャーがミックスした曲だったり音を作ろうと意識して、そういうコンセプトを打ち出したのはこっちに来てから。自分が昔から大きいサウンドとかオーケストラのサウンドとかが好きだったっていうのもあるけど。

——東京で好きな場所はどこですか? また海外で行きたい所や好きな所などはありますか?

人だね、誰といるか。あんまり場所にこだわりはないかな。まあでもアメリカよりヨーロッパのアートの方が好きだね。

——ファッションへのこだわりはありますか?

ファッションのこだわりは、家と同じ格好っていう……(笑)。だからあんまりステージでもマインドを変えない、っていうのはスタンスとしてあります。

——常田さんの中で、音楽に対してやりたくないことへのこだわりはありますか?

最近タイアップのある楽曲制作もかなり増えたからなのか「自分が前に作った曲をリファレンスにして、この曲みたいなものを作ってほしい」ってすごく言われる。それはほんとに気分が悪いね、自分の曲とはいえ(笑)。King Gnuにしてもmillennium paradeにしても、今までと違うものをやるっていう探究心みたいなのはあって、それはやっぱりミュージシャンをやってるからには重要なことだし。だから、昔と同じようなことをやらされるのがすごく嫌。たとえ半年前の曲だろうがすごい萎えちゃいますね。

——音楽と向き合うなかで苦しいときはありますか?

いやもうめちゃめちゃ病んでる、躁鬱みたいな感じだもん(笑)。締め切りに追われてずっと一人で部屋に籠って曲作ってるから友達と飲みに行く頻度もすごく減って、一人の時間がすごく増えた。曲作んないとっていうのでもう……鬱なうですね(笑)。

——それは、音楽に対してというよりはその状況に対してですよね?

そうだね。置かれてる状況が結構カオスだから。

——音楽を通して伝えたいことを教えてください。

何もないですね、伝えたいこと……。自分たちが楽しければいいっていうのが基本姿勢。

——歌詞を書くときも伝えたいことがあるわけではないんですか?

まあ、曲によるかな。なんかポジティブな感じではある、基本的にはね。暗い、ネガティブなことを発信しようとは思わない。

——常田さんが考える音楽の可能性や新しさみたいなものは何かありますか?

例えば、ウォン・カーウァイ監督の『花様年華』を観たら、なんか香港で暮らしたいなあ、香港で暮らす人かっこいいなあ、みたいに感じたり、ジブリの宮崎駿監督の作品を観たら、なんか田舎で暮らすの楽しそうだなあとか、田舎で育ってきてると分からない細やかな幸せに気付いたりする。だから自分の作品に触れた人の生活を少しでも豊かにしたいなとかは思ったりする。

——この間のライブはもちろん、これからも実験的なことをされていくと思います。先程少しビートルズのお話もありましたが、彼らは後にビデオ・アーティストにシフトチェンジをしていますよね。常田さんはそういうことではなく、やはりライブというものに何かこだわりがあるのでしょうか?

フジロックでビョーク(Björk)を観たとき、Arca(アルカ)っていうすごく素晴らしいビート・メーカーがビートを出していて、いわゆるバンドがいなかったの。その時に、ちょっとなんか乗り切れないというか盛り上がり切れないな、みたいなのがあって。もちろんステージでMV流したりとかっていう演出もあったんだけど。俺があれで感動できなかったのは、おそらく肉体性に感動しなくてグッとこなかったからだろうなって。そんな経験があったりしたから、人が本気で楽器を演奏しているとか本気で叫んでるみたいなものは、やっぱり俺にとっては重要な要素なんだなって思っています。

——そういうことなんですね。それは先日のmillenium paradeやKing Gnuのライブでも感じました。

でもケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)には感動した! バンドセットでバキバキの演奏だった。ケンドリックが日本に単独公演とかで来ないのがすごい寂しくて……チャイルディッシュ・ガンビーノ(Childish Gambino)も結局来ないし、チャンス(Chance The Rapper)もライブに人が入らないっていう……。だから、こういう現代の重要人物たちが日本ではそういう状況になっちゃうっていうのは、良くも悪くも日本の音楽シーンは孤立化してるんだろうなってすごく思います。そこに対しては何かを変えていこうっていう気も別にないけど、ちゃんと自分は今この場所でやるべきことをやっていこうって思っています。

 

【millennium parade「Stay!!!」MV】(9月27日リリース)

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